奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

ご恩返し

2012-04-11 21:20:50 | Weblog
今、私はおよそ二人の男性にご恩返しをされています。
二人ともブログで知り合った男性で、一人は二年以上のお付き合いがあります。
その男性は、今では何も書かなくなったのですが、今でも私のブログに毎日、お昼に訪ねてきてくれるのです。

私が何も記事を書いていない日でも毎日です。

おそらく彼がブログを書いていた時、私達は何らかの形で通じ合っていて、彼にはそれがとっても嬉しかったのでしょうね?
それに私は、彼の書いているブログサービスが終了する前、彼のすべての記事にコメントしていましたし、毎日、彼のブログにあしあとをペタペタつけていたのです。
だけど、ついに彼の書いているブログサービスが終了する時、あまりにも悲しくて「もうこれで、私の思いを伝えることは出来ない。これから私はどうしたらいいの?」と、泣きながら、つぶやいちゃったのです。

それからというもの、私は毎日、悲しい日々を送らなければなりませんでした。
でも、ある日、誰かが毎日、お昼にアクセスしている事に気づいたのです。

彼に違いない!

彼はブログを書いていた時、お昼に必ず毎日アクセスしてくれていたのです。

彼は、今でも、私のブログを読んでくれているのです。


だったら、なぜコメントをくれないのか、不思議でしょう?

彼は、常に新しいものにチャレンジして、自分の道を切り開く人で、だからこそ遠くで私を見守ってくれているのです。


もう一人の男性は、去年の秋に私が小津安次郎の映画について書いた時に知り合いました。
彼はとっても博識かつ明晰な頭脳で、男らしい文章を書く人で、私はたちまち彼の文章の虜になってしまったのです。

でも、彼のブログには、まだ誰もコメントしていませんでしたし、アクセスも少なかったのです。
コメントやアクセスが少ないからと言って、つまらない文章という訳ではありませんよね?

コメントが欲しければ、誰かのブログにせっせとコメントする方法だってありますし、アクセスを増やしたければ、ランキングサイトに入ったり、ほかの人のブログにあしあとをペタペタつける方法だってある訳ですから。
でも、たぶん男らしい彼にはそんな小賢しい真似は出来なかったのだと思います。

だけど、このままの状態でいったら、失望して、何も書かなくなるかも知れない。

そう危惧した私は、彼の素晴らしい文章が惜しくてたまらず、私から勇気を出して、彼の原節子さんについての文章にコメントしたのです。
あまり知られていない原節子さんと小津安次郎の取っておきのエピソードを書いて。

彼はその映画を観た事はあったみたいですが、案の定そのエピソードを知らなくて、びっくりしていました。
そして、私のブログを楽しみにしてくれていると書いてくれたのです。

私はそれが、どれほど嬉しかったでしょう。

それから、彼は私のブログをお気に入りにしてくれて、私のブログにコメントをくれるようになったのです。
でも、実は私自身は彼のブログにそんなにコメントはしていないのです。

と言いますのも、彼の文章には殺気がみなぎっていて、恐くて、おいそれと簡単には書けないのです。
実を言うと、今年の初めくらいに書いた「名刀」という記事は彼の事だったんです。

そういう訳で、なかなか彼のブログにコメントは出来ないのですが、彼は私の映画の記事によくコメントしてくれているのです。
しかし、私に深入りするのを恐れてか、映画以外の記事にコメントしてくれた事は一度もありません。


二人とも、私が彼達のブログを気に入って、親切にしたおかげで、今でもご恩返ししてくれているのです。

私も、それが嬉しいので、出来るだけ彼達のオススメやお気に入りだった映画の記事を書いているのです。

それが、せめてもの私のご恩返しだと思って。


そんな事を続けているうちに、私は人と人とのご縁の不可思議さについて、考えずにはいられなくなりました。

オーバーに言えば、私達は互いに相手の幸せを願って、ご恩返しをしているのです。

その思いは次第に純化して、本当にその人を幸福に導いているのではないのか?

人とのご縁は、ただ何の見返りも期待しないで親切にする事からも生まれますが、お返しをする事の方がもっと大切なのかも知れない。

私には、そう思われてなりません。

だって、親切にされたという事は少なくとも、その人に幸せになってほしいと思われている訳で、その人を大切にする事が、幸せへの近道だと思えるからです。

もちろん、世の中には下心のある人もたまにはいらっしゃるようなので、気をつける必要はあるかも知れませんが。

親切にされたら、お返しをする。

そういう事の繰り返しで、だんだん良いご縁が出来て、幸せへの扉が開かれるのではないでしょうか。