牧師雑感

聖書のことばを中心に毎日の出来事を書いています。

ラジオ放送希望の声が34年目に!

2006-06-14 05:26:56 | Weblog
昨日は7月放送の録音に朝日放送スタジオまで行きました。毎月、火曜日の夕方にスタジオへ行き、一ヶ月(4-5回)分を録音します。

 早いもので7月から34年目、その最初の録音でした。

 34年前の5月に愛知県稲沢市のキリスト教会へ招かれました。名神高速道路で木曽川を走行中、運転していた牧師が、「義之君。朝日放送でラジオ放送をやってみないか?」と、話しかけてきました。

 突然の話題転換だったので驚きました。毎月の放送料金が5万円ほどとのこと。当時、富雄キリスト教会は開拓伝道中で、信徒の数は10数名。そのほとんどが中学生や高校生でした。

 サポートや支援もなく、アルバイトやパートをしなければ生活も教会も維持できない状態。献金の総額も5万円もないようなときでした。

 話べたで赤面恐怖症・・・、話を聞きながらできない理由がいくらでも思いつきました。

 「できない!」大阪弁で話していたので、「できへんわ!」とのことばが舌の上に乗っていました。できない!が口から出る寸前、「一ヶ月くらい祈って返事してくれたら良いよ」とのこと。

 稲沢福音教会につき、与えられた部屋で祈りました。話し下手だろうが何だろうが、イエス様の救いを伝えたい!十字架の上に人類の罪を引き受けて死なれ、墓に葬られ、3日目に死を打ち破って復活されたイエス・キリスト。そのことをアーメンと信じれば救われる!

 神の愛を広く伝えたいとの思いはあふれてきます。そのために牧師隣、その日も福音を語るために稲沢まで来た!

 しかし、現実を思うとお金もなければ何もない状態にしか見えない。

 思案投げ首!

 目の前に置かれている聖書を開いた。見よ!とのことばが目に飛び込んできた。見よ!

 「見よ。わたしはだれも閉じることのできない門をあなたの前に開いて置いた」(黙示録3:8)

 瞬間的に、「アーメン。信じます」と祈り、決断した。だれも閉じることのできない門が開かれている。自動ドアでも触れなければ、乗らなければ開かない。しかし、もう開かれている門があるなら入るだけ良いのです。

 単純な決断でした。しかし思い決断でもありました。その日以来33年、朝日放送ABCラジオで聖書の言葉を語り続けています。

 人生にはいろんな不可能があります。閉じられたかに見える出来事に直面します。ムリだ、できない、不可能だ、イブアップだと思える事態に出会います。

 しかし、「できればと言うのか。信じる者にはどんなことでもできる」(マルコ9:23)と、イエス様は教えました。

 やってもいない前から、できないと結論付けないで、信じて前進です。不思議に門が開かれてゆくのです。いや、実は開かれていたのです。

 「見よ。わたしはだれも閉じることのできない門をあなたの前に開いて置いた!」

 考えられないような救いの門、幸せの門が大きく開かれています。

 アーメン。信じます。ありがとうございます。開かれた門にはいります。ハレルヤ!感謝します。不可能を可能にしてくださる愛の神を、イエス・キリストの不思議な力を信頼してみましょう。

コリント人への第一の手紙

2:9 まさしく、聖書に書いてあるとおりです。
  「目が見たことのないもの、
  耳が聞いたことのないもの、
  そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
  神を愛する者のために、
  神の備えてくださったものは、みなそうである。」