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ゆるキャン△の聖地を行く7 その10  高ボッチスカイライン入口と杖突峠

2019年06月09日 | ゆるキャン△

 霧ヶ峰ビーナスラインを終点の諏訪市街まで一気に降りて、立石公園にて一休みした後、諏訪市街に進んで国道20号線へ入り、諏訪湖の東側を北上して岡谷市に進みました。長野自動車道の岡谷インターの横を過ぎて塩尻峠への登りにさしかかったころ、右手には上図の景色が望まれました。

 この時点までに、諏訪市内での観光も楽しんで、諏訪大社下社秋宮、下社春宮に続けて参拝、史跡の「万治石仏」も拝観しましたが、そのコースは「ゆるキャン巡礼」とは別ですので、今回のレポートでは省略します。

 

 そして塩尻峠を越えて、塩尻市に降りてゆく途中の右手の東山公民館体育館の横に入り、駐車場とみられる広場に車を停めましたが、その直後にパトカーがサイレンを鳴らして上図の坂道を登っていきました。私もこれから同じように登る積りでいたので、パトカーの急行振りに驚き、不安になりました。

 

 とりあえず、志摩リンがここを登って高ボッチ高原へ向かったわけです。上図の案内標識板も、劇中に登場していますので、記念に撮りました。
 では、と車に戻りかけると、公民館の職員らしき方が出てきて、私を呼び止めました。何でしょうか、と振り返りました。

「あなた、もしかして、これから高ボッチ高原へ行かれます?」
「ええ、その予定ですが・・・。さっきパトカーが上がっていったのですが・・・・。何かありましたか?」
「実はですね、先ほど高ボッチスカイラインで事故があったみたいでして・・・。まだ雪も残ってますし、今さっきスカイラインの一部が閉鎖、ということになりまして・・・」
「路面凍結とか、雪によるスリップとか、そういう事故ですか?」
「いえ、まだ詳しい事は分かってないんですが・・・、ま、そういうことで今日は高ボッチスカイラインへは行けませんので、ひとつ御了承いただきたいのですが・・・」
「分かりました」

 やっぱりそういうことだったか、さっきのパトカーの様子はただならぬものだったしな、と納得しつつ車に戻りました。霧ヶ峰ビーナスラインでも積雪と路面凍結の危険があったならば中止する積りだったのを、奇跡的にも走れる状態だったために予定通り踏破してきたわけですが、それにもう満足してしまっている自分が居て、もう高ボッチは諦めて次の機会を待とう、という気分になっていました。

 そうして高ボッチ高原行きを中止した途端、言いようのない安堵感に包まれました。諏訪大社下社秋宮参拝後の昼食の後にコンビニへ立ち寄って買っておいたコーヒーを飲みつつ、再度、上図の景色を撮りました。いつかまた必ずここに来る、そのときは上まで登ろう、志摩リンが眺めた景色は、そのときに存分に楽しめば良い、と考えました。

 

 かくして高ボッチ高原行きを中止したのですが、おかげで3時間ほど余裕が出来てしまいました。諏訪市内の歴史観光の方は計画通りに進めてもまだ時間が余る見込みであったため、諏訪湖の南側へ一気に移動して、前回の訪問時には濃霧に包まれて景色も見えなかった杖突峠へのリベンジを行うことにしました。

 道を引き返して岡谷インターから中央自動車道に入り、別に計画していた、諏訪湖SAでの「諏訪姫ゲット作戦」第3ミッションをクリアし、諏訪インターで降りて、国道152号線に進んで杖突峠の展望所駐車場に行きました。

 

 前回は濃霧に包まれて何も見えずに残念な思いをした、杖突峠の展望所です。御覧の通り、快晴に恵まれて見事な眺望が開けていました。

 

 要するに、リベンジが成ったわけです。こんなに見晴らしが良い場所だったのか、これなら志摩リンも立ち寄ってゆくわけだな、と納得しました。
 ですが、志摩リンは駒ヶ根からの帰途に国道152号線を通っていますから、必然的にここには立ち寄ることになるわけでした。

 

 八ヶ岳の連峰も綺麗に望まれました。冠雪が白く稜線をふちどって青空とのコントラストを成していました。

 

 茅野市の辺りを見ました。奥にひときわ高く聳えるのが、標高2530メートルの蓼科山です。あの中腹に白樺湖があるわけです。私もあの横から霧ヶ峰ビーナスラインに入ったのでした。

 

 諏訪湖の方角を見ました。思ったより距離があります。このアングルの景色が、志摩リンのスマホカメラにおさまって、「今ココ」となったのですね。

 

 デジカメの望遠モードを起動して引き寄せてみました。
 前回の訪問時に諏訪高島城に行きまして、江戸期までは城が湖畔の浮島のようになっていた歴史を古絵図で確認しましたので、諏訪湖そのものは、昔に比べると縮小していることが改めて分かりました。現在の湖面は江戸期の湖面の三分の二ぐらいだそうです。

 

 諏訪市の南東の四賀、桑原、そして茅野市の上原辺りに繋がる低丘陵を見ました。古代以来諏訪神に仕えて連綿と歴史を刻み、中世戦国期を通じて在地領主としても君臨した諏訪氏の本拠地が、このエリアです。諏訪氏累代の本拠たる上原城および上原館、そして戦国諏訪氏最後の拠点たる桑原城の位置などを、だいたいあの辺りか、と探して眺めました。

 昔、山梨県甲府市の歴史団体に参加していた時期に、この戦国諏訪氏の歴史を追って上原城および上原館、桑原城などに登ったことがあります。武田信玄の側室となった諏訪御料人の故郷でもありますから、色々と関心を持って調べていた思い出があります。
 あれから、もう20年余りが経ちましたが、懐かしい史跡のそれぞれは、たぶん今もあまり変わっていないと思います。

 

 展望所の建物を振り返りました。前回の訪問時には中に入って、二階のカフェで一休みしたりしましたが、今回は特に用事も無かったので、入りませんでした。

 

 再び、八ヶ岳を眺めました。右より、権現岳(2715メートル)、赤岳(2899メートル)、横岳(2829メートル)、硫黄岳(2760メートル)、天狗岳(2646メートル)、でしょうか。

 

 そして、左が蓼科山、右が北横岳(2473メートル)ですかね・・・。望遠モードで撮影しました。

 

 どちらを見ても、見飽きることのない眺めです。30分ぐらいはずうっと楽しんでいたと思います。

 その後、下山して諏訪市内の歴史観光に移り、諏訪大社上社前宮、上社本宮に続けて参拝し、「諏訪姫ゲット作戦」第6ミッションおよび第7ミッションを敢行すべく、諏訪市内の万代書店、PLUM諏訪本店などを巡り、高島城近くの「ごはんや高島城食堂」で夕食をとりました。そっちのほうが「ゆるキャン」巡礼コースよりも多忙であったため、、上諏訪温泉の宿に入ったのは予定時刻の一時間余り後でした。

 しかも、その後も諏訪姫ゲット作戦」第8ミッションがあったため、温泉休憩もそこそこに、夜の上諏訪温泉宿泊施設巡りをやったのですが、その経緯は「ゆるキャン巡礼」とは別ですので、今回のレポートでは省略します。  (続く)

 


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