【オリーブの収穫見学】
彼女の昨夜の宿題をこなすことに。上図の通りフェリーのアクセスは神戸方面からは、神戸、姫路、
岡山、新岡山の4つのルートあるのだが、神戸港からは3時間の船旅となりこれはきついし、ひな
せ港は大部港が北部で車に不安だし、船便が5本と少ないのということで、福田港(姫路)がベタ
ーとなったが、彼女のリクエストで乗船前に、生野神社近くのイタリアンレストランで食事を済ま
せておきたいというたっての頼みでブッキングする。いまはストリートビュー機能がついているの
で便利だから、カーナビも三次元自在(パノラマ映像)表示されるるだろうと思いながら、宿泊所
と、大まかの観光ルートを決めておくことにした。観光コースにはじめに念頭に入れたいなかった
のだが、小西行長の計らいで高山右近が隠れ住んでいたことを思い出し検索すると、小綺麗な教会
を見つけ、偶然とはいえ思わず鳥肌がたってしまった。先祖がこんな苦難までして信仰の道に身を
投じたことにたしてではない。1615年2月4日に彼はマニラで没したが、ことしで同い年となる。も
っとも、直系子孫とする証はないが、現在、石川県羽咋郡志賀町代田、福井県福井市、大分県大分
市に直系子孫が残っているということだが、昨年ルーツを訪ねる旅を終了宣言したばかりだし、一
瞬、訪れるのはやめようと思ったものの自然体で立ち寄ることにした。
旅の目的は、オリーブの実の収穫風景を観光したということだった。圧搾作業は10月下旬から11月
かけて行われるというのだが、収穫と搾油作業の体験もできるということだが、そこまではしない
という返事だ。ところで、ブログでもつい最近『オリーブ賛歌』の紹介した「オリーブの木の下で」
をアップしたばりのオリーブオイル好きだ。ところでそもそも、日本で最初にオリーブの栽培に成
功した小豆島町は、約1世紀前に遡り。明治41年(1908年)、当時の農商務省が三重・香川(小豆島)・
鹿児島の3県を指定し、アメリカから輸入した苗木で試作したのがはじまりだという。3県とも成
長はしましたものの、三重・鹿児島は実の成長が悪く途中で断念、小豆島町の西村地区に植えたオ
リーブだけが順調に成育し大正初めには搾油ができたものの、日本だけ生息するオリーブアナアキ
ゾウムシの被害が大きく試行錯誤の連続だったとか。
その後、民間の農家も栽培するようになり、島内の栽培面積は昭和初期まで10ヘクタール程度で伸
び悩んでいたが、昭和16年の第二次世界大戦勃発から油脂が不足するようになり価格が暴騰。昭和
24~28年頃にはオイル1kg当たり2,400円までとなった。昭和31年には72ヘクタール、昭和39年には
130ヘクタールまで栽培面積が拡大。昭和29年には香川県の県花に指定される。ところが、昭和34年
に農産物輸入自由化でスペイン等から安価なオリーブ製品が輸入されるようになると一転して栽培
面積が減少し、昭和60年代前半には34ヘクタールまで減少しました。この間の昭和42年には県木に
も指定されている。
1908年 西村地区にてオリーブの栽培が開始される。
1934年 寒霞渓(神懸山)が日本初の国立公園(瀬戸内海国立公園)に指定される。
1957年 小豆郡大部村が土庄町に編入。これより小豆島は土庄町、池田町、内海町の3町体制となる。
1989年 ギリシャミロス島と姉妹島提携を結ぶ。
2006年 池田町、内海町が合併。小豆島町となり、小豆島は2町体制となる。
近年になり、消費者の健康志向やオリーブの持つ平和の象徴などのイメージからオリーブ関連商品
の人気が高まり、小豆島のオリーブ製品も国産志向も相まって需要が増え、栽培面積は百ヘクター
ル以上まで回復する。今日ではオリーブオイルだけでなく、オリーブの実を使った塩蔵や化粧品、
オリーブの木を使ったクラフト、苗木など様々な用途に利用されている。四国新聞によると(上図)
小豆島でオリーブ栽培の規模が拡大している。2010年度の栽培面積は、ピークだった1964年度(106
ヘクタール)を上回って過去最大の110ヘクタールに達し、本年度はさらに増える見通し。健康志向
の高まりに伴うオリーブ製品の需要拡大に加え、インターネットを利用した販路の広がりが企業の
参入や個人の新規就農を後押ししているようだと分析している。
現在は小豆島、土庄両町の10社が参入。うち半数近くが地元の醤油メーカー。ヤマヒサ(小豆島町)
では制度を利用して農園を3.2ヘクタールに拡大、オリーブ茶などの製品を手掛ける。同社の植松
勝太郎社長「オリーブは他の地域に誇れる特産品。制度を機に、事業の幅を広げようと考えた」と
話す。各社とも独自の販路を持っており、商品展開しやすいこともプラスに作用した。活性化の原
動力は企業にとどまらない。耕作放棄地を活用し、個人が新規就農する動きも目立つ。そうした個
人生産者にとって、ネット販売は武器の一つ。反面、活況を呈するオリーブ栽培だが、島の人口が
減り続ける中、課題は少なくないとか。小豆島町の担当者は「これまでは栽培面積を増やす施策を
進めてきた。今後は安定生産に向けた栽培、管理技術の向上に努めたい」という。九州の各県で産
地化の動きが進められており、将来の競争の激化が予想されるだけに「オリーブ栽培日本一」のブ
ランドを守り、育てる取り組みはこれからが正念場だと釘をさしている。
ところで、井上誠耕園で、伊予柑オリーブオイルというものがあるというからびっくり。昭和15年
よりみかんを昭和21年からオリーブを育て始め、みかんは温州、はっさく、ぽんかん、いよかん、
スイートスプリングなど全部で14種類の柑橘を産出。未成熟の果実を間引く「摘果」というみかん
栽培特有の作業-夏から秋にかけて3度行うが、摘果した果実は土に還元していたが、黄色くて成
熟したみかんに比べて美容と健康の成分-リモネン、ヘスペリジン(ビタミンP誘導体)、β-クリ
プトキサンチン、フラボノイド-が豊富に含まれ、ポリフェノールの一種であるフラボノイドは余
分な皮脂を除去し、保湿効果があるが中でも、特に伊予柑の摘果果実には美容効果が期待できるヘ
スペリジンが多く含まれているもの耐久性が悪く、オリーブと一緒に搾ってみたところ、みかんに
含まれる成分が、オリーブオイルに溶け込み、オイルの含有成分が肌に浸透することで問題が解決
したという。そして、地域資源の有効活用事例として国の「地域資源認定」を受ける。これって、
地味だが本当にすごいね。
特開2009-029989
【符号の説明】 3 粉砕具 4 攪拌器 6 デカンター
そんなことをネットで下調べしていたらもうミッドナイトというわけで、オーリブや、嗚呼オリー
ブや、オリーブや。と、これは面白い旅になりそうだ。
医食同源を事典化する作業のなかで、これはなるほどと思われる言葉にであった。「食べる薬」。
といっても、いままで自分だけが知らなかったわけだけれど。いろいろ蘊蓄や講釈をたれてもこの
短い言葉で表現できている。いや。これはまいった。ところで、サプリメントや健康食品ブームは
通販の夥しい数を見ている収まっていないようだが、そろそろこのブームも本物志向に向かうとい
うことは自然な流れだろうと思っている。本物志向とは落ち着いた商品選択行動ということになる
が、要するに、医食同源は食事を通して、予防医療を実践する疫学的な運動という側面を持ってい
る。いや、それこそが本命なのかもしれないが、公衆栄養衛生学の進歩によりいろいろなことが科
学的に検証されだしていて、例示するのに遑かないほどだ。
そのなかでも、日本食(日食、和食、日本料理)の世界的な人気は群を抜いている。なぜなら、ワ
インのポリフェノールが良いのだとフランス人が言っ見せても、フランス人の平均寿命は日本人よ
り短いのだから、これは少々荒っぽい言い分だけれど、日本酒の悪い点を論っても、それで?!と
いうことになる。今夜は時間がないので改めるが、日本では平均寿命より健康寿命が重視されてい
て、医療は自由に享受できるが、健康でその必要がない寿命を限りなく平均寿命に漸近させること
が喫緊の課題となっている。さて、そのなかでもお米を主食材とした料理、イタリア地方ではリゾ
ットとなるが、粥に出し汁をいれ、具材(副食材)を融け込ます?暖かい煮物料理というのが、医
食同源の、食べる薬のその代表例だと思えてきた。前述の、伊予柑オリーブオイルのように食事の
直前で加工し戴くという所作、文化に改めて感心した次第。なにも、高価な食材は要らない。余り
物で充分で、いろいろな具材、食材を入れ煮詰めるというもの。これを簡単なレシピ本にしたてて
世界に売り出す。そして、世界の人たちの支持が得られれば、それをパケージ化して世界にお裾分
けするのだ。言っておくが、肝は、お米。それといろいろな、期待される薬効をもつ具材。食材を
煮詰めたスープ。、井上農園のように、捨てる食材は、すべて具材として利用するという精神で戴
くのだと。また「芋茎」という食材がある。「いもの葉に置く白露のたまらぬはこれや随喜の涙な
るらん」(夢窓疎石)などと詠われているが、これなどは、サトイモ、ハスイモの葉柄なのだが、
芋の茎などもその類で、いまでは、食べるものがなくて食べるのなく、予防医療という側面から積
極的に戴くという態度に変わってきている。「もったいない」という言葉に収斂されるけれど、こ
れなども積極的考え直し、レシピ本にすればヒットしそうだ。
今年の夏の節電はうまくいったと胸を撫で下ろすと同時に、まだまだ濡れ雑巾は絞れるぞというこ
とと、電力会社の言い分はつまるところ、運転しないと赤字になるという表面的な焦りからの言動
だったことをあからさまにしたということだろう。これが今回の原発再稼働騒動の顛末として、記
憶に留めておこう。