極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

パーシャル・インフレーション

2013年02月20日 | 時事書評

 

 


【パーシャル・インフレーション】

被災地では建設資材の値上がりが目立つという。東日本大震災の被災地で復旧・復興工事に使う建設資
材が足りなくなり、価格がはね上がっている。建物や道路をつくるのに必要な生コンクリートなどは、
地域によって震災前より3~4割上がっている。被災地では建設作業員も足りなくなっており、資材高
騰と人手不足が重なって、復興がさらに遅れるおそれがあり、なかでも仙台は今年2月の1立方メート
ル単価が震災前より43%高い1万1550円となるという。この背景の1つに、復興工事のほかにマ
ンション建設が同時に進んで供給力が切迫しているからだとも解説されている。因みに、沿岸部も亘理
が39%高い1万5200円、宮古(岩手県)が35%高い1万7300円になっているという。これ
は予期できたことだ。このことにより(1)復旧復興工事の遅延、(2)建築・土木工事の物価高騰、
(3)
手抜き工事などの品質劣化のこの三点を防止して復旧・復興することは最先進国・日本の最重要
課題だ。
このことは被災者地域住民だけでなく、世界が注視していることでもある

 デジタル朝日

【ラストホープ? ラストスパート?】

昨夜はフジテレビの『ラストホープ』を余裕をもって観た?ストーリーは相葉雅紀扮する医師をコアと
し 先端医療の現場で繰り広げられる、命の物語高度先端医療センターに、年齢も専門も異なる6人の
医師が集結。町医者出身の卓巳らが技術と知恵を合わせて、懸命に命を救う方法と医師の役割を模索し
ていくというものだが、このドラマの脚本(浜田秀哉)の完全小説化したものが扶桑社がら出版されて
もいるという(未読)。いろいろな課題を背負い作業する身には、このラストホープ、最後の望みとい
うタイトルは意味深にこころに響くものだが(その中身にはこのブログに埋め込まれている)、このよ
うに最先端医療現場はそれを触発する格好の場面になっているとねと腑に落とした。

ところで、ニューヨーク・タイムズは、オバマ政権が人間の脳の機能の全容解明に向け、政府と民間に
よる10年がかりの共同研究プロジェクトを計画したとのこと。人の全遺伝情報を解読した国際プロジェ
クトに並ぶ包括的な研究となる見通しで、計画は3月に発表されるという。そこで、プロジェクトは「
脳活動マップ」計画と銘打たれ、膨大な数の脳神経の機能を探り、人の認知や行動、感情に関するより
深い知見を得ることを目指す。パーキンソン病やアルツハイマー病の解明のほか、さまざまな精神疾患
で新たな治療法の発見が期待されるほか人工知能の開発促進に道を開く可能性があるという。政治的な
思惑や意図はさておき、「癌の根絶」への道が見えている中、いままた「脳機能の全貌解明」の道もな
されようというのだから、今世紀半ばには、現在抱えている疾病の全域的解決がなされるかの勢いを感
じている。
   

【二本の蛇足】

ところで、最近の脳科学の成果では脳の記憶や活動容量の議論に終止符(休止符?)が打たれ、活動量
の限界点から活動モードの有り様に議論が移っているようだ。これについはまた場所を変えて考えてみ
たい。また、癌撲滅への道には、医食同源からかねてから計画していたニンニクの科学というとてもク
サイ分野について特集考察しようと、これがラストスパート?!という意気込みで取り組む。

 

 


【第四章 地理的不均等発展】 

自由という言葉はまことに不思議な響きをもって人々のこころを虜にし心地よく届く、が。その意味は
千差万別であり、政治舞台で闊歩するその「自由」とは「不自由」の顔をもつシャムの双生児、これは
俗説だから結合双生児であるが、あるいは業欲の鵺(ヌエ)あることにひとびとはやがて気づき興醒め
るのであるとわかりやすく、デヴィッド・ハーヴェイは前章の「新自由主義国家」を分析してみせた。
この章では、その実体を「資本と労働」的側面の人文地理学として分析する。いわく「一九七〇年以降
に新自由主義化か世界中に広がっていく様子を描いたムービングマップを作成しようとしても困難だろ
う。そもそも、多くの国が新自由主義への転換を実行したといっても、その大半は部分的なものであっ
た。あちらの国では労働市場により大きなフレキシビリティを導入し、こちらの国では金融活動の規制
を緩和してマネタリズムを受け入れ、別の国では国有部門の民営化を進めるといった具合だ。さまざま
な危機(たとえばソ連の崩壊)をきっかけとして全面的な変動があった後には、新自由主義の不快な面
が明らかになるにつれて、ゆるやかな逆転が起こりうるだろう。加えて、上層階級が自分たちの権力を
回復ないし確立しようと闘っていたとしても、政権の担い手が変わったり、また、影響力を行使するた
めの種々の機関があちらこちらで強化されたり弱体化したりするにつれて、あらゆる種類の紆余曲折が
起きるだろう。したがって、何らかのムービングマップを作成したとしたら、それはつねに、地理的不
均等発展の目まぐるしい変化を示すことだろう。こうした動きを追跡することは、各地域での転換がど
のようにより一般的な動向と関連しているかを理解するのに必要である」と。


  イギリスとアメリカが新自由主義化を先導してきたのは明らかである。だが、どちらの国も、
  新自由主義への転換が問題なしに進んだわけではない。サッチャーは公営住宅や公益事業を民
  営化したが、無償の国民医療制度や公教育といった中核的公共サービスはほぼ手つかずのまま
  であった。一九六〇年代のアメリカにおける「ケインズ主義的妥協」は、ヨーロッパの社会民
  主主義諸国の成果にはほど遠いものだった。したがって、レーガンヘの反対もあまり戦闘的な
  ものではなかった。いずれにせよレーガンは冷戦に夢中だった。彼は、アメリカ南・西部にお
  ける自分の支持基盤たる選挙多数派の特殊利害のために、赤字国債で資金を賄われた軍拡競争
  (「軍事ケインズ主義」)を開始
した。こうしたことは新自由主義理論とは明らかに一致しな

  いのだが、連邦政府の増大する財政赤字は、福祉プログラムを骨抜きにするという新自由主義
  的目標の安易な目実にはなったのである。病にかかった経済を治療するというあらゆる美辞麗
  句にもかかわらず、イギリスもアメリカも一九八〇年代に高度な経済的パフォーマンスを実現
  したわけではないし、このことは、新自由主義が資本家の願望をかなえるものではなかったこ
  とを示唆していた。たしかにインフレは抑えられ金利は下がったが、これは高い失業率(レー
  ガン時代のアメリカで平均七・五%、サッチャーのイギリスで平均二〇%以上)という犠牲を
  払って得られたものであった。公的福祉とインフラ整備への支出削減は、多くの人々の生活の
  質を落とした。こうしたことの結果として、一九八〇年代初頭には、強制的な新自由主義化の

  第一波がラテンアメリカを襲ったが、その帰結はたいていの場合、経済的停滞と政治的混乱と
  いう、まるまる「失われた10年」であった。 実際のところ、一九八〇年代にグローバル経
  済における競争の推進力となったのは、日本であり、東アジアの「タイガー・エコノミー」で
  あり、西ドイツであった。これらの諸国が全面的な新自由主義改革を経ることもなく経済的に

  成功を収めたのだから、新自由主義化か経済停滞に対する有効な処方漉として世界で進行した
  のだと主張するのは難しい。たしかに、これらの国の中央銀行は総じて、マネタリスト的方針
  に従っていた(西ドイツの連邦銀行がとりわけ熱心に追求したのは、インフレと闘うことであ
  った)。また、貿易障壁の段階的縮小は競争圧力を生み、新自由主義におおむね抵抗してきた
  国であっても、「忍び寄る新自由主義化」と呼ばれる目に見えぬ過程が進行していた。たとえ
  ば、ヨーロッパ連合(EU)の内部機構に広範に新自由主義的な制度的枠組みを設けた一九九
  一年のマーストリヒト条約は、イギリスなど新自由主義改革に取り組んできた国からの圧力が
  なければ不可能であっただろう。しかし、西ドイツ国内では、労働組合は引きつづき強力であ
  ったし、社会的保護のシステムは機能していたし、賃金は比較的高水準を維持していた。こう
  した状況が技術革新を刺激したことから、西ドイツは一九八〇年代の国際競争で優位な立場を
  保持することができた(ただしそれは技術誘発型の失業をも引き起こした)。輸出主導型の成
  長のおかげで、同国は世界のりーダーとして前面に躍りでた。日本では、自立した組合運動が
  弱体であるか存在せず、労働搾取率も高かったが、技術革新への政府の積極的な投資と、企業
  と銀行との緊密な関係(西ドイツでも適切だと証明された仕組み)のおかげで、イギリスとア
  メリカのシェアを大きく食う形で一九八〇年代に驚くほどの輸出主導型成長を果たすことがで
  きた。このように、これらの国での成長は新自由主義化に依拠したものではなかった。もっと
  も、グローバルな貿易と市場のより大きな開放があったおかげで、日本、西ドイツ、アジアの
  「虎」が、激化する国際競争の中でも輸出主導型のサクセスストーリーをより容易に演じるこ
  とができたのだというように、新自由主義化を浅薄な意味で解すのなら話は別だが。一九八〇
  年代末までは、強力な新自由主義路線をとっていた国々は依然として経済的困難にあった。そ
  れゆえ、西ドイツとアジアの蓄積「体制」こそが模倣すべきものであると結論づけるのは難し
  くなかった。したがって、多くのヨーロッパ諸国は新自由主義改革に抵抗し、西ドイツ・モデ
  ルを受け入れた。アジアでは日本モデルが、まずは「四人組」(韓国、台湾、香港、シンガポ
  ール)によって、その次に、タイ、マレーシア、インドネシア、フィリピンによって広く模倣
  された。かしながら、西ドイツと日本のモデルは、階級権力の回復を推進するものではなかっ
  た。一九八〇年代をつうじて、イギリスやとりわけアメリカで見られた社会的不平等の拡大は、
  〔西ドイツと日本の場合には〕食い止められていた。アメリカとイギリスでは成長率は低く、
  労働者の生活水準は大きく下がったが、上層階級の生活は上昇しはじめていた。たとえば、ア
  メリカにおける最高経営責任者(CEO)の報酬は、ヨーロッパにおける同種の地位にいる者
  たちの羨望の的になりつつあった。イギリスでは、新たに形成された一群の金融企業が巨大な
  富を蓄積しはじめていた。最上位のエリート集団に階級権力を回復させることがなすべき課題
  だとすれば、新自由主義こそまさにその答えだった。それゆえ、ある国が新自由主義化に突き
  進むかどうかは、階級的力関係(西ドイツやスウェーデンの強力な組合組織は新自由主義化を
  一定抑えた)と資本家階級の国家依存度(これは台湾や韓国では非常に強いに左右されたので
  ある。


                デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第四章 不均等発展」 
                    (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)


その世界展開は様々な様相を見せ、多くの新興国では開発主義国家独裁として、ロシア・中国は一国社会
主義国家独裁として、あるいはスウェーデンのように社会民主福祉主義国家としての差異を見せなが展開
するのだが、四つの決定的な要因で階級権力を変容させ回復させる手段が、一九八〇年代に徐々に不均等
に整えられ、一九九〇年代に強化されたと分析する。その四つとは、(1)一九七〇年代を起点とする金
融自由化への転換が一九九〇年代に加速した。(2)資本の地理的移動性が増大した。(3)
クリントン
権時代に完成した「ウォールストリートー財務省-IMF」複合体の構造調整プログラムの強制に成功
した。(4)マネ
タリズムと新自由主義の新経済理論の世界的波及だと、デヴィッド・ハーヴェイと指摘
する。ここで(1)(2)は直接的なデジタル技術の適用貢献が、あるいは(3)(4)は間接的に寄与
していることが計量的表現はとれないものの背景要因としていることをここで加筆強調しておきたい。

 

  韓国は一九五〇~五三年の朝鮮戦争から生まれた。同国は当初、経済的・地政学的な緊張地域に
  位置する荒廃した国であった。経済的転機となったのはおおむね、朴正煕将軍が政権に就いた一
  九六一年の軍事クーデターの頃だとされている。一人あたりの国民所得は、一九六〇年に百ドル
  未満だったのが、今や一万二〇〇〇ドル以上に達している。この驚くべき経済的成果は、開発主
  義国家であったからこそ可能となった絶好の事例としてしばしば取り上げられている。しかし、
  韓国には当初から二つの地政学的利点があった。第一に、この国は冷戦の最前線に位置していた
  がゆえに、アメリカは積極的に軍事的・経済的支援を-とりわけ最初の時期には-行なう姿勢に
  あった。しかし第ニに、あまり明らかになってないことだが、日本との旧植民地関係は韓国に多
  様な利益をもたらした。たとえば、日本の経済的・軍事的祖織戦略に通じることができたこと(
  朴は日本の陸軍士官学校で訓練を受けていた)や、外国市場に進出するにあたって日本の積極的
  支援を受けられたことなどである。(中略)
日本がアメリカ市場に自国の半製品を再輸出するた
  めの海外拠点として韓国の産業資本家を利用するようになったからである。日本との合弁事業が
  盛んになった。韓国企業はこれらの事業を利用して、技術力を身につけ、外国市場での経験を培
  った。(中略)一九八〇年代中頃までに、財閥は「その権力と影響力を行使し、政府の規模な規
  制機関の解体に向けた系統的な取り組みに着手し、着実に成功を収めていった」。韓国の資本家
  階級は、国際貿易で安定した地位を確立したことや独自に信用を獲得することが可能になったこ
  とをふまえて、もはや政府に依存しなくなり、彼ら独特の新自由主義化を指向しはじめた。


  この独特の新自由主義化は、政府による規制的統制の撤廃を求める一万で、自分たちの特権に関
  しては保護を継続するというものであった。たしかに銀行は民営化されたが、財閥指導部と国家
  とを結びつけていた閉鎖的でしばしば腐敗をともなった権力の癒着はあまりに緊密で、その解体
  はきわめて困難であることがわかった。それゆえ、韓国の民営化された各銀行は結局、融資にあ
    たって、何らかの健全な投資理由からだけでなく、政治的なえこひいきにももとづいていた。韓
  国ビジネス界も貿易関係と資本移動の自由化を要求し(これは一九八六年のウルグアイ・ラウン
  ドで国外からも強制されていた)、かくして余剰資本を自由に海外投資できるようになった(図
  4-4参照)。韓国資本は、安くてより従順な労働力を利用した海外現地生産を追求した。その
  結果、東アジアと東南アジアの大部分ばかりか、ラテンアメリカや南アフリカにまで達する、韓
  国人所有の下請ネットワークを通じて、劣悪な労働慣行の輸出が始まった。一九八五年に円高に
  なると、日本は、タイ、インドネシア、マレーシアなどで、低コストの海外現地生産に切り替え
  た。このことは、世界市場への中国の参入とあいまって、域内競争を激化させた。中国は、低付
  加価値生産部門(たとえば繊維製品部門)で韓国(およびアジア地域の他国)にまず挑戦したが、
  まもなく付加価値度の序列を昇っていった。韓国側の対抗策は、直接投資をつうじて生産工程を
  中国に移転することであった。


                デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第四章 不均等発展」 
                     (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)

このように縷々分析した上で、二つの教訓を引き出す。(1)韓国がその最も過酷な経験から学んだこと
は、自分たちの金融破綻の際にアメリカ合衆国はその偏狭な自己利益を追求することの方を選ぶというこ
と。(2)アメリカは今では、もっぱらウォールストリートと金融資本の言葉でその自己利益を定義して
いた。実際、「ウォールストリートー財務省-IMF」複合体が韓国に対して行なったことは、一九七〇
年代中頃に投資銀行家がニューヨーク市の再現であったが、韓国経済の自律的に回復させ、ウォールスト
リートの金庫へ剰余金を還流させることに成功したものの外国資本が入り込んでくると、財閥勢力は粉砕
再編され、韓国資本は国家とグローバル市場の均衡状態に置かれ、国内の階級構造が流動的で、経済格差
の進行(それはとりわけ女性に悪影響をもたらす)、労働運動や地域社会運動の弾圧などを迂回し、韓国
内外の階級権力の蓄積が進行すると予測する。


   
西側世界で一九七〇年代に資本の権力が民主的な形で最も脅かされたのは、おそらくスウェーデ
  ンであろう。一九三〇年代以降、社会民主党によって統治されていたスウェーデンの階級的力関
  係は、強力な中央集権的労働組合を中心にずっと安定した状態を保っていた。この労働組合は、
  賃率、付加給付、労働条件などをめぐって、同国の資本家階級と直接に団体交渉を行なってきた。
  政治的には、スウェーデン型福祉国家は、累進課税を実施し行き届いた福祉サービスの給付を通
  じて所得の不平等と貧困を削減する「再分配型社会主義」という理念を中核として構築されてき
  た。資本家階級は少数ではあったが、きわめて強力だった。他の社会民主主義国家や経済統制国
  家とは異なり、スウェーデンは、交通運輸部門と公益事業部門は別として、経済の管制高地の国
    有化を控えてきた。多くの中小企業が存在していた一方で、ごく少数の大企業ファミリーが不釣
  合いに多量の生産手段を所有していた。(中略)一九七〇年代中頃から、スウェーデン雇用者連
  盟は(明らかにアメリカの雇用者団体を見習って)その構成員を増やし、巨額の活動資金を動か
  すようになった。そして、プロパガンダ活動を開始し、行きすぎた規制に反対し、経済の自由化、
   課税負担の軽減、行きすぎた福祉国家政策(彼らの見方によればそれこそが不景気の原因であっ
  た)を後退させることなどを訴えた。しかし、一九七六年、中道右派の保守党が、三〇年代以降
  初めて社会民主党に代わって政権に就いても、雇用者側の提案にもとづいて行動することができ
  なかった。(中略)
新自由主義への本格的転換が始まったのは、一九九一年に保守党政権が成立
  してからのことであるが、こうした方向性はすでに、経済停滞からの活路を見出すようますます
  強く迫られていた社会民主党の手で部分的には準備されていた。新自由主義的政策目標が社会民
  主党によって部分的にであれ実施に移されたことは、SNSの分析が説得力のあるものとして受
  け入れられたことを示唆している。(中略)
九九四年に社会民主党が政権を奪回しても、「
  全雇用や公正な所得分配よりも、財政赤字削減、インフレ抑制、均衡財政」といった新自由主義
  的プログラムの方が「マクロ経済政策の基軸になった」。年金や福祉給付の民営化は不可避だと
  認められた。ブライスはこのことを「経路依存性」の一例として解釈している。すなわち、何ら
  かの意思決定へと至るある特定の論理が、支配的な思想によって拍車をかけられ、他のいっさい
  の可能性を押し流しているのである。「埋め込まれた自由主義」は侵食された。だが、完全に解
  体されたわけではなかった。スウェーデン市民は、いまだ自国の福祉制度に強い愛着を抱いてい
  た。不平等は確かに広がったが、アメリカやイギリスで見られるほどではなかった。貧困水準は
  低いままだし、社会的給付の水準は高く維持されていた。スウェーデンの事態は「限定された新
  自由主義化」と呼びうるものであり、同国における種々の社会的指標がおおむね高い水準に維持
  されていることはその表われである。


                デヴィッド・ハーヴェイ 渡辺 治 監訳「第四章 不均等発展」 
                     (『新自由主義-その歴史的展開と現在 』より)

 

 以上、デヴィッド・ハーヴェイ世界地理的な不均等発展は、新自由主義の国内の発展力学と国外の諸力と
の複雑な相互作用、しかし、かってのようなあからさまな植民地主義(帝国主義)と異なり外国勢力が新
自由主義的再編を意のままに操っているのを目にすることもなく、軍事技術のステルス攻撃、遠隔操作型
無人飛行ロボット攻撃に喩えられるような隠微な攻撃に変化させながら、強力な国家、強固な市場、法的
諸機関の活動により新自由主義は機能を果たしている。しかし、その結果が予期したもの-
高付加価値産
業を引きつけるような堅実な社会的諸制度やインフラ整備だけでなく、投機熱も、証券投資を目的とした
資本をたやすく引き寄せてしまうというリスク-
不均等な新自由主義化の流れにあるが、社会的不平等の
拡大、緊縮政策の寒風や周辺化の進行というリスクにさらされ、それとは真逆な富や権力が資本主義の上
層部に集中させてきている。新自由主義理論の真髄の一つは、自立、自由、選択、権利などの聞こえのい
い言葉に満ちた善意の仮面を提供しつつ、各国の階級権力とグローバル資本主義の主要金融国の「回復と
再構築」の過程の悲
惨な現実を隠蔽し続けていると指摘しむすぶ。

※ 福祉国家再編分析におけるアイデア・利益・制度(二)制度変化の政治学的分析に向けて加藤雅俊
  
The Hokkaido Law Review, 62(2): 1-48、2011-07-27

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする