まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

追悼 柳家喜多八

2016-05-30 06:43:42 | 日記
競馬には興味がない、という人がいます。ああ、そうすか。それはそれで別に構わないのですが、その理由でギャンブルはやらないから、な~んて言われてしまうと、少々カチンときます。あんたの人生、ギャンブルじゃないのかね。宝くじは買わないし、生命保険にも興味がないのですね。そうかい、そうかい。わかりました。競馬を見ることなんぞ、ある意味では、動物園に行くこととそう大差がないことなんですけれどもね・・・。

職場でね、試しに、お笑い系のCDをかけてみたりするんです。反応を確かめてみたくて。で、「落語ですか?」な~んて言われてしまうと、これまた少々カチンときます。「落語じゃありません。大喜利です」な~んて。要するに「笑点」の功罪ですな。私に言わせれば、本質的に落語に興味のない方も多数いらっしゃいます。しかしながらそういう方の中には、歌舞伎や能、あるいは文楽のような伝統芸能に魅せられる資質を持っている方もいるように思います。楽しいものだからこそ、永らえているのです。それらが一部の好々爺の趣味だと思われているのならば、それは大間違いなのです。

先日、ウッチー兄さんと、兄さんの同級生と一緒に、落語を聴きに行ってきました。ふたりとも、生で落語を聴くのは初めての経験でしたが、楽しんで下さっていたようです。よかった。学校寄席の功罪というのもあります。実力のない噺家の落語なんざぁ、そんなもん、芸のない、単なる落語もどきなのです。初心者やお子さんだからこそ、本物を見せなくてはなりません。そういう意味での、よかった、です。そうして、落語は音楽と同じなので、いかにその芸が達者であっても、それだけで魅せられる、ということはあり得ません。音楽の授業って、楽しかった?

願わくば、YouTubeで落語なんぞ聴かないで下さい。否、聴いてもいいんです。その噺家に対する愛情や想像力の働く下地があれば。喜多八師匠の落語をYouTubeで聴いたところで、面白くないでしょ?それはそうです。だって、師匠が時折垣間見せる照れたような笑顔を味わうこと(見ること、ではない)が出来ないのですから。少なくとも愛すべきシミあたりは、喜多八師匠の魅力に気付くはずだと思うのですが、奴は師匠を生観戦したことがあったのか、間に合ったのかどうか・・・。味わっていなかったのだとしたら、それはそれはとても悲しいこと。合掌。


「目黒のさんま」柳家喜多八
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