
あなたは、この映画を観て泣いたと、私に教えてくれました。
私は、男性のあなたが流したその涙を、とても美しく尊いと思いました。
この映画は大林宣彦監督の新・尾道三部作の第一作と言われているそうです。
そうした背景から尾道が舞台になっていて、尾道によくある曲がりくねった細い坂道や、歴史を感じさせる古い建造物がところどころに出てきます。
私はこの映画を観て、一心同体とも言える姉を失った妹の悲しみ、残された家族の思いをどう将来に繋いでいけばいいのか、取り留めもなく様々な想念がわきあがって、しばし考え込まずにはいられませんでした…
中学生の美加には、高校生の千津子という勉強もスポーツも何でも出来る家族思いの優しい姉がいて、ドジで、のろまな美加とはまるで正反対のタイプでした。
こんな優等生の姉を幼い頃から見てきた妹は、どんなふうに育つでしょう。
尊敬しながらも、自分はとても敵わないと自信をなくし、何事にも消極的に生きていきそうな気がします。
美加はまさに、そういうタイプの女の子で、それは美加がいつも発する自信のなさそうなかすれた声と、うつむき加減に歩く姿に現れています。
しかし、姉はそんな妹をさげずむでなく、いつも優しい眼差しで見守っていたのです。
そう、通学途中のあの日の朝までは。
あの日、千津子は忘れ物を取りに、家に引き返そうとして、動き出したトラックの下敷きになってしまうのです。
慌てて、助けを呼ぼうとした美加に千津子は「待って。行かないで。一緒にいて。
私はもうすぐ死ぬわ。聞いて。私が亡くなったら、お母さん、しばらく立ち直れないわ。
あんたが、しっかりしなけりゃ駄目。わかった?
あんたはね、私なんかより、ずっと才能のある子なのよ。
だから自信を持つの。
あんたの生き方に自信を持つの」
と言い残して亡くなるのです。
千津子は必死に痛みに耐えながら、家族の身を案じ、美加を勇気づけて死んでいくのです。
だけど、美加には荷が重すぎて、どうしていいかわからないのです。
そんな折り、美加の前に、亡くなったはずの千津子が姿を現します。
それは美加の空想なのか、千津子の霊なのか、はっきりとは語られていません。
だけど、千津子がいつも寄り添ってくれるのを素直に喜び、千津子の励ましで、勇気がわき、頑張れる美加なのです。
この場面の千津子の、美加に対するあたたかい言葉の数々はとても感動的です。
そうして、ピアノの発表会でも、マラソン大会でも、千津子は励まし続けるのです。
そのマラソン大会の日、両親も応援に駆けつけるのですが、美加がゴールする時、両親の目に一瞬、千津子の姿が見えるのです。
「あなた、今、あの子が千津子に見えたわ」と涙ながらに、父親に言う母親。
「ああ、千津子にそっくりだった。思い出してやれ。そんなふうに思い出すと、千津子も喜ぶだろう」
と答える父親。
死んでもなお我が子を思う両親の愛情の深さに、私は涙を抑えられませんでした…
やがて、美加は高校生になり、家族揃って、悲しみを乗り越え、亡くなった千津子の思い通りに幸福を取り戻すかに見えたのですが、父親の転勤をきっかけにして、家族崩壊の危機が訪れるのです。
まるで、想いを永遠につなぎ止める事は誰にも出来ないのだというふうに…
その頃、美加はまだ千津子にすがって生きていました。
でも、もうすぐしたら、千津子の年齢を追い越す時がやって来るのです。
いつまで、美加は千津子に頼り続けるのでしょう?
そして亡くなった千津子の想いはどうなるのでしょう?
この家族には、かつて千津子という美しく聡明で優しい長女がいました。
彼女はいつも家族みなが幸福であるように願っていました。
ところが、どんな運命に導かれたのか、志し半ばで、命を奪われてしまったのです。
肉体が滅んだら、彼女の想いも死んでしまうのでしょうか?
想いを永遠につなぎ止める事は不可能なのでしょうか?
映画を観終わったあと、私の胸に千津子の歌う「草の想い」が、いつまでも果てしなく聞こえて来るようでした…
「草の想い」作詞 大林宣彦
昔、人の心に 言葉ひとつ生まれて
伝えてね この声を 草の想い
風に この手かざして 見えない森たずねて
あなたの歌を探して かくれんぼ
私の足音を聞いてね たしかな眉を見てね
そして今は言わないで
ひとり砂に眠れば ふたり露に夢見て
喜びと悲しみの花のうたげ…
私は、男性のあなたが流したその涙を、とても美しく尊いと思いました。
この映画は大林宣彦監督の新・尾道三部作の第一作と言われているそうです。
そうした背景から尾道が舞台になっていて、尾道によくある曲がりくねった細い坂道や、歴史を感じさせる古い建造物がところどころに出てきます。
私はこの映画を観て、一心同体とも言える姉を失った妹の悲しみ、残された家族の思いをどう将来に繋いでいけばいいのか、取り留めもなく様々な想念がわきあがって、しばし考え込まずにはいられませんでした…
中学生の美加には、高校生の千津子という勉強もスポーツも何でも出来る家族思いの優しい姉がいて、ドジで、のろまな美加とはまるで正反対のタイプでした。
こんな優等生の姉を幼い頃から見てきた妹は、どんなふうに育つでしょう。
尊敬しながらも、自分はとても敵わないと自信をなくし、何事にも消極的に生きていきそうな気がします。
美加はまさに、そういうタイプの女の子で、それは美加がいつも発する自信のなさそうなかすれた声と、うつむき加減に歩く姿に現れています。
しかし、姉はそんな妹をさげずむでなく、いつも優しい眼差しで見守っていたのです。
そう、通学途中のあの日の朝までは。
あの日、千津子は忘れ物を取りに、家に引き返そうとして、動き出したトラックの下敷きになってしまうのです。
慌てて、助けを呼ぼうとした美加に千津子は「待って。行かないで。一緒にいて。
私はもうすぐ死ぬわ。聞いて。私が亡くなったら、お母さん、しばらく立ち直れないわ。
あんたが、しっかりしなけりゃ駄目。わかった?
あんたはね、私なんかより、ずっと才能のある子なのよ。
だから自信を持つの。
あんたの生き方に自信を持つの」
と言い残して亡くなるのです。
千津子は必死に痛みに耐えながら、家族の身を案じ、美加を勇気づけて死んでいくのです。
だけど、美加には荷が重すぎて、どうしていいかわからないのです。
そんな折り、美加の前に、亡くなったはずの千津子が姿を現します。
それは美加の空想なのか、千津子の霊なのか、はっきりとは語られていません。
だけど、千津子がいつも寄り添ってくれるのを素直に喜び、千津子の励ましで、勇気がわき、頑張れる美加なのです。
この場面の千津子の、美加に対するあたたかい言葉の数々はとても感動的です。
そうして、ピアノの発表会でも、マラソン大会でも、千津子は励まし続けるのです。
そのマラソン大会の日、両親も応援に駆けつけるのですが、美加がゴールする時、両親の目に一瞬、千津子の姿が見えるのです。
「あなた、今、あの子が千津子に見えたわ」と涙ながらに、父親に言う母親。
「ああ、千津子にそっくりだった。思い出してやれ。そんなふうに思い出すと、千津子も喜ぶだろう」
と答える父親。
死んでもなお我が子を思う両親の愛情の深さに、私は涙を抑えられませんでした…
やがて、美加は高校生になり、家族揃って、悲しみを乗り越え、亡くなった千津子の思い通りに幸福を取り戻すかに見えたのですが、父親の転勤をきっかけにして、家族崩壊の危機が訪れるのです。
まるで、想いを永遠につなぎ止める事は誰にも出来ないのだというふうに…
その頃、美加はまだ千津子にすがって生きていました。
でも、もうすぐしたら、千津子の年齢を追い越す時がやって来るのです。
いつまで、美加は千津子に頼り続けるのでしょう?
そして亡くなった千津子の想いはどうなるのでしょう?
この家族には、かつて千津子という美しく聡明で優しい長女がいました。
彼女はいつも家族みなが幸福であるように願っていました。
ところが、どんな運命に導かれたのか、志し半ばで、命を奪われてしまったのです。
肉体が滅んだら、彼女の想いも死んでしまうのでしょうか?
想いを永遠につなぎ止める事は不可能なのでしょうか?
映画を観終わったあと、私の胸に千津子の歌う「草の想い」が、いつまでも果てしなく聞こえて来るようでした…
「草の想い」作詞 大林宣彦
昔、人の心に 言葉ひとつ生まれて
伝えてね この声を 草の想い
風に この手かざして 見えない森たずねて
あなたの歌を探して かくれんぼ
私の足音を聞いてね たしかな眉を見てね
そして今は言わないで
ひとり砂に眠れば ふたり露に夢見て
喜びと悲しみの花のうたげ…
ご丁寧なコメント、心より感謝いたします。
私が「源氏物語」を読んで、驚いたのは一夫多妻制というありかたもですが、結婚に至る過程が男性の夜ばいから始まる点でした。
つまり、当時の貴族(男性)は、いいなという女性を見つけたら、現代みたいにデートを重ねたあとに体の関係になるのでなく、いきなり女性の体を奪う事から関係が始まるのですよね。
そこには女性の意思はまったく反映されていないのです。
それでも、その男性がその女性のタイプなら構わないですけど、そうでない場合、どうする事も出来なかった。
ただ一つ許された女性の意思表示は出家して仏門に入る事だけだったのです。
それを考えると、当時のお姫様はとても可哀相な気がしてならないのです。
紫式部が「源氏物語」で一番訴えたかったのは、その辺にあるのではと私は思っています。
あざらしさんの解釈もとっても勉強になりました。
久しぶりに「源氏物語」をひもときたくなりました。