ガウスの旅のブログ

学生時代から大の旅行好きで、日本中を旅して回りました。現在は岬と灯台、歴史的町並み等を巡りながら温泉を楽しんでいます。

旅の豆知識「天守閣」

2017年06月08日 | 旅の豆知識
 車窓からぼんやりと外を眺めていたら、岡の上に天守閣がそびえていて“ハッとした”なんて経験がありませんか。城下町は旅先でよく出会う風景です。江戸時代には政治、軍事、文化の地域的中心になっていたところですから、現在でも地方の中心都市となって栄えている所が少なくありません。又、武家屋敷や古い寺院が残っていて、町並みとして落ちついたたたずまいを見せているところもあります。日本的な風景として数えられるものの中に、必ずいくつかの城下町が上げられていることでしょう。誰でも城下町に対する思い出を持っているのではないでしょうか。
 戦国時代以前の中世の城は山城といわれ、数十から数百m位の山の上に作られた、防御的機能に重点を置いたものが多く、城下町の発達も余りみられませんでした。また、天守閣というような大きな建物もなく、現在の遺跡としてもあまり見るべきものが残っていません。旅先で見かけるのは、安土桃山時代以降の城で平城、平山城と呼ばれ、平地にそびえ、軍事、政治の中心となっていたものです。規模も大きく、当時は石垣や土塁の上に天守閣や櫓が立ち並び、周囲を威圧していました。しかし、現在でも城の威容を保っているものはあまりありません、江戸時代には170余もあったのですが、今でも昔のままの天守閣がそびえているのは、12城にすぎません。又、近年鉄筋コンクリートで外見だけ復元したものも少なくありません。堀が埋められたり、石垣が崩されたりして、ほとんど形をとどめていないものさえあります。全く残念なことだと思います。ただ、最近になって、木造で江戸時代のままに復元しようという動きもあって、白石城(宮城県)、白河小峰城(福島県)、掛川城(静岡県)、大洲城(愛媛県)の天守閣が建てられ、周りの景観も整備されて、往時の姿をうかがえるようになりました。一度立ち寄ってみては如何でしょうか。

〇天守閣とは?
 城郭の中枢部(本丸が多いが二の丸などの場合もある)に建造された、普通3層以上(2層の場合もある)の建物で、城の象徴ともなっています。戦闘時には、望楼や司令塔の役割を果たし、籠城時には、最後のよりどころともなりました。古代からの望楼の発達したものと考えられ、室町時代の末期頃から建てられたと思われ、古くは、殿主、殿守、天主とも書いたといわれています。狭間や石落などの防御機能を備え、接見、物見、貯蔵等の機能もあわせもっていたと考えられています。江戸時代には、100以上の天守があったとされていますが、幕末明治維新期に多くが失われ、大正時代までには、20になってしまいました。さらに、太平洋戦争とその後の火災で8つ失われ、現存するのは、12となっています。それ以外に戦後、鉄筋コンクリート造で外観復元されたものや木造で復元されたものもあります。天守は、平面構成によって、独立式、複合式、連結式、連立式の4つの形式があり、また、建築様式により、望楼型、層塔型の2つに分けられています。

☆現存する天守閣のある12城
 弘前城(青森県弘前市)
 丸岡城(福井県坂井市)
 松本城(長野県松本市)
 犬山城(愛知県犬山市)
 彦根城(滋賀県彦根市)
 姫路城(兵庫県姫路市)
 松江城(島根県松江市)
 備中松山城(岡山県高梁市)
 丸亀城(香川県丸亀市)
 伊予松山城(愛媛県松山市)
 宇和島城(愛媛県宇和島市)
 高知城(高知県高知市)

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