日々の出来事 6月14日 炭鉱爆発
今日は、北海道夕張炭鉱で爆発事故が起こった日です。(1920年6月14日)
夕張炭鉱は、1889年、北海道炭礦汽船によって開発され、優良な鉄鋼コークス用原料炭を産出し、1960年代が最盛期でしたが、1970年代以降には安価な海外炭の普及により競争力を失い閉山に追いやられました。
この炭鉱は開山当時から、ガス爆発事故が続出しました。
この事故の内、最大の犠牲者数209人を出したのが、1920年6月14日の北上坑の爆発事故です。
また、爆発事故以外にも多数の一酸化炭素中毒患者を出し、特に、第二次世界大戦以前の過酷な環境下で発生した事故の記録は散逸・風化しており、詳細な事故の状況や死者数は把握できない状態です。
1990年炭鉱閉山、その後、夕張市は農業と観光の町に生まれ変わろうとして失敗、2007年深刻な財政難から、財政再建団体となりました。
旧北炭夕張炭鉱採炭現場坑道入口
☆今日の壺々話
炭鉱跡
小5の時、よく学校終わってから友達4人で、近所の炭鉱跡の山で遊んでた。
山の中腹の側面にデッカイ穴が開いてて、覗くと深さは5メートルくらいだった。
ある日、穴に入ってみようってなって、ロープとライトを持って山に行った。
俺が一番に穴に入ることになった。
ロープを木に結んでロープを掴んで降りてたら、何かに脚を掴まれた気がして、ビックリして足を滑らせて底に落ちてしまった。
俺は全身擦り傷、左足捻挫、右腕はパックリと8センチ程切れ、血まみれだった。
両方の掌は、落ちる時ロープを握っていたから、ヒドイ擦過傷で火傷みたいに痛かった。
パニクりながらライトを点けると横穴があって、奥で何かがゆらゆらと揺れていた。
「大丈夫か?」と聴く友達。
俺は強がって、「大丈夫!早くみんな降りて来いよ」と言う。
その声は激痛と恐怖で震えていた。
本当は叫びたかったが、友達が逃げだして穴の中に取り残されるかもと思ったから、必死に我慢した。
「お前、顔血だらけやんか!早く上がって来い!」と、誰も降りて来ない。
「OK!上がる。でも頼むから、俺をずっと見とってくれ。何処にも行かんでくれ!」と半泣きな俺。
友達3人は、交代しながら俺を見ていてくれた。
もうロープを握る事が出来ない俺は、底にある岩を血まみれの手で階段状に積み上げていった。
1メートル程積み上げたところで、日が暮れだした。
積み上げは止めて、必死で這い上がった。
やっと友達の顔が近くに見えたとき、俺は安堵感からか、激痛と疲労で動けなくなった。
何やってんだと、友達3人が俺の腕を引っ張り上げてくれ、もう少しで出れると思ったとき、「うわぁああ!」と2人が叫んで走って逃げて行った。
また落ちそうになったが、1人だけ俺を引っ張り出してくれた。
「ありがとな」とその子を見ると、その子は俺の後を目を見開いて見ていた。
俺は怖くて振り向くことが出来なかった。
その子に肩を借りて急いで山を降りた。
何を見たのか聴くと、「血まみれのおっさん、もうおらん。」と言った。
家に帰ると、もう19時過ぎていた。
血だらけの俺を見て、両親が何処で何をしてたかと聴くので、全て話すと、母が俺を外に出し、全身に塩をかけまくった。
傷に塩が滲みて地獄だった。
昔、その炭鉱では事故で何人もの死者が出たと、母から聞いた。
鉱山
おじいちゃんは財閥系の鉱山で働いていた。
事故死が多く、週に一度は人死にが出ていた。
役付きだったおじいちゃんは、鉱夫の暮らす長屋の一番端の部屋で弔辞を読まなければならない。
それが辛くて仕方なかったそうだ。
落盤があっても、二次災害の恐れも高く救助は殆ど行われない。
即死の場合は良いんだけど、入り口だけ崩れて中で存命な時もある。
そんな時は、空気穴のパイプを伝って、中の人が助けを求めてパイプを叩く、カンカン…カンカン…という音が何日も聞こえていたそうだ。
その鉱山にまつわる怪談話多いが、世に余り知られてないまま消えているらしい。
鉱山では落盤などで人が死ぬと、遺体をそのまま地上に引き揚げない。
遺体をタンカに載せて運び出す前に、必ず二度遺体に向かって語りかけるように声をかける。
「今から○○○○を家に帰すぞ、○○○○を家に帰すぞー」
坑道には幾つかの分岐があり、分岐には名称がついている。
そこで運搬を止めて休憩するときも、
「○○○○に着いたぞ、○○○○に着いたぞー」と二度呼びする。
こうして休みが終わると、
「また上に向かうぞ、上に向かうぞー」と二度呼びする。
こうしておかないと魂がそこに止まり、幽霊となってワザをするという。
必ず一声ではダメで、魂に聞こえるように二度言うのだ。
炭鉱
北海道の炭鉱での話だ。
その昔炭鉱で栄えた町で相当の人数が住んでいたそうだが、俺が友達と馬鹿なキャンプに行った時は既に廃墟だった。
言いだしっぺはSで、俺は嫌だといったが、強がりで絶対に引かないTの性格が災いして、3人でその廃墟に一泊のキャンプに行くことになった。
自転車で2,3時間はゆうにかかる距離だった。
なぜ俺が嫌だと言ったかというと、親父と車で一度行ったことがあったから。
特にお化けがどうたらとかいう話を聞いたわけではないが、あまりいい気持ちがしなかったのと、その日に金縛りにあっていた記憶があり、気乗りがしなかった。
ま、それはともかく、夏休みのちょっとしたお遊びのはずたった。
現地に着いたのはまだ2時ころだったと思う。
団地やら平屋の共同住宅やらがたくさんあった。
割れている窓ガラスもあったが、まだまだ使えそうな家もたくさんあった。
石を投げて窓ガラスを割って遊んだり、家を探検して遊んでいた。
廃墟になって数十年たっていたと思うが、まだまだ生活感が感じとれた。
障子にカレンダーが貼ってあったり、レトロなポスターが貼ってあったり。
町だったのか村だったのか知らんが、自転車で少し町はずれと思われるところに行った時、なんとも妙な建造物を発見した。
一見祠のようだが、神社のミニチュアのようでもあって、鳥居みたいのがあって、でも横が3本なので鳥居ではなかった。
何かを祭ってあるのか、開き戸が正面にあった。
大きさは箪笥くらい。
今思えばよせばいいのに、Sが面白そうだと言って扉を開けようとした。
特にお札とかが貼ってあったわけでもないし。
簡単には開かずガシャガシャやってやっと開いた。
中はまわりが紙垂のようなもので飾られていたが、決して白くはなく、たぶん赤色が経年劣化したようなどす黒い変な色だった。
で、何が妙だったかというと、その奥に貼られている紙に書かれている文字だった。
当時その存在を知らなかったので何だコレくらいにしか思わなかったが、今ならたぶんハングル文字だと思う。
その前に小さな引き出しだか箱みたいなのが幾つかあって、その前に石ころが置いてあった。
開けた瞬間なぜだか、たぶん3人ともぞわぞわっとしたんだと思う。
俺はそうだった。
しばらく沈黙が流れて、Sは戸を閉めた。
いや、閉めようと思ったのだが、左の扉が朽ちていたのか、ぽろっと落ちてしまった。
廃墟だし別にほっといていいのだが、Sはあわてて拾ってたてかけ、元に戻したふりみたいな感じでその場を去り、廃墟の住宅街に戻った。
とりあえず自転車を止めて一息つき、俺が「なんかすんげぇ怖くて後ろを振り返れなかった」と言うと、二人も同じだった。
怖いというより、気持ち悪いと言った方が近いか、要はそんな嫌な気持ちだった。
気を取り直して、その後も探検を続けて楽しんだ。
野イチゴもあってすっぱかったがうまかった。
唯一のいい思い出。
最初は楽しかった探検も、だんだんと日が暮れてくるとなんだか怖くなってきた。
さっきの事もあったし。
風と虫の鳴き声以外は静寂そのものだった。
最初はテントに泊まる予定だったが、ある住宅の2階で比較的綺麗な和室があって、テントよりこっちの方が良くねってことになった。
テント張るのも面倒だったし、和室の畳で寝られる方が良さそうでしょって感じ。
キャンプと言ってもそんなたいそうな支度もしてなかったし、夕食は簡単にパンと牛乳みたいな感じですぐに終わった。
懐中電灯とランタンの灯りでトランプで遊んだりしていたが、夜も真っ暗になると無条件に恐怖に包まれた。
俺は「今ならまだ11時には帰れるからもう帰ろう」と言ったが、ここでもTの性格が災いして却下。
9時近かったと思う。
Sが「うんこしてぇ」と言い出した。
昼間の記憶だと汚い和式のぼっとん便所。
「仕方ねぇなぁ」と言いながらSは便所へ行った。
便所は玄関の横にあって、俺たちの和室からは一部屋先。
すぐそこといえばすぐそこなのだが、とてつもなく遠くに感じ、俺は絶対に便所は行かないぞと思った。
その時、「ぐぅわぁぁぁぁぁっ」と悲鳴をあげながらバタバタバタバタとSが戻ってきた。
俺とTはSの悲鳴を聞いて驚き、「うわぁぁぁぁ」と悲鳴をあげた。
Sのズボンはまだ半分下げたまま。
顔はランタンの灯りでも真っ青で、めちゃブルブル震えていた。
まともに喋れる状態でなかったが、何があったかというと話はこうだ。
便所に入ってズボンを脱いでしゃがもうとしたとき、便所の小窓から男がこっちを睨んでいたと言う。
半開きの窓の隙間から月明りではっきり見えたという。
でもって何の根拠かしらないが、「お化けとかじゃなく、あれは生きた人間の顔だ」とブルブル震えながら話した。
Tが「馬鹿野郎ここは2階だぞっ」と言った時の、Sの顔は忘れられない。
俺は「やっぱり帰ろう」と言った。
ここは山奥の炭鉱町廃墟だ。
帰るにしたって相当怖い山道を通らなきゃ帰れない訳だが、こんなところで一晩過ごすよりはよほどましだと思った。
こんなところにキャンプに来たことを心底後悔した。
とにかくかあちゃんやとうちゃんのいる所へ帰りたかった。
その時だった。
ドンドン、ドンドン。
玄関を叩く音がはっきりと聞こえた。
3人とも聞いた。
Sが戸を開けっぱなしできたので、わずかに玄関が見える。
これも根拠はないが、生きている人間がげんこつでドンドンしているような音だった。
俺たちは3人で手を握り合った。
全員まさにガクブル状態。
俺は膝がガクガクして止まらなかった。
この後何も起こるなと念じたが、少しの間をおいてまたドンドン、ドンドン。
心臓が爆発寸前だった。
小声で話し合った。
T「もしかしたら本当に誰か来たのかもしれない、出てみようか?」
俺「馬鹿野郎、人間だったらノックと一緒に声をかけてくるはずだ。」
S「ガクガクブルブル。」
その後ドンドンは途絶えた。
が、俺たちのガクブルは収まらなかった。
3人で寄り添っていたわけだが、ふとSに異変が起きているのに気付いた。
便所の時からの震え方がどうみても尋常じゃなくなっている。痙攣みたいな感じ。
おまけに何かを話そうとしている風なのだが、「・・・・ヒッ・・・・ヒッ・・・・ヒャッ」って感じ。
「S、なにやってんだよ、落ち着け、気持ち悪い声出すなよ」とTが小声で怒った。
もうわけわからん状態で、こっちまで気が狂うんじゃないかと思った。
Tだけが頼りだったけど泣きそうな顔してた。
時間は10時を過ぎていたが、俺たちはどうにかしてここを飛び出して自転車で帰る事を画策していた。
荷物はテントくらいだが、それは自転車に括り付けたまま。
外にさえ出られたら自転車ダッシュでとにかくここを離れよう、そんな計画をしていた時だった。
今度は何やら大人数が歩いているような音が、ざっざっと聞こえてきた。
というか、最初は小さい音だったので無視していたのだけど、徐々に大きくなってきていて聞き流すことができなくなった。
話し声らしきものも聞こえた気がしたが、日本語とは思えない理解のできない声だったし、まだ遠くのような気もした。
良く考えると足音かどうかも知れないのだが、こういう時は本能的にそう感じるものなか。
いずれにせよ、まだあやふやで断定はできないというかしたくない状況だったので、俺たちはそれが近づいてくる前に脱出することにした。
Sはまだ「ヒャッ、ヒャッ」状態。
「Sっ、いいか、これから帰るぞ。自転車で一気に行くからな、しっかりしろよ」
二人でSを両脇で抱きかかえるように和室を後にして、玄関の前に来た。
俺たちは恐怖から逃れるために思考を停止させ、とにかく一気にいくぞ作戦だった。
「いいか、3人でドアを開けてとにかく一気だ.」
「せーの.」でドアを開けるのだが、北海道というのは雪が積もるのでドアは基本引き戸。
それで、小声で「せーの」で戸を開けて一気に突っ走る予定だったのだが、もろくもその算段は崩れ去った。
戸を開けたその先には、恐ろしい形相の男が仁王立ちで俺たちを睨んでいたんだ。
俺たちは後ろにのけ反るようにしりもちをついた。
というか、たぶんぶっ飛んでいたと思う。
で、なんでかわからんのだが、俺は土下座して「すみません、すみません」を連呼していた。
途中からもTも加わっていたが、Sは声も聞こえないし、実際どんなだったのかは覚えていない。
とにかく「すみません、すみません」を連呼していたのだが、ふと気配が消えた気がして、恐る恐る顔を少し上げたところ、男はもう見えなかった。
でかい声を出したせいか、少し恐怖心は吹っ飛んだ気がした。
俺とTは顔を見合わせて、Sを両脇で抱え上げてとにかく階段を降りた。
一気に行きたかったけど、Sがそんな調子だし、廃墟の階段だし、降りるのがなんとも危険でまどろっこしかったのを覚えている。
道路はほぼ一本道で左が昼間の祠へ続く道、右が俺たちの町へ帰る道だった。
ざっざっという音は左から聞こえてきていたと思う。
唯一月明りが恐怖心をほんの少しだけ和らげてくれたが、見たくないものが見えそうな気もした。
その時また異変が起きた。
さっきまでのSがすっかり気を取り戻して、目が気味が悪いくらいに爛々と輝いているんだよ。
「カエサン!」
確かにそう言って、一瞬物凄い形相になった。
そして再び口を開いて何かを言おうした瞬間、Tがおもいっきりビンタを一発くらわした。
続きざまに、横にいた俺は思いっきりSの背中を叩いた。
何が起きていたかは俺もTも理解できていたんだと思う。
今思えばすごいコンビネーションプレーだった。
ビンタが効いたのか背中をドンが効いたのか、Sの顔が元の泣き顔に戻ったのを見た俺らは、いちもくさんに自転車をこいだ。
Tが「ナーミョンホーレンゲッキョー」を大声で唱えだした。
俺んちは「ナムアミダブツ」だと思ったが、ここは合わせたほうが良いと思い、大声で「ナーミョンホーレンゲッキョー」を繰り返しながらとにかく漕いだ。
途中から少し余裕が出てきて学校の校歌に変わったが、とにかく大声で歌いながらひたすらに自転車を漕いだ。
絶対に後ろは振り返らなかった。
炭鉱の山あいを抜けるまで、止まるのが怖くて1時間はノンストップだったと思う。
道路たって砂利道。
それなりに脚色すればこの1時間だって超怖かった。
途中Tは「やめろー引っ張るなー」って叫んでいたし、夜中の山道ってだけで十分怖い。
とにかく初めて外灯が見えた時は涙がでるほど嬉しかった。
0時近くなっていたと思うが、何かの小さな駐車場みたいなのがあって、そこにわずかに外灯が灯っていた。
電気だ電気だって感じ。
俺たちはいったんそこに自転車を止めて、しばらくの間ゼエゼエハアハア息を整えた。
携帯電話があれば家に電話するところだけど、そんな時代じゃなかった。
あったとしても絶対電波が届かないような所だった。
Sは泣きそうな顔をしていたが、とりあえずノーマルに戻っていた。
色々選択肢はあったけど、俺たちはそこにテントを張って一夜を過ごした。
電気が何よりもの守り神に思えた。
その後は何も起きなかった。
というか俺はすぐに眠ってしまった。
相当疲れていたんだと思う。
朝,目が覚めると、SとTはまだぐっすり寝ていた。
外に出て朝日を見た時、昨夜のことが一体何だったんだろうと、まるで夢のような出来事に思えた。
今思えば、実際夢か何かだったのかと思う。
中学を卒業して、SにもTにも会っていない。
俺は北海道を出て、今神奈川に住んでいる。
それは、あまり思い出したくない経験だった。
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