まぬ家ごめ助

姓はまぬけ、名はごめすけ、合わせて、「まぬ家ごめ助」と申します。どうぞお見知りおきを。

河野太郎が好きだ!(まぬけもがんばります!!)

2020-05-04 13:33:16 | 日記
いずれアベノミクスが終わり、再び混沌とした時代が始まります>ってか。

今がまさに、その時代なのかもしれません。

自分のリーダーとして、誰が相応しいのか、と、その根拠となるひとつの目安は、この人に命を預けられるのかどうか、ということ。

そうして僕は、(僕らの法人の)理事長さんにその恩を返さなければならないわけで、それもまたたぶん「今」なのだろうな、と、自覚しています。喜びをもって。


テレ東NEWS
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「まぬ家」のなかで

2020-05-04 04:18:27 | 日記
「暗室」のなかで 著者=大塚英子

先ず紹介したいのは、田口ランディさんのブログ「ねむの木学園と宮城まり子さん」。

宮城まり子さんのことに関しては、軽々しく書けないようなところがあるので、周囲(外堀)から覗いているような状態が、終始続いています。

けれども、介護職としての僕にとっては、まり子さんの存在そのものが、ある種の「踏み絵」になっているというような気分もあり、例えばクソベーなんかと一緒にまた美術館に行って、彼の反応を確かめたいなぁ、なんて思っていたりもするわけです。

それにつけても、吉行淳之介の人たらし(「女たらし」ではない)能力(才能?)って、強烈ですねぇ・・・。
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まぬけ認識論(紫苑さんへのメッセージ)

2020-05-04 00:14:34 | 日記
「まぬけ認識論」なのであって、「まぬけの認識論」ではありません。

山川哲さんの「文化認識論」が面白い。
山川さんによると<認識能力のパターンを検討すると、以下の4通りの人々が存在する。>ということになり、つまり、
大衆、芸術家、権力者、単独者の4パターンなのだそうです。

まぬけ=単独者(笑)

で、イメージで構わないのですけれども、単独者って、権力者とは相性が悪そうでしょ?単独者って、猫のように自由に振舞っていたいわけですから、権力者側からしてみると、思い通りにならないという意味で、非常に厄介な存在なのではないでしょうか。

昨日、エミちゃんといろんな話をしていたのですけれども、お互いに動物が好きで、似たような感性はあるものの、彼女は「わかりやすさ」を求め、僕は「わかりにくさ」を求める、という違いがあることがわかりました。それはそうです。根本的な問題、つまり、男と女の違いでもあるのですから。

ともあれ、女は話をわかりやすくしようとする。男は話を難しくしてしまう。>byさい ふうめい

そもそも、「認識」とは何か?
わかる、わからないとは何か?

単独者には単独者なりの基準、ルール、行動指針があり、それは、他人に求めるものではありません。しかしながら、社会の中で生きている以上、権力者には、「決定」を求めます。政治の世界であれば、託します。ここで大切なことは、意見(建設的な文句)は言いますが、決定には逆らいません。ですから、ルールを犯す場合は、処罰覚悟、ということになります。その決定が民主的な結論であろうが、あるいは、独善的に導かれていようとも。

毎度のことながら、非常にまわりくどい言い方をしていますねぇ。わかりにくい。要するに、依頼心の問題なのです。
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