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「パンツァー・リート」の次は「SHINY DAYS」や「ふゆびより」を聴いて元気を貰います

ガルパンの聖地 ・ 大洗を行く23 その11 「ほのぼの作戦2.5です!!」

2016年04月17日 | 大洗巡礼記

 昼食後、天気がなんとかもちそうに思えたので、那珂湊へ移動しました。おなじみの「ほのぼの作戦」が2から2.5にバージョンアップしていたのを楽しみました。今回は天気のこともあって、移動コースを最小限にとどめ、回る店舗も四ヶ所に絞りました。
 上図は、一ヵ所目の「安藤肉店」でした。このお店の海老カツ、海老団子などが個人的に好みなので、いつも買ってしまいます。特典カードは佐々木あけびデザインです。お店の案内情報はこちら


 二ヶ所目は「伊勢増」でした。昔ながらの食品市場という雰囲気が懐かしい気分にもさせてくれますが、それ以上に、那珂湊でしか手に入らない地元産の魚介加工品が豊富で魅力的です。ガルパン要素を盛り込んだシフォンケーキなども有名ですが、今回はこのお店独自の特産品である「食べるおだし だし粉」を購入しました。イワシ、サバ、アジ、カツオ等の節を粉末状にして、オキアミ、あおさ海苔を混ぜてふりかけとして使える品です。お好み焼き、焼きそば、うどん、御飯などにそのままふりかけて食べられますが、個人的には好みの味なので、前回に引き続いてのチョイスでした。特典カードは宇津木優季デザインです。
 お店の公式サイトはこちら


 三ヵ所目は「桔梗屋本舗」でした。このお店のマドレーヌは美味しいです。おやつにピッタリです。他にラスクやマフィンを売っていることもありますが、一日の生産数が決まっているそうで、ほとんどは地元の方々が買っていきますから、商品が並んでいるのを見たことがありません。特典カードは河西忍デザインです。
 お店の案内情報はこちら


 ラストの四ヶ所目は「デリカ七つ星」でした。惣菜のお店で、トレイパックに盛っての量り売りがメインです。那珂湊特産の限定ご当地弁当として知られる「みなとの多幸めし」を作っているお店としても有名です。人気商品なのですぐに完売するのが普通ですが、今回は幸運にも棚にまだ並んでいました。大洗駅で販売している「三浜たこめし弁当」と並ぶ人気商品なので、いつか食べたいと思っていたのですが、三度目の訪問でようやく購入することが出来ました。特典カードは澤梓です。
 お店の公式サイトの「みなとの多幸めし」の案内はこちら


 次に四郎介稲荷神社へ行き、境内のベンチで「みなとの多幸めし」を食べました。大洗や那珂湊を回っていると、どういうわけかすぐにお腹が空くのです。忙しく動き回っているからでしょうか。


 今回は、この神社本殿の見事な彫刻をゆっくりと見学しました。虹梁(こうりょう)や木鼻(きばな)の部分を籠彫り(かごぼり)で仕上げてあります。江戸時代に流行した彫刻技法の一種で、籠のように内部を透かし,立体的に彫り上げる方法です。遺品は全国各地でさまざまな形式のものが見られますが、全国的に知られるのは、富山県の「井波彫り」でしょうか。


 こちらの四郎介稲荷神社の彫刻の作者は、刻銘に「彫工 後藤梅甫徳清 明治九年(1876) 丙子正月吉辰」とあって、江戸末期から明治にかけて活動した彫物師の後藤梅輔であることが判ります。伝承では水戸の出身で、江戸の日本橋の彫物師後藤氏に入門して修行し、後に那珂湊に移って活動したとされています。こちらの遺品も、那珂湊に移ってから彫ったものの一つですが、時期的には後半期の作品であるようです。


 後藤梅輔の作品は、ひたちなか市においては、この神社の他に、平磯の津神社拝殿や磯崎の酒列磯前神社拝殿にもあることが知られます。前者は刻銘が「安政五年(1858)午十一月吉辰 東都日本橋門人 彫工 後藤梅輔徳清」とあり、後者の刻銘は 「安政六年(1859)己未歳六月吉辰 後藤門人 梅輔作」とあります。


 この神社の籠彫りの見事さについては、以前の訪問時にも見て感心していましたが、より関心を持つに至ったのは、前月に鉾田市の烟田氏関連史跡巡りをした際に水戸の友人U氏に聞かれたことがきっかけでした。

「伯耆守、ずっと前に笠間の稲荷神社へ行ったの、覚えているか」
「ああ、江戸期の国重文の本殿とかやろ。壁面の彫刻意匠が素晴らしかったね」
「その彫刻意匠な、籠彫りってやつだが、あれの作者の一人が後藤縫之助という」
「後藤か。千葉の館山の後藤義光と同じ系列なんかな」
「その可能性はある。あるけど確証は無い。ま、それは置いといて、こっちの大洗やひたちなかにも後藤を名乗る彫工の遺品が幾つかある」
「那珂湊の四郎介稲荷神社にも素晴らしい籠彫りがあるが、それも後藤氏の作なのか?」
「ああ、やっぱりあの神社の彫刻に目を付けてるか。さすがだな。うん、あれの作者は後藤梅輔という」
「ふーん」
「なんだ、そこまで調べてなかったのか」
「江戸期の彫刻師の後藤氏といったら、だいたい東日本に遺品が多いからな。茨城県内にある彫刻遺品にも大体関わっていると理解しとったけど、それで間違いないんやろ?」
「まあ、そうだな。それで聞きたいんだが、笠間神社の彫物の後藤縫之助と、後藤梅輔、この二人は同じ流派の門人同士なんだろうかね?ひょっとすると、同一人物かもしれない」
「うーん・・・、どうなのかなあ・・・」
「例えばさ、大洗磯前神社拝殿のあれ、籠彫りとかさ、あれも彫刻師後藤氏の遺品だとしたら、まず後藤梅輔が作者である可能性が高い。刻銘が残ってるらしいんだが、神社の方でも把握してないらしいんだ」
「ふーん」
「そこでだ、俺としては笠間稲荷神社と四郎介稲荷神社と大洗磯前神社の籠彫りが同じ作域をみせているかが気になる。君はどう思う?」
「うーん、同じ後藤氏系列の作者というなら、作品の趣は基本的に似通ってるやろうし、本姓を橘氏にしてるんなら、系譜上は江戸日本橋の「後藤三次郎橘恒俊」の流派に関係するやろうな」
「後藤梅輔は、少なくとも確認されてる銘記では橘氏を名乗ってない。門人、と書いてるから弟子筋だろう」
「後藤縫之助は?」
「それも橘氏を名乗ってない。取手市にある遺品でも確認出来ないから、これも弟子筋なのかねえ」
「そんなら、笠間稲荷神社と四郎介稲荷神社と大洗磯前神社の遺品はみんな後藤氏門下の弟子たちの作ということになるやんか」
「まあ、そういうことになるなあ。笠間稲荷神社は後藤縫之助だから別として、四郎介稲荷神社と大洗磯前神社はともに後藤梅輔が関わってるとするのが自然だが、あの二ヶ所の籠彫りは、同じ作者の仕上げになると見ていいのかね?」
「うーん・・・・」


 とにかく、U氏は大洗磯前神社の籠彫りが後藤梅輔の作である可能性を気にしていたのですが、それを確かめる鍵は、後藤梅輔の刻銘がある四郎介稲荷神社の遺品にあります。

 一般的にいって、二つの彫刻遺品の作者が同じかどうかを調べるには、同じ題材の仕上げ方を観察するのが早道です。獅子なら獅子、人物なら人物、植物なら植物、というように、同じ題材は常に同じ彫り口と表現意匠でまとめられるからです。
 そして、四郎介稲荷神社と大洗磯前神社の双方の籠彫りに共通してみられる題材は、魚および波です。上図の部分などがそうです。


 四郎介稲荷神社においては、欄間には動物や人物、虹梁には龍が彫られています。魚や波は木鼻に彫られています。全体をぐるりと見回して、そのことを確かめました。


 別の木鼻の魚と波の籠彫りです。魚の鱗の表現が、大洗磯前神社のものと酷似しています。波の先端を丸く表して円形で締める手法も共通しています。ただ、彫りの表現感覚や洗練度に差異があり、これは制作時期の差と解釈すべきでしょうか。

 問題は、大洗磯前神社の随神門自体が水戸藩三代藩主徳川綱條の時期に竣工していることです。十八世紀前半期の建築なので、後藤梅輔の活動期である十九世紀後半とは百年以上の隔たりがあります。大洗磯前神社の籠彫りが竣工時のものであれば、後藤梅輔とは無関係になるわけです。
 それとは別に、竣工時には無かった籠彫りを、後の時期になって追加したとする仮説を立てるのであれば、後藤梅輔との関連が可能性として浮かび上がりますが、そこまで仮定できるかについては、私自身はどちらかというと消極的です。


 その理由の一つは、上図の欄間の意匠にみられる動物の表現にあります。二匹のキツネが枝葉の間を跳躍しつつ共に行動している姿をあらわしていますが、その立体感覚と躍動感が、大洗磯前神社の籠彫りの動物には全く見られないのです。


 したがって、個人的な考えとしては、四郎介稲荷神社と大洗磯前神社の双方の籠彫りは、時期も作者も異なると判断すべきだろう、という感じにまとまります。魚と波の表現技法が似ていることから、系譜的には後藤氏系列の作者同士である可能性も考えられます。
 この場合、四郎介稲荷神社の遺品は後藤氏の門人の後藤梅輔の作品ですが、大洗磯前神社の方は水戸藩による由緒正しき神社建築ですので、後藤氏直系の師匠クラス、例えば本姓の橘氏を名乗る人物が水戸藩の依頼を受けて制作にあたったと考えるのが自然でしょう。
 それで時期的に百年以上の隔たりが生じるのであれば、表現の洗練度においては発達が進んだ江戸末期の、後藤梅輔の作品のほうに彫刻技術の冴えが感じられるのも当然かと思います。


 とりあえず、結論がまとまりましたので、淡い満足感にひたりつつ、那珂湊駅へ向かいました。特典カードは4種で1セットになりますので、これを駅の窓口に提出して、特典の缶バッジをいただきました。デザインは河西忍と佐々木あけびでしたが、澤梓と宇津木優季のデザインもあるのでしょうか。
 ちなみに、「ほのぼの作戦」の特典に缶バッジがついたのは、前回の2回目の時が最初です。前々回の1回目の時はカード4種類だけでした。 (続く)

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