まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

怒髪天に、怒まぬ家

2024-06-23 02:09:27 | 日記
<怒髪天がベーシスト清水泰次を解雇>

2月9日のニュース。言葉を失うことが、まさに、このニュースの中にあった。伝えたいことはたくさんあるのに、酒浸りの僕の言葉に、何の価値や説得力があるのだろう。恋愛や災難?と同様に、理屈で音楽を愛でること、嫌うことは出来ない。しかし、あまりにも失望したので、積極的には聴きたくない。今までのようには聴けない。「ファンです」とも言えない。

僕は自分の行いを鑑みず、清水さんの側に立ちすぎているのかもしれない。きっとそうなのだろう。ミュージシャンという仕事。僕らサラリーマンのような、いわば時間を切り売りしている類の商売とは異なり、フリーランスで自分の生活リズムを律するのが難しく、同情する余地があるのかな、みたいな。ともあれ、僕の見解では、奥田民生さんの飲酒問題の時と同じで、つまり、芸人なのだから、芸が優れているならば、それで良い。むろん、下品や卑怯は駄目だ。なぜなら、作品そのものが下品になり、逆説(反面教師)的な意味でしか価値を見出せなくなってしまうから。

もしかしたら、飲酒を隠れ蓑にしているのかもしれない。つまり、清水さんの問題の本質は他にあるのかもしれない。その場合、一定の理解は出来るけれども、共感は出来ない。例えば草野マサムネさんだったら、そんな「まぬけ」なことはしない。解雇はせずに解散するのか、いずれにせよ、メンバーの問題は自分自身の問題と認識するだろう。切り離して解決する問題ではないのだ。ピロウズと同様(鈴木淳さんを解雇)に、音楽そのものもつまらなくなる(独自のグルーヴが失われる)という側面も確実にあるのだから。

悔しかったら、僕を感動させて、見返して欲しい。むろん、3人組で売れたって(紅白に出たって)評価はしないけど。ともあれ、清水さんが謝罪(コメント)しているのが痛い。痛すぎる。反省しているんだもん。法律を犯した的な理由でないだけに、かえって、救いがない。切ない。なるほど、許す必要はなく、ドンマイビートでは済まされないのでしょう。晩年のデヴィッド・クロスビーの時と同じような状況なのかなぁ。しかし、喧嘩別れだったら、僕も納得するんです。仕方がないと思えるんです。

ともあれ、このニュースが、僕の心をズタズタにしたのは、このバンドが好きだったことを後悔しそうになったから、ではなく、やっぱり、自分自身の問題とリンクするから、なのかも。つまり、甘えの構造。親しき仲にも礼儀あり。戒め。けれども、あえて言いたい。あぁ、怒髪天の如く、つまらん世の中になったもんだなぁ、と。下らないこと(ニュース)に一喜一憂し、ガタガタ騒ぐなぁ、と。誰も彼もが「まぬけ」化しているかの如く。大谷翔平騒ぎはまだ良いね。夢があるし。
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