平和とくらし  #茨木市議会議員 #山下けいきの日々是好日

平和憲法が私の原点。鹿児島の吹上浜、桜島が原風景。毎週阪急3駅、JR2駅の5駅をのぼりを背負ってアピールランしています。

「街かど相談」のぼりで歩きました。/【情報紹介】 山田洋次監督が語る“寅さん”と“東京五輪”

2013年10月08日 | 日々雑感 #茨木市議会議員
浜矩子さんの講演会。私は地区の体育祭で参加できませんがこの13日です。

【今日のメモ】午前中は市民運動の方と「小・中学校の放射線教育がどうなっているか」の件で意見交換。昼は「街かど相談」のぼりで市役所⇒阪急茨木市駅・ジャスコ⇒市役所⇒JR茨木駅⇒市役所と歩きました。今日は市民相談はありませんでしたが、多くの方から挨拶をいただきました。

 14日の9条世界会議の準備。憲法を生かす会・大阪で出店しますが、その時販売するバッジ、のぼりのチェック。販売しながら参加者とどんな話になるか楽しみです。なお当日はRUNNERS9の会で走る準備を進めています。



【情報紹介】

「日本人が不幸になったのは…」山田洋次監督が語る“寅さん”と“東京五輪から、私が気に入った部分です。

 じゃあ人気の理由は何なんだ、と。一つは、管理されていない状態にいる人間に対する憧れかな。今の時代は、本当に日本人がどんどん厳しく管理され始めている。映画館に行ったって、指定券見せて入って、入ったら私語は交わさないでくださいとか、盗撮は犯罪ですとかいろいろとある。そういう窮屈さを今、日本人は感じ始めているのではないか。それは今のこの国の政治状況からいって、どんどん窮屈になるんじゃないかと思う。そんな中で寅さんは自由で、なんの拘束も受けない。それは発想が自由ということ。考え方がだんだん管理されているということが一番怖いことです。寅さんの発想は管理されていないから、極めて自由である。そんなことへの憧れが今、改めて若者たちに、寅さんを通して感じられる気がする」

「昭和といったって、3種類ある。まず戦前。戦中はない。これは消えてしまいたい時代。全く最低な時代。戦中は昭和に入らない」

 --戦後は

 「復興の時代。(昭和39年の)オリンピックまで。このころ、もう一回自分たちの生活を回復しようと思って、日本人は一生懸命頑張った。それまで日本人が築いてきた生活をもう一度取り戻そうと。昭和20年代から30年代にかけて、あの時代が僕は本当に懐かしい。みんな元気で、子供がいっぱいいて。あのころの写真は本当に子供がいっぱい写っているよね。小さいお店がたくさんある。乾物屋さんとか、小間物屋さん、魚屋さん、八百屋さん。あの時代は日本人は元気だったんじゃないかな。労働組合も元気だったし、学生運動も盛んだったし。そういう活気にあふれていた」

「(寅さんの子供時代は)昭和10年代だからね。今の若者は、東京というか、日本の暮らしのなかで、お店屋さんを知らなくなっているんじゃないかね。日本の子供たちはかつてお店屋さんに育てられた。お豆腐屋さんにお豆腐買いに行ったり、八百屋さんにネギ買いに行って、豆腐屋のおじさんや八百屋のおばさんにしかられたり、『お父ちゃん元気か』って言われたり。

 今は不便になって、この前、鉛筆買いに行ったら、近くに文房具屋がありゃしない。コンビニ行きゃあるんだけど、もうちょっと面倒くさいものだとコンビニに売ってないでしょ。文房具屋がなくなる、本屋がなくなる、金物屋でちょっとした針金、トンカチ、くぎとかを買うために、なんとかセンターまで行かなきゃいけない。ネット(通販)になったり。昔はそれをお店に買いに行った。お店がなくなってしまったということは、日本人は大事な文化を失ってしまった。オリンピック以後だな。国の発展、人々の暮らしの形が変わった。(「東京物語」などの監督)小津安二郎は、ぜんぶ戦後の昭和20~30年代でしょ。かつての日本人の暮らし方を表現しているね。今度は、お祭り騒ぎはこの国には似合わないと思うな。静かに暮らしたいと思う」

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