二度の乳がん、そして6歳年下の男性との結婚… 48歳女性の覚悟

2018年07月28日 | 病気 余命を考える 死を迎える準備
二度の乳がん、そして6歳年下の男性との結婚… 48歳女性の覚悟
7/27(金)

二度の乳がん、そして6歳年下の男性との結婚… 48歳女性の覚悟〈dot.〉
仕事ひと筋で走り続けてきた自分を襲った病気。救ってくれたのは同僚の男性だった(※写真はイメージ)
「私たち、結婚しました!」――続けて届いた2通の結婚報告はがき。お葬式に参列することのほうが増えていたというのに、まさか同年代である50代の友人から結婚話を聞かされるとは。もしかして、と調べたところ、ここ20数年で50歳前後の結婚増加が判明。総数から見れば少ないものの、“50歳からの結婚”が増えていることは間違いないようだ。連載「50歳から結婚してみませんか?」では、結婚という大きな決断を50歳で下すことになった5人の女性の本音とリアルに迫る。第5回は、2度の乳がんを乗り越えて48歳で結婚し、人生の新たな扉を開いた小田美代子さん(仮名・54歳・会社員)の場合をお届けする。

*  *  *
 最初の乳がんが見つかったのは37歳のとき。右の乳房に違和感を覚え検査したが、結果は「異常なし」。ほっとしたのも束の間、そのわずか1カ月後、会社の健康診断で異常が見つかった。

「1カ月前の検査では問題がなかったと伝えたんですが、それでも専門病院での検査を強く勧められました。でも、このときは、まだそれほど不安は感じてなくて、数日後、軽い気持ちで受診しました」

 結果は乳がんの疑い。すぐに細胞検査を受けたが、判定がグレーゾーン(判定不能)だったため、さらに詳しい検査に。ところが2回目も、3回目も、さらに4回目もグレーだった。

「こうした例はあまりないようで、担当医が乳がんの権威である先生に紹介状を書いてくれて、がん専門病院でさらに詳しい検査をすることになりました」

 この間、約3カ月の時間を要した。

「度重なる検査と結果待ちに生きた心地がしませんでしたね。その間も不安を取り除くためにさまざまな医学書を読みましたが、かえって不安は増すばかり。心身ともに疲れきっていましたが、そんなときでも『結婚していればよかった』とは思わなかった。それよりも、つき合いの長い信頼できる女性の友人たちが頼りでしたし、相談にのってもらいました」

 検査結果が出る日は、さすがに前日から眠れなかった。

「結果は乳がんでした。覚悟はしていたつもりでしたが、改めて“がん”という病名をつきつけられ、本当に落胆しました。その一方で不思議と冷静に先生の説明を聞いている自分がいましたね」

 そうは言っても「なぜ自分が?」という気持ちは消えず、日が経つにつれ、落ち込んでいくばかりだった。

「即入院・手術を勧められましたが、すぐ決断できませんでした。というのも、最初の検査で『がんの疑いがある』と言われた日から、親には言わず、すべてひとりで受診を続けてきましたから。でも、さすがに今回は黙っているわけにはいきません。『親にどう伝えるか』それだけを考え、帰路に着きました。でも、家に着いても玄関のノブがつかめなくて、情けない気持ちでいっぱいで、涙が止まらなくて……。どう伝えたのか、記憶がありません。でも、両親のものすごくがっかりした切なそうな顔、その後、『一緒に頑張ろう』と言ってくれたことだけは、はっきりと覚えています」

 その後も気持ちの整理がつくまで入院をグズグズと引き延ばしていた小田さん。病院からも何度も催促があり、半年ぐらい経った頃にようやく腹をくくった。

「入院してから、再度検査したところ担当医が『そんなに悪さするがんじゃないかもしれない』と。その言葉だけが頼りでしたね」

 先生の言葉通り、比較的おとなしいがんだった。手術は無事成功し、経過も順調。2週間の入院を経て退院し、3カ月後、仕事へ復帰を果した。

■左乳房に異常が、そしてリンパへの転移… 死への恐怖で押しつぶされそうに

 手術から5年。再発もなく、完治のお墨つきをもらい、安心していた8年目、46歳のとき定期健診で今度は左胸にがんが見つかる。

「前よりもショックが大きかったですね。『仕事や家族はどうなるのか』『どれだけ親不孝な娘なのか』、そして肉体的な女性としてのあきらめ、生命がしぼんでいくような死への恐怖が怒涛のように押し寄せてきて、しばらくは何も考えられませんでした」

さらに追い打ちをかけるようにリンパへの転移が判明。抗がん剤による治療が決定した。

「転移がわかったときは今までの人生で最大に落ち込みました。『どうして、どうして、なんで私ばっかりこんな目に合うんだろう』と胸が押しつぶされそうで、涙が止まりませんでした。半ば自暴自棄になり、すべてにやる気をなくし、誰にも会いたくなかったです」

 そんななかでも、励まし続けてれくれた両親や友人、職場の上司、同僚の気持ちに応えようと、徐々に前向きな気持ちになり、「治ったら、今まで考えなかったこと、向き合わなかったことにも真剣に向き合ってみよう」と思った。そのひとつが結婚だった。

「20代、30代は仕事もプライベートも充実して、毎日が楽しく、結婚しなくても一生生きていけると思っていました。それが、2度目の乳がんを告げられたことで、『このまま命を終わらせてはいけないんじゃないか』と思い始め、今まで考えもしなかった結婚についても考えてみようと思うようになりました。当時、つき合っている彼はいなかったんですけどね(笑)」

■いつもさりげなく励まし、支えてくれた同僚が今の夫

「抗がん剤治療が終盤にさしかかった頃、ある同僚がよく食事に誘ってくれるようになったんです。いつもさりげなく体調を気遣ってくれ、私の愚痴も黙って聞いてくれた同僚。それが今の夫です。でも、そのときは、まさか自分がこの人と結婚するなんて思ってもみませんでした。『親切な人だなぁ』と思ったぐらいで、恋愛感情もありませんでしたから」

 小田さんと彼は別の部署でそれぞれが課長という役職に就いており、ミーティングなど仕事のやり取りだけという間柄だった。

「もちろん、顔も名前も知っていましたが、ふたりで食事に行ったことはありませんでした。ですから、最初、誘われたときには、びっくりしました。そして、何回かふたりで食事に行き、いろんなことを話すうちに、『なんてやさしく、思いやりの深い人なんだろう』と思うようになり、『また一緒にごはんを食べたいな』という気持ちに自然となっていきました」

 でも、そのときも恋愛対象として、ましてや結婚相手として考えてもいなかったという。しかし彼の方は違った。小田さんとの結婚をしっかり考えていたのだ。

■無事抗がん剤治療を終え、プロポーズされるが、迷いも…

「7カ月の抗がん剤治療を乗り越え、定期検査でも『異常なし』と言われた日に、また食事に誘われ、プロポーズされました。突然のことでびっくりしたのと、うれしいのと2つ気持ちが交差し、自分の中でじっくり考える時間が必要でしたね」

 それから数日は、今までの彼の言動を思い返す日々。どん底にいるときも励まし、見守ってくれていた彼のやさしさがありありと蘇ってきたが、結婚となると、躊躇してしまう。

「大病を2度もし、両胸は人工乳房、髪はウィッグをつけている自分。そして年齢的に子どもも無理。しかも彼は私よりも6歳年下。『本当にこんな自分でいいのだろうか?』『彼には、もっとふさわしい人がいるのではないだろうか?』とグルグルと同じことを考えました」

 信頼している女性の先輩に相談すると、「あなたの病気のことや年齢のこと、いろんなことを承知している上で結婚しようと言ってくれているんだから、人柄は絶対に間違いない。とてもいいお話じゃない』と背中を押してくれた。

 そして、再度、今までの彼の言動を思い返した。自分の病歴や長所、短所を含めた性格、これからの可能性などを話しても、彼の態度は一切変わらなかった。そのことが結婚への決定打になり、彼の誠実さに応えたいと思った。

「結婚の意思を伝えると彼は、とてもうれしそうでした。『闘病中は彼のこんな笑顔に支えられてきたんだな』としみじみ思い、穏やかで温かい気持ちになりました。2度目の乳がんがわかったときに、これを克服したら結婚も考えてみようと思いましたが、まさか自分が本当にするなんて思わなかったですね。人生はよくも悪くも自分の思うようにならない。だから、大変ですし、そして楽しい。この縁を大切したいと思いました」

 こうして48歳で人生の新たな一歩を踏み出したのだ。(取材・文/須藤桃子)

須藤桃子(すどうももこ)
1965年東京生まれ。フリーライター。女性の生き方、料理、健康、ペット(特に猫)系を中心に活動



***** | 16時間前
40代になり、難治性肺炎と卵巣腫瘍、慢性白血球を同時に患い、卵巣と子宮は摘出、赤血球と血小板の輸血を毎週受けなければ生きられない状態になりました。

既に家庭を持っていた妹二人は厄介から避けるかの様に一切の連絡がなくなり、年老いた母はただ泣くばかり。
仕事も失い、一生懸命働いて買ったマンションも手放す事になり、生きるのも死ぬのも怖くて、真冬の高層マンションのベランダで飛び降りる事も出来ずただ泣き暮れていました。

ある日、気分転換で神社にお参りした帰り、たまたま立ち寄った飲食店で、一人の店員さんが話し掛けてくれて、それをきっかけに時々足を運ぶ様になりました。
初めて個人的に食事に誘ってくれた時、全てを打ち明けた私に「だったら支える人が必要だから、僕が支えます」と言ってくれました。
それが今の主人です。結婚したのは私が48歳、主人は42歳でした。

ドン底で神様が引き合わせてくれたご縁です。



リューズ | 21時間前
いいお話ですね。
私も癌になりその時の彼は献身的にお見舞いにきてくれましたが、退院したら捨てられました。
きっとその彼は私が死ぬと思っていたんでしょうね。一人っ子、両親はすでに他界。
誰にも相談できず。このまま再発に怯えて生きていくのかな…しんどいなぁ。

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返信8
aki***** | 21時間前
羨ましい優しい思いやりの深い彼で私も今乳癌ステージ4で手術も手遅れでできないと言われ抗がん剤の苦しい治療を終わった所だけど環境がとても苦しい
離婚した元夫の所に病院で未だ私が意識のおぼろげな時連れて来られたのだが
色々ここはどうだとかあそこはどうだとか最初の内は聞いてきたがお金に関する事になると一変して過去の私のやってきた事をネチネチと攻め立てる
自分のしている事を全部あからさまにしないといけないんでしょうかね
立派な事をしてきたとは言えませんけど

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