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奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

映画「ふたり」大林宣彦

2012-08-05 23:53:17 | 映画・テレビ
あなたは、この映画を観て泣いたと、私に教えてくれました。

私は、男性のあなたが流したその涙を、とても美しく尊いと思いました。




この映画は大林宣彦監督の新・尾道三部作の第一作と言われているそうです。

そうした背景から尾道が舞台になっていて、尾道によくある曲がりくねった細い坂道や、歴史を感じさせる古い建造物がところどころに出てきます。

私はこの映画を観て、一心同体とも言える姉を失った妹の悲しみ、残された家族の思いをどう将来に繋いでいけばいいのか、取り留めもなく様々な想念がわきあがって、しばし考え込まずにはいられませんでした…


中学生の美加には、高校生の千津子という勉強もスポーツも何でも出来る家族思いの優しい姉がいて、ドジで、のろまな美加とはまるで正反対のタイプでした。

こんな優等生の姉を幼い頃から見てきた妹は、どんなふうに育つでしょう。

尊敬しながらも、自分はとても敵わないと自信をなくし、何事にも消極的に生きていきそうな気がします。

美加はまさに、そういうタイプの女の子で、それは美加がいつも発する自信のなさそうなかすれた声と、うつむき加減に歩く姿に現れています。

しかし、姉はそんな妹をさげずむでなく、いつも優しい眼差しで見守っていたのです。

そう、通学途中のあの日の朝までは。

あの日、千津子は忘れ物を取りに、家に引き返そうとして、動き出したトラックの下敷きになってしまうのです。
慌てて、助けを呼ぼうとした美加に千津子は「待って。行かないで。一緒にいて。
私はもうすぐ死ぬわ。聞いて。私が亡くなったら、お母さん、しばらく立ち直れないわ。
あんたが、しっかりしなけりゃ駄目。わかった?
あんたはね、私なんかより、ずっと才能のある子なのよ。
だから自信を持つの。
あんたの生き方に自信を持つの」
と言い残して亡くなるのです。

千津子は必死に痛みに耐えながら、家族の身を案じ、美加を勇気づけて死んでいくのです。

だけど、美加には荷が重すぎて、どうしていいかわからないのです。

そんな折り、美加の前に、亡くなったはずの千津子が姿を現します。


それは美加の空想なのか、千津子の霊なのか、はっきりとは語られていません。

だけど、千津子がいつも寄り添ってくれるのを素直に喜び、千津子の励ましで、勇気がわき、頑張れる美加なのです。
この場面の千津子の、美加に対するあたたかい言葉の数々はとても感動的です。

そうして、ピアノの発表会でも、マラソン大会でも、千津子は励まし続けるのです。

そのマラソン大会の日、両親も応援に駆けつけるのですが、美加がゴールする時、両親の目に一瞬、千津子の姿が見えるのです。

「あなた、今、あの子が千津子に見えたわ」と涙ながらに、父親に言う母親。

「ああ、千津子にそっくりだった。思い出してやれ。そんなふうに思い出すと、千津子も喜ぶだろう」
と答える父親。

死んでもなお我が子を思う両親の愛情の深さに、私は涙を抑えられませんでした…


やがて、美加は高校生になり、家族揃って、悲しみを乗り越え、亡くなった千津子の思い通りに幸福を取り戻すかに見えたのですが、父親の転勤をきっかけにして、家族崩壊の危機が訪れるのです。


まるで、想いを永遠につなぎ止める事は誰にも出来ないのだというふうに…


その頃、美加はまだ千津子にすがって生きていました。


でも、もうすぐしたら、千津子の年齢を追い越す時がやって来るのです。

いつまで、美加は千津子に頼り続けるのでしょう?


そして亡くなった千津子の想いはどうなるのでしょう?




この家族には、かつて千津子という美しく聡明で優しい長女がいました。


彼女はいつも家族みなが幸福であるように願っていました。

ところが、どんな運命に導かれたのか、志し半ばで、命を奪われてしまったのです。


肉体が滅んだら、彼女の想いも死んでしまうのでしょうか?

想いを永遠につなぎ止める事は不可能なのでしょうか?


映画を観終わったあと、私の胸に千津子の歌う「草の想い」が、いつまでも果てしなく聞こえて来るようでした…



「草の想い」作詞 大林宣彦

昔、人の心に 言葉ひとつ生まれて  

伝えてね この声を 草の想い

風に この手かざして 見えない森たずねて

あなたの歌を探して かくれんぼ

私の足音を聞いてね たしかな眉を見てね

そして今は言わないで

ひとり砂に眠れば ふたり露に夢見て

喜びと悲しみの花のうたげ…













 

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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
はじめまして (あざらし)
2012-08-09 19:46:29
私は、源氏物語が好きです。初めて、あなたの記事を読ませて頂きました。数年前の記事らしいので、最新の欄にコメントを送らせて頂きます。すみません。ここ最近は朧月夜の君の人気が上がっているというのは、本当にわかる気がします。あなたのおっしゃる通り、女性の意識が変わったからなんでしょうね。フェミニスト達が頑張って女性達を洗脳してきたからです。女性が虐げられたというのは、実は嘘です。日本の男性は昔から世界一優しかったんですよ。明治以降の戦争は、欧米支配を退くための自衛の戦争でした。世界の戦争は略奪、大量殺戮、強姦と当たり前なんです。だけど、温和な日本の男性達は外国人に比べてそんな犯罪はしなかったんです。白人達は他国を侵略したけど、日本人は台湾や今の韓国を近代国家にしました。これはとても珍しいんです。日本が戦争に勝ってアジアでの利権を今も持っていたら、きっと今の中国人、朝鮮人はまだ幸せになれたかもしれません。台湾の人達は今でも日本を認めてくれます。この精神は明治になって突然作られたわけではなく、非常に長く長く日本人に受け継がれていきました。日本の女性は世界一保護されています。昔の日本女性は本当に優しく健気でわきまえていました。けれど、今はフェミニスト達の洗脳で女性は必要以上に権力を持ち、傲慢になりました。大和撫子はいなくなり、男性達がだんだん女性に失望し、中には結婚する気がない人も増えました。日本はフェミニズムなど必要ないぐらい、いい国でした。西洋は昔から女性不信、女性蔑視の傾向が強く、男性達は女性達を信じていませんでした。日本は主婦が財布を握るけど、西洋の夫達は必要なお金しか妻に渡さないんです。このような土壌なら西洋がフェミニズム発信地なのは頷けます。ただし、アメリカやイギリスなど、共産主義に警戒する国もあるぐらいだし、むしろ彼らは私達日本人以上に男女の意識が強く、性的アピールをしますよね。日本よりも過酷な性愛バトルに勝つためでもあるんでしょう。西洋の男性達は一生一人の女性に縛られないためにいくらでも女性をおだててフェミニストが大好きな自立に賛成してるふりをしてると思います。男性は信用できる女性としか結婚したくないんですね。後のどうでもいい女性達と恋愛するんです。光源氏もそうなんですよ。男性は父性の確認をするには貞淑な女性と結婚するしかないからです。紫の上は信用できる妻でした。そして終生源氏に愛されました。
返信する
長くなってすみません (あざらし)
2012-08-09 20:13:34
朧月夜の君は哀しいかな。信用されない女の部類に入れられました。ただし私はちょっと怒りを覚えます。源氏は朧月夜の処女を奪ったのに責任をとりませんでした。ようするに終生彼女をセックス相手にするつもりだったのでしょう。朧月夜が可哀想です。複数の男性と関わるのがそれ程にいい事なのか、現代の女性は真剣に考えてほしいと思います。朧月夜のいた屋敷は戸締まりがされてなく、朧月夜は立って踊って歌ってる所を源氏に見つかるわけで。当時の姫君にはあるまじき振る舞いでした。男性に軽く見られたくなければつつしみなさいというわけですね。今の女性は優しさや愛が薄らいでいると私も思いました。反対にいかに男に愛されてるか、自分の魅力でどれだけの男を振り回すかで価値をもとうとするのでしょう。日本女性は品がなくなりましたね。悲しいです。女性は複数の異性を愛する才能は男性程ないでしょうね。だって女性はどんな男性も自分の財力で面倒見ますか?薄情で自己愛の強い女性程、たくさんの遍歴を重ねてると思います。複数の異性を愛して面倒見る才能は男性にあると思います。だから遍歴を繰り広げても女性より許されるんですね。男性はたくさん男がほしいなら自立してくれ。一人の男に愛されたかったら貞淑になれと女性に言うんですよ。男も女も自由な社会と一組の男女が愛し合う社会とどっちがいいか今の女の人達に聞いてみたいです。かなり長くなってすみませんでした。紫の上は優しい日本の土壌が育んだ理想の女性だと思います。光源氏は趣味が高く教養豊かです。紫の上はだからこそ光源氏の薫育で大和撫子に成長したのでしょうね。一人の異性をじっくり育てるのは義理堅い男性にできるんでしょうね。女性は現実的たので、そこまでしないと思います。元々自己愛が強い女性達は、真に大人の女らしさを身につけるには、他者を愛する事ですね。夫を子供を愛し、やがて人類愛にたどり着けば最高だと思います。紫式部の愛がたっぷり詰まった源氏物語にずっと私は魅了され続けると思います。本当に素敵な記事をありがとうございます。ご自愛されて下さい。お邪魔しました。
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あざらしさんへ (奈々)
2012-08-12 09:10:50
あざらしさん、ご返事が遅くなってすみませんでした。
ご丁寧なコメント、心より感謝いたします。
私が「源氏物語」を読んで、驚いたのは一夫多妻制というありかたもですが、結婚に至る過程が男性の夜ばいから始まる点でした。
つまり、当時の貴族(男性)は、いいなという女性を見つけたら、現代みたいにデートを重ねたあとに体の関係になるのでなく、いきなり女性の体を奪う事から関係が始まるのですよね。
そこには女性の意思はまったく反映されていないのです。
それでも、その男性がその女性のタイプなら構わないですけど、そうでない場合、どうする事も出来なかった。
ただ一つ許された女性の意思表示は出家して仏門に入る事だけだったのです。
それを考えると、当時のお姫様はとても可哀相な気がしてならないのです。
紫式部が「源氏物語」で一番訴えたかったのは、その辺にあるのではと私は思っています。

あざらしさんの解釈もとっても勉強になりました。
久しぶりに「源氏物語」をひもときたくなりました。
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