
この映画は、どこか奇妙に思えてなりませんでした。
監督は、SF映画の原点にして頂点と言わしめた不朽の名作「メトロポリス」や、ナチス
の残忍で非人道的な側面を鮮やかに切り裂いた「死刑執行人もまた死す」を撮った名匠フ
リッツ・ラング。
とくに、「メトロポリス」はサイレント映画の表現方法を芸術の粋まで高め、100年
先の未来を圧倒的なスケールと、空前絶後の想像力で描いた名作映画でご存じない方はい
らっしゃらないと思います。
だからこそ、私はそれ相応の映画だと思って、この映画の鑑賞に臨んだ訳です。
でも、観ているうちに、この映画は芸術性より、サスペンスの要素をふんだんに盛り込
んだ娯楽作品の部類に属する映画だなと、すぐに気づきました。
ですけど、どうしても腑に落ちない点があるのです。
それを説明する前に、この映画のストーリーを簡単にご説明しますね。
大学で、犯罪学を教えている助教授のR・ウォーリーは家庭を大切にする生真面目な性
格の人物だった。
そんな彼を、友人達は「堅物め、たまにはハメを外したらどうだ」、とからかい、その
帰途、街角のショーウインドウに飾ってあった女性の肖像画を見ていたところ、そのモデ
ルの女性アリスに、遊ばない?と誘われるのです。
そこで、友人達を見返そうという気持ちもあってか、深夜の午前1時頃、彼女のアパー
トについていくのです。
ウォーリーが、彼女に言われるままソファーでくつろいでいると、突然、男が部屋に現
れ、いきなり襲いかかって来て、命の危険を感じた彼は無我夢中で、男をハサミで刺殺し
てしまうのです。
正当防衛だったと正直に言って、自首すべきだろうか?
でも、警察は認めてくれても、私の人生は台無しになるだろうと、ウォーリーは思い悩
み、深夜で誰も見ていないのをいい事に、アリスと共謀して、男の死体を森に捨てに行く
のです。
そしてアパートの部屋の男の血痕や、髪の毛など、入念に掃除するようアリスに言いつ
けるのですが、当のウォーリー本人は死体を森に捨てる際に、鉄条網でスーツを破いたり
、腕をうるしで傷つけてしまうのです。
その後、経済界の大物が行方不明で、懸賞金1000ドルがかけられているというニュ
ースで、殺した男の素性が判明し、死体もボーイスカウトの少年に発見されてしまいます
。
これだけでも、ウォーリーは気が気でならなくなるのですが、友人に、運悪くこの事件
を担当するケネディ警部という人物がいて、彼と会話をしたり、事件現場に共に足を運ん
だりするうちに、犯人でしか知り得ない情報を口走ったり、死体を遺棄したところを進ん
で案内したりして、自らを窮地に追い込んでしまうのです。
そんな二人にどんな展開が待ち受けているのか?というのが、おおまかなストーリーです
。
この映画で、私が疑問なのは、なぜ主人公が二枚目にほど遠く、同情の余地はあるもの
の、一応犯罪をおかしている訳ですから、心底、応援する気にはなれないですし、しかも
ヘマばかりやらかす点です。
そして、相手役のヒロインを、助教授の主人公に「私と遊ばない?」と、平気で言う軽
々しい女性に、なぜしなければならなかったのでしょうか?
そういう訳で、この映画を女性が観た場合、主人公に、あまり好感を持てませんし、ヒ
ロインはたしかに美しいですが、色仕掛けで男性を誘惑する点で、とても感情移入出来な
いキャラクターになっているのです。
だから、どちらにも好感は持てないのです。(笑)
しかも、大学で犯罪学を教えている助教授が事件に巻き込まれ、事もあろうか、その事
件を担当する警部が友人で、行動をともにするなんて、あまりにも出来過ぎたお話に思え
て仕方ないのです。
これは一歩間違えばコメディですよね?
ところが、この映画はフィルム・ノワールとしての位置づけにあるそうなのです。
フィルム・ノワールとは、虚無的・悲観的・退廃的な指向を持った犯罪映画の総称で、
特徴としてはドイツ表現主義にも通じる影やコントラストを多用した色調やセットで撮影
され、行き場のない閉塞感が作品全体を覆っているものが多いそうです。
また、多くのフィルム・ノワールには男を堕落させるファム・ファタル(運命の女・危
険な女)や、私立探偵・警官・判事・富裕層の市民・弁護士・ギャング・無法者が登場す
るとか。
そう言われれば、確かにその条件を満たしてると言えなくもないです。
でも、私はこの映画にはフリッツ・ラングが、別に言いたい事が隠されているように思
えて仕方ないのです。
例えば、フリッツ・ラングはある女に言い寄られていて、縁を切りたいために、この映
画を作ったのではないか?(笑)
そう思わせるくらいフリッツ・ラングという人は美形なんです♪

だから、主人公をかどわかす女性が登場し、その甘言に乗ったがために、危険な目にあ
い、都合の悪い事が連続して起こり、臆病でヘマばかりやらかして、最後は死にまで追い
詰められそうになる。
そして、多くの女性が少女の頃に好きだった「不思議の国のアリス」を彷彿されるよう
なラストにしたのでは?
この映画を、フリッツ・ラングに観せられた女性はハラハラ・ドキドキしながらも、こ
のラストで、別れるのを承諾した気がします。(笑)
それと、もう一つ考えられるのは、主人公を演じたエドワード・G・ロビンソンのイメ
ージ・チェンジをはかるためではなかったかという線です。
エドワード・G・ロビンソンはこの映画では、大学で犯罪学を教える助教授という一見
、真面目人間を演じてますが、若い頃は「犯罪者リコ」に主演して、ギャング映画に欠か
せない存在となり、だみ声と、ふてぶてしい悪役向けの人相で、ギャング役としての知名
度が高かったそうなのです。
しかし、そうなるとプライベートで都合の悪い事が沢山あったのではないでしょうか?
演技だけじゃなく、本当に悪人だと思われて、みんなに嫌われ、家に届くのはファンレ
ターどころか、脅迫状まがいの手紙ばかり送りつけられ、ほとほと困り果てていたのでは
?
そこで、フリッツ・ラングに泣きついて、臆病で、ヘマばかりやらかす主人公をさせて
くれと頼み、この映画を観た観客は大笑いして、見事にイメージ・チェンジを果たし、映
画自体も大ヒットした。
だから、この映画の主人公エドワード・G・ロビンソンと、ファム・ファタルのジョー
ン・ベネットと、脅迫する男を演じたダン・デュリエという同じキャストで、1年後に「
スカーレット・ストリート」という映画をフリッツ・ラングは撮ったのではないでしょう
か?
虚無的・悲観的・退廃的な趣きと、コメディ的な要素がない混ぜになった不可思議なこ
の映画を、あなたはどうご覧になりますか♪