牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

83歳と82歳のご夫婦を訪ねて

2007-02-25 09:09:30 | Weblog
昨日の午後は、どうしても訪ねたい方があり電話で問い合わせたら、来てくださいとの返事。ありがとうございますと約束の時間にお訪ねした。話していると奥様がお茶をと声をかけ、ご主人が運んできてくれた。

 奥様は足が不自由で立って歩けず、這うようにして入って来られ、話に加わってくれた。ご主人とは面識があったが、奥様は足の不自由さを聞いていたが初対面であった。とてもお若く感じたが82歳とのこと。ご主人は3日前に83歳の誕生日を迎えられたばかりでした。

 昭和23年(1948年)に見合い結婚し60年、本人たちはけんかしながらと笑っていたが仲良く楽しく暮らしている様が、お二人の笑顔ににじみ出ている。

 ラジオ放送希望の声を35年前から聞いていてくださり、私が種子島出身であることはもちろん、ラジオでアドリブで話したエピソードを覚えていてくださり、心楽しくお話しをうかがうことができた。

 最後に奥様の手を握り、健康の守りと幸せを祈るとアーメンと言われた。今日、イエス様を心にお迎えしましょうとお勧めした。そして、「イエス様。私の心にお迎えします。お入りください。信じます。アーメン」とともに祈り、スグご主人とも同じように祈りをすることができ喜んでいただいた。

 神様はあなたを愛しています。しかし、人間はそんな大きな愛があるのに、不平不満やつぶやき、ぼやき、グチ、泣き言、悪口や文句の世界に生きています。幸せからほど遠い歩みをしています。

 原因を考えたことがあるでしょうか?原因はまわりの人ではなく自分自身にあります。認めたくなくても原因は自分の罪にあると聖書は教えています。しかも自分ではどうすることもできない厄介な罪です。人よりも正しく生きようと頑張れば、外側は良く見えても心の中に傲慢や憎しみが増えていきます。

 イエス様は十字架の上にすべての根源的な罪や実際の罪を背負って身代わりに死んでくださいました。そのことを信用して、「アーメン。信じます」と「言うとき救われます。過去、現在、未来のすべての罪が赦されます。アーメンは契約に対する実印のようなものです。

 黙示録3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところに入って、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

 イエス様。いま心を開いてお迎えします。お入りください。アーメンと「祈ってみてください。すばらしい平安と感謝が生まれます。幸せを祈ります。



19:1 -2イエスはエリコの町を通り過ぎるところでした。 この町には、ローマの税金取り立ての仕事をしているザアカイという男がいました。取税人の中でもとりわけ権力をふるっていた、たいへんな金持ちでした。
19:3 さて、このザアカイも、ひと目イエスを見ようと思いましたが、なにぶん背が低いので、いくら背伸びをしても、人垣のうしろからは何も見えません。
19:4 そこで、ずっと先のほうに走って行き、道ばたにあったいちじく桑の木によじ登り、見下ろしていました。
19:5 やがて、そこへ差しかかったイエスは、ザアカイを見上げると、彼の名を呼んで、「ザアカイさん。 早く降りてきなさい。 今晩はあなたの家に泊めてもらうつもりでいますから」と言われました。
19:6 ザアカイは急いで降りると、大喜びでイエスを家に迎えました。
19:7 しかし、これを見ていた人々の心中は、おだやかではありません。「なにも、あの札つきの悪党の家の客にならなくても......」と、ぶつぶつ文句を言いました。
19:8 一方、ザアカイは主の前で、こう告白したのです。 「先生。 今からは、財産の半分を貧しい人たちに分けてあげます。 税金を取り過ぎた人たちには、四倍にして払い戻します。」
19:9 -10イエスは言われました。 「その告白こそ、今日この家に救いが来たことの動かぬ証拠です。 この人も迷い出たアブラハムの子供の一人なのだから。 メシヤ(救い主)のわたしは、実にこの人のような者を捜し出して救うために来たのです。」

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