死ぬための医療から生きるための医療へ

2019年11月21日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備

死ぬための医療から生きるための医療へ=〔最終回〕緩和ケア 今とこれから

11/19(火) 17:13配信

時事通信
死ぬための医療から生きるための医療へ=〔最終回〕緩和ケア 今とこれから

苦痛から解放され、より良く生きるための手段として緩和ケアは存在します

 「緩和ケアを自分の専門にしたいと思います」―。そう周囲に告げた日。今から15年ほど前ですが、遠い昔のような気がします。20代だった私は言いました。「人は最後まで意識が保てて、死の直前に『ありがとう』『愛している』と家族らに告げ、すぐにガクッと亡くなるのではないんだ」「だから、そのような現実を多くの方に知ってもらって最善の方法を一緒に考えていくことが大切なんだと思う」
 ◇「看取るだけでしょう」

 多くの仲間が応援してくれました。しかし、緩和ケアにつきまとう「まだ早い」という言葉が私にも投げかけられました。

 「緩和ケアって看取るだけでしょう」「そんなのは、年を重ねて医師としての技術の習得が終わってからで遅くない」「医師としての旬の時期を、ただ見守るだけの医者になるなんてもったいない」

 治療と並行した早くからの「緩和ケア」が盛り込まれた「がん対策推進基本計画」が作られる前の話です。しかし、筆者には緩和ケアが生きることを支える医療でありケアであるという実感がありました。それは、ある患者さん対する緩和ケアの経験にさかのぼります。
死ぬための医療から生きるための医療へ=〔最終回〕緩和ケア 今とこれから

緩和ケアを行う前、彼女は車椅子を押してもらう側でした。症状緩和後、彼女は他の患者さんの車椅子を押しました
 ◇四つの苦痛

 60代の肺がんの女性でした。難治性の胸水で呼吸困難も強かったです。ベッドに伏せりがちで、もともと家族関係も最悪に近い状況で孤独でした。彼女は家族から逃げるように仕事に励んでいましたから、その仕事が続けられなくなったことも痛烈な一撃でした。

 まずステロイドや医療用麻薬を用い、息苦しさは劇的に緩和されました。これまで経験がないくらいの改善でした。

 次に看護師とディスカッションを重ねました。「いかにしてご家族に関与してもらうか」。看護師が夫にケアをするように働きかけると、次第に夫婦間に雪解けのムードが漂いました。

 連載第2回「乳がん患者がうつ発症 薬剤処方、自死を防ぐ」で触れたように、彼女には身体のつらさだけではなく、心のつらさと家族間のあつれき、仕事をできなくなったつらさ、そこから生じる「生きている意味がない」というスピリチュアルペイン、つまり四つの苦痛の全てが存在しました。


◇不仲の息子が一肌

 この時、身体のつらさを皮切りに全てのつらさの緩和に向けて「できることは全てやろう」と他職種も含めてアプローチしたのです。

 結果、最も不仲だった息子さんまで最後は母のためにと一肌脱ぎ、不可能とも思えた帰宅が可能となりました。そして再入院後に死期が迫ると、おそらくその病院で初めて終末期鎮静を行い(参照・連載第5回「ステージで異なる緩和ケア 副作用対策から鎮痛、鎮静」)、それまでになかった穏やかな経過を提供できたのでした。

 原点であり、今も行い続けている緩和ケアの特性がそこに全て現れています。もちろん穏やかに最期を迎えるためのサポートも大切な役割です。けれども筆者は、この「より良く生きること」を支えるために緩和ケアを始め、行い続けてきたのです。

 しかし、緩和ケアの普及はまだまだ途上です。
死ぬための医療から生きるための医療へ=〔最終回〕緩和ケア 今とこれから

緩和ケア専門チャンネルとしてコンテンツの充実に努めています
 ◇「緩和ケアちゃんねる」

 国が2012年度より「がんと診断された時からの緩和ケア」をがん対策推進基本計画で示してから、来年で9年になります。以前よりは減りましたが、まだまだ「緩和ケアを受けたい時に受けられない」との声は少なくありません。

 そんな方でもかかれるような新たな「早期からの緩和ケア外来」を提供するため昨年、クリニックを構えました。しかし、まだまだ緩和ケアの必要性や正しい理解は浸透していないと感じます。

 医療側からもさまざまな発信がなされるようになっています。私も緩和ケア専門の動画チャンネル「緩和ケアちゃんねる」をYouTubeに構築し、正しい緩和ケアに触れられる機会を設けようと尽力しています。

 これからは、自分の生き方に合うように医療を活用してゆく時代です。言われるがままにしていれば、自分の希望と異なることになってしまうかもしれません。
 ◇現場で発せられる声

 特に慢性病の場合は、医療者としっかりコミュニケーションを図り、質問し、自分の希望を伝えてゆくスキルを磨いてゆくことも大切です。皆さんが思っている以上に現場で発せられた声は、そこを変える力があります。

 その時は響かないと、あるいは壁にはね返されたと見えても、その蓄積は長い目で見ると医療を変える力があるのです。

 「緩和ケアを受けたい」と明示される方は以前よりも少しずつ増え、現場においてもその声に応える形で、「より前に」そして「他の施設の患者さんでも」などとニーズに応じる動きも認められています。

 「緩和ケアは末期だけじゃない」「緩和ケアは早期から」。ぜひ知っていただき、周囲にも伝えていただければと思います。そして誰もが可能な限り苦痛が取り除かれ、与えられた生を全うできるようになることを願いつつ、連載の筆を置かせていただきます。

 これまでお読みいただき、ありがとうございました。(緩和医療医・大津秀一)
死ぬための医療から生きるための医療へ=〔最終回〕緩和ケア 今とこれから

大津秀一氏
大津 秀一氏(おおつ・しゅういち)

 早期緩和ケア大津秀一クリニック院長。茨城県出身。岐阜大学医学部卒。緩和医療医。京都市の病院ホスピスに勤務した後、2008年から東京都世田谷区の往診クリニック(在宅療養支援診療所)で緩和医療、終末期医療を実践。東邦大学医療センター大森病院緩和ケアセンター長を経て、遠隔診療を導入した日本最初の早期からの緩和ケア専業外来クリニックを18年8月開業。
 『死ぬときに後悔すること25』(新潮文庫)『死ぬときに人はどうなる 10の質問』(光文社文庫)など著書多数。



末期がんの終末期-緩和ケア〔7〕
苦しいのは痛みと限らない

 「(がんを患っている)家族が痛みでのたうち回って…」。インターネットを閲覧していると、がん患者の家族からなのでしょう、こんな投稿を目にする機会が少なくありません。このほかにも、「(痛み止めの)モルヒネを増やしても効かなくてかわいそうだった」「モルヒネを増やしたら意識が低下して亡くなった」というような投稿もよく見かけます。

 このように周囲が感じる根底には、誤解があります。がんで亡くなるまでにどんな経緯をたどるかということが十分に知られていない、情報提供されていないことが原因です。そこで、どこに、どのような誤解があるのか、これから説明します。

せん妄というとイラストのように興奮した様態を思い浮かべるが、終末期せん妄は身の置き所のない形を取ることがあり、正しく認識されにくい(イメージ)

 ◇最後まで意識ははっきりしている?

 まだまだ社会には「がんの末期=痛い」という思い込みが広く存在していますが、これが最初の誤解です。実際、全員が全員に痛みが出るわけではありません。最期まで痛みが出ないこともあります。

 一方で、最期を迎えるまで健康な時と同様にはっきりとした意識を保つことは、ほとんどありません。なぜなら、全身状態が悪ければ、意識も混濁したり変容したりするからです。

 このような意識の混濁や変容を「せん妄」と呼びます。終末期のせん妄はしばしば「身の置き所がない」という様相を呈します。

 ◇「身の置き所がない」

 こうなると、ベッド上で体位を頻繁に自分で変えたり、掛け布団を「重い」とはね飛ばしたりします。自分でできなければ、こうしたことを行ってほしいと周囲へ訴えます。

 このほか、「だるい」とおっしゃることもあります。一般に、死期が迫った段階では思うように体を動かすことができず、顔をしかめ、体位が定まらなくなります

足だけ布団をかけたがらない。布団や足が重いと仰る方もいる。身の置き所のなさを示す一つと考えられる(イメージ)

 このような状況で周囲から「痛い?」と質問されると、うなずくことはあります。でもこの段階では、「だるい?」とか「気持ち悪い?」とかの質問に対しても、同じようにうなずくこともしばしばあるのです。

 これらの具体的な身体症状があるというよりも、せん妄などで意思の疎通が困難になっていて、周囲からの呼び掛けの内容が理解できないままうなずいているだけ、という場合もあります。このような患者の状態は、終末期の診療に習熟している医療者ならば見分けられます。

 ◇他に原因の可能性

 患者の家族の視点ではどうでしょう。

 「痛い?」との質問にうなずかれれば、「痛がっている」と思うのが当然です。そうすれば「何とか痛みを取ってもらえませんか。医療用麻薬を使ってでも」と医師に希望されるでしょう。しかし、このような患者の反応は痛みからというよりも、他の原因が主である可能性が相当高いのです。

 確かに痛みを放置することは、せん妄を悪くします。一方で、痛みに対して過剰に医療用麻薬を使うこともまた、せん妄を悪くしますから、この時期の患者さんの痛みを和らげるには、相当繊細な治療が要求されます。

 しかも、痛みがないにもかかわらず医療用麻薬を用いれば、せん妄はより悪くなる可能性があり、ひいては本当に患者を苦しめている「身の置き所のなさ」を悪化させる可能性もあるのです。


◇最終末期に鎮静薬

 これらを踏まえてインターネットでよく見る、先の言葉を考えてみたいと思います。

 「モルヒネを増やしても効かなくてかわいそうだった」-。もしかしたら、身の置き所のなさが中心で痛みは感じていなかったのかもしれません。このようなせん妄による身の置き所のなさに関しては、鎮静薬を用いて対処します。

鎮静剤は写真のような点滴で必要時に使用する場合もあれば、皮下や静脈への持続点滴(あるいは持続注射)で行う場合もあります(イメージ)

 逆に鎮痛薬であるモルヒネ等の医療用麻薬は、意識を低下させる作用はそれほど強くありません。鎮静薬を使わないと取れない苦痛が、人の最終末期には起こる可能性があるのです。

 「モルヒネを増やしたら意識が低下して亡くなった」という、先に紹介したネット投稿はどうでしょうか。

 本来、モルヒネなどの医療用麻薬は「鎮痛薬」なので、がん自体による痛みがあって、基本的な痛み止めであるアセトアミノフェンやロキソプロフェンなどでは抑えきれない場合に、末期に限らず使うべき薬です。

 ◇何重もの誤解

 終末期になって初めて最終兵器のように使うものではないのですが、「意識が低下して亡くなった」と記されるエピソードは、モルヒネが最後の最後に登場している例が散見されます。モルヒネについて患者とその家族だけでなく医療者にさえ、「意識を低下させる」「呼吸を弱めて死を早める」という認識があって、終末期まで使用を控えている可能性も考えられます。

 特にモルヒネなどの医療用麻薬を使わずとも、終末期には意識が低下します。それでも、「モルヒネが始まった、その後亡くなった」という事態を、正しい説明が不足している中で体験すれば、「モルヒネで亡くなった」と思っても不思議ではありません。

 残念ながら、まだまだ人の死に関する情報は行き届いておらず、それがゆえに「末期がんの最後の症状がモルヒネで抑えられる」「ただしそれは意識を低下させ、命と引き換えになる」など、何重にも誤解されてしまっているのです。

大切なのは医療者との十分なコミュニケーション(イメージ)

 ◇疑問があれば口に出す

 このような誤解を解くにはどうしたらいいのでしょう。大切なことは、がんの終末期ケアに習熟している医師や看護師などの医療者に関わってもらうことです。

 また疑問を口に出さないでいると、間違った認識で理解してしまうのはむしろ当然です。人が亡くなってゆくさまは、分からないのが当然ですし、経験していても各人ごとに経過は違います。誰もが同じに亡くなってゆくわけではなく、だからこそ医療者とよくコミュニケーションを図って、知ることが大切です。

 終末期には痛み以外の症状が問題になることも多く、しっかりとした緩和ケアが必要になります。その時のために、利用でき該当する医療資源についてもよく知っておくことが重要なのです。(緩和医療医・大津秀一)



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