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「どうしようもない」人々と外交

2008年07月05日 | 外交・国際
 7月5日になりました。2年前のこの日、北朝鮮による7発のミサイル発射実験が行われました。
 しかし私が「忌まわしい出来事」として忘れられないのは、その実験よりもむしろ、それに対応すべき人々の「どうしようもない」姿でした。

■ 小泉氏の別の「打ち上げ」と「大騒ぎ」

 北朝鮮によるミサイル発射実験は、日本時間の3時半過ぎから始まりました。
 「北海道沖に着弾」「新潟県沖に着弾」という衝撃的な報道に、日本中が大騒ぎでした。しかし当時の小泉純一郎首相はその夜、自民党の厚生労働部会のメンバーと一緒に「飲み食い」に興じました。
 この「飲み食い」は、かねてから予定されていた「打ち上げ」でした。
 6月、小泉内閣が提出していた法案が、与党の相次ぐ強行採決によって成立しました。その法案とは、「医療崩壊の元凶」と呼ばれ、ついに福田首相「問責」の原動力となった「後期高齢者医療制度」を含む「医療制度改革関連法案」でした。
 この日、その「改革」を強行した与党の厚生労働部会の理事らの「功績」を讃えて、小泉氏が一席を設けたというわけです。
 その夜、もちろん国民は、まだミサイル問題で「大騒ぎ」を続けていましたが、ちょうどその頃、小泉氏や自民党の面々は、別の意味で「大騒ぎ」を演じていたのです。
 「えひめ丸」事件を聞きながらゴルフを続けた森喜朗氏に勝るとも劣らない、小泉氏の「どうしようもない」行動は、正に「サプライズ」でした。

■ 安倍氏の「立場」

 さて、北朝鮮が絡めばすぐに注目を集めるのが、安倍晋三氏という人物でした。
 このとき安倍氏は官房長官の地位にあり、小泉政権のスポークスマンとして「ポスト小泉」を意識したアピールを繰り返していました。
 では、小泉氏が「飲み食い」に興じていた7月5日、彼は何をしていたと思われますか。

 北朝鮮問題をライフワークだと広言する安倍氏ですが、実はその「飲み食い」に同席していたのです。
 安倍氏も元々「厚生労働族」です。その分野で何かあれば彼の「フトコロ」、すなわち「利権」に直結します。
 もちろん、あまりお酒は召し上がらない安倍氏ですので、小泉氏ほど「大騒ぎ」はしなかったのでしょうが、安倍氏もこの土壇場においてなお「北朝鮮問題より厚生労働族としての立場」を優先させた「どうしようもない」人物だったのです。

■ 麻生氏の「作り笑い」

 政権の中枢を担う首相・官房長官が「飲めや歌え」で騒いでいるとなれば、頼れるのは日本の外交分野での責任者、すなわち外務大臣ということになります。
 当時、その職にあったのが、麻生太郎氏という人物です。この頃、既に安倍氏らとともに、「ポスト小泉」の有力候補に挙げられていた麻生氏としては、この問題への対応は本来「腕の見せどころ」だったはずです。
 その麻生氏は、5日当日こそ外務省の、各国との連絡役として「電話会談」を繰り返しましたが、次の日、彼はほぼ丸一日「自分自身」を優先させました。
 ミサイル発射の翌日である6日は、麻生氏の日程表には、某「テレビ番組収録」という予定があったのです。その番組とは、後に自民党参議院議員や大阪府知事を輩出することになる、日曜夜の法律系バラエティ番組です。
 これが放映されたのは7月の下旬でしたが、番組の中で司会者が「麻生さん、ほんまにこんなとこ、おってええんですか。いま日本中、大騒ぎですよ。」という問いに、麻生氏は「いいんです。いいんです。」と、ときおり「カメラ目線」を交えながら、作り笑いを振りまき、好感度アップに一所懸命でした。
 当時、既に小泉首相が引退を表明し「ポスト小泉」争いが激化する中、外務大臣としての緊急対応よりも、「目立つ」ことを、麻生氏は優先させました。このため外務省は、6日の「外務大臣電話会談」を、翌7日に先送りせざるを得なくなったのです。麻生氏もまた、実に「どうしようもない」人物でした。

■ 外交の基本姿勢

 その頃、外交の中枢にあったのは、谷内正太郎氏という外務事務次官でした。
 小泉・安倍政権で「外交の指南役」と呼ばれた谷内氏には、私も興味を持っていましたので、このミサイル実験のしばらく後に、その講演を聴きに行ったこともあります。彼は「日本の外交の基本的な姿勢」について、非常に分かりやすく、こう解説してくれました。
 「今や世界で超大国と呼べるのは米国だけです。だから米国についていけば間違いないのです。」
 
 何のことはありません。日本は既に自分たちで外交を行うのをやめ、ただ米国の言う通り付き従うだけ。言ってみれば、外交権を米国に委ねてしまっていたのです。
 本当に「どうしようもない」話です。それほど米国は信用できるのでしょうか。
   
 2年前、北朝鮮のミサイル発射準備について、米国は5月下旬には把握していたのに、日本にこれを伝えてきたのはそれから約3週間後のことでした。
 さらに、米国は北朝鮮のミサイルの着弾地点について、正確な情報(北朝鮮領土内やその沿岸、ロシア沿岸であり、当初の「北海道沖」「新潟県沖」というのは明らかに誤報でした。)を伝えたのは8月のことでした。
 どうも、「米国についていけば間違いない」という言葉も、首を傾げざるをえません。

■ 「どうしようもない」を変える

 さて、あれから2年が経ち、米国はいま北朝鮮への「テロ支援国」指定解除の手続きを進めています。米国に対して、日本政府はずっと「拉致問題の進展がないのに指定を解除しないでほしい」と言い続けてきたはずですが、米国はそのような「陳情」に耳を貸さなかったのです。
 福田首相は、この米国の「変節」に対して抗議の一つでもするのかと思えば、そのような動きは全くなく、逆に「容認」「歓迎」という言葉を贈りました。それどころか、何ら具体的成果もないまま、一部の制裁を解除してしまいました。
 2年前は「蚊帳の外」だった福田氏も、自分で外交をせず、ただ「米国任せ」を踏襲しているのが、よく分かります。

 彼もまた「どうしようもない」のですが、あの「どうしようもない」人々も相変わらずです。
 小泉氏は米国の「変節」に合わせて「国交正常化なくして拉致問題解決なし」と言って、相変わらず「サプライズ」を起こしています。
 安倍氏は「変節」した米国や日本政府ではなく、同じ自民党内の山崎拓氏に毒舌をふるって、「復権」を図っています。
 麻生氏は今もテレビ番組に出演して、作り笑いを振りまき続け、「ポスト福田」の最有力候補とされています。

 そんな「どうしようもない」彼らが権力の座に居座り続ける限り、「米国任せ」の無責任な外交を変えることはできません。
 それを変えることができるのは私たち国民だけですし、国民がそれを変えなければ本当にこの国は「どうしようもない」国のままでしょう。


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2 コメント

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Unknown (やと)
2008-07-06 17:27:47
書かれてあるとおりならば大問題ですね!
6日の麻生氏の日程なんて、こんなですし↓
7月6日(木)小雨曇り ●1200~大勇会/事務所
http://www.jun.or.jp/diary/2006-07.htm
日本・モルディブ外相会談(平成18年7月6日)
http://www.mofa.go.jp/mofaj/kaidan/yojin/arc_06/maldives_gai.html
164 - 衆 - 安全保障委員会 - 10号(平成18年07月06日)午後一時開議
http://kokkai.ndl.go.jp/cgi-bin/KENSAKU/swk_dispdoc.cgi?SESSION=4850&SAVED_RID=1&PAGE=0&POS=0&TOTAL=0&SRV_ID=9&DOC_ID=3814&DPAGE=1&DTOTAL=1&DPOS=1&SORT_DIR=1&SORT_TYPE=0&MODE=1&DMY=4970
よくもまあ、番組収録なんて出来たものです!それも、途中で退場してましたし。
収録に拘束された時間はどのくらいだったのでしょう!
よくご存じらしいのでそのへんも教えていただけたら、と思います。

ところで、以下の文章はご存じですよね。
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2008/06/20080626-9.html
http://www.whitehouse.gov/news/releases/2008/06/20080626-4.html
北朝鮮への「テロ支援国」指定解除の手続きを進めると同時にこんなこともしてるんですね。
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あの人もこの人も (しいさあ)
2008-07-09 17:37:21
小泉・安倍・福田という歴代の人々がこんな連中とは情けないです。
さらに、次の総理大臣と言われる麻生までがこんな人間だというのでは、まったくこの先どうなるのだろうと思います。
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