
私の子供の頃、テレビドラマの優れた脚本家に、今年の春頃、ご紹介した「阿修羅のごとく」の向田邦子さんと、「ふぞろいの林檎たち」で有名な山田太一さんがいらっしゃいました。
今回、ご紹介する倉本聰さんも、そのなかのおひとりだったのですが、実を言うと私は今まで倉本聰さんのドラマは「北の国から」の総集編とスペシャル版くらいしか観たことがなかったのです。
そこで、いつの日か倉本聰さん脚本のテレビドラマを観てみたいと思うようになり、レンタル屋さんで「前略おふくろ様Ⅱ」のビデオが置いてあるのを見つけたのです。
しかし、私はそれを観るのを、ちょっとためらってしまいました。
というのも、そのドラマで主演しているのが、萩原健一さんだったからです。
私は、萩原健一さんが苦手で、この人の出ているテレビドラマや映画はまったくと言っていいほど観たことがなかったんです。
その主な理由は、若い頃、不良で、ケンカばっかりしていて、ショーケンというあだ名もそこから来ているらしいと知っていたからです。
私、ケンカをする人って、あまり好きじゃないんです。(苦笑)
それに、マッチも歌っていた「愚か者よ」を歌う姿を、テレビで見た時、どう見ても酔っ払っているようにか見えず、不真面目な印象を持たざるを得ませんでしたし、元奥様のいしだあゆみさんを幸せにも出来ませんでしたでしょう?
それに、最近では数年前に、あるテレビドラマの出演料を巡って、ひと悶着起こしたりしてますから。
ですから、はっきり言って、私は萩原健一さんの人間性に疑問さえ持っていたのです。(苦笑)
でも、ただひとつだけグループ・サウンズのザ・テンプターズの時に歌っていた「♪湖に、君は身を投げた・・・」で始まる「エメラルドの伝説」という曲は、ロマンにあふれ、何度、聴いても素晴らしいなと思っていました。
この歌を、私が初めて聴いたのは、ザ・テンプターズが解散して、ずっと後だったので、萩原健一さんがボーカルだと知った時はすごく驚いてしまいましたが。
そういう訳で、心根はいい人かも知れないと自分に言い聞かせて、ようやく観てみる決心がついたのです。
なにより、倉本聰さんの脚本のどこが素晴らしいのかを知りたかったのは言うまでもありません。
このドラマを観て、まず驚いたのは登場人物の多さでした。
またその登場人物がみな個性的で、なおかつそれぞれの過去を引きずりながら生きていて、、主人公の三郎(萩原健一)と絶妙に絡み合いつつストーリーが進んでいくのです。
これって、脚本を書くのも大変ですよね?
これだけでも、倉本聰さんの才能の凄さがわかるようです。
しかし、なぜこのドラマには沢山の登場人物が必要だったのでしょう?
それは、様々な人々の人生を三郎に示して、一人前の男にするためだったように思います。
三郎は、東京の下町深川にあった前の職場の料亭分田上(わけたがみ)で師匠のように慕っていた花板の秀次(梅宮辰夫)に誘われ、同じ深川の料亭川波で、板前の修行をしながら働いています。
分田上は、高速道路建設のために取り壊されてしまったのです。
三郎には、故郷の山形に年老いた母親がいて、親思いの彼は「前略おふくろ様・・・」という書き出しで、よく身近な出来事を手紙に書いていました。
その姿は、ちょっとマザコン気味かな?と思えなくもないです。
でも、昔は今と比べると、親孝行な人が多かったような気がします。
「♪母さんが夜なべをして、手袋編んでくれた 木枯らし吹いちゃ、冷たかろうて せっせと編んだだよ ふるさとの便りは届く 囲炉裏の匂いがした・・・」
窪田聡さん作詞作曲のこの歌は母親を想う気持ちが作らせたのだと思いますし、井沢八郎さんが歌った「ああ、上野駅」の中には、こんなセリフもあります。
「父ちゃん、僕がいなくなったんで、母ちゃんの畑仕事も大変だろうな。今度の休みには必ず帰るから、その時は父ちゃんの肩も母ちゃんの肩も、もう嫌だっていうまで叩いてやるぞ。それまで、元気で待っていてくれよな」
山田太郎さんの「新聞少年」の2番の歌詞は、こうなっています。
「♪今朝も出掛けに母さんが 苦労かけると泣いたっけ 病気でやつれた横顔を思い出すたび この胸にちっちゃな闘志を燃やすんだ・・・」
それに、昔は芸能人やスポーツマンなど、有名人でも「早く一人前になって、親を楽にさせてあげたい一心で頑張ってきた」と言う人が多かったのです。
今、若い人で、そう答える人は、あまりいらっしゃらないですよね?
昔はそれだけ苦労した人が多かったという事でしょうか?
それでは、三郎は、母親にどんな想いで、「前略おふくろ様・・・」と手紙を書いていたのでしょう?
私は、三郎が「前略おふくろ様、」とつぶやくのを何度も聞いているうちに、母親とはどういう存在なんだろうと考えてみたくなったのです。
すると、幕末から明治の頃の日本画家、狩野芳崖の絶筆と言われる「悲母観音」の絵が、ふと浮かんできたのです。
その絵は、狩野芳崖が晩年、アメリカ人の美術史家フェノロサに「聖母マリア図」に比肩する絵を描くように依頼された作品で、画家の岡倉天心をして、「近世にこの絵画に比べうる作品はない。過去の名画をはるかに超えている」と大絶賛させ、現在、国の重要文化財にまで指定されているそうです。

その絵の意味するところは、子供に対する母親の愛情がテーマで、温かい慈しみの眼差しに満ちた悲母観音が、手に持った水瓶から妙薬とされる甘露水を垂らし、それによって赤ん坊に生命が与えられ、幸せに育つように願う姿を現しているそうです。
思えば私にとっても、母はほかの人とは違う、とても特別な存在の人でした。
若かった頃は仕事熱心で、厳しい一面も持っていましたが、普段は物腰が柔らかく、友達も大勢いました。
それに、どんなことがあっても、母は私を信頼してくれてましたし、私の体や将来の事までも、いつも気にかけ、心配してくれていました・・・
母の優しさを想うと、今でもつい目頭が熱くなります・・・
おそらく、このドラマの主人公三郎も、母親に愛情深く育てられたに違いありません。
しかし、母親は人間であって、時には煩悩に煩わされたり、思いもよらぬ事をしでかさないとも限らないのです。
倉本聰さんは三郎の母親が、三郎と年齢の近い西城秀樹のファンであったり、鳶職である渡辺組の小頭の半妻(室田日出男)の母親と、川波の女将で、冬子(木之内みどり)の母親である竹内かや(八千草薫)を例に、人間的な母親の一面を垣間見せてくれます。
たとえば、半妻の母親は、息子の嫁と顔を合わせるのも嫌なくらい折り合いが悪く、テレビドラマの「となりの芝生は伸び放題」という嫁と、姑が争う番組が大好きなのです。(笑)
実はこの当時、このタイトルによく似た「となりの芝生」というテレビドラマが実際にあったそうです。
そのドラマの脚本家は、嫁と、姑の争いを書かせたら、右に出る者はいないと言われるあの橋田壽賀子さんで、嫁が山本陽子さん、姑が沢村貞子さん。
姑役の沢村貞子さん、さぞかし迫力あったでしょうねぇ。
私が、沢村貞子さんちの嫁だったら、絶対、頭があがらないと思います。(苦笑)
でも、私は沢村貞子さんが大好きで、昔、テレビドラマの原作にもなった「私の浅草」や「貝のうた」、それと「わたしの三面鏡」というご本を愛読してたんですよ♪
ところで、最近、私が、嫁と、姑の争いで、驚いたのは、手塚治虫先生のお母さまと、悦子夫人との間にも、それがあったという事です。
悦子夫人の書いた「夫・手塚治虫とともに(木洩れ日に生きる)」によると、悦子夫人は、姑にこう言われた事があり、かなりショックを受けられたそうです。
「治は私のかけがえのない息子です。そして時には夫と思い、また恋人でもあるのです。
仲の良いあなた達にジェラシーを感じる事もあるのです。」
しかし、お孫さんが出来た頃から、だんだん関係がよくなっていったそうです。
ドラマのお話に戻ります。
一方、人間的な母親の例として、料亭川波の女将さんで、かすみの母親の竹内かや(八千草薫)の場合は、娘と何かにつけて張り合ったり、あろうことか結婚している大学教授の男性と不倫をしているのです。
その竹内かやのエピソードで、一番、印象に残ったのは、川波をよく利用している会社が倒産してしまい、60万円のつけがあるのに、かやが仲居達の反対を押しのけ、その会社の専務の娘の結婚の前祝いを引き受けた事です。
かや「お店のこと心配してくれるのは有難いんだけど、私にはもっと大事なことがあるの。ちゃんとお世話になったお客様にそんな不人情なことするくらいだったら、お店つぶれた方がよっぽどいいんだから。」
その専務は、その日、つけをしっかり払ってくれるのですが、川波で自殺をはかるのです。
その晩、飲み屋で三郎は、仕事仲間の政吉、修と語り合い、こんなセリフが出てきます。
政吉
「だけど、おれ不思議に思うんだけどさ。あれほど気を使って、うちの借金も綺麗にした人が、なんでまた最後にうちに迷惑をかける形とったのかな?自殺するなら、なにも川波じゃなくても、どこかよそでやればいいだろ。そこまでやってくれたら最高だったのにな」
三郎
「自殺するのに、最高も最低もないんじゃないですか。そんな格好を考える暇があったら、最初から自殺なんかしないんじゃないですか」
それに、修が
「そうだな・・・せめて最期くらい誰か親しいあったかい人のそばにいたかったんじゃないかな。それが人間の弱さってもんだろ・・・」と言い、みな黙って頷くのです。
女性の本質とか、女性の優しさについて考えさせられる場面でした。
ところで、三郎のお母さんは、少ししか登場しないのですが、私が今年の3月に書いた映画の「楢山節考」で、お母さん役をしていた田中絹代さんが演じていて、このドラマの放送が終わるのを待たずに他界されたそうです。
(私は、ブログを再開したら、真っ先に母親にまつわるドラマか映画のお話をしようと思っていたのですが、田中絹代さんがこのドラマにご出演されていたのはまったく知らなくて、この偶然に驚いてしまいました。)
そして、ドラマの中でも、三郎のお母さんは亡くなってしまうのです・・・
しかし・・・、子供はいつかは母親の元を離れなければならないのですよね。
三郎にとって、それは一人前の板前になることであり、一人前の男になることなのです。
一人前の板前は美味しい料理が作れる人のことですが、一人前の男にはどうしたらなれるのでしょうか?
実は、このドラマに登場する男性の役者さんは、別の番組や映画で悪役を演じた人が多く出演されています。
三郎が慕う花板の秀次役の梅宮辰夫さんはヤクザやプレイボーイの役、室田日出男さん、川谷拓三さん、志賀勝さんは共に、ピラニア軍団というのを結成していて、チンピラの役が多く、このドラマでも喧嘩っ早い性格をしています。
それから考えると、倉本聰さんはおそらく一人前の男とは覇気をみなぎらせて、迫力を感じさせる男性のことを言いたかったのではないでしょうか?
そして、一人前の男に欠かせないのは愛し愛される女性がいる事。
しかし、三郎は照れ屋で内気な性格が災いして、あと一歩というところで、二の足を踏んでしまうのです。
たとえば、分田上の頃から付き合っていたかすみはほかの男性に取られちゃいますし、恐怖の海ちゃん(桃井かおり)とはアパートで同棲までしていたのにやはりほかの男性(渡瀬恒彦)に取られ、山形時代に付き合っていたタヌ子(風吹ジュン)には、ただ体を欲しがられただけなのです。
どうやったら、三郎は一人前の男になれるのでしょうか?
それは、おそらく母親の死から始まったと言っていいと思います。
そして、頼りにしていた秀次(梅宮辰夫)の元を離れ、仙台で働くことに決まった事。
そして、さらにかすみが外国で結婚生活をするため、日本を離れる際に三郎に渡した手紙の内容・・・
本当は三郎がかすみと結婚するべきだったのに、生真面目で優柔不断な三郎はそれが出来なかったのです。
しかし、そんな性格をよく理解しているかすみは、三郎を責めるでなく、精一杯の真心を込めて、ともに青春を過ごせたことに感謝する文面を手紙に綴ったのです。
そして、それを読んだ三郎は、勇気が湧いて、体中に力がみなぎるのを覚えるのです。
そうだ、かすみちゃん、おれもとっとく。
あんたのこの手紙を大事に。
そして、おれがいつか老けこんで、入れ歯なんかぴちゃぴちゃ洗うようになった時、おれはおれの子や孫達にこの手紙を見せて言ってやる。
おれにも、こういう青春があったんだ。
それから、かすみちゃんや海ちゃんや本妻さんや利夫さんが、もしもいつの日か老けこんで、子どもたちから厄介者扱いされたら、おれは飛んでって、子どもたちに、この手紙を見せて言ってやる。
てめえら、ふざけんじゃねえ!
俺達にだって、こういうキラキラした若い日があったんだ。
毎日がゆううつで、それでいて張りがあり、それらの細々した小さな事件を国のおふくろに書き送った日々・・・
前略・・・
前略おふくろ様、俺は今日、深川をはなれます・・・

お母さん、今まで大変、お世話になりました。
これからは、お母さんの教えを胸に強く生きていきます。
つい最近前略おふくろ様1.2を見てすごく感動していた所、奈々さんのブログを発見しました。
私はショーケンのファンなので、特にこの作品はお気に入りの一つになりました。
ショーケンのボーカルは、私もGS時代のだけが好きで、ソロになってからのは、歌のメロディーよりも歌詞に対する表現力を重視するショーケンの歌い方にピンと来なかったので、ほとんど聞いていないのですが、もともと演技に関しては、演出家の蜷川幸雄さんや他何人かから天才的な演技者と言われるほどの役者さんなので、不真面目に歌を歌っているとは思いません。
愚か者にしても、大阪で生まれた女とかなどもショーケンのその時の心の声を歌にして表現してるように思いました。 同じものを見ていながら、楽しむ人、怒る人、笑う人、みんなそれぞれですね。
何かの本で読みましたが、嫌いな人の嫌いな部分は、もともとは本人自身が秘めていながらも持っているもので、その部分に反応して嫌悪感が現れるのだそうです。
だから自分の嫌いな部分を相手を通して見ているのだということらしいです。けっこう私はそれに納得してしまいました。
あと夫婦の問題は夫婦にしかわからないかなと思います。個人的には夫婦は合わせ鏡だと思うのでショーケンだけの責任ではないように思えます。
現在の奥さんに対しては、すごく愛妻家のようで仲良く海外旅行へよく行ってるようですし、ファンに対してはとても優しいと聞いています。
暴力をふるったことのある有名人はたくさんいますね。イメージの良い俳優さんでも70年代などは特にほとんどの俳優、女優が暴れていたと三浦友和さんが自分のことも含めて言ってるのを読みました。
前略おふくろ様について、私の解釈では、サブちゃんがほんとに心から好きになった女性はたぬ子さんだけだったように感じました。
もともとかすみちゃんからサブちゃんへの押せ押せのアプローチで始まった関係で、サブちゃんよりもかすみちゃんの愛が強すぎてだめになったように思えました。
それでも誰かに取られると思うと急に寂しく感じショックを受け、追いかけたいぅい衝動だけど、結婚までは考えらずにいる。二人は何となく合わないように思えました。
サブちゃんは繊細なので、かすみちゃんのちょっとした無神経な言葉に傷ついたり、たとえ戻っても繰り返しになるかな?って思いました。
優柔不断で照れ屋で気が小さくても、たぬ子ちゃんにはけっこう照れながらもはっきりと自分の気持ちを伝えていたように見えました。
海ちゃんへは、ただの可愛い妹のような気持ちでいただけで、特別な恋愛感情はないと思いました。
最後のかすみちゃんの手紙は、心にしみました。自分の両親や祖父母などの青春時代、私も若い頃は考えなかったもので、ジーンときました。
ハッピーエンドで終わってほしかったけど、こういうエンドも未来へ向かっての希望ということで良かったと思いました。
できることならパート3を作って、たぬ子さんとのその後とか見たかったです。
丁寧なコメントを下さってありがとうございます。
私がこのテレビ番組のお話をしたのは、ちょうど二ヶ月前に母を亡くしてまして、私なりの母に対する想いを考えたかったからです。
最近、その気持ちが薄らいでいる時にコメントを下さいましたので、背筋がピンと伸びたような気がしました。
この作品では、ずっと手紙を送っていた主人公の母親が亡くなり、かすみちゃんもいなくなってしまいますが、 みんなと一緒に精一杯生きた日々を忘れないようにというセリフでラストを迎えますよね。
私もそうありたいものだなと強く思わずにはいられませんでした。