極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

エコな漁船の防水グッズ

2013年02月12日 | 環境工学システム論

 

 

【水中ウォークマン】

ソニーのウォークマンが水中使用できるという。家電製品は水に弱いという考え方があり驚きだ。
水泳の際に音楽が聞ける?ソニーは、ランニング時の使用感の向上に加え、様々なスポーツシー
ンでの用途拡大を目指し、防水性能、装着性能などを向上、水泳にも楽しめると唱っている。早速、
購入・試用してみよう(ウォークマン Wシリーズ『NWD-W273』)。ただし、発売は、
2月16日に発
売。値段は1万2千円程度と高いようで安いようで、要は試用してみて判断で待ち遠しい限りだ。

因みに、水深2mで30分間沈めることができ(JIS 防水保護等級 IPX8(浸水に対する保護等級))、
水深2メートルで30分沈めた状態で故障なしを確認。30
分間以上、泳ぎ続けるとだめになるかもし
れないが、普段は連続30分以上のトレーニングをやったことがないので大丈夫だろう?
それ以外に
液体(石鹸、シャンプー、海水など)がかかった場合は速やかに真水などで洗い流し、乾いたやわ
らかい布などで拭き取り乾燥、サウナ、お風呂での使用禁止ということだ。

  特開2010-283539 携帯型無線通信装置





めざましいデジタル家電・音響機器の進歩を眼にしているわけだがこのように身近に着用して、音
楽を機器ながらスポーツ・トレーニングを楽しめることをまさかこんな形体験できようとは考えて
いなかったから世の中面白いガラクタ?!が商品化されたものだ(手入れをまめにしないと行けな
いが)。プールサイドには人だかりができ女性たちの注目の的になるぞ ^^;。
下の図は、防水コンセント型延長コードも発売さているが、こちらは漏電遮断機内包応用機器で原
理的には簡単だけれど、シール性、堅牢性、信頼性の品質技術が伴わないと実現できない。やはり
日本でなければ設計出来ないのかも。


 

実登3142756 延長コード

 

 

 

【持続可能なイカ釣り船】

 
イカにとってこんな嫌みな天敵はいない。水中に明かりを灯し、プランクトンなどの食餌を集めて
は、魚類の蝟集・滞留を向上させ、疑似餌や網を使い一網打尽にされてしまうわけだ。ここで取り
上げる新規考案の1つは、集魚灯の光に工夫をこらし濃淡をパルス信号で発成照射し効率よく集魚
させるもの。もう1つは、白熱灯から発光ダイオード(LED)灯に換えて、魚種の視感度特性に
適したスペクトルで、発生した光エネルギーのうち、魚を誘引するために有効なエネルギーの比率
を高め、水中灯を点灯させ、従来型の4kWの白熱灯に比べ170kWと、同程度の魚群コントロール性
を実現(20分の1以下の省エネ)。漁業ライト点灯に必要な燃料が大幅に削減でき、数時間の漁業
であればバッテリーのみの点灯も可能となるというもの。それでも発光ダイオードは熱ロスが70%
で、ダイオードが集中すると発熱上昇が避けられないという問題を解決できるというもの。

 特開2012-016318 集魚装装置



でも、集魚灯の省エネ効率や捕獲効率が挙がるが、トータルで考えれば、漁業資源枯渇という課題
や、二酸化炭酸ガス排出量の増大への寄与はまだまだ。そこで手前味噌だが、そこでオール・ソー
ラ・システム(ASS事業計画)の出動ということになり、漁船動力は、バイオディーゼルか水素
及びHDM(メタンハイドレート)、バイオアルコール、バイオナフサを燃油とした、レシプロ、
タービン、燃料電池仕様の登場だ。静かな漁撈作業に、あの“舟歌”を行進曲風にアレンジしたB
GMが流れる
というわけだが、その漁場も魚群探知機が不要な大規模畜養プラットフォームがその
未来予想
だ。なにぃ~~~?生け簀の保護漁網ってか?そりゃ、アドホックでテレメトリーな保護
漁網でという
わけ ^^;。
 

akina nakamori "funauta"

 

 
【デジタル・ケイジアン宣言】

  未来の歴史家は、一九七八~ハ〇年を、世界の社会経済史における革命的な転換点とみな
  すかもしれない。一九七八年、郎小平は、世界人口の五分の一を占める国の共産党支配下
  の経済を自由化する最初の重大な一歩を踏み出した。郎小平が定めた路線のもと、中国は
  二〇年後には、閉鎖的な後背地から人類史上比類なき成長率を維持する資本主義的ダイナ
  ミズムの開放的中心地へと変貌を遂げた。太平洋の反対側では、まったく異なった状況の
  もとで、ポール・ボルカーという比較的無名の(しかし今では有名な)人物が一九七九年
  七月にアメリカの連邦準備制度理事会(FRB)の議長に就任し、ほんの数ヵ月の間に金
  融政策の劇的な変革を実行した。それ以来、同理事会は、たとえどんな結果が生じようと
  も(とくに失業に関して)、インフレとの闘いを率先して行なうことになった。大西洋の
  向こう側では、それより少し前の一九七九年五月に、労働組合の力の押さえ込みとこの10
  年開国を覆っていた悲惨なスタグフレーションの克服という使命を帯びたマーガレット・
  サッチャーが、イギリスの首相に就任した。そして一九八〇年には、愛想のよさとカリス
  マ性を兼ね備えたロナルド・レーガンがアメリカ大統領に選出された。彼は連邦準備制度
  理事会におけるボルカーの提案を支持するとともに、労働者の力の押さえ込み、工業・農
  業・鉱業の規制緩和、国内および世界全体における金融の力の自由化という独特の政策セ
  ットを実行して、アメリカ経済を再生の軌道に乗せた。


  こうしたいくつかの震源地から、われわれを取り巻く世界の姿を一変させるような革命的
  な衝撃が広がり、その轟音を鳴り響かせたのである。これだけの規模と深さをもった変革
  は偶然には生じない。それゆえ、いかなる方法と道筋によってこの新しい経済編成-それ
  はしばしば「グローバリゼーション」という用語で概括されている-が古い経済編成から
  引き出されてきたのかを問うのは適切であろう。ボルカー、レーガン、サッチャー、小
  平。彼らはみな、かなり以前から流布されていた少数意見をあえて採用し、それを(延々
  と続く闘争を避けることはできなかったとはいえ)多数派へと押し上げた。レーガンは、
  一九六〇年代初頭のバリー・ゴールドウォーターに由来する共和党少数派の伝統をよみが
  えらせた。小平は、日本、台湾、香港、シンガポール、韓国の富と権力の上昇の流れを
  目のあたりにして、中国国家の利益を守り増進させるために中央計画制度に代えて市場社
  会主義を動員しようとした。ボルカーとサッチャーはともに、それまでは相対的に目立た
  ない存在であった「新自由主義」という名で呼ばれる特殊な教義を引っ張り出してきて、
  経済思想や経済運営の中核的指導原理にした。そして、ここで私がまずもって関心を寄せ
  るものこそ、この教義-その起源、原因、含意-に他ならない。

  新自由主義とは何よりも、強力な私的所有権、自由市場、自由貿易を特徴とする制度的枠
  組みの範囲内で個々人の企業活動の自由とその能力とが無制約に発揮されることによって
  人類の富と福利が最も増大する、と主張する政治経済的実践の理論である。国家の役割は、
  こうした実践にふさわしい制度的枠組みを創出し維持することである。たとえば国家は、
  通貨の品質と信頼性を守らなければならない。
また国家は、私的所有権を保護し、市場の
  適正な働きを、必要とあらば実力を用いてでも保障するために、軍事的、防衛的、警察的、
  法的な仕組みや機能をつくりあげなければならない。さらに市場が存在しない場合には(
  たとえば、土地、水、教育、医療、社会保障、環境汚染といった領域)、市場そのものを
  創出しなければならない-必要とあらば国家の行為によってでも。だが国家はこうした任
  務以上のことをしてはならない。

  市場への国家の介入は、いったん市場が創り出されれば、最低限に保たれなければならな
  い。なぜなら、この理論によれば、国家は市場の送るシグナル(価格)を事前に予測しう
  るほどの情報を得ることはできないからであり、また強力な利益集団が、とりわけ民主主
  義のもとでは、自分たちの利益のために国家介入を歪め偏向させるのは避けられないから
  である。
1970年代以降、政治および経済の実践と思想の両方において新自由主義へのはっ
  きりとした転換がいたるところで生じた。社会福祉の多くの領域からの国家の撤退、規制
  緩和、民営化といった現象があまりにも一般的なものになった。ソ連崩壊後に新たに生ま
  れた国々から、ニュージーランドやスウェーデンのような古いタイプの社会民主主義的福
  祉国家にいたるまで、ほぼすべての国家が、時に自発的に、時に強制的な圧力に応える形
  で、何らかの新自由主義理論を受け入れるか、少なくとも政策や実践の上でそれに適応し
  ている。アパルトヘイト体制崩壊後の南アフリカ共和国はまたたくまに新自由主義を受け
  入れ、今日の中国でさえも、後で見るように、この方向に向かって突き進んでいる。

  そのうえ、今や新自由主義路線の唱道者たちが、教育の場で(大学や多くの「シンクタン
  ク」)、メディアで、企業の役員室や金融機関で、国家の重要諸機関(財務省や中央銀行)
  の中で、世界の金融や貿易を規制する国際通貨基金(IMF)や世界銀行[賢覧頴」や世
  界貿易機構(WTO)といった国際機関の中で、かなりの影響力をもつ立場を占めるにい
  たっている。要するに新自由主義は言説様式として支配的なものとなったのである。それ
  は、われわれの多くが世界を解釈し生活し理解する常識に一体化してしまうほど、思考様
  式に深く浸透している。

  しかしながら、新自由主義化のプロセスは多くの「創造的破壊」を引き起こす。旧来の制
  度的枠組みや諸権力に対してだけでなく(それは国家主権の伝統的形式にさえ挑戦してい
  る)、分業や社会関係、福祉制度、技術構成、ライフスタイルや思考様式、性と生殖に関
  する諸行為、土地への帰属意識、心的習慣に対してもである。新自由主義は、市場での交
  換を「それ自体が倫理であり、人々のすべての行動を導く能力をもち、これまで抱かれて
  いたすべての倫理的信念に置きかわる」ものと評価し、市場における契約関係の重要性を
  強調する。それは、市場取引の範囲と頻度を最大化することで社会財は最大化されるとい
  う考え方であり、人々のすべての行動を市場の領域に導こうとする。

  これは情報創造のための技術を必要とするし、グローバル市場の中で決定の指針になる膨
  大なデータベースを蓄積、保存、移動、分析、処理するための能力を必要とする。それゆ
  え新自由主義は情報技術に強い関心を寄せ、その動向を熱心に追おうとする(ここから新
  種の「情報社会」の到来を宣言する者も出てくる)。
こうした技術は、ますます頻繁で濃
  厚になる市場取引を時間と空間の両方において圧縮した。これらは、私が別の機会に「時
  間と空間の圧縮」と命名したものをとりわけ加速させた。地理的範囲が広がれば広がるほ
  どよいし(だから「グローバリゼーション」が注目される)、市場の契約期間は短くなれ
  ばなるほどよい。この後者の追求は、フランスの哲学者リオタールがポストモダンの条件
  の一つとして提示した有名な叙述とパラレルな関係にある。すなわち、「一時的な契約関
  係」が「政治諸関係はもとより、仕事、感情、性、文化、家族、国際領域における恒久的
  な諸制度」に取って代わることがそれである。

 
             デヴィット・ ハーヴェイ著 『新自由主義』(「序文」より)



そして、ハーヴェイは序文をこうむすぶ。「今日、グローバルな転換やその影響について概説した
多くの文献を入手することができる。その一方で総じて欠落しているのは-そしてこの隙間を埋め
るのが本書の目的である-新自由主義化がどこから生じたのか、それがどのようにしてかくも徹底
的に世界中に広がり増殖したのか、このことに関する政治経済史である。この歴史に対して批判的
に取り組むことが、ひいては政治的・経済的なオルタナティブを明らかにしそれを構築する上での
枠組みを提示することにもなるだろう」と。そして、奇しくも、ここから新種の「情報社会」の到
来を宣言する者も出てくる
という指摘の箇所を、ここで「新自由主義」ではなく、変わりに、わた
し(たち)中間経済(混合経済・福祉経済・幸福の方程式解析)
主義者が「デジタル革命」として宣
言し、「デジタル・ケイジアン」を宣言する過程にあるのだと、修正加筆しているのだがこの先う
まく問題提起できるか不安もあるもののめくら蛇に怖じずを知りつつ、胃を痛めてものなお、吉本
隆明のいうところの『すべてを引き受ける思想』を実践するという不可抗な「初代運」の宿命を背
負いなすと ^^;。


 

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