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読んだ本の感想と旅行の日記を書いていきます。
後、その他なんかあれば・・・

127冊目:「恐れるな! -なぜ日本はベスト16で終わったのか?」

2014-05-21 14:13:07 | 
総評:★★★☆☆ まあまあという感想。
面白い度:★★★☆☆ 普通。
読みやすい度:★★★☆☆ なぜか時間がかかった。
ためになる度:★★★★☆ ちょいちょいあった。
また読みたい度:★☆☆☆☆ 2回目は読まないと思う。


オシム本2冊め。
今回は2010年に行われた南アフリカW杯の後に書かれたもので、日本戦の戦い方の評価やW杯の総括や、次の監督となったザッケローニ監督の評価などが書かれている。

特にこれといって特筆すべき内容はなかったのだが、オシムが中村俊輔をかなり評価していることが分かった。
4年後のブラジルは中村をリーダーにして挑め!など、本当に中村を唯一無二のプレーヤーとして評価している。
そんなんで、オシムは中村好きだったんだな~って思った。

あと日本の戦術として、阿部勇樹がかなり日本のディフェンスに貢献したと言っている。
オシムは戦術として、走るサッカー、考えるサッカーを標榜し、それが出来る選手を代表に招いていたが、中でも、色々なポジションをこなせるプレーヤー、いわゆるユーティリティープレーヤーを「ポリバレントな選手」と評し、その人たちを中心にチームを作ってきたが、南アフリカW杯では、阿部勇樹が、その役割を見事にこなしたと評価している。
今のザックジャパンでは遠藤や香川、岡崎あたりになるんじゃないかと思うが、この本では遠藤もかなり評価していた。

また、大会全体の出来については、あまりいい評価ではない、簡単に言うと、マスコミに振り回された大会と言っている。
どのチームもディフェンスを第一とし、あまりそのチーム独特の良さが見られなかったと言っている。
またオシムのマスコミ嫌いもあるので、やはりお金が大きな影響力を持ち、スター選手を祭り上げるような感じのWカップはあまりオシムは観ていていい気分にはならなかったのだろう。


ちなみにザックの評価としては結構いい評価で、JFLもいい監督を選んだと書いてあった。ただし最終的には日本人のメンタリティが分かる日本人監督の方が選手やチームにとっても良いと書いてあった。
結局中村は外れてしまったが、最終メンバーも決まったことだし、ブラジルW杯、本当に日本には頑張って欲しいなと思った!


最後に面白かった内容を抜粋する。

・日本は、ワールドカップ前の親善試合で、セルビアに敗れ、韓国に敗れた。直前のテストマッチでも、イングランド、コートジボワールというワールドカップ出場を決めている実力チームに敗れている。だが、それらは、所詮、ウォームアップゲームだった。私が考えるに、そのとき岡田監督や首脳陣は、意識的にゲームに負ける可能性を考えてリスクを冒したのだ。同時に、あえて悪い空気を作っておくことを意識したのかもしれない。少なくとも岡田監督は、自分ができる対策について、そのすべてを想定したのだろう。
 親善試合は、勝敗などどうでもいいのだ。結果を求めてプレーしてはならない。監督、コーチだけでなく選手も含め、そういう親善試合の意味するものの基本を理解した上で、ピッチに立つべきなのだ。

・日本人は、誰もが、責任を回避しようとする。
 サッカーにおいて責任感の果たす役割は大きい。現代サッカーは責任感に基づいていると言っても過言ではない。責任感のある選手だけが、プレーできるのだ。責任感の無い選手、いいかげんな選手、エゴの強すぎる選手、彼らが成功することは難しい。ジャージーを着る資格がないのかもしれない。しかし、日本人は総じてプレーにおける責任感に欠けている。まるで疫病から逃げるようにして責任から遠ざかる。
 責任感は日本の学校教育、社会システムと絡まるようにリンクしている。常に上の立場の人間が誰かの責任を負うという風習、仕組みがあることが、ピッチ上のプレーにおける責任感というものに少なからず影響を与えている。

・もし本田以外の選手が、リスクを冒すことを恐れず勇敢であったならば、さらにチームは機能していただろう。本田は唯一リスキーにプレーした。若き彼は、得たチャンスでリスクを冒すことを試み、そして成功した。リスクを冒さなければ日本人は勝てないのだ。
 遠藤と中村俊は、技術や才能で言えば、本田よりもいい選手だが、彼らは失敗を恐れるため、自分たちが持つ大きなポテンシャルを活用することができなかった。日本人は一般的に、失敗する恐怖が、プレッシャーとなり重荷となっている。繰り返すが、それは、学校生活、社会生活、そしてサッカーにおいて抱く恐れである。

・本田が前線でプレーした理由は、彼が理想的なセンターフォワードだったからではなく、日本はふさわしいセンターフォワードを持たなかったからである。本田を前線に置くというコンバートは、偶発的な戦術だったのかもしれないが、それは成功した。うまくいった。ある意味、間に合わせの解決方法が、うまく機能した。
 しかし、日本がその戦術を見せた後に、対戦国は即座に日本を研究し始める。あるいは、試合中にアジャストする。その中で、ある弱点に気づくはずだ。日本は、本田をCFに置きながら、実はサポートがない。そういうシチュエーションに相手はつけ込んだのだ。本田を孤立させ、孤立した本田も苦戦した。

・現代のサッカーにおいては、プレーそのものの速さにプラスして判断の速さが、欠くことのできない条件となっている。繰り返すが、この『スピード』の部分で、日本は、まだまだワールドクラスのレベルには及ばない。しかし、アグレッシブなプレーを心掛けることで、この欠点は埋めることができるのだ。敵に呼吸をさせてはならない。頭を使って走るのだ。これが、その欠点を補うための今できる唯一の手段なのだ。

・中村俊は、サッカー選手に必要なものをほとんど手にしている。天性の知性とアイデアに富み、視界が広い。その左足からのパス能力は、ミリ単位の正確性を備えている。確かに1対1の勝負を好まず、肉体はひ弱い。パワーとスタミナに欠け、ディフェンス力もない。私は何度となく彼に「前へ行け!」と指示したが、彼はポジショニングを下げ、自由にボールを扱うことを選んだ。
 だが、日本には、彼のような天才的な長所を持つプレーヤーは他に存在しない。そんな人物が南アのピッチでスタートからプレーしないとは、なんという贅沢な選択なのだ。~(中略)~
彼のようなクオリティの高い選手がベンチに座っているのは、本当に奇妙な光景だった。

・スペインの最大のストロングポイントは、チームとして、ユニットとして本当に機能する「チーム」だったということだ。スペインは、決して一人か二人の個の能力だけに頼らなかった。また、とても調和が取れていたように見えた。他の選手たちのミスを打ち消す連携。つまり文字通り互いのためにプレーをした。おそらく、それが可能になった理由は、すべての選手が、プレーにおいて同じ哲学を共有していたからだろう。

・今大会には、ジョゼ・モウリーニョの影が覆いかぶさっていた。今年の欧州チャンピオンズリーグでインテル・ミラノの監督として優勝を果たしたモウリーニョが流行させた、ひたすら守り通して相手の良い部分を消すことだけを狙った破壊的なサッカー戦術である。そういうモウリーニョ主義が、ワールドカップを制することになると、世界のサッカーがダメになると私は考えていた。その意味でも、スペインのサッカーへの期待は大きかったのだ。

・アフリカのチームでは、コーチングが難しいという問題もある。というのは選手たちのメンタルが過敏で、しかも、何らかのコンプレックスを持っているからだ。アフリカ大陸以外からやってくる外国人監督は、必ずと言っていいほど、その国民性の壁にぶちあたって苦労する。


結構引用個所が多かった(笑)
そんなんで、ブラジルワールドカップ前の予習は完了!しっかり日本を応援したいと思います!!
コメント
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