「親の愛情に恵まれなかった人」は、どんな人間関係を築くか?

2020年10月31日 | 毒ファミリー、、私の人生回顧録
「親の愛情に恵まれなかった人」は、どんな人間関係を築くか?

10/27(火) 11:01配信
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うつ、不安・緊張、対人関係の問題、依存症――近年、これらの悩みを抱える人はますます増えている。実は、それぞれに共通する原因になり得るものとして、親との関係によって築かれる「愛着」がある。ここでは、「愛着アプローチ」という手法を用いて、現代人の悩みの解決に寄与したい。※本連載は、精神科医・作家である岡田尊司氏の『愛着障害の克服 「愛着のアプローチで人は変われる」』(光文社)より一部を抜粋・再編集したものです。
過去の体験から来る「縛り」や「とらわれ」

人はそれぞれ過去の体験から来る縛りやとらわれを抱えている。ことに、幼いころの愛され方や親との関係は、強力にその人の人生を縛り、左右する。

しかし、同時に、人は大きな可塑性や成長する力をもっている。抱えている課題や制約と、そこから自由になり可能性を広げていこうとする力との戦いが、その人の生き様、人生が描く軌跡だともいえる。

それでは、その人が抱えている限界や制約を、どうすれば押し広げ、新たな地平へと飛躍させることができるのか。愛着障害の克服は、まさにそうした課題だといえる。

愛着アプローチは、本人の安全基地を強化することで、本人の中に備わっている回復しようとする力を活性化させる方法だともいえる。生きる意味さえ見失い、投げやりだった人も、何事にも自信がもてず、挑戦することから逃げていた人も、自分の中の問題を周囲の人に責任転嫁することで自分を紛らわしていた人も、愛着が安定するにつれ、自分の問題に向き合い、自分なりの答えを見出そうとし始める。

大それたものでなくても、どんなにささやかでも、自分の手と力で見出した、自分なりの生き方を進んでいこうとし始める。そこから先は、本人を信じて、本人の進んでいく後をついていくように、一緒に進んでいけばいい。もしも本人が駆け込んでくるようなことがあれば、いつでも相談できるように待ちかまえてはいるが、本人の力で何とかなる間は、ただそっと見守り、ときどき報告してくれることに耳を傾ければいい。

ここから先は、本人が主役であり、本人の主体的な取り組みと努力によってしか進んでいくことのできない領域だ。もちろん、困ったときや迷ったときには、安全基地となる存在のところにやってきて、その存在と対話をする中で、自分の答えを見つけようとするかもしれない。しかし、最後の決断は本人が下すのであり、安全基地となる存在は、彼の悩みや迷いに付き合うだけである。

ここでは、愛着の課題を克服しようと決意し、自分からその問題に取り組み始めたとき、そこにおいて課題となることや、目指すべき方向について述べたい。また具体的な取り組みについて、ヒントになることや使える方法についても考えたい。

拙著『生きるための哲学』(河出文庫)では、実際に愛着の課題と向かい合った人々の例を通して、彼らを救うのに役立った思想や考え方を紹介している。そちらも参考にしていただければと思う。

「親」という安全基地に代わる存在

(※写真はイメージです/PIXTA)

愛着が安定化するかどうかは、安全基地となる存在に恵まれ、それがうまく機能しているかどうかだということを、これまでくり返し見てきた。

そもそも愛着障害とは、親の愛情に恵まれなかった人に起きた、愛着の傷に起因する問題である。そのことに気がついて、それを取り戻そうと必死にかかわろうとする親もいるが、本心からその人に対して愛情を感じることができない場合には、結局かかわることを面倒がってしまったり、かかわり方を変えようと努力してみても、つい地金が出て、その人を責めたり拒否したりしてしまうことも少なくない。

幼い子どものころであれば、何事も許してあげて、献身的に愛情を注ぐ気になれたかもしれないが、大きく成長した今となっては、つい常識的な考えになり、「いい加減にしろ」と思ってしまう。育て直しは、赤ん坊を育てるよりも、ずっと大変なのである。

それゆえ年齢が上がるほど、難しさが増す。さらに親自身が極度に不安定だったり、共感性が欠如していたり、本人に対して愛情がもてなかったりする場合には、かかわるとかえって本人が不安定になってしまうという場合もある。無理に関係修復を図るよりも、親とは距離をとっている方が安全が確保される場合もある。

しかしそうした場合も、愛着の課題を克服するためには、安全基地となる存在の媒介が、通常は不可欠である。親という本来の安全基地に代わる存在として、困ったときに駆け込める避難場所や、安心の拠り所を提供することで、本人の安定を図るとともに、本人が自分自身の課題に向き合うことを可能にする。

身近な他者──先輩や上司、恋人や友人、知人などが安全基地となって、その人の悩みや相談を受け止め、回復と安定に寄与していく場合もある。しかし、そこにはしばしば落とし穴もひそんでいる。最初のうちは親身に相談に乗ってくれていても、次第に負担になってきて態度が冷たくなり、最後には拒否されてしまうということも起きがちなことだからだ。そうすると本人はかえって傷ついてしまい、「信頼できる存在などいない」という思いを強くしてしまうこともある。

また、恋愛や交接が絡む場合には、性的に引きつけ合っている間は、優しくされることで関係が安定するが、その時期を過ぎてしまうと、とたんに関心が薄れ、関係もギクシャクし始めるということも多い。じつは愛着の課題は何ら乗り越えられないままに、ただ交接という麻薬によって、それを忘れていただけだったことが、後で明らかとなる。

カリスマ的な存在にマインドコントロールされる場合も、これによく似ている。幻の安全基地をそこに見て、自分を捧げることで、苦しさを麻痺させようとするのだが、主体性のない依存に陥るだけで、もっと危険である。

「信頼できる専門家」の見分け方は?

課題を抱えている人が真剣に向き合おうと思ったときには、せっかくのチャンスを無駄にしないためにも、信頼できる専門家に助力を求めることをお勧めする。費用がかかったとしても、長い目で見ると、もっと大きな損失や危険を避けることにつながる。専門家を選ぶ場合も、変にカリスマ性の高い人や、安請け合いをする人は、用心した方がいい。

まず大事なことは、その人自身が安定型の人であるということだ。かつて不安定な愛着を抱えていたとしても、その部分を克服していることが必要である。愛着が安定した人を見分けるための特徴をいくつか記しておこう。

(1)接していて、怖さや危険な感じがなく、安心できる。

(2)穏やかで、気分や態度がいつも一定している。

(3)目線が対等で、見下したような態度やおもねりすぎる態度をとらない。

(4)優しく親切だが、必要なときには、言いづらいことも言う。

(5)相手の意思や気持ちを尊重し、決めつけや押し付けがない。

これらは、言うまでもなく、安全基地になるための条件でもある。魅力的で、惹きつけられる人ではあるものの、こうした条件から外れる場合には、その人自身が不安定な愛着を抱えた、演技性や自己愛性といったパーソナリティの持ち主かもしれない。安定した安全基地となってもらうには、あまり適さない。

もちろん、心理カウンセリングに熟練していて、愛着に課題を抱えたケースの回復を実際にサポートした経験をもっていることが望ましい。
「認知」が変化すれば、物事の受け止め方も肯定的に

愛着が安定しているときの認知(物事の受け止め方)と、愛着が不安定になったときの認知は、同じ人であっても大きな違いを見せる。愛着が安定している人の認知の特徴は、不快なことがあっても、それを過大視せず、むしろ、いい面や背景に思いを巡らせ、嘆いたり攻撃したりするのではなく、理解し受容しようとする。

不安定型の愛着に苦しんでいた人が、安定型に変わったときも、物事の悪い部分にとらわれすぎず、「そういうことがあったにしろ、良いところもあるのだし、また悪い点さえも、何かプラスになる面ももつ」と、肯定的に考えるようになる。そして、自分がされた不快なことは許し、自分がしてもらった良かったことに、感謝の気持ちを抱くようになる。

体験した事実が同じであっても、その人の認知が変わることによって、事実を肯定的に考えられるようになる。愛着の安定性は、体験した事実そのものよりも、それをどう受け止めるかという姿勢に左右されるのである。

同じような悲惨な体験をしても、その傷から人間不信に陥り、悲観的な考えから抜け出せない人もいるが、一方で、そうした悲観的な考えにとらわれることを免れたり、一時的にそうなっても、再び見方を変え、希望と信頼を取り戻す人もいる。

そこから、次のような希望的観測が生まれる。身に受けた事実が同じであっても、受け止め方を変えることによって、愛着が安定したものに変わるのではないのか。一言でいえば、「認知が変わることで、愛着を安定したものに変えることができる」のではないのか。その可能性を否定するつもりはない。しかし、そうしたことが起きたと断言できるケースは、実際には稀である。まず愛着の安定化が起き、そこから認知が変わったというケースの方が圧倒的に多い。

支援者が熱心にかかわることで、愛着が安定し、絶対許せないと思っていた気持ちが次第に薄らいでいき、物事の受け止め方が変わり、ぎくしゃくしていた家族との関係も改善していく──というのが、最も自然な流れである。

極限的な体験で「認知」が変化・改善することもある

つまり、最初の変化は、いきなり認知の変化から起きているというよりも、何らかの体験、多くは支え手との出会いによって、愛着の安定化が先に起きていることが多いのである。例外的に、認知の変化の方が先行して起きるケースとしては、自分が死にそうな目にあったことがきっかけとか、愛する存在の死や命にかかわる事態に直面して、という場合が多い。つまり、何らかの極限的体験が引き金となっている。

ただ、これらは運命の偶然によって引き起こされる事態であり、克服法として実践できるものではない。もちろん、そうしたことがきっかけになり、ピンチがチャンスを生むということは、知っておいて損はない。

話を戻すと、愛着の安定化が十分でない段階で、認知を修正しようとすると、逆効果になることが多いということだ。よくあることだが、「その受け止め方はダメだ」と言われたことで、自分を否定されたと思い、落ち込んでしまったり、「自分の受け止め方はダメなんだ」と思うことで、人に対してかかわる自信が余計なくなり、改善しようという取り組み自体が行き詰まってしまう。

むしろ、そうした修正を施さず、愛着の安定化だけにエネルギーを傾注した方が、認知もバランスの良いものに変化するということを、しばしば経験する。通常の認知療法なども、それがうまくいくのは、愛着が比較的安定した人である。

岡田 尊司

精神科医、作家




kan | 4時間前

私の両親は、おかしい人達だった。
まだ生きてはいるが、縁は切っている。
私は愛情不足の中で育った。
そのせいか、親しい(と思われる人)に依存する傾向がある。
ある程度のところまでは許してもらえるが、それを超えたらあちらが負担になる。
それを薄々感じて、自ら離れる。
そんな事を繰り返していたら、怖くなって、ほぼ誰とも「気持ち」を話せなくなっていた。
相手から話されると、相手が悪いのではないけれど引いてしまうし、私の気持ち、思想は、今の家族を含めた周りからは謎に包まれているんじゃないかと思う。
気がついたら、yahooのコメント欄が1番正直になれる場所になっていた。
それはそれでどうなんだ、とも思うけれど。

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snv***** |4時間前

あ、私も同じだと思いました。
人との距離感がつかめずに悩んでいるうちに周囲の人と疎遠になりました。職場でも浮いていると思います。
時折私の考えはズレて非常識なのでは?と不安になると、Yahooのコメント欄を参考にして判断しています。
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shi***** |1時間前

機能不全家族で育ちました。母は愛情表現は上手くないと思います。自分からのスキンシップが苦手です。なので母に甘えたり、抱きついたりとかできません。
やっぱり教わってないことはできないもので、成人しても他人に対して同じ様になってしまいます。その上、人の気持ちを考えすぎてしまい、自分発信の言動が苦手です。自分がこう言ったら、こうしたら相手はどう思うかばかり考えてしまい、他人任せばかりです。自分の子供に対してはそんなこともないんですが...。
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アホヒトリ |1時間前

別に良いんじゃないか?
距離感と節度を保てる方が、他人との揉め事も少ない。
それで自分が辛くないなら、現状維持で問題ない。
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psc***** |1時間前

当初はこのコメント欄に戸惑い、記事の内容から大きく離れるから、不自然に、誹謗も耳を塞ぎたくなる、ところが慣れた?、最近は記事だけでコメントの出来ないものは目も通さない、何故ならば、記事は正しいを事を伝えるものと考えが否定されたから、コメ読んで、大きく飛躍して別方向に行っても楽しむ。いいねが入れが嬉しい、そうは思わないが入れば何処が?悪いと考える。コメは偏りが強いのかも?けれども、多様性が有り面白い。
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shi***** |15分前

自分は逆。

自覚はしていないけど、富裕層では無い範囲内で周囲よりは恵まれていた環境だったのが原因なのか、気の毒にも思える人には何かしら援助をしてあげたくなってしまう。金銭的と言う事ではなく!

その為に・・・逆に「やってあげ過ぎ」傾向で、相手から煙たがられてしまっているかな~?と不安な毎日の時期も多々。

逆にお互いがギクシャクしてしまい、表面上ダケの友人で終わってしまう。
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gnx***** |1時間前

僕も同じです、人との関わり一切しなくなりました。
職場では完全に1人です、その方が楽だと気づきました。
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lol******* |50分前

なんかわかります。毒親とまではいかなくても親離れして社会に出たら多かれ少なかれそう思うことありますよね。最近は東京カレンダーよりもTwitterよりもヤフコメが気楽です。
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zjl***** | 4時間前

難しく書いてあるけれど、まさにこの方法で我が子はみるみる元気になりました。

親だって周囲からのストレスや恵まれない環境で意図せず不安定になってしまってる。不登校児のカウンセリングとして、まず親のわたしがプログラムを受けた。わたしの生い立ち、わたしの中の不安、周囲の人との関係。結果、わたしは実姉と縁を切り、自分の意思で生活できるようになった。

子どももそんなわたしの変化を感じてか、言葉やお金ではなくきちんと愛情を感じてくれのびのびと自分の夢に向かって生きてます。

色々壁にぶち当たるけれど、安定の親の元、安心して葛藤して進んでいけばいいと思っています。

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mer***** | 2時間前

全てがそうだとは言わないけどどんな両親の元に産まれどんな家庭環境で育ったのかでもほぼ人生も決まると思う。後は自分の努力もあるのだろうけど幼い頃どんな学びをさせてくれたのかでも大きく影響すると思います。

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neko | 2時間前

親の愛情に恵まれなかったのであろう、または、親にありのままを認めてもらえずいい子を演じ続け抑圧されてきたであろう人たちを見ていると、自分軸がないような気がします。いつも他人の言動や評価に一喜一憂して、過剰反応している。親から継続して安定した愛情を受けている人は静かでも軸がぶれない。うまく周囲にあわせているようで自分は揺らがないというか。当たり前ですが、愛情を受けて育つことより大事なことはないですね。

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ren***** | 2時間前

子どもの頃、親と愛着関係が築けず願う愛を得られなかった。
やがて大人になり、貰えなかった無条件の愛を他人に求めるようになった。
全部受け入れて。全部何をしてもいいでしょ、って。
だけどそんなもの誰も受け入れられるはずもない。
それが得られない自分が惨めで辛くて情けなかった。

沢山失敗して年を取って、結婚して産んだ子供が少し大きくなった今になって初めて、自分の求めていたものが何だったのか少しわかる。

多分、無条件に自由にそこにいる事を許される事。
勉強が出来なくても人付き合いが下手でも良い。
テスト100点なら抱っことかお姉ちゃんなら我慢とかでなく、条件が無くても愛される関係が欲しかった。

そして長年思い描いていた完璧はこの世に無いと知った。
夫や子供と愛を伝えあっても、他人である以上理想通りにはならない。
それを受け入れつつ今ある愛を大切にすることが生きる事かなって今の私は思う。

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dgw***** |2時間前

無条件にそこにいることを許される、、、確かにそうだと思います。性格が悪くても否定される事なくそこで生活していける事、そんな場所が有れば自ずと前向きになれますね。
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***m*i |1時間前

ゲシュタルトの祈り、ですよね。
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********** | 1時間前

うちの母親は愛想だけはいい
いつも男に依存して生きていて
だいぶ巻き込まれ今は絶縁し遠く離れたところで平和に暮らしているが
わたしには友達と呼べる人がいない
同僚とは良好な関係で、それなりに信頼関係も築けていると思う
雑談なんかもするがランチなどには誘われない
友達がいなくとも特段困らずパートナーと平和に暮らしているが
くずのような母親には母親に似たようなタイプの友人がたくさんいていつも楽しそうにしている
なんかもやもやはする

返信0

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hid***** | 3時間前

これは世界共通の大問題かもね。宗教戦争はカリスマにマインドコントロールされてるのかもしれないし。愛情って親の愛情以外にも友情や恋愛感情や他にも色んな愛情があると思うし他の人間関係は恵まれるといいね。実力次第じゃなくて運次第なのかわからないけど。信頼関係とか良い人間関係を築く努力も大事だと思うよ。

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kan***** | 1時間前

依存された側です。
仕事中でも就寝中でもひっきりなしにラインが来ました。
既読や返事をしないと暴言
専門家でも知識があるわけでもないので、言葉を選びながらを心がけていましたが、精神的負担は大きかったです。疲れました。
今は連絡が来なくなりましたが、偶然会って挨拶しても無視されるようになりました。

でも生きていて良かった。と安心したのも事実です。

返信0

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t_u***** | 2時間前

愛情に恵まれなかった人の連鎖ってあると思う。
愛情を与えられない人に、愛情を求めるのを、やめようと覚悟を決めてから、少しは生きやすくなったような気がする。

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書き逃げオンリー | 2時間前

結論から言うと、手遅れ。何をしても無駄。
人格形成の時に歪んでるから、曲がって建っちゃったマンションみたいな感じで
崩して建て直すしか方法はない。
配偶者が愛情かけてくれれば一瞬楽になった錯覚に陥るが、元が歪んでるから
配偶者を親の代わりにしたり、変な依存の仕方したり、マトモな関係は難しい。
(勿論個人差あり)

自分は親の愛なんてお伽噺と思ってるし、もっと言えば愛情なんて幻想と思ってる
そんな人に「愛が~」と説いても染み込まないし、お花畑やなと感じるだけ
そういや大昔、こんな腐った自分に「もう一度人を信用してみないか?」的なこと
言ってくれた人がいたが、当時の自分は「何クサイこと言うてんねんキモッ」と思った。(今は罰当たりだったなと思うけども)

ちなみにヘソは曲がってない、
そりゃ愛し愛されたら素敵でしょうねとは思うけども



sup**** | 28分前

私はもう還暦を過ぎているけど、昔は愛着障害という言葉も毒親や機能不全家族という言葉もなかったから、自分の育った家庭は何かおかしいと思いながら、どこの家庭も親が子供を脅して支配するものだと思っていた。
大学を卒業してからとにかく父親の元を離れたくて海外留学をした。もちろん自費で。人生で楽しかったのはその期間だけ。

最後は認知症になった母親の面倒を13年見て、看取ってから私は壊れた。母が犯したとんでもない罪のせいではあるけど、もっと大きく言えば子供の頃に安全基地がなかったことが問題なんだと思う。

もうこんな人を守ってくれる人はいないから1人で生きていくしかない。精神科医は3人とも相手にしてくれなかった。

ただ、親の愛情を受けられなかった人などこの世にいないと思っている周りの人間に、私がどんな思いをして生きてきたかをぶちまけたくなることがある。そうじゃないと犬死にのような気がしてならない。

返信0

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tal***** | 47分前

岡田先生ですね。
この記事には相当な確信があることには間違いないと、私は信じています。

確かに愛着障害は大変なものです。最近ではAD(Attachment Disorder)とも言われています。それを診断、見抜くことは技量が必要だと思われます。
生後まもない頃の、親子関係、親自身の家庭環境、そして本人の現状(心理、精神状況)など様々な状況から判断されていきます。
そのため、前者で述べたように当事者の表には見えない姿を見逃すことなく見ていく必要があります。

時にはADHDの「反抗挑戦性障害」からくるものと誤診さるケースもあります。
また、このようなことの積み重ねから二次障害につながり強迫障害や、統合失調症になる可能性もある考えられています。

そうならないためにも、早期に信頼関係の構築を目指し本人にとって安心、安全と思える関係、居場所、時間を可能な限り保障する必要があるでしょう。

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m********** | 4分前

>「認知が変わることで、愛着を安定したものに変えることができる」のではないのか。その可能性を否定するつもりはない。しかし、そうしたことが起きたと断言できるケースは、実際には稀である。まず愛着の安定化が起き、そこから認知が変わったというケースの方が圧倒的に多い。

これを専門家が言ってくれるだけで有り難い。
巷に溢れるナンチャッテ心理本や自己啓発本は前者を強くプッシュするからだ。
その後の文にもあるように、私には彼らの態度は「自分の認知が悪いからダメなままなんだ」と自己批判のもとになって、一時期自己啓発ジプシーみたいな状態になった。
まだ消耗してるの?そいつ今頃パフェ食ってるよ系のタイトルもダメ。

やっぱりまず徹底的に自分の気持ちに寄り添う必要があるんだ、よかったちゃんと合ってた。

返信0

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okf***** | 7分前

てか、ペット飼うといいですよねー
擬似子育て体験。結構役立つかも?
人生なんて、良くても悪くても、親がどうでも自分の性格がどうでも、泣いても笑っても、結局、あっという間に終了しちゃう。
環境なんて心ひとつで、解釈ひとつで、どうとでも受け止めれる。結局、自分の人生は自分が楽しんだもの勝ちなんだから、ウジウジしないで、開き直って生きちゃうよー。はい、それ、私。考えても考えても、正解も結論も出ないことは、もう、バッサリ辞めます。そうすることで、自分も回りも救われますからね。幸せは、自分の心が産み出すドラマ、みたいなもんですからね。生きてるって、医学的にも人体的にも、それはそれは奇跡。まじで奇跡の集合体。

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mad***** | 9分前

ヒステリックな母親の機嫌を損ねないよう考えながら話す癖がついてしまい人と深い関係になれません。天気の話から先に進めないしなにを考えてるかわからないと思われてるのか気付くと嫌われて避けられます。そんなこともあり子供の頃から一人遊びが好きでぼっちだったため友達も恋人もできたことがありません。本音を出すのはネットのみ。何十年も付き合いがある友人がいたり結婚して子供がいる人はすごいなあと思います。付き合いとか負担じゃないのかな…

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jxw***** | 5時間前

誰かに頼って自らの心の安定を得ようとするのは無理ですね。

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nor***** | 3時間前

「カリスマ的な存在にマインドコントロールされる場合」ハリーとメーガンの関係
信頼できる人に出会って、安定した人間関係となる良い例は、ウィリアム王子とキャサリン妃と考えるとわかりやすい

返信0

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tuyu***** | 3時間前

単純に親の愛情って言っても厄介だぞ
金持ちに生まれても兄弟で性格が違うように、なるべく平等にしてやったつもりでも少しのことで憎んだりするから

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kof***** | 3時間前

この方、愛着で何もかも説明しようとされて、最近は完全に作家さんになりつつありますね。

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gtj***** | 4時間前

さよならした旦那がきっとそうだった。
結婚式に旦那は友達は一人もいなかった。
結婚する前は実母は大嫌いだ!と言いながら、結婚後は顔色ばかりみていた。 
 子供よりも手がかかる人だと気づいて、さよならして良かった。



ミドリイロ | 3時間前

恐らく私自身愛着障害だと思います。克服しようと色々と試しましたが、往々にしてこの手の人間は他人との距離感がおかしい。
打ち解ける迄は大変なのに、打ち解けた途端にヘヴィーな話をし始める(私がそうでした)
人間は基本的に自分が一番大切です。アドバイスもその人から見たものしか出来ません。一般的と言う悪魔のささやきで相手を縛るのが得意な人もいます。
親から愛情をかけて貰えなかった。それはコンプレックスです。
コンプレックスは過度に反応してしまうものです。
冷たい奴だと言われても、人の気持ちが分からない奴だと言われても、そんな事も知らないのかと言われても、全て親がーとなるのです。
自分の味方は自分です。
しっかりと自分の認知の歪みを知り、周りの人間を観察して皆が寂しくて認めて欲しい人ばかりだと知りましょう。
個人的な意見です。

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nit***** | 4時間前

人間の脳細胞は20歳で最大数になり、その後緩やかに減少する。
脳細胞とは脳神経であるから、脳神経が緩やかに減少することで、感覚や感情も緩やかになっていくので、20歳前後が一番、孤独感が強いが、その後孤独感も緩やかに消滅して、オバサンになるころには孤独感がなく、50,60になって寂しいとか言っているヤツは馬鹿だと思う。
そうは言っても人間には愛着するモノが必要だ。人間には夢とか偶像が必要だ。
自分は小さいころから人嫌いで、人間に愛着は感じないし、人と一緒にいるのが苦痛。
自分はお気に入りのモノとか、お気に入りの場所に愛着する方で、若いころから一人で、お気に入りの散歩道を歩いたり、山とか、アジアの隠れ家リゾートに一人で籠ったり、日帰り温泉でゆったり寛いだり、ゆったり長閑な美しい空間とか、穏やかな木漏れ日の差し込むひなびた温泉とか、豊かな時間と空間に、いつまでも居たいような安心と愛着を感じる。

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