膵臓がん 切除は無理でも放射線の「術中照射」で無事に退院

2020年09月17日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備
膵臓がん 切除は無理でも放射線の「術中照射」で無事に退院【がんと向き合い生きていく】

9/16(水) 9:26配信
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日刊ゲンダイDIGITAL

佐々木常雄氏(C)日刊ゲンダイ

【がんと向き合い生きていく】第181回

 八百屋を営んでいるKさん(65歳・男性)は、父親が胃がんで亡くなったこともあり、がんを気にして毎年、健診を受けています。

 長年、朝のコーヒー、晩酌、たばこを欠かさない毎日を送ってきました。コーヒーは、がんとの関連を指摘する報告を目にして控えた時期もありましたが、それが否定されたことを聞いてからは毎日飲んでいます。

 日本酒2合の晩酌はずっと続けていますが、たばこは10年前にやめました。自分だけでなく、周囲の家族への影響が指摘されている上、初めての孫が生まれたからです。

 そんなKさんは3カ月ほど前から背中が時々痛み、下痢をしやすくなっていました。「いつも店で重い荷物を持っているからだろう」と思って、整形外科医院を受診しましたが、X線検査では骨に問題はありませんでした。

 そこで、近所の内科を受診しました。すぐに採血検査をされ、お昼前、空腹になったところで再度受診し、腹部超音波検査を行いました。その結果、「膵臓に腫瘍がある。つまり膵臓がんの疑い」と告げられ、市の総合病院を紹介されることになったのです。さらに採血検査では、「糖尿病の傾向がある」とも言われました。Kさんは「膵臓がん」と聞いただけで、もうその時はダメかと思ったそうです。

 帰宅して、奥さんに「膵臓がんの疑いで市立病院で診てもらうことになった」と話すと、「え!? 気をつけていたのに」と驚きながら、神妙な表情を浮かべていました。

 Kさんはその日の夕飯からピタッと晩酌をやめました。そのためか、夜、布団に入っても寝つきが悪くなり、「もう死ぬのかな?」「俺の人生ってなんだったんだろう……」などと考えるようになりました。亡くなった両親、中学や高校の同級生の姿が浮かんだりもします。

 翌週、予約していた市立病院の消化器外科を受診しました。再度、採血と腹部超音波検査を行ったところ、担当医から「膵臓がんでしょう。手術は可能だと思います。その前に必要な検査を行いましょう」と言われ、CT・MRI検査、胃内視鏡検査など予定が組まれました。手術予定は、早くて3週間後くらいとのことでした。

■手術前後の放射線・化学療法で治る人が増えている

 検査は順調に進み、Kさんは手術2日前に入院しました。奥さん、息子と3人で手術の説明を受け、担当医となったF医師から次のような説明がありました。

「開腹してみないと分かりませんが、CT・MRIの画像では、がんは腹膜に広がってはいないし、肝臓に転移はなさそうです。開腹して、がんをできるだけ切除したいと思いますが、もし切除が困難な場合は、手術中にがんのところだけに放射線を当てる『術中照射』ということもできます。放射線が腸には当たらないようにして、1回で高線量が当てられます。この病院にはその設備があります」

 また切除できた場合でもその後に行われる抗がん剤治療について、膵臓を切ることによる糖尿病の併発など1時間ほどかけて説明がありました。

 Kさんは、F医師の丁寧な説明と自信がありそうな態度に、少し安心できて手術に同意しました。息子ががんのステージを聞くと、「Ⅲ期の可能性が高い」とのことでした。

 結局、手術では、がんが腹腔動脈幹に浸潤していて切除は無理と判断され、放射線術中照射が行われました。

 手術後、腹部の痛みは数日続きましたが、Kさんは無事に退院できました。その後、外来で抗がん剤治療が行われ、3年経過したいまも元気で過ごしています。

 Kさんは入院する前に、家族宛ての手紙を書いて仏壇の引き出しに入れておきました。

「麻酔から目が覚めない時は、延命治療はいらない。私がいなくなったら八百屋は閉じていい。妻をよろしく。皆さんありがとう」

 幸いなことに、その手紙を家族が目にすることはありませんでした。

 膵臓がんは、術中放射線治療設備を持っていない病院でも、手術前、手術後の放射線・化学療法で治る方が増えています。

(佐々木常雄/東京都立駒込病院名誉院長)



脳梗塞で倒れた夫にがんまで発覚。病室で“夫の切ない一言”に号泣

9/13(日) 15:48配信
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女子SPA!



 筆跡アナリストで心理カウンセラーの関由佳です。ある日突然、脳梗塞を発症した夫。人生初の入院で、夫婦ともにすぐに現実を呑み込めないでいました。

⇒【写真】再発で後遺症が悪化。紙に五十音を書いて指差しでコミュニケーションが取れるようにしていた

 とはいえ、3日間放置したにもかかわらず特に大きな後遺症もなく、1週間程度で退院できるだろうと思われていました。「これからは生活習慣をもう少し考え直そうね」と言い合って、10日が経った頃。脳梗塞を再発してしまったのです。

 主治医たちが原因究明に焦る中、最悪の事態に絶望感を味わった私たちですが、この先にさらなる絶望が待っているとは思ってもみませんでした。今回は、重病を告知されたときのことをつづってみたいと思います。
再発で後遺症が悪化……。生活に工夫を凝らす日々

 2度目の脳梗塞で、夫はついに右手と右足が自由に動かせなくなり、さらに失語症がひどくなって、ほぼ言葉も出なくなりました。一時は退院できると浮足立っていただけに、私以上に彼のショックは相当のものだったはずです。

 しかし彼は現実を受け止め、食事は左手でスプーンを使い、鉛筆も左手で持って筆談をして意思疎通をするように。私もどうにかシンプルにコミュニケーションが取れるよう、こっくりさんのように五十音を紙に書いて文字を書かずに指差しできるようにしたり、LINEはスタンプだけでやり取りできるよう使いやすいスタンプを集めたりと工夫をこらしていました。

 そんな中、なぜか唯一言えたのが「すいません」という言葉。「すいません」は便利な言葉で「ごめんなさい」と「ありがとう」という意味合いにもとれるので、夫は言葉に詰まると何事にも「すいません」と言っていました。

 そんな五里霧中な毎日を2週間ほど過ごしながらさまざまな検査をしましたが、やはり原因は全くわからず……。いよいよ脳や心臓だけでなく、全身をスクリーニングすることになり、体全体の不調を探すことになりました。

 そして入院してから約1か月後。ついにその時が来たのです。
脳梗塞の原因が判明、告げられた病名は…

 突然看護師さんから「奥様だけちょっといいですか?」と呼ばれ、主治医のいる部屋に連れていかれました。これはただ事ではない、という雰囲気を感じ、恐る恐る主治医の前に座ると、目の前のパソコンには夫のCTの画像が。

 そして、神妙な顔つきをした主治医にその画像を見せられながら、夫の脳梗塞は、肺腺がんによるものであろうことを告げられました(厳密に言うと、このときはまだ細胞組織の検査をしていないため確定ではなかったのですが、99%悪性腫瘍だろうと言われました)。大変めずらしい症例で「トルソー症候群」というそうです。

 私としては「そんな……!」という衝撃と、なぜか「やっぱり」という納得感が両方あり、何とも複雑な思いを抱えながら、なんとか冷静を装い主治医の話を聞いていたのですが、そのときに主治医から厄介な提案を受けたのです。

二段階の告知に混乱!

「ご主人にもこの後告知をしようと思うのですが、問題ないですか? それまで奥様はこのことを聞かなかったことにしていただいて、告知の時も初めて聞いたようにしていただけたらと思います」

 えっ! ただでさえ混乱しているのに、演技をしろということですか?!

 正直困惑しましたが、私は思わず「わ、わかりました」と答えてしまい……。それから病室に戻って再度呼び出しがかかるまでの間、私の精神状態は混乱を極めました。

 夫には適当にごまかして世間話などをしながら、頭の中では「本当にがんなんだ」「ステージは?」「これからの生活はどうなっちゃうの?」「この人といつまで一緒にいられるんだろう」といった不安の渦がぐるぐるして、油断すると溢れそうになり、なんとか泣き出さないようこらえるので精いっぱいでした。そもそも、妻だけ先に伝えるこのシステム、意味ないですよね? 今でも導入しているのなら、ただちに撲滅してほしい!!
夫の切ない一言に号泣…

 そして数十分後に夫とともに再度主治医に呼び出され、本人への告知。言われた通り、私は必死で初見のようなリアクションを取りつつ、夫の様子が心配になり見てみると、その時は主治医の話すことを淡々と受け止めている雰囲気に見えました。が、病室に戻るとやはりしょんぼりした様子……。

 私はなんと声をかけてよいのかわからず「困っちゃったね……」と夫の手を握りました。すると「すいません……」と一言つぶやいたのです。私は彼のその言葉に、悔しさや悲しさ、情けなさ、そして私に対する申し訳なさなど、すべてに対する無念さを感じ、涙をこらえられなくなって思わず夫を抱きしめました。

 夫も嗚咽を漏らし始め、大部屋の病室でしたが、人目をはばかる余裕などなく、そのまま2人で号泣しました。「なぜこの人がこんな目に遭わなければならないのか」と悔しくて悔しくてたまらなかったです。

 その後、呼吸器科に移動し病理検査によって、肺腺がんのステージ3Bという診断が正式に下されました。すでに手術はできず、抗がん剤による治療を提示されました。ここから、脳梗塞のリハビリとがん治療の闘病生活が始まったのです。

 とはいえ、今までの人生で一番つらかったと言ってもいいくらい、精神的に苦しい日々でしたが、今となっては闘病という共通の目標は、私たち夫婦の絆を深めてくれました。次回は、看病中に感じたさまざまな発見についてお伝えしたいと思います。

―シリーズ「私と夫の1063日」―

<文/関由佳>

【関由佳】
筆跡アナリストで心理カウンセラー、カラーセラピストの資格も持つ。

芸能人の筆跡分析のコラムを執筆し、『村上マヨネーズのツッコませて頂きます!』(関西テレビ)などのテレビ出演も。

夫との死別経験から、現在グリーフ専門士の資格を習得中。



******** | 2日前

言葉が出てこないね。

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pon***** |2日前

うちの父は母に「どうもありがとうって」言って死んで行った、あれほど夫婦喧嘩が絶えなかった母がその一言で号泣し、今までの全てをご破算にしたのだと思った。
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dnj***** |1日前

mknさんに同意!

父が末期ガンでした。

医師の説明を聞く限り厳しい状態で覚悟はしましたが、その反面、奇跡も期待していました。
今思えば、そう思わなければ自分が保てなかったのかもしれません。

見舞いの際、父の前では奇跡を信じて平静を装っていました。

それが功を奏したのかどうか(良かったのかどうかも)わかりませんが、医師に宣告された余命よりは多少長く生きられました。

葬式が終わったあと、当時幼かった娘だけが見えたのか「じーちゃん、あそこにいたよ」と教えてくれました。
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gml***** |2日前

揚げ足を取るな。
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yum***** |2日前

親戚や友人など、声かける方も、なんと声かけたらいいのか分からないだろうな。

とはいえ、それはそれでも気持ちは伝わるだろう。
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smf***** |2日前

これって保険だと癌?三大疾病?
両方扱いなのか?
他人事じゃないからきになるぞ。
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tak***** |2日前

何で奥さんに先に伝える事に疑問なのかわからない。
医療側の配慮では?

では、いきなり二人をよんで言えば良かったのか?

私なら先に言ってもらって、心の準備をしてる方がいいが。

難しいなぁ、人それぞれで。

検査前にどうしますか?って言うアンケートが必要な訳?
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jogah |2日前

stage3Bで化学療法のみとは、対側肺門に転移があったのかな。
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mid***** |2日前

ああ言えばこう言うな。アホか。

私も似たような経験があります。
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hima |1日前

なんか切なくなって涙が出てきてしまいました。
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tyy***** |2日前

ほんと その一言です
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mic***** | 2日前

誰にでもあり得る話。。平凡が一番ありがたいと感じるな。。

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yum***** |2日前

時間は限られている。
だから、やれるときに色々やっておくべきだな。

今できることが、明日できるとは限らない。
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spg***** |2日前

そう思います。何気なく過ごして、それが平凡だったとしても1番の幸福では。失ってから気付く大切さより今を大事にしたい。
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mac***** |1日前

何歳の時に?脳梗塞でもすいませんって言えたのかぁ。母は言えないままなくなったなぁ。
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hir***** |1日前

癌の治療がわかる医者に治してもらってください。わからない医者には治せませんから。増がん剤を薦める医者は癌を治せません。殺されるだけです。
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oct***** | 2日前

実話じゃないとか、大部屋で泣かないでとかあるけど、自分が告知をされたら、泣かずにいられる?家族ががんと分かったら、泣かずにいられる?

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すずめ(誤字脱字が多すぎて泣ける…) |2日前

母の病室にいた30代くらいの女性が末期の乳ガンだったらしく
お見舞いに来て慰めようにも言葉がでない夫や子供に、回りを気にせず罵声を浴びせてたんだけど
家族がいなくなると、今度は看護師の前で思いきり泣いてたな
どうしても、つらくあたってしまう、優しく穏やかでいたいのに!って

もう、ずっとあの日との事が忘れられない…10年以上前の話だが
告知された直後かなんかだったんだろうな…

でみ、あの時は迷惑だなんて思わなかった
母も思っていなかったし
病室で思いきり泣いたって、誰も迷惑と思わないよ…
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bet***** |2日前

そんなコメントがあるんですか…ひどいですね。そういう人は、感覚がズレにズレているんですよね。
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s_t***** |2日前

癌告知と余命告知を受けたことあります(医師に恵まれ、生きてますけど)

最初に癌告知を受けた日、とりあえず病院から帰ってもご飯作る気力はなくて、帰り道にホカ弁を買って帰って、家内と食べました。
二人とも会話なく、味のしないお弁当を食べていたら、家内が
「どんなになっても、ついていくからね」
という一言でダメでしたね。そこから号泣でした。
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pob***** |2日前

人間関係による。
実父はクズだったから涙までは
出なかったな。なんとも言えない感情には
なったが。過去の悪行は病でチャラに
なったとばかりに私に接してきたので
冷めた目で見つめ返した記憶はある。
でも仮に母親がそうなったら気が狂うかも
しれないな。今のうちに親孝行しようと
思う。
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wac***** |2日前

父に癌が見つかり余命宣告された時
たまたま実家に行っていた私は父の前だけは必死にこらえていましたが
後で号泣しました。泣かずにはいられなかった。
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ura***** |2日前

父親がガンとわかったあと、いつもの電車に乗ると、周りの風景が違って見えました。
色がなくなる感覚でした。
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kii***** |2日前

これは、きっと、経験した人にしか分からない感覚だと思う。ある日突然、当たり前が当たり前ではなくなる。。。
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mako0- |2日前

末期癌の母が入院してたのは個室だったけど、私と父だけが先生に呼び出されて、最期に母の延命治療をするか しないか選択を迫られたあと 病室に戻ったときは 必死に涙をこらえたわ。まだ自分も20代前半だったしつらかった(TT)
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dah***** |2日前

私も本人の前では決して泣かなかった。配偶者では無いですが家族で、泣けば本人が余計辛くなると思って。

でも廊下に出たりした途端に涙が溢れて。
きっと周りは変な人と思ったと思う。
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snu***** |2日前

長期入院で大部屋も個室も経験してます。
これ経験したらわかるけど、みんな泣いて笑ってですよ。
私も大部屋で看護師さんに泣いたら、あとで部屋の皆が慰めてくれたり、みんなで助け合ったりしてた。
誰かが泣いてることも苦しんでいることも、迷惑だ!とはそんなに思わないんだよね。家族が面会にきていない時間のほうがいろんな事がたくさんあるよ。
迷惑行為ばかりする人もいたけどね
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***** | 2日前

本人が一番辛いのにすいません…なんて。泣けてきます。

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cxp***** |2日前

突然、数日前まで話せていたのに話せなくなるってとてつもなく辛いと思います。自分の身内もそうでしたので。身体の麻痺もですし…。
ただ、本人も辛いのは当然そうだと思いますが、周りも実は辛いです。本人が1番辛いと分かっているから、辛いと言えなくなってしまうし、辛いのはおかしいんじゃないかと思ってしまって、自分を責め、また辛くなる。
誰が1番とか病気はないんだろうな、と思います。本人も周りもみんな辛いものだなと思います。
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ota***** |2日前

母がクモ膜下出血で倒れて手術後に父に会った時の最初の言葉が「ごめんね」だったらしいです。
父が気にするなゆっくり休めって言ったらしく、駆けつけてくれてた叔母がやり取りを聞いてて「良い夫婦だね」と言われました。

ちなみに飛行機で慌てて来た私は「何しにきたの。わざわざ来なくてもいいのに。お父さんが全部やってくれるわ」って言われてしまった。
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cyg***** |2日前

私も過去に自宅で倒れて救急車で病院に運ばれ 2日間昏睡状態だった事があります。昏睡状態から目覚めて、妻に最初に発した言葉は「すいません」だった。
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nux***** |2日前

知人も、肺腺癌でした。既にステージ4、駄目と知りながらも病院や治療の出来る医師を模索しました。あっけない最期でしたね。2年程前に、肺の影を指摘され精密検査をする為に紹介状迄・・・その指摘を避けて、過ごしたのです。自業自得なんでしょうが、かわいそうでした。在宅介護は、辛かったはずです。本人も家族も。本人は、癌を否定したかったのでしょう。四方や、自分が?と思っていたのかと思います。決め細やかな人でしたから、遺言書は・・・確りと有りました。命って儚いな!って知りました。でも~何か、まだ生きているような気がします!
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rcp***** |1日前

ATM旦那やっていても…凄く分かります。
俺も、比べるのもおこがましいですが、この半年の間に、仕事中の墜落事故で三度の手術を受けました。
身体中骨折して、ベッドで動けない自分が情けなくて、、、とにかく家族として報いる唯一の方法があるならば、もう一度ちゃんと歩ける様になる事だと、今でもリハビリに努めています。
普段、『俺はATM父ちゃんだ!』と自虐していますが、嫁と娘に頼られ、ATMが出来る事?がいかに幸せだったのか気づきました。
関係無い話しでスイマセンなんか、読んでて苦しくてコメントしました。
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hot***** |2日前

他人行儀な言葉ですよね。
それだけに、切なくなりますね…。
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kin***** |2日前

身近な人の死を乗り越えた人達って、本当に凄いと思う。
自分にはできないと思う
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ker***** |1日前

おれも泣けてきた。ATM旦那やっていても自分がATM旦那も出来なくなると思うと辛くなる。
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getup |2日前

病院で入院が嫌な人は徹底的に少食生活と筋トレするしかないです。

ちなみに、一発逆転の方法でマラリアに罹ることでほぼ完治させた事例がありますよ。

なんと、あの梅毒も退治したほど。

高熱が出ることで癌も梅毒でさえ消えていくらしい。

ただし・・・失敗するとマラリアに感染後そのまま死にます。
また高熱による副作用もあります。
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getup |1日前

ちゃんと副作用についても説明していますけど、知識を得ようとしないなんて頭悪すぎ。

どうせ日本ではマラリア治療はできませんのでご安心くださいませ。

大丈夫です。抗がん剤治療でしっかりと治してくださいませ。
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yok***** | 2日前

24年前に家内が脳出血で倒れ左半身麻痺になりました。それたら10年後に子宮癌、そのあと脳梗塞を併発して全麻痺です。子供も居ないので公的サービスをフル活用して介護してきました。今年やっと定年です。一人で思い詰めないで下さい。良いことも絶対に有りますから️

返信12

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mii***** |2日前

24年も…。あんたすごいよ…。えらいよ…。
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Ric***** |2日前

奥様の旦那様があなたで本当によかった。
奥様も絶対に思ってます。
大変だと思いますがどうか無理せずお過ごしください。
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hno***** |2日前

どうか深く思い詰めずにして下さい。貴方が倒れたらダメですよ。
第三者の立場ならこう言うでしょう。でも自分も父親の介護をしましたが綺麗事では済まされないですよね。
同じような経験をした者にしか分からないことも有ります。どうかご無理なさらずに。
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nic***** |2日前

人間はいつか天に召されます。
いろんな人間がいて、いろんな人生があるんだなと思います。

あなたは人として立派な方だと思います。

かなり先になるのでしょうが、自分の人生に胸を張ってそれを終えられるのでしょう。

普通、人間は納得した最後をなかなか迎える事はできないと思います。

自分もそうありたいと思います。
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bpb***** |2日前

癌で脳梗塞を併発するとは今日初めて知った。脳梗塞を起こしたら軽く済んでもホッとせず他にも何か無いか全部調べた方がいいのかもね。教えてもらえて有難い。
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teaa |2日前

配偶者ががんなどで重い病気になったり
脳梗塞で体が不自由になると
離婚する妻は少ないが離婚する夫は多い。
今年定年なら奥さん30代のときだろうか。
妻を捨ててる夫もいれば
若い時から24年も寄り添う夫もいるんだね。
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よよよよよん |2日前

半身不随からの全身…
介護制度をフル活用したといえど、凄いです

何かいいことあるからって言葉、すごく胸に刺さりました
ありがとうございます!!
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mmq***** |2日前

最初の投稿者とあなたの返信に、二度涙してしまいました。貴方は立派な方ですね。どうか無理をせず、ご自愛して下さい。奥さまは、全てに感謝しているはずです。
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kbd***** |1日前

他人には分からないお辛い事やご苦労がたくさんあったと思います。子供が居ても居なくても最期は夫婦の絆だと思います。私達も子供はおりませんが何があっても夫と生涯を添い遂げます。たくさんの幸せが訪れます様に。お祈りしております。
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wuy***** |2日前

私は職場復帰を目標に治療をがんばってきましたが肩を叩かれ退職しました突然な事で頭がついていきません今後の生活はどうなるのだろう
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xtr***** | 2日前

私は海外出張中に脳出血で倒れ、手術の成功率が20%以下、成功しても5年生存率は0に近いと言われたらしいです。
何とか手術が成功し命は助かりましたが障害が残りました。
倒れる直前までまさか自分が病気になるなんて思いもしませんでしたが、今障害者になって健常者にとって普通の事(歩く、食べる、話す)が我々には普通じゃないと初めてわかりました

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xia***** |2日前

ある日突然命に関わるような病気を宣告されたり、後遺症が残るほどの病気にかかる…これほど辛い現実はありません。

私の家族が今癌と戦っています。病気が発覚してからは、なんでもない日常を一緒に過ごせることがこんなに大切で幸せなんだということに気付かされました。また、今、この時を大切にしてあげなくてはという気持ちが日に日に増しています。

余命宣告についてですが余命を半年と宣告され、既に8年間も生き続けている方もいらっしゃるそうです。日によって病状も違い辛い気持ちになる時もあると思いますが、どうか希望を無くさないでくださいね。
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han***** |1日前

私も、夫を亡くしました。病気になった夫と、看病する妻…涙も出ます!辛くて不安でさみしくて…。病気は様々ですが、皆一所懸命向き合って闘うよね…。これと言って気の利いた台詞が言えなくて、ごめんなさい!十分過ぎるくらい頑張ってるから、頑張れなんて言わない!涙が溢れます。よく分かります!頑張れなんて言わない!
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..... |2日前

もう十分頑張ってるからね、
時として頑張れは酷になるよ。
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jogah |2日前

やはり、医療従事者とそうでない人とは、病気や死というものへの関心が大分違うんだなぁと。
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jogah |1日前

>私は海外出張中に脳出血で倒れ、手術の成功率が20%以下、成功しても5年生存率は0に近いと言われたらしいです。

ドラマの見過ぎじゃないの?
色々とツッコミ所が多いよ。
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jogah |1日前

悲劇のヒロイン、ヒーローやってるコメントにウンザリ。
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kin***** |2日前

皆さんは、健常者に何をされたら、どう接してもらったら嬉しく感じますか?
自分にできることから始めたいです。
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kaz***** | 2日前

辛い話です、私は心不全を患っていて60歳過ぎて、倒れそうになるのを我慢しなが働いています、それだけでも精一杯なのに、他の疾病が見つかったとしたらと思うと何とも言えない気持ちになります、何も言わない妻を大切にして少しでも長く元気でいられれば。と日々思っています。皆さん、健康が一番ですよ。

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wwm***** | 2日前

医療従事者です。お話を読んで涙しかありませんでした。『すみません』この一言に込められた意味は簡単なものではないと思いました。

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kis***** | 2日前

1年半前の正月、仕事行く前に自宅で強いめまいや立ちくらみ、吐き気、冬なのに異常な発汗を起こして倒れ込み救急搬送され一週間ほど検査入院、
CTやMRI検査したら出た症状が「小脳梗塞」
一週間は外出も出来ずベッドの上で昼夜問わず点滴生活。。
退院までずっと安静してました。
あの時、家を出て車を使って職場へ向かう道中に症状が出たら場合によっては交通事故を起こし、自分だけでなく他人にも影響を及ぼしていたかもしれない。
退院後は後遺症が出ないように暫く自宅療養、しっかりリハビリして復職は出来たけど、その一件から考え方が変わった。
脳の梗塞が再発しないように健康管理にも努めたり、時々当時小脳梗塞の診察でお世話になった主治医に外来に行っては診察受けたり。
たった一度きりの人生なので、自分の命は本当に大事にしないといけないと。

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ris***** |2日前

本当にご無事で良かったです。うちの主人は一年ほど前仕事に行く前に自宅で脳卒中(脳内出血)で倒れ直ぐ救急車で病院に運んで頂き血液を取り除く7時間に及ぶ手術を受けました。手術後の主治医の先生のお話では左半身麻痺…。殆ど動かせない状態に絶望と後悔(2年前に1度軽い脳卒中で倒れて…),無事手術が終わった安堵とが交錯し息子達と号泣でしたが,直ぐに始まったリハビリのおかげで,今では全く健常者と変わらず上手に歩いています。勿論軽い麻痺は残っていますが。本人の努力もさる事ながらリハビリの先生方や看護師さんのおかげだと今でも感謝しています。
今では,タバコもやめお酒も夜に少しだけに決め規則正しい生活を送る事でとても健康になりました。

あの時もう出勤していて…いや就寝中に出血していたらと思うと本当に怖いです。
コメ主様もお身体大事にしてください。
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***** |2日前

脳梗塞、私が同室で見ていた患者さんは、数日は安静にして、血液がサラサラになる点滴をしていたな。
多分脳に血栓がまた飛ぶ可能性があったんでしょう。
その状態でまた倒れたら、今度は出血が激しくなるからね。
数日してトイレはポータブルが許可されてたけど、同室のおばさま方が、倒れたりしないか気にして見てらっしゃった。何かあったらすぐ看護師さん呼ぶから!って。
15年くらい前の都内大学病院の話です。
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azr***** |1日前

私も6年前に脳梗塞発症しました。幸い軽くすんだのですがそれでもいまいちハッキリと喋ることが出来ないのと字が震えてうまくは書けないことが悔しいです・・ いま思えば何故、血圧がすごく高いのに放っておいたのかと・・
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tsu***** |2日前

脳梗塞のリハビリは、早ければ早いほど後遺症が残らないらしいね。
先月上司が脳梗塞で倒れ、リハビリまでの経緯を間近で見ておりました。
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kis***** |1日前

小脳梗塞や脳梗塞は症状の度合いによっいろいろ違うから。
軽度の症状でも目まいでグルグルしたり、歩いてもフラフラして体がよろけたから。
歩くのが億劫になったことも。
主治医やスタッフからは症状が再発しないようにしっかり心と体を休めるようにとアドバイスを受けて。
幸い、早期で救急搬送されたのとMRIの検査で小脳梗塞の症状が分かったが、一週間の入院。
職場の上司と相談し体調が整うまで休職。
その間自宅療養。外来診察や検査も受けたりお薬の頓服、日常生活で症状が落ち着いたら少しずつ近所を歩いたり体を動かしたり読書したりパソコンしたりと自分のリハビリ。
主治医からは体調がすぐれなかったら我慢しないですぐに病院に連絡し来るようにと強く言われた事も。
復職した時も相談し仕事の量をセーブしたり勤務日数や時間を削減する所から初め、勤務時間や日数を徐々に増やしていきました
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fji***** |2日前

実話か分からんけど今のご時世退院まで安静にしている病院は皆無ですよ?
脳梗塞発症当日からリハビリする病院もありますし開胸術後でも術後4時間で離床しますし8時間かかる開腹術後でも翌日離床です。小脳梗塞で退院まで安静にするEBMはないんですけど?
よほど遅れたひどい病院だったのですか?
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amx***** |1日前

>fji

脳梗塞になったことない人が戯言言うの止めてください。
私は小脳梗塞になって病院に救急搬送されたけど、一週間ベッドから動けなかったよ。平衡感覚が狂ってろくに起き上がれない、座るのもままならない。
それなのに発症してすぐリハビリ?馬鹿じゃないの?殺す気か?そんなスパルタ方針の医者がいる病院どこか教えてくれませんかね?
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jzx***** |2日前

貴方みたいにいちいちしょうもない事を言う人は、ネット上はゴマンといますが、
実際の世界では本当にほとんどいません。
気が小さいんでしょうね。お疲れ様です。
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yum***** |2日前

当日からリハビリと言ったって、
リハビリできない重度の脳梗塞だってあるんだし、
脳梗塞だからと一概には言えない。
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frf***** | 2日前

その時は突然やってくる。
今日元気だったから明日もとは言えないでしょうね。年齢とともに普通に仕事に行き三度のご飯がおいしい幸せを感じられるようになってきた。
健康は最高の宝。

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omi***** |2日前

先ずは「健康」ですよね。
老後の資金が確保できたとしても、病気で寝たきりでは
辛いだけです…
節制して規則正しい生活しかないですね。
それで病気になったらもう仕方ないですが。
健康に勝る宝はないと、加齢と共に思います。
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x44***** |2日前

ですね。
この記事を読んで 改めてそう思いました。
老後のお金の心配ばかりしてましたが 健康であれば良い!と思います。


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