奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

「走れメロス」太宰治

2016-03-07 00:37:43 | 読書
 今年の1月、私のブロ友さんが、九州まで来られて、指宿のマラソン大会を見たあと、

福岡の大宰府に立ち寄ってから帰郷された事がありました。
 私は、それが意味ありげで、何か心に引っかかるものがあったのです。
 もしかしたら、私に謎をかけたのかも知れない。
 というのも、その人は軍事研究家でもあるので、暗号みたいな気がだんだんしてきたの

です。
  
 私は戦争はあまり詳しくないですけど、有名な暗号なら少しは知ってるんです。
 
 「ニイタカヤマノボレ」
 
 「トラ・トラ・トラ ワレ、奇襲に成功セリ」
 
 どう?
 私って偉いでしょう♪ 

 え?
 私が言いたいのは、それじゃない!これだ!!ですって???

 「皇国の興廃、この一戦にあり、各員、一層奮励努力せよ!!」


 司令官、了解しました!
 私に、太宰治の「走れメロス」を書けってことですね!!
 

 ていうか、全然、暗号じゃない!(笑)
 

 ところで、実は私にマラソンやってるブロ友さんがいるんです。

 そう、42・195キロ走ってるの!

 それって、とてつもない距離だと思いません?

 私に走れと言われても、絶対、無理ですもん・・・

 それに、その人マラソンやるために、日頃からトレーニングを欠かさないんです。
 それを書いた文章を読むと、ため息が出て、尊敬の二文字しか浮かんでこないの・・・

 怪獣博士や野鳥好きの人もいいけど、それよりマラソンのあの人が・・・(真っ赤)

 だったら、その人の素晴らしいところって、どこにあるのでしょう?

 不屈の精神力

 うんうん♪

 強靭な肉体(真っ赤)

 はっ!
 私ったら、何、想像してるんでしょう・・・
 でも、どんな体してるのか気になります。(苦笑)

 だけど、私がスポーツマンに求めるものは第一に爽やかである点です。

 やっぱり、男性は爽やかでなくっちゃですよね♪

 しかし、あの人、爽やかというより、ちょっと軽い気が???

 いえいえ、文句などあろうはずがありません。
 なんてったって、42・195キロを走破するために、日夜、自分と戦ってる人ですか

ら、軽かろうが重かろうが、どうってことないです!

   
ということで、今回は太宰治の「走れメロス」のお話をする訳ですが、その前に私の知

ってるマラソンに関するお話を、最初に書かせていただきますね。

 まず、子供の頃、私の出身地宮崎に、マラソンで有名な旭化成所属の宗兄弟という双子

のランナーがいました。
 私は、オリンピックでメダルを取るように、テレビで見かけるたびに応援していたもの

でした。
 次に、宮崎で開催される青島太平洋マラソン大会に、村社講平というおじいちゃんがよ

く走っていました。
 この人、どんな人なのか、その頃はよく知らなかったのですが、1936年のベルリン

・オリンピックで、5000メートルと1000メートルを走り、ともに4位入賞を果た

したすごい人だったんです。
 村社講平さんは、ベルリン・オリンピックの記録映画「民族の祭典」にも登場しますし

、手塚治虫先生の「アドルフは告ぐ」にも走ってる姿が描いてあります。

 有名なマラソン選手では、円谷幸吉を挙げたいと思います。
 円谷選手を、最初に知ったのは、有名な遺書でした。
 それは、たぶん、川端康成を読んでいた時、彼が円谷幸吉の遺書を褒め称えていたのが

目に止まったのかも知れません。
 また、三島由紀夫は、「円谷二尉自刃」という文章に、「円谷選手の死のやうな崇高な

死をノイローゼなどという言葉で片付けたり、敗北と規定したりする、生きている人間の

思いあがりの醜さは許しがたい。それは傷つきやすい、雄々しい、美しい自尊心による自

殺であった」と強い調子で円谷幸吉の死を擁護したそうです。

 私のマラソンランナーのブロ友さんは、床屋さんのラジオで円谷幸吉の自殺を知り、す

ごくショックを受けたと教えてくれました。


 そのほかに、私はマラソンが、42・195キロになった理由も知っています。
 1896年に近代オリンピックが始まった時は、40キロ前後と統一されていなかった

そうですが、第4回のロンドン・オリンピックの時、イギリス王妃アレクサンドリアが、

スタート地点は王宮の庭に、ゴール地点は競技場の私のボックス席の前にと注文をつけた

のが発端となったとか。

 なんて、素晴らしいエピソードなんでしょう。 
 
 きっと、アレクサンドリアという王妃、可愛らしい人だったに違いないですね。
 だから、オリンピック委員会も選手も、アレクサンドリア王妃が喜ぶならと、そうした

のだと思います。
 今もその思いを胸に、選手のみなさんは走ってらっしゃるのかもですね♪
  


 ところで、太宰治に話を戻しますと、先日、テレビを観てたら、黒柳徹子さんの番組で

、児童文学者の石井桃子さんによる太宰治の思い出を綴った文章の一部が、阿川佐和子さ

んの朗読で紹介されていました。
 実は私、その文章(太宰さん)が載った本、持ってるんです。
 それによると、石井桃子さんは、戦争中、太宰治と5,6回ほど会った事があるそうで

す。
 石井桃子さんは、かなり前にメロスとセリヌンティウスの逸話をイギリスの本で読んで

、大変感激され、その逸話をもとにした太宰治の「走れメロス」を見つけた時、本当に嬉

しく思い、その時、初めて、太宰治を知ったのだとか。
 それで、私がこの「太宰さん」で、ひときわ注目したのは、太宰治が亡くなった後、井

伏鱒二と交わした会話なんです。
 井伏鱒二と太宰治は師弟関係にあり、井伏鱒二は何くれと太宰治の面倒を見ていたよう

です。
 その井伏鱒二が、石井桃子さんに向かって、「太宰君、あなたがすきでしたね」と言っ

た時、石井桃子さんは「はァ」と笑うような、不キンシンな声をだしてしまった。そして

、びっくりしたまま。と、この文章に書いてあるんです。
 その次に「それを言ってくださればよかったのに。私なら、太宰さん殺しませんよ」と

井伏鱒二に答えたと。

 私は、この部分で、石井桃子さんが、聡明で、自信に満ち、いかに多くの男性にモテた

かが分かる気がします。
 実際、石井桃子さんのお若いころの写真を見ると、すごい美人で、瞳がキラキラ輝いて

いるんです。
 だから、石井桃子さんのためなら、何でもやりましょうという男性が多かったはずなん

です。
 しかも、自分から進んで、さも嬉しそうにやる。
 それがあったから、「私なら、太宰さん殺しませんよ」という言葉が出たのだと、私は

確信するのです♪
 
 それと、「走れメロス」に入る前にもう一つ書かせて下さい。
 私が、以前、三島由紀夫の記事を書いていた時、作家の開高健の三島由紀夫評を記事に

して下さった方がいらしたんです。
 その開高健が、昭和35年6月に、大江健三郎、奥野健男、武田泰淳、中村真一郎、吉

行淳之介ら、当時の文学者や文芸評論家と座談会で、太宰治について語った文章を見つけ

たんです。
 それによると、太宰治が作品を発表した当時の世間の受け止め方が分かって、非常に興

味深かったのです。
 戦争中は、多くの作家が書かなくなったり、情報局から言われて、戦争に迎合するよう

なことを書いていたけれども、太宰治だけは上手く切り抜けて、不自由なく書いていた。
 つまり、戦争中、日本の文学の衰退を太宰治がただ一人で食い止めていた。
 だから、当時の文学青年は太宰治の新刊が出るのを、今か今かと待っていたそうです。
 三島由紀夫は、太宰治を女々しい奴と決めつけ、嫌っていたようですが、なんだか太宰

治を見直したくなっちゃいますよね?

 では、開高健は、太宰治について、どう語っているでしょう?
 「・・・僕も戦争末期頃にたまたま「晩年」が手に入ったんで読んだんですがね。その

とき、ひじょうに鮮明な印象を受けて、なかでも一番、好きだったのは「ロマネスク」と

いう作品だったんです。僕はこれを読んだ時に、実に楽しくてね。よかったなァ、あのと

きは。それで戦後しばらくして、柳田国男さんが「不幸なる芸術」というのを書いて、そ

のなかに、「鳥滸の文学」というのがある。それを読んでみると、要するに日本の説話の

文学系列のなかで今昔物語とか、著聞集とかの一種の笑いの系列の文学があって、戦国の

その日その日、生きるか死ぬかの陰惨な生活の中で、しかも彼らは高級な笑いを笑うこと

を忘れなかった。けれどこの伝統はその後吹っ切れてなくなってしまい、今ではただもう

悲痛や呻吟の文学ばかりが氾濫している。だからもう芸術というものは人に意外の快楽を

与える、笑いを与えるという、そういういう役目だけで芸術が終わってもいいのではない

か、そういう文学があってもいいのではないかと思うが、どうだろうと出しているんです

ね。この論文を読んだ時その場で太宰治のロマネスクを思い出しました。太宰治は落語の

語り口とか、民話の語り口などをきわめて巧妙に駆使してほんとに無償の笑いに成功して

いる。「鳥滸」なんです。これは彼独自の資質でもあり、天才だとも思うんですが、当時

の仲間のみんなが真似するのは笑いの方ではなく悲痛呻吟の作品ばかりでね。(笑い声)

笑いの方を真似するのはむずかしいことなんだけれど・・・」

 これは考えさせられますね。
 太宰治は人生を深刻に考え、悩み抜いた挙句、亡くなったので、笑いの方はとかくおざ

なりにされる傾向があるようですので。


 それでは、いよいよ、私なりの「走れメロス」の感想に入る訳ですが、この作品は中学

校の教科書に載っていて、子供の頃に読んだ記憶があるんです。
 その時は友情の美しさや、人を信じることの大切さなどが、私の胸を打ったのですが、

あらためて読み直して、意外な事実を発見したんです。

 中学校の教科書では、メロスとセリヌンティウスが抱き合い、その美しい友情を見た暴

君ディオニスが心を改め、群衆が、「万歳、王様万歳」と歓声をあげたところで終わって

いたのですが、実はその続きがあることに気づいたんです。

それは・・・

 ひとりの少女が、緋のマントをメロスに捧げた。メロスは、まごついた。佳き友は気を

きかせて教えてやった。
 「メロス、君は、まっぱだかじゃないか。早くそのマントを着るがいい。この可愛い娘

さんは、メロスの裸体を、皆に見られるのが、たまらなく口惜しいのだ。」
 勇者は、ひどく赤面した。
                     (古伝説と、シルレルの詩から。)

 つまり、メロスは最初は衣服を身に着けていたようですが、いつの間にか全裸で走って

いた事になっているんです。
 しかも、それにメロスは気づかなかった。
 そういう事って、実際あるのでしょうか?

 私のブロ友のマラソンランナーも、パンツが脱げたことに気づかないまま走ったことが

あるのでしょうか? 

 まさか、
 「途中で衣服が脱げ、全裸に気づくようなら真剣に走ってない証拠さ。
 俺なんか、ゴールした時は、しょっちゅう全裸さ」
 なんて、返事が返ってきたら、どうしよう・・・(真っ赤)

 
 それはともかく、教科書を作った出版社や編集者は、この部分は中学生には不適切だし

、なくても別に構わないとの配慮から削除したと思うのですが、太宰治がこの部分を書い

たのは、何か特別な理由があるのではと思ったのです。
 
 実は、この部分の意味、子供の頃には分からなかったと思いますが、今の私ならよく分

かる気がします。
 
 この作品は男性が読んでも感動出来ると思うのですが、女性が読むと別の味わいがある

んです。

 言ってみれば、この作品は女性の読者をかなり強く意識して書かれているんです。

 まず、最初に「メロスは激怒した」となっていますよね?
 女性は、怒りっぽい男性とは付き合いたくないものなんです。
 だから、いきなりメロスに嫌な感じを受けるんです。
 そして、次に出てくるのが、「必ず、かの邪智暴虐の・・・」という聞いたこともない

、難しい言葉で、私、最後まで読めるかしら?とクラクラしてきちゃうんです。
 しかも、暴君ディオニスは誰も信じられず、我が子や妹まで殺してるんです。

 それは、まるっきり女性にとって恐怖意外の何ものでもありません。
 
 そんな暴君ディオニスをメロスは許せず、王宮に殴り込みに行くのですが、あえなく捕

まり、懐に忍ばせておいた短剣が見つかって、あわや死刑になりかけるのです。
 でも、もし情けをかけてくれるなら、妹に結婚式を挙げさせてあげたいから、三日間の

猶予が欲しい。その代わり、親友セリヌンティウスが人質になるからと、暴君ディオニス

に頼みこむのです。
 親友セリヌンティウスを本人の了解なしに人質にするのもどうかと思いますが、私は、

それより妹の結婚式という理由が引っかかっちゃうんです。
 もし、メロスがいかにも男らしいという設定なら、やり残した仕事があるので、それを

済ましておきたいからというのなら、なるほどと思うのです。
 でも、妹の結婚式という理由に、女性はちょっと安心するんです。

 メロスって、案外優しいところがあるのねと。

 だけど、それもつかの間、河が大雨で濁流になっていたり、山賊に襲われたり、カラカ

ラのお天気で体力を著しく消耗し走れなくなったり、ハラハラ・ドキドキの連続なんです


 そして、ようやく、セリヌンティウスが死刑になりかける間際に元の王宮に辿り着き、

熱い友情のおかげで、さしもの暴君ディオニスも改心し、ほっと胸をなでおろすのです。
 そこへ、太宰治から、今まで恐い思いをさせたり、ハラハラ・ドキドキさせて、ごめん

ね。はい、これプレゼントと言わんばかりに、メロスが全裸だったという事実を明かされ

るのです。(真っ赤)

 つまり、最後に現れる娘さんとは、女性の読者ってことなんです♪



 こう、読み解くと、いかに太宰治が女性の読者を大切にしていたかが分かりますよね?

(笑)


 あとオマケがあります♪

 この「走れメロス」を、漫画家の横山光輝先生が劇画にしてるんです。


 これって、横山ファンの間では有名なんでしょうか?

 太宰治の作品では、「走れメロス」が、一番、読まれているそうですが。

 え?
 横山光輝の「走れメロス」を知らなくて、横山作品を語るなかれというくらい超有名な

作品なんですか?
  
 それでは、心して読まなくちゃですよね。

 私が気になるのは、もちろん、ラストで、メロスが全裸であるかです。(笑)


 ドキドキしながら、そうっと読み進めてみると、描いてない!


 
 なあんだ、がっかり・・・じゃなくって。(苦笑)
 やっぱり、横山光輝先生は男の中の男ですね!

 友情と和解のお話に、メロスの全裸は必要ありません!

 男の生き方を追求し続けた横山光輝の「走れメロス」もまた素晴らしいと思った次第で

した♪