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ゆるキャン△の聖地を行く6 その4  早川の赤沢宿へ

2019年05月05日 | ゆるキャン△

 丸一食堂での昼食を終えて外に出ました。少し時間があったので、近くの湯之奥金山博物館へ行ってみようと思いつきました。今まで訪れたことが無かったからです。

 

 早速、下部川に架かる歩道橋を渡って行きましたが、なんとこの日は休館日でした。次の機会にしよう、と考えて駅前広場駐車場に停めておいたレンタカーに戻りました。

 

 下部温泉から波高島の横を通り、富山橋をわたって上沢の交差点で真っ直ぐ行って県道37号線に進みました。早川沿いの快走路をしばらく進み、角瀬の辻で左折して林道に入り、上図のような山の中の曲がりくねった道を10分ほど登りました。このルートはずっと坂道だったので、今回のレンタカーがいつもの軽ではなくて普通車であったのが幸いしました。

 

 山林を抜けてパッと視界が開けたかと思うと、まもなく道の右手に上図の案内板が見えてきました。横でいったん車を停め、国指定の重要伝統的建造物群保存地区の一つとして知られる、早川の赤沢地区であることを確認しました。

 

 案内板の横からは、重要伝統的建造物群保存地区の下の範囲が見渡せました。上図の範囲で保存地区全体の四分の一ぐらいに相当します。
 私自身は、歴史や文化財に関心があり、大学や大学院でもその関係の専攻でしたので、重要伝統的建造物群保存地区というのは、行ける限り訪ねています。平成30年時点で全国に118ヶ所がありますが、行ったことがあるのは78ヶ所です。そして今回訪ねた赤沢が79ヶ所目になりました。

 重要伝統的建造物群保存地区、略して重伝建と言いますが、アニメやポップカルチャーの聖地巡礼においてはけっこう事例があります。「ひぐらしの鳴く頃に」の白川郷、「たまゆら」の竹原、「氷菓」の高山三町、「ひなビタ」の倉吉打吹玉川などが挙げられますが、いずれも古い街並みの優しい表情がアニメの世界観に深みを与えています。
 そして「ゆるキャン△」ではここ赤沢へ志摩リンが行っていますので、おそらくアニメ2期でも原作ストーリーそのままに赤沢が登場するものと思われます。そうなったら、ここを訪れる巡礼ファンは劇的に増えることでしょう。

 

 ですが、山の斜面上に立地する密集型村落の形態をとどめるため、道も駐車スペースも狭いです。道なりに上に登って、上図の妙福寺本堂の裏手まで行くと、駐車場があります。

 

 その妙福寺裏手の駐車場に、私のレンタカーを停めました。全体スペースがこの程度で、10台も入れば埋まります。他にも駐車スペースがあることはありますが、数台程度しか停められないので、この妙福寺裏手の駐車場が広いと思います。
 赤沢宿のマップを見ますと、さらにその先にも広い駐車場があるようですが、このときは通行止めになっていました。いずれにしても、道が細くて大型車は入りにくいので、観光バス等は入れないみたいです。

 

 重要伝統的建造物群保存地区はどこでもそうですが、原則として車の通行は制限されるか禁止されているかのどちらかです。そもそも保存地区内の道は路地道や階段であることが多いので、車が通るのは不可能です。ここ赤沢においても、集落内の道の大半は歩道レベルの幅で、階段や段差、急な坂道をともないます。
 上図の妙福寺門前辻の道は、昔ながらの石畳道を保持しているため、地元住民でも許可された車でしか通れないそうです。

 

 赤沢は、かつての身延山参詣道の宿場として栄えた歴史をとどめ、重伝建の指定名称も「赤沢宿」となっています。保存地区内に計84戸の伝統的建造物つまり民家建築が含まれますが、上図はこのうちの川戸家住宅です。比較的古式をとどめた講中宿の建物のひとつです。

 

 川戸家住宅付近より東を見ました。右に玉屋家住宅、左奥にえびすやが見えます。えびすやは、かつては旅館を営んでいたそうで、若山牧水が泊まったことで知られ、彼の碑もあります。

 

 玉屋家住宅に近寄りました。かつては旅籠屋であったそうで、廻り縁を長くとって母屋の二面にまわした形式が、山梨県の民家の特徴の一つとしても知られています。
 昔、身延山への参詣客が、この廻り縁に腰を下ろし、茶菓子を買って休憩していたのでしょう。

 

 玉屋家住宅付近から西を見ました。この石畳道が、集落内のメインルートであり、保存地区内の全ての路地道がこの道から枝分かれしています。

 

 集落内のあちこちの道端に置かれている水溜めです。このような木製のものはわりと珍しく、現地が山の斜面上であるので山からの湧水も下に流れてしまうので、こうやって丸太をくり抜いた水桶に溜めておき、毎日の洗い物や牛馬の飲用に供していたのです。
 この種の水溜めは、だいたい二段か三段に作られることが多く、上図の遺品は二段になっています。上段が飲用など、下段が洗い用など、と用途を分けてあることが多いです。

 

 妙福寺門前の辻に戻りました。上図のように交差点は十字形ではなく、クランク状になっています。
 近世までの日本では、交差点はこのようなクランク型が主流でした。中世戦国期に防御を意識してこのようにしたという説もあるようですが、もともとは古代の条里制においてまず田畑や宅地の範囲を決めてから道路を引いたため、どうしても道が屈折して真っ直ぐにならないからです。道が屈折することが普通であれば、交差点でもピッタリ十字形には交わりませんので、こうしたクランク状になりやすいわけです。

 重要伝統的建造物群保存地区というのは、だいたい近世つまり江戸期までの街並みをそのまま保存し維持していることが多いので、道も古い形状をとどめているケースが一般的です。上図のように交差点がクランク状になっていれば、間違いなく江戸期までの状態をとどめているとみて間違いないでしょう。

 

 妙福寺の門前に向かいました。境内の桜が満開になっていました。

 「ゆるキャン△」の原作コミック第7巻の33ページ目から、ここ赤沢宿の景色が登場します。志摩リンが歩いた範囲の風景が幾つか出てきますが、その範囲は、上図の妙福寺門前を過ぎた辺りからになります。とりあえず、志摩リンのたどったコースを、歩いてみることにしました。  (続く)

 


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