極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

錬光術と自由について

2013年02月14日 | 時事書評

 






                           オレンジとジャスミンとの香り満つ小春日和をしばし楽しむ 




小春日和で、レースのカーテンから暖かい陽射しか差し込んみ、ブラッドオレンジもジャスミ
ンも白くて
小さな花を咲かせてりる。粗末な庵でそれを楽しむために、数分間、手をとめ大き
く息をする。とても、贅沢な一瞬を久しぶりに詠んでみた。





  

 

【ランダムレーザーという錬光術】 

レーザーは優れた光源だ。励起エネルギーのかなりの割合を特定波長に落とし込んで発振するので
非常に輝度が高く、発振波長を非常に狭くでき測定精度が高い。空間的・時間的な干渉性が高くこ
れを利用した超精密測定に使っている。このため
倍率の高い光学顕微鏡は、非常に狭い領域の反射
光の拡大で視野が暗く明るい照明が必要とする。
光学顕微鏡の照明としてレーザーを使うには、ス
ペックルと呼ばれる散乱波の干渉効果が問題となる。
このため光学顕微鏡の光源としてレーザーを
使うと、観察者の方向に強めあう干渉が起こる部分だけが点状に明るくなり、表面の凹凸などの対
象物の明暗とは別にスペックル(斑点)の輝点ノイズが乗ってしまう。このため明るいレーザーを
照明を使う場合はスペックル抑制のフィルターを入れるが、入射光の位相をバラバラにずらし、干
渉性を落し輝度等が劣化する。

こうした光学顕微鏡の照明として使う際のレーザーの欠点を、ランダムレーザー用いて回避し、明
るいまま照明として使う技術がある。ここで、
ランダムレーザーとは、例えば特定波長を発する色
素の溶液中に、透明なビーズなどを多数混ぜ込んだランダム構造の発振-内部で発生した光は,ビ
ーズなどにより乱反射されながら媒質中を進んで誘導放出を引き起こす。通常のレーザーと異なり
レーザーが強まっていく経路は雑多に多数存在し,ぐねぐねと複雑かつ多数の経路を通って増幅さ
れた光は端面から多数の光線として放出されるというわけだ。辿る経路により経路長が違うので、
端面から出るときの位相はバラバラな様々な光の足しあわせのため干渉性が低い-ものすごく多数
のレーザーがバラバラに配置され、全部がてんでバラバラに光を出しているようなもの-特徴をも
つ。ランダムレーザーは電球のように広い方向に光を出す。



産業技術総合研究所で、酸化亜鉛粒子を用いた発振特性に優れたランダムレーザー素子を開発され

たという。液相中に分散させた原料粒子に比較的弱いパルスレーザー光を照射し、従来の化学的手
法ではできなかった結晶性金属や酸化物のサブマイクロメートル球状粒子を得る液中レーザー溶融
法を開発、この手法で酸化チタンのサブマイクロメートル球状粒子を作製し、湿式太陽電池の光の
有効利用-光散乱体の可能性を実証してきた経験を基に、
レーザー溶融法で得られた酸化亜鉛)粒
子の薄膜に光学的な欠陥粒子を導入し、発振特性に優れたランダムレーザーの動作機能を実証する。

このことにより、ランダムレーザーが、高度な材料合成・加工技術が求められる明確なキャビティ
ー(空洞)構造(対語:コア構造)を必要とせず、安価で容易に作製できるレーザー素子としてそ
の実用化競争が行われているが。今回開発したサブマイクロメートルサイズの酸化亜鉛球状粒子を
用いた小型ランダムレーザー素子では、(1)低価格で(2)単色性が要求される(3)小型光源
として、家庭用ヘルスモニター用分光装置、照明用素材、発光素子を要する電子デバイスなどへの
幅広い技術応用が期待されるという。まさに、これは現代の錬金術ならぬ、錬光術時代の到来-グ
ローカルな“ネオコンバーテック”の微塵サイズの精密加工時代の本格化を意味している。


※ 照度は、通常レーザー<ランダムレーザ<発光ダイオードの順となる。
※ 技術分類一例

 

 

 

「自由とは失うものが何もないということ」

Freedom's Just Another word for nathing left to lose
from “Me and Bobby Mcgee”

 

 

【自由とはこういうこと】


さて、 デヴィッド・ハーヴェイの『新自由主義』の第1章「自由とはこういうこと」を読み、例に
よって、要点だけをはしおって羅列掲載してみる。

   何らかの思考様式が支配的になるためには、われわれの住んでいるこの社会の中で実現可
  能性があると思わせるだけでなく、われわれの直感や本能、価値観や欲求に強く訴えるよ
  うな概念装置が提示されなければならない。それに成功すれば、この概念装置は常識の中
  に深く埋め込まれ、自明で疑いのないものになる。新自由主義思想の創始者たちは、人間
  の尊厳や個人的自由という政治理念を根本的なもの、「文明の中核的価値」であるとした。
  これは賢明な選択だった。というのも、それらは実際に抗いがたい魅力をもった理念だか
  らである。これらの価値を脅かしているのは、ファシズムや独裁や共産主義だけではない。
  個人の選択の自由を集団的意思に置きかえるあらゆる形態の国家介入もそうだ、と彼らは
  考えた。

                    -中 略-

  ブッシュ大統領は、イラクに対する先制的予防戦争を遂行する上で他のいっさいの理由に
  根拠がないことがわかった時、イラクに自由を与えることだけで戦争は十分に正当化され
  るという考えに訴えた。イラク人は自由になった、それだけが真に重要なのだと。だが、
  ここで想定されているような類の「自由」については、ずっと以前に文化批評家のマシュ
  ー・アーノルドが思慮深い言葉を残している-「自由はとても乗り心地のいい馬だが、そ
  れに乗ってどこに向かうのかが問題だ」。ならば、イラクの民衆は、武力によって与えら
  れた自由の馬に乗ってどこに向かうことを期待されているのだろうか? この問いに対す
  るブッシュ政権の回答は、二〇〇三年九月一九日にイラクの連合国暫定当局(CPA)の
  ポール・ブレマー代表が発表した四つの命令の中にはっきりと示されている。そこには以
  下の諸措置が含まれていた-「公共企業体の全面的民営化、イラク産業を外国企業が全面
  的に所有する権利、外国企業の利潤の本国送金を全面的に保護すること、イラクの銀行を
  外国の管理下に置くこと、内国民待遇を外国企業に開放すること、ほとんどすべての貿易
  障壁の撤廃」である。これらの命令は、公共サービス、メディア、製造業、サービス業、
  交通運輸、金融、建設など経済のすべての領域に適用された。石油だけが除外された(お
  そらく戦費を支払うための格好の歳入源として特別扱いを受けたこととその地政学的重要
  性が理由だろう)。他方で労働市場は厳格に統制された。重要産業部門でのストライキは
  事実上禁止され、団結権は制限された。きわめて逆進的な「均等税」(それはアメリカの
  保守派が長年実施を望んでいた大がかりな税制改革でもある)も課された。

                    -中 略-

  ブレマーが輪郭を与えた一連の諸措置は、新自由主義の理論によれば、富を創出する上で
  必要かつ十分なものであり、したがってまた大部分の人々の生活水準を向上させる上で必
  要かつ十分なものだった。新自由主義的思考の主な特徴は、個人の自由は市場と商取引の
  自由により保証されるという前提に立っていることである。この前提は他のすべての国に
  対するアメリカの姿勢を長年特徴づけるものだった。明らかにアメリカは、国内外の資本
  に有利な蓄積条件を促進することを基本任務とする国家機構を、イラクに対して力ずくで
  押しつけようとしたのである。私はこのような国家機構を新自由主義国家と呼ぶ。それが
  体現する自由は、私的所有者、ビジネス界、多国籍企業、金融資本の利益を反映している。
  要するにブレマーは、イラク人に、新自由主義の囲いの中に突進する自由の馬に乗るよう
  促したのである。

                    -中 略-

    第二次世界大戦後における国家体制や国際関係の再編で意図されていたのは、一九三〇
  の大恐慌下で資本主義的秩序を脅かした破滅的な状況が再び起きるのを防ぐことだった
  それはまた、戦争の原因となった国家間の地政学的対立が再び出現するのを防ぐことをも
  企図してい
。国内の平和と平穏を確保するために、労使間で何がしかの階級妥協が構築

  されなければならなかった。当時の考えは、ロバート・ダールとチャールズ・リンドブロ
  ムという二人の著名な社会科学者が一九五三年に出版し強い影響を与えた著作におそらく
  最もよく示されているだろう。粗野な資本主義と粗野な共産主義はともに失敗したと彼ら
  は論じた。進むべき唯一の道は、平和、寛容、福祉、安定性を確保するために、国家、市
  場、民主主義制度の連切な混合体を構築することである。国際的には、新しい世界秩序は、
  ブレトンウッズ協定を通じて構築され、国際連合、世界銀行、IMF、スイスのバーゼルに
  ある国際決済銀行(BIS)といったさまざまな機関が、国際関係の安定に寄与するために
  樹立された。商品の自由貿易は、固定価格で米ドルと金とを兌換することによって維持さ
  れた固定相場制のもとで推進された。固定相場制は自由な資本移動とは両立しない。それ
  は本来、統制を必要とする。だがドルが国際準備通貨として機能するかぎり、アメリカは
  ドルが国境を越えて自由に移動することを容認した。このシステムは、アメリカの軍事力
  の傘のもとにあった。ソヴィエト連邦と冷戦だけがこのシステムのグローバルな展開に限
  定を課した

                    -中 略-

  新自由主義者たちは、マルクス主義的伝統の近辺で研究をするオスカーニフングが提起し
  たような、中央集権的な国家計画制にはなおさら激しく反対した。彼らは、国家の決定が、
  労働組合や環境派や業者のロビー団体といった種々の利益集団の力によって政治的に歪め
  られる運命にあると論じた。投資や資本蓄積に関する国家の判断は必ず間違う運命にある。
  国家が人手可能な情報は、市場のシグナルに含まれている情報にとうてい太刀打ちできな
  いからである。この理論的枠組みは、すでに何人かの論者が指摘しているように、論理的
  に完全に整合しているわけではない。それが信奉する新古典派経済学の「科学的」厳密さ
  は、個人的自由という理念への政治的忠実さと容易に両立しないし、またそれは、あらゆ
  る国家権力に対して不信を抱いていると称しているが、私的所有、個人の自由、企業活動
  の自由を守るためには、必要とあらば強権を発動する強力な国家を必要としていることと
  もあいいれない。法のもとでは企業を個人と定義するという法的トリックは、個人という
  概念に歪みを持ち込むものであり、ニューヨーク市のロックフェラーセンターの石碑に刻
  み込まれたジョン・D・ロックフェラーの個人的信条-彼はそこに何よりも「個人の至上
  価値」と刻んだ-を皮肉なものにしている。そしてこれから見ていくように、新自由主義
  の立場には多くの矛盾があり、これらの矛盾は、一見純粋な新自由主義の教義と関係して
  いることがわからなくなるほど新自由主義の諸実践(独占権力や「市場の失敗」などの問
  題で)を変えてしまうほどである。だからわれわれは、新自由主義の理論と新自由主義化
  の現実との間にある緊張関係に細心の注意を払わなければならないのである。

                    -中 略-

  以上見たような新自由主義化と階級編成の歴史、そしてモンペルラン協会の思想を現代の
  支配的
思想として受容する動きの急速な広がりは、カール・ポランニーがモンペルラン協
  会の創設される
少し前の一九四四年に提示した対抗的な主張と照らし合わせると興味深い
  解釈が可能になる。ポ
ランニーはこう指摘している。複合社会では、自由の意味は、行動
  への動機がやむにやまれぬもの
であればあるほど、それだけ矛盾と緊張をはらんだものに
  なる。自由には二種類あり、一つは良いものでもう一つは悪いものだと彼は言う。後者に
  ついて彼は「仲間を食い物にする自由、コミュニティにふさわしい貢献をしないで法外な
  利益を得る自由、技術的発明を公共の利益に供しない自由、私益のために密かに画策され
  た公的な惨事から利益を得る自由」を挙げる。だが、ポランニーはこうも続ける。「こう
  した自由を繁栄させた市場経済は、われわれが大いに重んじる自由をもつくりだした。良
  心の自由、言論の自由、集会の自由、結社の自由、職業選択の自由がそうだ」。われわれ
  は「自由をそれ自体として大切にしている」―確かにわれわれの多くもいまだにそうして
  いる-、他方でそれはかなりの程度「悪い自由に責任があるのと同じ経済組織の副産物」
  なのである。この二重性に対するポランニーの回答は、新自由主義思想がヘゲモニーを有
  している現在の状況のもとではかなり異質である。

                    -中 略-

  ポランニーであればこう言うだろうが、新自由主義は「所得・余暇・安全を高める必要が
  ない」人々に権利と自由を与え、残りの者たちにはほんのわずかなものしか与えないのだ。
  では、この「残りの者たち」はどうしてこんな状況にかくもやすやすと黙従してきたのだ
  ろうか?


          
                             デヴィッド・ハーヴェイ 「第1章 自由とはこういうこと」
              (
『新自由主義-その歴史的展開と現在』 渡辺 治 監訳より)

 

ここでは、彼は第二次世界大戦後の政治社会構造の特徴を平易に分析してみせる。それはこうだ。
「一九七〇年代初頭に
膨大な数の規制改革を制定し(これらの法律に署名したのは共和党の大統領
リチャード・ニクソンであり、そ
の過程で彼は「われわれはみな今やケインズ主義者である」とさ
え言った」「結局は一九九〇年代に「ワシントン・コンセンサス」として知られるようになる新し
い正統性へと収斂していった。その時までには、クリントンもブレアも先のニクソン発言をあっさ
り引っ繰り返して簡潔にこう述べることができるような状況になっていたのである-「われわれは
みな今や新自由主義者である」。新自由主義が地理的に不均等な形で発展したこと、国家や社会構
成体の違いによってたいてい部分的ないし特定の側面に偏って適用されたことは、新自由主義的解
決策が確固たるものではなかったことを示している」と。それは冒頭の「何らかの思考様式が支配
的になるためには、われわれの住んでいるこの社会の中で実現可能性があると思わせるだけでなく、
われわれの直感や本能、価値観や欲求に強く訴えるよ
うな概念装置が提示されなければならない。
それに成功すれば、この概念装置は常識の中
に深く埋め込まれ、自明で疑いのないものになる」と
いう書き出しの反質がグローカルに現在進行する「新自由主義」へ投げかけ、この著書の目的であ
るイメージングさるわけだが、いましばらく歴史的展開を地理学的に考察してみる。
 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする