“100人殺し”のメキシコ麻薬カルテル「伝説の暗殺者」が、無罪放免になった理由

2020年04月18日 | 旅行



“100人殺し”のメキシコ麻薬カルテル「伝説の暗殺者」が、無罪放免になった理由

4/18(土) 21:00配信

クーリエ・ジャポン
“100人殺し”のメキシコ麻薬カルテル「伝説の暗殺者」が、無罪放免になった理由

メキシコ・モレロス州の麻薬カルテル「ゲレロス・ウニドス」の殺し屋だったシカリオ。裏社会から一度は足を洗ったものの…… Photo: Alexandra Garcia/The New York Times

17歳で初めて人を殺したシカリオは、殺人の才能を見出され、やがて麻薬カルテルが絶大な信頼を寄せる殺し屋となる。だが、仲間の裏切りによって逮捕された後、彼の運命の歯車は大きく狂いはじめる。米紙が長期取材でメキシコの暗部に深く切り込んだ傑作ルポルタージュをお届けする。

“新人たち”が一列になって空き地に並んだ。鬼軍曹のように厳しい表情をした教育係もまた、一列に並んでいる。彼らは後ろに何かを隠していた。

「人を殺したことがある奴はいるか?」

教育係のひとりが質問し、何人かが手を挙げた。教育係たちが後ろを指さすと、草むらに裸の死体が仰向けに横たわっていた。
教育係が一番近くにいた新人にマチェーテ(山刀)を握らせ、「死体を切り刻め」と命令する。その新人は凍りついたように動かなかった。すると教育係はその新人の背後に回り、頭に銃弾を一発撃ちこんで彼を殺した。

他の新人たちがあぜんとするなか、今度はひょろっとした10代の少年にマチェーテが手渡された。その少年は、ためらわなかった。

自分は立派な「シカリオ(殺し屋)」になれると証明するチャンスに、むしろ彼は飛びついたように見えた。カネと権力、そして「敬意」を手に入れる絶好の機会だった。恐怖が「通貨」代わりの世界で、恐れられる存在になる──それこそ彼が切望することだった。

シカリオ(身の安全のため、本記事では少年をこう呼ぶ)は、当時を次のように振り返る。

「世界一恐れられる殺し屋になりたかった。そのためには無慈悲に人を殺せるサイコパスにならなければと思っていた」
“100人殺し”のメキシコ麻薬カルテル「伝説の暗殺者」が、無罪放免になった理由

車のなかで殺されたカルテル・メンバーを見つめる少年 Photo: Shaul Schwarz/Getty Images
100件以上の殺人に関与

シカリオはメキシコのモレロス州に本拠を構え、アメリカにヘロインを密輸している麻薬カルテル「ゲレロス・ウニドス」の訓練キャンプに参加していた。朝のジョギングや射撃訓練をするのだとばかり思っていたが、まさか早々に死体を目にするとは──シカリオは吐きそうになるのを必死にこらえた。

目をつぶり、やみくもにマチェーテを突き刺す。生き残るためには最後までやり遂げるしかなかった。後は訓練でどうにかなるはずだ。恐怖心や他人への思いやりもこれで消え去るだろう。「あのとき、カルテルの人間が俺の人間らしさをすべて奪い、怪物に仕立て上げたんだ」とシカリオは言う。

その後ほんの数年で彼はモレロス州トップレベルの殺し屋になり、メキシコの平和をかき乱した。2017年までに100件以上の殺人に関与したが、当時の彼はまだ22歳だった。

同年、警察が彼を逮捕したときには、禁固刑240年以上を言い渡されるはずだった。だが、警察はカルテルを内部から解体するチャンスを彼に見出し、起訴しなかった。代わりに、警察は彼の証言と情報提供をもとに秘密捜査をおこない、モレロス州南部のカルテル・メンバー数十人を逮捕し、有罪にした。シカリオは無罪放免となった。

伝説の殺し屋から警察の協力者になったこのシカリオの人生からは、メキシコの超暴力的な殺し屋たちの世界と、彼らを抑止しようとする当局の苦労が垣間見れる。本記事は公文書と、17ヵ月にわたる本人、家族、当局者、他の殺し屋たちへのインタビューをもとにしている。

現在のメキシコの殺人件数は、この20年で最大数になっている。複数の麻薬カルテルが地元の縄張りとアメリカへの密輸ルートを巡り争い、さらにメキシコ軍とも闘いを繰り広げている。13年前に麻薬戦争が始まってから、暴力はエスカレートする一方だ。メキシコ全土で殺人があまりにも普通におこなわれるため、市民の感覚もマヒしている。
毎年、暴力の記録は塗り替えられ、つられて悲惨さも増しているが、その流れを食い止めるための法整備が追いついていない。シカリオはそんな最中、殺し屋としての頭角を現していく。



「プロの殺し屋」の道へ

シカリオが初めて人を殺したのは、麻薬カルテルの幹部たちにそそのかされたことがきっかけだった。

「お前ができるのは、せいぜい盗みやケンカだ。だが、殺しはできないだろう」と幹部たちは彼をからかった。これはテストだと、シカリオにはわかっていた。

すでに「ゲレロス・ウニドス」のメンバーだった彼は、まだ17歳だったが、賢く、暴力の素質があると周囲に思われていた。

「俺にどんな力があるか、あんたたちにもわからないはずだ」

シカリオがそう言い返すと、ボスたちは通りの向こうにいる2人の若者を指さした。彼らは偶然そこに居合わせたために標的にされたのだ。

シカリオは2人の若者めがけて走り出した。自分に殺しなんでできるのだろうか──走りながらそんなことを考えていたが、小さなナイフをポケットから抜くと近くにいた方の若者の喉をかき切った。「まるで誰かにコントロールされているみたいだ」と、シカリオは思った。
若者から血が噴き出したが、シカリオは恐怖を必死で抑えた。暗殺者は無慈悲でなくてはならないからだ。「感情を抑え、これは別の誰かがしたことだと、自分に言い聞かせた」と彼は言う。

この若者2人は無実だったと後から知った。ボスたちにとって、これはゲームにすぎなかった。シカリオが本当に殺すとは思っていなかったのだ。

この話が広まり仲間から尊敬されるようになると、シカリオの罪の意識も軽くなった。残忍なプロの殺し屋の道を歩みはじめた彼に、疑問を持つ者はいなかった。


シカリオの子供時代はごく普通で、むしろ家庭環境はよかった。両親からはいつも、他人を思いやるようにと言われたという。

シカリオの背は高く、体形は細身。丸顔で眠たげな目をしているが、動きはアスリートのように無駄がない。実際、子どもの頃はプロのサッカー選手を目指していた。だが、じきに学校をさぼって小さなギャング・グループとつるむようになった。大麻を吸ってはケンカをして、最終的には学校を中退した。

シカリオと息子 Photo: Alexandra Garcia/The New York Times

ときおり、シカリオは地元の水道会社に勤める父の仕事につき添った。平凡で給料は悪くても、将来はそういう仕事をするのだとしばらくは思っていた。だがその後、父が失業すると家計は火の車になる。母は日暮れから明け方まで働いたが、日給はわずか数ドル。シカリオは、家族が屈辱的なほどの低賃金で働く一方で、地元のギャングは大金を稼ぎ、畏敬の念を集めていることに気がついた。

「明日もわからない人生を選んだのは、そのときだった」とシカリオは言う。

殺人は一種の“メッセージ”

モレロス州の麻薬カルテル「ゲレロス・ウニドス」の下っ端の見張り役に始まり、盗みにドラッグの売人まで、シカリオは経験を積んでいった。あいつには野心があると幹部陣にも見込まれ、最初の殺しの後、シカリオは訓練キャンプに送られた。




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