
前回、女々しい男の記事を書きましたが、それでは女とは、どういうものなのかについて書いてみたくなりました。
それで取り上げたくなったのが、1979年にパート1が3話と、1980年にパート2が4話放送された向田邦子さん脚本の「阿修羅のごとく」というテレビドラマです。
向田邦子さんは、1981年に台湾を旅行中、飛行機事故で、惜しくも51歳で亡くなられたのですが、「時間ですよ」「寺内貫太郎一家」「だいこんの花」「パパと呼ばないで」などの大ヒットドラマの脚本を手掛けられ、1980年には「花の名前」で、直木賞を受賞されています。
男性が、女性に求めるものに、美しさや優しさや可愛らしさがあると思うのですが、一体、女性の本質とは、どういうものなのでしょうか?
向田邦子さんは、女性の本質を「阿修羅」に例えています。
阿修羅とは、インド民間信仰上の魔族で、諸天は常に善をもって戯楽とするが、阿修羅は常に悪をもって戯楽とする。
天に似て、天に非ざるゆえに、非天の名がある。
外には仁義礼智信を掲げるかに見えるが、内には猜疑心強く、日常争いを好み、たがいに事実を曲げ、また偽って他人の悪口を言いあう。
怒りの生命の象徴。
争いの絶えない世界とされる。
彫刻では、三面六臂を有し、三対の手のうち一対は合掌他の二対は、それぞれ水晶、刀杖を持った姿であらわされる。興福寺所蔵の乾漆像は天平時代の傑作のひとつ。
このドラマは、70歳になる父親の不倫を知った四人の娘たちが、なるだけ母親に知られないように穏便に解決しようと集まって話し合っているうちに、娘たちにも男性にまつわる隠し事や秘め事などの問題が次々に露見して、思わぬ方向にストーリーが進んでいくという趣向になっています。
このドラマが放送された当時、私はまだまだ子供だったので、正直、内容をよく掴めませんでした。
それに、長女綱子を演じる加藤治子さん、次女巻子を演じる八千草薫さん、三女滝子を演じるいしだあゆみさん、四女咲子を演じる風吹ジュンさんら四人姉妹ははるかに年上だったので、あまり感情移入出来ず、心情を測りかねたのです。
しかし、今、観ると、これらの女優さんと年齢が近くなり、意外な発見があったり、いろんな思い出が蘇ってきて、ドラマ本来の素晴らしさとは別に違う意味でも楽しむ事が出来ました。
まず、長女の加藤治子さんからお話しますと、私が忘れられない思い出はタモリさんの「笑っていいとも」のテレフォンショッキングにご出演された時、戦争が終わって、間もない頃、誰もいないスキー場に一人で行って、しんしんと降っている雪が素敵だったとお話されていた事が蘇ってきました。
そのしゃべり方で、戦争で好きな人が戦死して、後を追って自殺しようと思い、一人でスキー場に行ったのかもしれないなと勝手に想像してしまいました。
もちろん、それは私の勝手な想像ですので、実際はどうだったか分からないですけど、ふとそんな気がしたんです。
次女役の八千草薫さんは、私にとって理想のお母さんで、八千草さんのご出演される番組はよく観ていた思い出があります。
そのなかでも、この「阿修羅のごとく」はとっても大好きな作品のひとつでした。
パート2の最初に、巻子役の八千草薫さんが万引きをする場面があり、ああ、どうなるんだろう?とドキドキしたのは今でもよく覚えています。
三女滝子役のいしだあゆみさんは、「ブルー・ライト・ヨコハマ」の頃、とってもお綺麗だったのを覚えています。
この人、仕事にメチャクチャ厳しいそうで、元マネージャーの野田義治さん(元巨乳タレント事務所イエローキャブの社長)によりますと、いつもいしだあゆみさんに怒られていて、ある時、「私はいつも崖っぷちの立場。あなたはそんな私の背中を押す立場。清水の舞台から落ちた私をどうするの?落ちたら私の下敷きになるのがあなたの仕事でしょっ」と言われた事があったとか。
でも、私がいしだあゆみさんで、一番驚いたのは、ショーケンこと萩原健一さんと一緒になったと話題になった時です。
その頃、萩原健一さんは薬物中毒で世間を騒がせていて、いしだあゆみさんて何て愛情深い人なんだろうと思ったものでした。
四女咲子役の風吹ジュンさんは、昔ははるか年上だったので、どこがいいのか、よく分からなかったんですけど、今、見るととってもイケてて、可愛い人だったんだなと初めて気づきました。(笑)
この四人の姉妹の絡みを中心にストーリーが進んでいくのですが、何がすごいって、姉妹の日常会話のやりとりが、まったく自然で、セリフがポンポン飛び交い、言葉のキャッチボールの妙にただただ圧倒されてしまうのです。
これで向田邦子さんが、いかに人間をよく観察していたかが分かりますが、和田勉さんという男性の監督が指揮していたのも女性らしさを演出するうえで良かったのかも知れないなと思いました。
向田邦子さんが、なぜ父親の不倫を扱ったかと言いますと、父親を中心とした家庭のあり方を描くと共に、大きくなった四人の姉妹がそれぞれ考えも暮らしもバラバラになりながら、どうやってその関係を進展させていけばいいのか、私達に疑問を投げかけたかったのだと思います。
そして、四人の姉妹のやりとりと、それぞれの男性への思いを描く事で、女の本質を浮き彫りにしていく目的もあったのではないでしょうか。
それではあらすじをご説明しますね。
ある日、図書館の司書をしている三女の滝子が姉妹全員集まるように電話するところから始まります。
みんな、何事だろうと集まると、父親に愛人と子供がいるらしく、65歳の母親に知られずに出来るだけ穏便に解決する方法を話し合うためでした。
母親はひたすら父親を信頼して、自分たちを育ててくれたので、お母さんが可哀想だと四人の姉妹は思うのです。
ところが、四人の姉妹は男性に対して、それぞれある悩みを抱えていて、それと平行してストーリーが進んでいくのです。
生け花を教えている長女の綱子は夫に先立たれ、家庭のある男性と不倫していて、その男性の妻にバレて、毎日、危ない橋を渡っています。
次女の巻子はサラリーマンの夫と、二人の中学生の子供がいて、一応何不自由なく過ごしているかのように見えますが、夫に愛人がいるような気がして、疑心暗鬼の日々を送っています。
三女の滝子はまだ独身で、父親の不倫を調べるために頼んでいた興信所の男性、勝又に好かれて、恋愛を進行させている最中です。
四女の咲子はチャンピオンを狙うボクサーに成りたての男性と同棲中で、彼の日となり影となりながら、愛を育んでいます。
こんな日々を送りながら四人の姉妹は、母親に父親の不倫を知られたくないと集まって話し合うのですが、ある日、新聞の投書欄にこんな記事を見つけます。
主婦 匿名希望 40
姉妹(きょうだい)というものは、ひとつ莢(さや)の中で育つ豆のようなものだと思う。
大きく実り、時期がきてはじけると、暮らしも考えもバラバラになってしまう。
うちは三人姉妹だが、冠婚葬祭でもないと滅多に揃うことはない。
ところが、つい最近、偶然なことから、老いた父にひそかに付き合ってる人のいることがわかってしまった。
老いた母は何も知らず、共白髪を信じて、穏やかに暮らしている。
わたしたち姉妹は集まってはため息をつく。
うちの夫もそろそろ惑いの四十代である。
波風を立てずに過ごすのが、本当に女にとって幸せなのか?
そんなことを考えさせられる今日このごろである。
姉妹達は最初、40に年齢や境遇が近い次女の巻子が書いたのだろうと勘ぐるのですが、そうではなく、母親が事の次第に気づき、投書したのだと分かるのです。
お母さんは、お父さんが浮気をしてるのに知らないふりして、過ごしている。
それが、どうにもいたたまれない姉妹達なのです。
年をとると憎しみとか、悲しいとかを超越するものなのだろうか?
お母さんには敵わないな・・・
そう思う巻子ですが、ある日、母親が、父の浮気相手の女性のいるアパートをじっと見つめている姿を偶然、見てしまうのです。
その姿は、なぜ私の愛情を理解してくれないで、ほかの女性の元へ通うのかと、ひたすら悲しい思いを我慢して見つめているようでした。
そして、そのまま母親はその場に崩折れてしまうのです。
その横で、母親が買い物した卵のからが割れて、白身と黄身が路上に醜く流れ出すのです・・・
それはまるで、苦労の多かった生活から生まれたささやかな幸福が、無残にも砕け散った象徴的な場面でした。
そのあと、母親は救急車で病院に運ばれるのですが、帰らぬ人となってしまいます・・・
父親は畳に突っ伏して後悔するばかりです。
しかし、このドラマの秀逸なところは、たんに父親の不倫を責めてばかりいないところにあります。
四女の咲子の同棲している男性が浮気した時、巻子の夫の鷹男にこんなセリフがあります。
咲子は、男性がチャンピオンになるまで、セックスしないと誓い合ったり、減量中は自分も空腹に耐えて、同じ苦しみを味わおうとするのですが、「男性は先回りして気を使わされると、気が休まらなくなってしまうんだよ」と言うのです。
どうやら、男性には男性なりの苦しさがあるみたいです。
そして、一見優しくて、事を丸く収めようとする四人の姉妹を阿修羅に例え、パート1は母親のお葬式の帰りに、鷹男にこんなセリフを言わせて幕を閉じるのです。
鷹男
「阿修羅だな。女は阿修羅だね。阿修羅ってね、インドの民間信仰上の神様なんだ。
外っかわは仁義礼智信を標榜してるんだが、気が強くて、人の悪口を言うのが好きで、怒りや争いのシンボルだそうだ。」
勝又
「戦いの神様って訳ですか?」
鷹男
「勝ち目ねえよ、男は」
すると、前を歩いていた四人の姉妹がみな振り返って、「何か言った?」と、口々に鷹男と勝又に尋ねるのです。
それに、二人は「何でもないです。」と恐れ入って答えるばかりなのです。
パート2は四人の姉妹の愛の形に話しの中心が移り、姉妹の絡みを通して、女の本質にさらに迫っていきます。
とくに、興信所の男性、勝又と結ばれた滝子と、夫がチャンピオンになって、一旦、喜ぶ咲子との二人の確執と、咲子の夫の転落の人生に焦点を合わせて、家族とは何なのか?女の生き方とは何なのかを追求してエンディングへと向かっていき、ハラハラ・ドキドキして、どんなラストが用意されているのか、最後まで目が離せませんでした。
向田邦子さんの女性ならではの視点から描いた素晴らしい名作ドラマ、女性の本質が知りたければ、ぜひご覧になることオススメします。