奈々の これが私の生きる道!

映画や読書のお話、日々のあれこれを気ままに綴っています

アニメ映画「王と鳥」

2017-02-11 14:59:39 | 映画・テレビ
私には、「天井桟敷の人々」という大好きな映画があります。
今年はじめのお正月休み、久しぶりに、その映画を観て、その魅力に、すっかり酔いしれておりました。
「天井桟敷の人々」は、第二次世界大戦の最中、ナチス・ドイツによる占領下のフランスに於いて、監督マルセル・カルネにより制作され、フランス映画史上の名作と称えられています。
それで、その映画を観て、感動を新たにし、あれこれ調べていたら、脚本を書いたジャック・プレヴェールの作品に、「王と鳥」というアニメ映画があることを知ったのです。


「王と鳥」の監督はポール・グリモーで、元々、1952年に作られた同監督の「やぶにらみの暴君」という名作アニメ映画のリメイクで、1980年に公開されて、高い評価を受けたそうです。
そこで、私はジャック・プレヴェールが脚本を書いた「王と鳥」を観てみたくなったのです。

砂漠の真ん中に聳え立つ孤城に、ひとりの王が住んでいた。その名も、国王シャルル5+3+8=16世。わがままで疑心暗鬼の王は、手元のスイッチ一つで、気に障る臣下を次々に「処分」していった。

望みさえすれば、なにものでも手に入れることが出来るはずの王シャルルは、ひとりの美しい羊飼い娘に片思いをしている。

城の最上階に隠された秘密の部屋の壁に掛かった一枚の絵の中にその娘はいて、隣合わせた額縁の中の煙突掃除屋の少年と深く愛し合っていた。

嫉妬に狂う王を後に、ふたりは絵の中から抜け出し、一羽のふしぎな鳥の助けを借りて城からの脱出を試みる。

以上、ウィキペディアより。

この映画は日本のアニメとも、ディズニーのアニメとも違う、新鮮な驚きと感動がありました。
この映画は大人を意識して作られたそうで、メルヘンチックな設定の中に、人々の圧政者に対する根強い抵抗の姿勢が感じられました。

つまり、国王シャルル5+3+8=16世は、人心を一切顧慮せず、傲慢で、横暴の限りを尽くす暴君として描かれているのです。
そして、国王は、冒頭の場面で、鳥の絵が描いてある的に向かって、射撃をしたり、小鳥を鉄砲で撃つなど、なぜか、鳥を毛嫌いしているのです。
その国王シャルル5+3+8=16世の個性があまりにも強烈なので、私はいっそのこと暴君について考えてみたくなりました。

暴君

この言葉で、私の頭に真っ先に浮かんだのは、「暴君ハバネロ」というスナック菓子です♪

これの超辛いことと言ったら!

私は眠気覚ましにいいかもと思って、食べたのですが、確かに一口食べただけで、目がシャキッとなるほどでした!

暴君とは、超辛くて、目が覚めるものなのでしょうか?

次に浮かんだのは、実在の人物、暴君ネロです。
ネロは二人の妻と、母親を殺したので有名ですが、その極悪非道ぶりから、民衆や、周囲の人々の激しい憎悪を生み、ついに追い詰められて、自ら命を絶ったとか。

この暴君ネロを調べて、興味深かったのは、無類の鳥マニアだったことです。
特にオウムやインコの類に目が無かった。もっとも、金に飽かして集めたオウムやインコの殆どは天寿を全うすることなく、幾許かの日数を飼育された後、飽きてしまったネロによって殺され、食べられてしまったと伝えられているとか。

その次に、私が暴君で浮かんだのは、酒池肉林です!

暴君といえば、快楽も思いのままですからね♪


酒池肉林の語源について、司馬遷は、その著書「史記」の中で、こう記してるそうです。

帝紂は資弁捷疾にして、見聞に聡く、その力量は人々を凌駕し、猛獣すらも手で撃ち殺す程であった。
その知たるや諫めを遠ざけるに足り、その言たるや非を飾りて是なるが如くに論ずるに足りた。
人臣に対しては己が才能に驕り、天下に対してはその盛名に驕り、誰一人として己に及ぶ者はいないと自負していた。
紂は酒を好み淫靡な遊びを楽しみ、女に溺れた。
有蘇氏を征伐して妲己を得ると、これを寵愛し、その言であれば何でもいうことを聞いた。
妲己のために楽官の師涓に命じて淫靡な音楽を作らせ、民衆からは多大な税を取り立てて金品穀物を蓄え、珍種の動物や珍品を集めて宮室を満たし、宮殿を拡張しては、様々な野獣や飛鳥を捕まえては放し飼いにした。
鬼神を慢り、盛んに人々を集めては沙丘の地において楽しみ戯れ、酒池肉林をなし、男女を裸にしては互いに追いかけさせ、昼夜を問わずに享楽の限りを尽したのである。


どうでしょう?
暴君は、頽廃的な快楽に溺れてこそ、暴君にふさわしいと言えるのではないでしょうか?

それにしても、飛鳥を放し飼い??

暴君ネロに続き、ここにも鳥が出てきちゃいました!

もしかしたら、暴君は、みな鳥が好きなのでしょうか?

そんなことを考えていたら、日本の暴君、室町幕府 第6代将軍・足利義教について、こんな文章を見つけました。
第6代将軍義教は、次第に暴君振りが目立つようになり、将軍の力を高めるため、守護大名の家督継承に積極的に介入し、従わない大名に対しては刺客を送って暗殺。また、信長に先駆けること140年前に延暦寺を初めて攻撃し、最後は僧侶24人を焼身自殺させる騒ぎを起こしています。
また、義教は些細な出来事で度々厳しい処罰を行っており、酌の仕方が下手だという理由で侍女の髪を切って尼にさせたり、説教しようとした僧に灼熱の鍋を頭からかぶせて喋れないように舌を切ったりと、「万人恐怖」と呼ばれる数多くのエピソードが残っています。
そんなこんなで恨みを買いまくっていた義教。最後は、赤松満祐・教康親子から「鴨の子がたくさん生まれたので、結城合戦の祝勝会もかねて見に来ませんか」と屋敷に招待され、そこで首をはねられてしまいました。


どうやら、足利義教も、鳥が好きで、そのために殺されたようです。

私はこうしたいくつもの事実から、映画「王と鳥」で、王に反発するものの代表として、鳥が選ばれたのは、単なる偶然ではなかったような気がしてきました。

そして、なぜネロや、帝紂や、足利義教は鳥が好きだったのでしょう?
実は私には、鳥好きのブロ友さんが、男女を含めて、複数いるんです。
そこで、その人たちのことも参考にしてみることにしました。
すると、鳥が好きなのは、空を飛ぶことと関係あるような気がしてきたのです。
もしかしたら、鳥は自由と自尊心と孤独感の象徴ではないのか?
その証拠に、ある野鳥好きの人は、鳥をかごで飼うのは可哀想だと言っていました。
その人が、野生の鳥が好きなのは、対人関係に於いて、窮屈な思いを抱いていて、孤独感を感じつつも、自由への憧れが、人一倍強いからではないのか?
だから、野鳥好きの人に、旅好きが多いのかも知れません。


その一方、私には、長年、鳥をかごで飼っている素敵な女性のブロ友さんがいます。
鳥を飼うには、まず、エサをあげなくちゃいけないですよね?
そのためには、お金や手間暇がかかってしまいます。
エサが食べられなくなると、鳥は死んじゃいますので、そうおいそれと旅行にも行けません。
それらが苦もなく出来るのは、鳥への愛情があればこそでしょう。

彼女が鳥に朝晩、話しかけて、せっせと世話をするのは、愛情を注ぐ対象を欲し、と同時にどこかで鳥と自分とを重ね合わせているのかも知れません。


話はとめどもない方向にいってしまいましたが、鳥に対する思いは人それぞれ、いろいろあるようだなと考えずにはいられませんでした。

シンデレラ

2017-01-11 20:04:24 | 映画・テレビ
お姫さまのお話がとまりません!
去年の暮れに、「おやゆび姫」の記事を書いてからというもの、私は寝ても覚めてもお姫さまのことで頭が一杯で、どうにかなっちゃいそうです!
そこで、今回はその第二弾にして史上最高のお姫さま「シンデレラ」のお話しをすることに決めました!
それに、「シンデレラ」は、酉年の今年にふさわしいかもと思ったからです。

その理由はさておいて、シンデレラと言えば、「ガラスのくつ」を思い浮かべる人が多いと思います。



それほど、このお話はとっても有名ですよね?
調べてみると、「シンデレラ」のお話は数千年前から、世界各地にわたって伝わっているようです。
この事実だけでも、どれだけ、「シンデレラ」が普遍的に女性の願望を現したものかとうかがい知れるようです。


私は「シンデレラ」のお話しをするに当たって、まず、ディズニーが1950年に製作したアニメ版を観てみました。

そして、これは本当に素晴らしい作品だなと感動せずにはいられませんでした。
とにかく、シンデレラが美しいのです。
それは、顔やスタイルだけでなく、立ち居振舞いにも現れていて、とても優雅で気品にあふれているのです。
しかも、継母も、その二人の娘達もとても意地悪で、自分勝手な性格ですから、余計シンデレラの美しさが引き立っているのです。
だけど、お話が暗くならないように、随所に笑いが散りばめられてあり、すんなり、お話の世界に入っていける工夫がされてるなと思いました。
ただ、私があれ?と気になったのは、シンデレラが足で、ドアを閉める場面です。
でも、よく考えるとその場面は、シンデレラが、継母やその娘達の朝食を両手と頭に乗せていて、ノブを手で開けることが出来なかったのです。
しかも、あれこれ、沢山、用事があるので、急がなくてはならないという、とても忙しい状態にあったのです。

忙しいと、人は優雅さとか、気品が身につかなくなるのかもしれません。
だって、「忙」という漢字を分解すると、(心を亡くす)になっちゃうでしょう?
精神にも肉体的にも、あらゆる意味で、余裕って、とても大切なのかも?
私はシンデレラが足で、ドアを閉める場面で、そんなことを考えたりしました。
しかし、気になったのはそこだけで、全編にわたって、シンデレラはとても綺麗でした。
初めのうちは、継母とその娘達に意地悪されて、とても可哀想だっただけに、王子さまと結ばれた時は涙が自然にこぼれ落ちて、シンデレラを心から祝福せずにはいられませんでした・・・

そうして「シンデレラ」に感動した私は童話も読んでみたくなりました。
何でも、ディズニーはペローの「灰かぶり姫」からヒントを得たようですから。
このペローの童話は、古くからある民間伝承に創作を加えたもので、カボチャの馬車もペローが作ったものらしいです。
これを読んだら、ディズニーがどれだけイマジネーションをふくらませて、アニメ版を作ったのかが窺われて、アニメ版の素晴らしさを再認識することが出来ました。
ところで、「シンデレラ」はグリム童話にも含まれていますので、それも読んでみることにしました。
しかし、これは背筋が凍るエピソードがいくつもあり、シンデレラの幸せを素直に喜べない気がしてなりませんでした。
それには、継母の娘達がガラスのくつが合うか試す時、足がガラスのくつに入るように、ナイフで足の指や、かかとを切り落とし、血まみれになりながらガラスのくつをはくと書いてあるのですから。
だけど、そうして、無理やりとは言え、ガラスのくつをはいてしまったものですから、王様の家来は「これこそ、王子さまが探し求めていた女性に違いない」と思って、宮殿に連れていこうとするのです。
しかし、二羽の小鳩がやって来て、はしばみの木かげから、こうしゃべるのです。
「クック、クック、クック、血があんなにくつの中に、くつはあんまり小さすぎる。本当の花嫁は家にいる」

そして、ラストで、意地悪な娘達は、シンデレラの幸せにあやかろうと、結婚式で、花婿と花嫁が教会に行った時、そのあとをついてくるのですが、二羽の小鳩に目をつつき出され、失明してしまうのです。

確かに、継母の娘達はシンデレラに意地悪をしましたが、そこまでしなくてもという気がして、シンデレラの幸せを素直に喜べなかったです。(苦笑)

でも、このお話は親が子供にお話していた訳ですから、人様に迷惑をかけるようなことをしてはならないという戒めの意味もあったのかも知れないですね?
だけど、娘達の謀(はかりごと)を暴露したり、目をつつき出して失明させるという重要な役目を鳩にさせた理由が気になります。
もし、シンデレラ自身がナイフで、継母の娘達の目をつき刺し、復讐を遂げたら、どうでしょう?
それも嫌ですよね?
だったら、数多い鳥の中で、なぜ、鳩が選ばれたのでしょう?
鳩は平和の象徴と言われますが、シンデレラの中では、それ以上の意味があるような気がします。
鳩は、旧約聖書の「ノアのはこ舟」で、大洪水が引いて、陸地があることをオリーブの小枝を加えて、ノアに教えたというエピソードにあるように、神様の使いと考えられてきたことが関係あるように思いました。
しかも、キリスト教や、神道など、さまざまな宗教で、鳩は聖なる鳥として扱われているそうです。
だから、「シンデレラ」の中の鳩の行いは、神様の思し召しと同じ意味を持つのだと思います。

そのほか、調べて分かったのは「くつ」は、ヨーロッパでは古くから、女性の性器の象徴だったことです。
十二世紀に建てられたフランスの寺院の壁には片足が裸足の女性の浮き彫りがあるそうです。
それは、性的に堕落した人を現していて、その意味で解釈すれば、王子の策略で片方のくつを脱いだシンデレラは舞踏会の時、王子と性的な関係を持ったということになるとか。

調べれば調べれるほどに興味はつきない「シンデレラ」。

だからこそ、いつの世も世界中で愛されてきたお話なのかも知れませんね?

「2001年宇宙の旅」新たな年に向けて

2017-01-03 12:32:42 | 映画・テレビ
あけましておめでとうございます。
お正月、どう過ごされてるでしょうか?
私は元旦は、朝早くから、DVDの「2001年宇宙の旅」を観て、お正月気分を味わっていました。


え?
どうして、「2001年宇宙の旅」なのかですって?
それはですね、映画の冒頭で、初日の出によく似た場面が出てくるからなの。

ね?
高い山の頂上や海から初日の出を望む人も多いと思いますが、宇宙から眺める初日の出って、結構、乙なものだと思いません?
しかも、映画の冒頭にこの場面を持ってきたのは、「死の世界」(月)から、「生きている世界」(地球)へ、そして「生命の源」(太陽)へというスタンリー・キューブリック&アーサー・C・クラーク流生命の進化課程、そしてまた旅のベクトルを現したものだと云いますから、新たな年に胸をふくらませるという意味で、まさにぴったりだと思います♪

ところで、わが家はお正月をどう過ごしたかと云いますと・・・
次男はバイトで帰ってこなかったのですが、東海地方から帰省した長男と、主人と私とで、元旦は主人の実家で過ごし、昨日は初詣に神武天皇ゆかりの狭野神社に参拝して、今年一年の無事をお願いしてきました。

そして、昨日、長男は再び、東海地方に旅立って行きました。

次男は帰らず、長男はあっという間にいなくなってしまいました。

淋しくないと言えばウソになりますが、新年を迎え、みな希望に燃えてますから、私も去年に引き続き、張り切っていこうと思います。

そこで、元旦に観た「2001年宇宙の旅」のお話をすることに決めたのです。
この映画はSF映画史上に輝く金字塔と呼ばれています。
と同時に、哲学的で、非常に難解とも言われています。
その理由は説明が一切なく、登場人物のセリフも極めて少ないのは、論を待ちません。
それゆえ、この映画の解釈はこれまで様々な憶測を輩出しました。
でも、そういう難しいことは抜きにしても、この映画は映像表現がとっても素晴らしく、また「ツァラストラはかく語りき」や「美しく青きドナウ」などのクラシック音楽の使い方も秀逸で、映画と音楽だけでも心地よく酔いしれてしまいます。
しかし、やはり気になるのは、映画の解釈です。
そこで、私は以前から気になっていたアーサー・C・クラークの小説版を読んでみることにしました。
それを読めば、映画の意味が納得できると聞いたことがあるからです。
それで、DVDの「2001年宇宙の旅」を観たあと、昨日まで小説版を読んでいた訳です。
この小説版は、映画版と必ずしもすべて一致している訳ではありませんが、モノリスが異星人によって四百万年前に作られ、木星に向かって、強力な電波を発信している理由を探りに宇宙船ディスカバリー号で、木星に向かい、その途上、ディスカバリー号の頭脳HAL2000が異常をきたし、四人の乗組員のうち、ただ一人だけ生き残ったボーマン船長が、スターゲイトをくぐり抜け、大宇宙の神秘にふれたのち、スターチャイルドとなって、新たな生命を育むというストーリーの意味は映画版より、詳しく明確に書かれていて、ちょっとすっきりした気分になれました。

でも、それではなぜ、キューブリック監督はそうした説明を極力排したのかという疑問がわいてきます。

実はキューブリック監督は、この映画の解釈に明確な答えはないと語っていたそうです。
みなが、それぞれ、自分なりの解釈を探り当てたら、それが答えだと言いたかったのだとか。

もしかしたら、それは一人一人の個性を尊重すると同時に、自分なりの道を模索し、それに向かって歩めということにほかならないのでは?

そこに、この「2001年宇宙の旅」を不朽の名作たらしめた、もう一つの理由が隠されているのかも知れません。


2017年という新たな年、私は私なりに生きていかなくちゃならないなと思いました。

映画「幻の湖」オリンピックに寄せて

2016-08-24 09:11:10 | 映画・テレビ
 今回のオリンピックでの日本の活躍、すごかったですね!
 私も、今まで生きてきた中で、日本がこんなにメダルラッシュにわいたのは初めてでし

た。
 
 オリンピックには様々な競技がありますが、その中でも一際、注目を集めるのは、何と

言っても、マラソンですよね。
それに、私にはフルマラソンをやっているブロ友さんがいるんです♪

 だけど、マラソンだけは、なぜか、男子も女子もメダルには遠く及びませんでした。
 敗因は、一体、何だったのでしょう?
 それはともかく、これを気にすることなく、今後の日本マラソン界に頑張ってもらおう

と、何か、書きたくなっちゃいました。

 まあ、金メダルを必ず取る方法を伝授出来れば、一番いいのですが、この私が、そんな

方法を知っている訳もなく、ある映画のお話をしたいと思います。
 
 それは「幻の湖」という映画です。


 ほら、ご覧のように、女性が走っています。
 
 この映画は、東宝が、巨額の費用を惜しげもなく使い、会社の威信をかけて作った創立

50周年記念作品なんです。

 だから、当然、素晴らしい映画のはずなんです。

 この映画の製作・原作・脚本・監督を一手に引き受けた橋本忍さんは、こう書いていま

す。
 誰もが走っている。

 みんなが走っている。

 ただ遅いか早いか、走っていることを意識するかしないかだけだ。

 「砂の器」は宿命的な親子の旅だった。

 「八甲田山」は白い地獄の雪の中を這いずりまわる群像達の喘ぎだった。

 三作目の「幻の湖」は、怒りを追い、涙と愛を追い、彼岸の彼方の永遠のロマンを追い

、ただ走り続けるものを描きたい。


 橋本忍さんは、日本を代表する名脚本家で、あの黒澤明監督が、世界に認められるきっ

かけになった「羅生門」の脚本も書いた人であります。
 名作「砂の器」、「八甲田山」も、橋本忍さんの手によるものとして知られています。

 
ところが、この映画の評判には惨憺たるものがあり、わずか2週間足らずで、公開を打

ち切られたという曰く因縁のある作品なんです。
 そして、後年、映画雑誌「映画秘宝」で、さんざん面白おかしく書き立てられ、DVDを

観た人からも、さかんに笑いものにされいるのだとか。
 
 では、この映画は本当に駄作なのか?
 見ようによっては、傑作に見えるのではないか?
 例えば、この映画は走るのが、重要なポイントとして出てきますので、マラソンをやっ

ている人が観たら、一般の人が気づかないところに感動するかも知れません。
 
いいえ、もしかしたら、マラソン界では、すでに「この映画の素晴らしさを知れずして

、マラソンをするなかれ」と言われ、マラソンのバイブルと認知されてるかも知れません


 それは、この映画の主人公、道子(南條玲子)が、元オリンピック選手の宇佐美彰朗氏

の指導のもと、6ヶ月にわたる特訓を受けて、迫力ある本物の走りを披露しているからで

す。
 それだったら、マラソンのバイブルと言われても仕方ないですよね?

 そこで、私はその点にも注意して観てみることにしました。

 実は、わたくし、この映画を観るのは初めてなんです。 

 それでは、ここで簡単にあらすじをご説明します。
 主人公の道子は、雄琴のソープランド街で、「お市」の名で働くソープ嬢でした。
 彼女にはシロという愛犬がいて、一緒に琵琶湖の周りを走るのを日課にしていました。
 ところが、ある日、シロが、何者かに斬りつけられ、死んでしまうのです。
 シロとともに走ることに、人生の喜びを感じていた道子は悲嘆に暮れますが、やがて、

その想いは復讐へと変わり、犯人の作曲家、日夏を刺し殺すに至るのです・・・

 このあらすじだけだと、何の変哲もないストーリーみたいですが、戦国時代から、45億

年先の地球の未来までを扱い、普遍的な人間の業、言いかえれば、女性の怒りや哀しみを

描こうとしたように思われます。

 でも、この映画、確かに、どこかおかしいのです!

 台詞の緩慢さはまだいいとして、何を言いたいのかが、なかなか伝わらず、退屈するか

と思えば、突飛もない設定や、場面転換、それにあまりにもオーバーな表現に、笑いたく

ないのに、つい吹き出してしまうのです。
 その一例が、ソープ嬢にして、諜報部員という設定のアメリカ娘ローザが、突然、つぶ

やく「あれはファントムではない。イーグルだ。イーグルはすでに実戦配備されている」

という台詞です。
 ローザが、日本の性風俗の調査をしている点も可笑しいですが、退屈な映画だなと思っ

て、あくびをしているところへ、突然、こんな台詞が飛び出してくる訳ですから、開いた

口がふさがらないというか、あまりにも意表をつき過ぎるのと説明不足で、脳がたちまち

混乱してしまうのです。(苦笑)

 ラストの道子が、日夏を刺した瞬間に、スペースシャトルが、宇宙に向けて発射する場

面も表現があまりにもオーバー過ぎて、笑うのをこらえきれませんでした。(笑)


 あれって、「2001年宇宙への旅」で、類人猿が、骨を空中に放り投げた瞬間に、はる

か未来の宇宙船にすり替え、一瞬にして、時間の流れを現した有名な場面がありますが、

その手法を真似たものだったのでしょうか?
 でも、「2001年宇宙への旅」では感嘆させられましたが、この「幻の湖」の場合は?

??
 
 東宝さんは、なんで、こんな映画を作っちゃったのでしょう?


 とは言うものの、部分的に見れば、琵琶湖の四季の移り変わりとか、戦国時代のエピソ

ードなど、素晴らしいところもない訳ではありません。

 その極端さも含め、超一流のスタッフが、壮大なスケールで、超ちぐはぐに作ったとこ

ろが、この映画の最大の魅力のように思えてなりませんでした♪

 

 
 日本のマラソン、ファイト♪




 
  
    

  
 



  

「怒りの海」「加藤隼戦闘隊」戦意高揚映画について

2016-08-11 15:02:41 | 映画・テレビ
 私が、戦意高揚映画について書きたいと思ったのは、一年ほど前に、二人の方から、そ

れぞれ「怒りの海」、「加藤隼戦闘隊」をご紹介されたのが始まりでした。
 その二人が、戦前に作られた映画を私に勧めたのは、私が三島由紀夫に関心を持ってい

ることと、決して無縁ではないような気がします。
 なぜなら、三島由紀夫は戦前の日本人の精神や美意識に高く共鳴しており、私もそうし

たものにふれたいと、ブログに書いたことがあるからです。
 その三島由紀夫ですが、最近、文芸評論家の磯田光一の文章を見つけ、素晴らしい解釈

だと思ったので、ここにご紹介したいと思います。

 昭和38年に「文芸」誌上で、三島由紀夫氏への質問という企画があって、いくつかの質

問に三島が答えた。そのうちでとくにおもしろいのは、現存する好きな男性、好きな女性

が「ナシ」であること、好きな歴史上の人物が「二・二六事件の将校」であること、それ

にもう一つ、三島が自分の美徳と考えているのが「約束墨守」であるということである。
 この答え方から三島文学の特性を引き出してみると、次のようになる。まず「約束墨守

」からみていくと、実生活の上でも三島の几帳面さには定評があった。毎日、昼過ぎに起

床して、電話に出るのは午後の2時間だけで、すべてをビジネスとして扱う。夕方から夜

にかけてがボディビルや友人との交際などプライベートな時間。そして深夜から朝にかけ

てが小説の執筆である。しかも、誰と会うにも約束よりかなり早く来ていて、人を待たせ

ることを絶対にしない。この生活設計の綿密さは、西欧的な合理主義のあらわれといって

よいもので、三島作品の知的造型力の精密さは、実生活の合理性の延長上にあった。
 次に「二・二六事件の将校」についてみるとき、これが戦中派世代の三島の原体験につ

ながっていることはいうまでもない。つまり、三島が戦後のニヒリズムを背負って、耽美

的な作家として登場してきたとき、戦後は天皇制という宗教の欠落したニヒリズムの時代

として感じられていたのである。特攻隊帰りの青年たちが、焼跡でデカダンスに陥ってい

た頃、前向きの民主主義建設に和合出来ない青年たちは、初期の三島のうちに何ものかの

代弁者を見出していた。ニヒリズムを秘めた妖美と知的造型力とは、彼を一時代の偶像た

らしめた。「假面の告白」から「金閣寺」のころまでは純粋に美的な作家であったのが、

「鏡子の家」で戦後の終末を描いてから微妙な変化が訪れる。
 二・二六事件を描いた「憂国」の出現が60年安保の翌年であったのは象徴的である。時

代感覚の鋭敏さを誇った三島は、60年以降の経済成長が精神性の喪失をもたらすであろう

ことを、おそらく予感していたに違いない。また「約束墨守」をみずからの美徳としてい

た三島の眼には、戦後知識人の言論は、実行力を持たない人間の空語と見えたであろう。

時代の風潮が女性的な甘えと、経済成長に乗った功利主義に彩られてきたとき、それに対

する反逆はいかに可能であるか。戦後という時代の価値観の対極にある美的天皇制が、時

代の甘えを撃つ武器として選ばれたのはこのときである。「楯の会」が悲劇的な敗北を求

める象徴集団としての色合いを持ったのもそのためで、戦前天皇制の復活不可能性が、逆

に不可能に賭けるという道を三島に選ばせた。「約束墨守」という美徳を、時代錯誤を承

知で「天皇陛下万歳」で完結したところに、三島の運命的な悲劇があったというべきだろ

うか。


 何か、分かる気がしませんか?
 女性的な甘えと言えば、今の時代、平気で女の真似事をする、ひ弱な男性のいかに多い

ことでしょう?
 強さから滲み出る美しさってあると思います。
 どうして、それを目指そうとしないのでしょう?
 私はその一つとして、ストレスという言葉が世に広まるとともに、根性という言葉が廃

れのが、日本人をダメにしたような気がしてなりません。


 やはり、戦前には戦前の良さがあったようです。
 しかし、私の懇意にしている男性に勧められたからといって、戦争を賛美する目的で作

られた映画にためらいが生じ、なかなか観る気にはなれませんでした。
 ところが、今年の初めに歴史学者の梅原猛の著書「天皇家のふるさと 日向をゆく」の

中にある文章を読んでから、考えが変わったのです。

 戦前は、日本神話を軍国主義の道具にした。
 戦後の歴史学は、応神天皇以前の記紀の記述を何らかの意味で史実だとする学者を、軍

国主義的歴史観を復活するものとして厳しく批判した。
 梅原猛が、日本古代史の研究に入った時、このような記紀批判はあまりに偏狭であり、

記紀の豊かな史料の宝庫を有効に使わないのは宝の持ち腐れだと主張したが、たちまち公

式的な左翼歴史学者から軍国主義的歴史学を復活させるものだと批判されたのである。

 学界ですら、戦争にまつわるものはすべて否定されてきた。
 私には、それがすごくショックでした。

 そこで、戦意高揚映画も、もしかしたら、何か汲み取れるものがあるのではという気が

してきたのです。

 それに「怒りの海」を調べていたら、監督が反戦映画の名作「ひめゆりの塔」を撮った

今井正だという事を突き止めたのです。
 私は今井正が、なぜ、まったく正反対とも受け取れる映画を作ったのか興味が湧いてき

たのです。
 それに、「怒りの海」には、永遠の処女と言われた原節子が出演していおり、若かりし

頃の彼女が、その映画で、どんな演技をしてるのかも気になりました。

 ちなみに、今井正は戦後民主主義を恋愛に絡めて高らかに謳い上げた「青い山脈」でも

、原節子を起用しています。
 

 一方の「加藤隼戦闘隊」も、やはり、監督の名前で観る気になりました。
 というのも、この映画を撮った山本嘉次郎監督は、日本を代表する名監督、黒澤明を育

て上げた人物だと知ったからです。

 そうした理由で、「怒りの海」と「加藤隼戦闘隊」を観ることにしたのですが、せっか

くなので、原節子が出演したほかの戦意高揚映画「決戦の大空へ」、「上海陸戦隊」「ハ

ワイ・マレー沖海戦」も合わせて観てみることにしました。
 
 ところで、戦意高揚映画とはどのようなものなのでしょう?
 
 軍部が検閲して、ただ、戦争に勝って勝って、勝ちまくるだけの映画なのか?

 観るまでは、漠然とそう思っていたのですが、そうではありませんでした。
 

 「怒りの海」は、ワシントン軍縮を支持した世論に反省を促し、学徒と専門家に技術報

国に対する関心を高める目的で作られたそうですが、軍艦の父・平賀譲を演じた大河内傳

次郎をはじめとする俳優の丁々発止とした重厚な演技の連続にため息がもれるほど圧倒さ

れずにはいられませんでした。
 この映画で、原節子は平賀譲の娘役で、ピアノで、ショパンを弾く場面が出てきたり、

クラシック音楽をたしなむという設定であります。
 この原節子が、軍艦の設計に悩んでいる父親役の大河内傳次郎に、音楽会に一緒に行く

ようおねだりする場面があります。
 「交響楽には、百人前後の演奏者がいるんです。とても楽器の種類が多くて、複雑な組

み合わせになっているの。指揮者がいて、はじめて一つの音楽にまとまっていくんですわ

。」
 そうして、音楽会で、指揮者が演奏者をまとめて、壮麗な音楽を奏でる場面が延々、続

きます。
 それを、きっかけに、平賀譲は突破口を見い出すのです。

 それを観ると、聴力を失ったベートーヴェンが、苦悩の末、再起したというエピソード

を思い起こし、重厚な人間ドラマと相俟って、優れた芸術作品のような感動を覚えてしま

いました。
 
 「上海陸戦隊」は、ドキュメンタリータッチの戦争映画で、原節子は上海娘を演じ、登

場シーンは少なく、台詞もほとんどありません。
 この映画は、戦闘シーンが多くて、正直、観るのが辛かったですが、戦争ものが好きな

人には、かえってこのリアルさが好まれているみたいです。
 
 その点、「決戦の大空へ」は、原節子の登場シーンが多く、若かりし頃の彼女の演技を

もっとも堪能出来る作品と言えるのではないでしょうか。


 それに、この映画は当時の日本兵が、どう戦争に向き合っていたのか、その一端を知る

台詞が出てきて、興味深いです。

 まず、予科練の先輩が魚雷とともに、敵の航空母艦に体当たりし、大きな戦果をあげて

、戦死した出来事を受けて、予科練の教官がこんな訓示を述べる場面が出てきます。
 「お前たちの先輩は、常にこのような公正なる攻撃精神によって、数字上の優劣を超越

して戦っているのである。
 先輩に負けては申し訳ないぞ。
 飛行機の戦いは一本勝負である。
 まさに、乾坤一擲、生も死もない。
 辛いとか、苦しいとか云うのは、自分というものを考えているからである。
 一本の譴責に、自分を見つめる時、苦しみも辛さもない。
 お前たちは軍人になった瞬間に、御上に捧げた身体である以上、自分というものは残っ

ていないはずである。
 
 滅私殉国

 この覚悟があってこそ、はじめて攻撃精神を徹底的に発揮できるのである。
 戦いに勝つためには、攻撃精神とともに、全体のためには、何ものをも顧みない犠牲的

精神が大切である。」

 つまり、戦争をするために、生命を国家に捧げろと言っているのです。

 「決戦の大空へ」は、予科練生の募集のために作られたそうで、原節子は予科練を志願

する弟の姉の役であります。
 この時、原節子は23歳で、弟を叱咤激励する綺麗なお姉さんという設定です。

 この映画は原節子という綺麗なお姉さんに、叱咤激励させるのが、少年たちを予科練生

にさせるうえで効果があるのではという思惑から、このような役柄が考えられたような気

がします。
 しかし、弟が予科練を志願したり、合格した時の姉役の原節子の大仰な喜びように現れ

ているように、原節子の演技がどことなく、わざとらしくて、私はその裏に、別の意味が

隠されているような気がしなくもないのです。

 というのは、この映画の脚本家が八住利雄だからです。
 この人は戦後、二度に渡り日本シナリオ作家協会の理事長を務めた人物で、非常に人望

が高く、優れた脚本家として知られていました。
 それほどの人だったら、単なる戦意高揚映画を作るはずがないと思うのです。
 それに、八住利雄は、1974年に、「ノストラダムスの大予言」という映画の脚本を

書き、その中で、核戦争による放射能汚染の恐怖を描いているのです。

 原節子のわざとらしい演技も、あえてそうしたのかもしれませんし、それにとっても気

になる場面が出てくるのです。
 予科練生がラジオから流れる「若鷲の歌」に声を合わせて、合唱する姿に、原節子はほ

んの一瞬だけ涙ぐむのです。
 

 私には、その涙がせめてもの戦争への反対の意志のように思われてならないのです・・



 

「ハワイ・マレー沖海戦」は、真珠湾攻撃1周年を記念して、昭和17年に作られたそう

で、まだまだ日本に余裕がある雰囲気が充分に伝わってきます。
 とくに、ラジオから、英語の歌が流れたり、アメリカを笑い飛ばすような場面があり、

この頃まで、日本は戦争に勝つと、本気で信じていたのかも知れないなと思いました。
 
 最後に、「加藤隼戦闘隊」です。


 この映画は、ぜひ、観てほしいと懇願されていました。
 DVDが、レンタル屋さんに置いてあるのは、勧められた時から知っていたのですが、私

にその魅力が分かるか、不安だったので、ずっと躊躇していたのです。

 だけど、この映画を観てみたら、彼がこの映画に、なぜ惹かれたのか分かる気がしてき

たのです。
 
この映画の主人公、加藤建夫は、実在の人物で、「加藤隼戦闘隊」こと飛行第64戦隊

を率いて活躍し、帝国陸軍(陸軍航空部隊)のみならず日本軍を代表するエースパイロッ

トの一人だったそうです。
 まず、加藤建夫の性格に惹かれてしまいました。
 加藤建夫は、帝国陸軍の古参の戦闘機乗りとして空に生き、性格は豪放磊落かつ部下思

い、また洒落っ気のある名指揮官、そして、生前から、「軍神」と呼ばれ、尊敬の念を一

身に集めていたそうです。
 加藤建夫のそうした性格を見た時、私は思わず、今、こんな人いるかな?と考えてしま

いました。
 だいたい、豪放磊落は死語と言ってもいいほど、この言葉が合うような人っていません

よね?
 
 そして、この映画は、陸軍省報道部、陸軍航空本部、各陸軍飛行学校、各基地の全面協

力のもとに製作され、映画に登場する軍用機、一式戦「隼」をはじめ、九七重爆、九七輸

、九七戦といった実機を使い、敵連合軍機のF2A、P-40、ハドソンなどは、実際に戦争で
鹵獲されたものを使用し、徹底的にリアリズムにこだわって作られたとか。
 これらの戦闘機を使った空中戦が息を呑むほど、すごいなと思いました。
 この映画は特撮もあり、その部分はあの特撮の神様、円谷英二が担当しているのですが

、どれが実際の映像で、特撮か判らないほど精巧に出来ていて、思わず、手に汗を握っち

ゃいました。 
 
 そうして、加藤隼戦闘隊はそれぞれの戦闘において、次々に戦果を挙げるのですが、こ

の映画のラストシーンで、私は何か、厳粛なものを見たような、言い知れぬ感動を覚えて

しまいました。

 男のロマンか、或いは男の生き方をそこに見つけたとでも云えばいいのでしょうか?

 

 私は、加藤建夫が、ほかの隊員と嬉しそうに戦闘機に駆け寄った姿と、そのあと、彼ら

が消息を絶ったのを告げる字幕の時、映像に映しだされた打ち寄せる波しぶきに、なぜか

、目頭が熱くなるのを抑えられなかったのです。

 



 一口に、戦意高揚映画と言っても、ただ戦争を賛美しているだけではない。

 当時の映画人が、戦意高揚映画しか作れなかった時代に、いかにして自分らしい映画を

作ろうと努力していたか、その一端を知れただけでも、大きな収穫を得たような気がして

なりませんでした。


 

 

 


「関根恵子と夏目雅子」私の好きなエロスな女優さん

2016-07-10 21:33:52 | 映画・テレビ
 以前もお話したように、私は三島由紀夫の有名な小説にエロスが書いてあることから、

エロスについて、あれこれ考えてみたくなりました。
 色々、模索する中で、エロスを避ける傾向がある人がいることに気づきました。
 それは、主に異性に対して、自信を失くした人達でした。
 男性においては、恋愛に無関心を装ったり、大人の女性への恐れからロリコンに走る人

がいて、女性においては、ぬいぐるみや、子供の頃に流行った少女漫画を読み耽るように

なったり、エロスを想起させない可愛らしいものに関心を示し、あたかも少女のような振

る舞いをする人達がいることに気づいたのです。
 翻って言うなれば、エロスに対して前向きな人は、大人として健全である証しではない

でしょうか?
 そこで、エロスに対して、どう向きあえばいいのか考えていく中で、二人の女優さんの

名前が浮上してきました。

 お二人とも、私の大好きな女優さんです。

 一人は、高橋恵子さんで、元は関根恵子という芸名を使っておられました。


 この人は今でこそ、落ち着いた雰囲気の綺麗な女優さんですが、関根恵子時代は、ヌー

ドで話題を呼び、スキャンダルに満ちたちょっと危ない人という印象が強かったです。
 とくに印象に残っているのは、1979年に恋人と、タイのバンコクに逃避行した時で

す。
 その事件は7月の下旬に起こり、テレビのワイドショーが何度も取り上げて、ちょうど

夏休み中だった私は勉強そっちのけで、テレビに釘付けになったものでした。

 しかし、この時、彼女は死ぬつもりだったようです。
 だけど、死んだ後のことを考えたら、自分の荷物は誰が片付けるんだろうと思い、親の

悲しむ顔が浮かび、そんな思いをさせてはいけないと踏みとどまったとか。
 そして、外国に失踪中、貴重な発見もあったそうです。
 屋台で店員が食べ物を丁寧に焼いている姿を見た時に、「私にないものは、これだ!」

と思い、「見られている時には一生懸命やる。人からこうしなさいと言われたら一生懸命

やる。でも、人が見ていようと見ていまいと本当に真心を込めて何かをすることが私には

ないんじゃないか」と痛感し、改めるようになったということです。
 
 実は、彼女は1977年にも自殺未遂を起こし、女優業を休んで、岐阜県の山村で晴耕

雨読の日々を送ったこともあったそうです。
 
 そんな彼女に転機が訪れたのは、1982年制作の高橋伴明監督の映画「TATTOO<刺青

>あり」に出演した時で、彼女は高橋伴明監督に運命的なもの、縁を感じたと言います。
 高橋伴明監督はそれまでロマンポルノ一筋に撮り続けていて、その映画が一般映画第一

作だったのです。
 
 「一緒にいて自分らしくいられて、どんな逆境に追い込まれても、この人とだったらゼ

ロから一緒にやっていける」そう感じたことが結婚につながったとか。

 私は、彼女にそう思わせた別の理由に、高橋伴明監督がロマンポルノを撮り続けて、大

人の女性の表面的な美しさばかりでなく、その裏に隠された女の深層まで知り尽くしてい

たのが、彼女の心を捉えたような気がしてならないです。

 そして、彼女は結婚後、もう二度とヌードにならないと固く心に誓ったそうです。

 その理由は、ひとえに愛情を得たからに違いないように思われます。


 でも、私は前々から、高橋恵子さんて、綺麗だなあと思ってはいましたが、そんなによ

く知っていた訳ではなかったのです。

 ところが、いつだったか、テレビ番組の「爆報フライデー」にご出演されていた時のこ

と、「3年目の浮気」が大ヒットした「ひろし&キーボー」のキーボーさんが、病床にあ

るお母さんと二人暮らしで、とてもご苦労されてて、昔、自分は生意気だったと涙ぐんで

詫びておられたんです。
 すると、その姿を見た高橋恵子さんが、キーボーさんに駆け寄り「いいのよ、いいのよ

」という感じで慰めてらしたのです。
 その時、私は、やっぱり、高橋恵子さんはご苦労されただけあって、見た目に違わず優

しい人なんだなと感じ入った次第でした。

 そこで、私はこの記事を書くにあたり、関根恵子時代の映画を何本か観てみました。
 「高校生ブルース」三部作、「おさな妻」「樹氷悲歌」「遊び」「成熟」「ラブレター

」などです。  
 驚いたことに、彼女はデビュー作の「高校生ブルース」の時に、15歳という若さで、

早くもヌードを披露しているのです。
 彼女はその後も、十代の時に何本もヌードになり、不良のレッテルを張られて辛い思い

を、何度もしたそうです。
 でも、実際に映画での彼女を見ると、優等生タイプの清純可憐なイメージで、真面目に

映画に取り組んでいたのが目に見えるような気がしました。
 
 それでは、この中からベストスリーを決定したいと思います。
 まず、3位は「新高校生ブルース」です。
 この映画は、童貞の三人組が、団結して童貞とおさらばするまでをコミカルに描いてい

て、関根恵子さんはそれを優しく見守る同級生の役を演じています。
 この映画の見どころは、関根恵子さんのヌードを綺麗に撮っていることと、若かりし頃

の水谷豊さんが共演しているところです。

 第2位は「ラブレター」です。
 この映画は1981年制作の日活ロマンポルノで、詩人の金子光晴の実話を元に作られ

、ロマンポルノ史上最高の興行収入を記録したそうです。
 この当時、関根恵子さんは26歳で、完成された素晴らしいプロポーションを披露し、

ロマンポルノだけあって、エッチなシーンが幾つもあります♪ 

 
 そして栄えある第1位は「おさな妻」です。
 これは、幼くして結婚した女性の不安に揺れ動く心理を巧みに演出し、愛情の素晴らし

さを問いかけた名作と言えるでしょう。
 どちらかと言えば、若い女性向きの映画です。
 ちなみに関根恵子さんは、この映画の熱演が認められ、ブルーリボン賞を受賞していま

す。
 

 話は尽きませんが、それではもう一人の私の好きなエロスな女優さん夏目雅子さんのご

紹介に移らせていただきます。


 彼女はヌードになったという印象はあまりないと思いますが、NHKのテレビドラマ「

ザ・商社」と映画「鬼龍院花子の生涯」でヌードになっています。
 夏目雅子さんは27歳の若さで亡くなられましたが、私は割合早いうちから、彼女のフ

ァンになりました。
 その中から、気になるエピソードを二つ、ご紹介したいと思います。
 一つはテレビのバラエティ番組「ぴったしカンカン」にご出演された時のこと、女子高

生時代に撮った写真を番組で紹介していたのですが、それがセーラー服姿で、スカートの

裾を持ち上げ、いかにも男性を挑発しているようなすました顔で撮った写真だったのです


 その時は、なんてエッチな女子高生だったんだろうとしか思わなかったのですが、今に

して思えば、彼女は女の武器は何であるかを、すでに知っていたのかも知れないですね。
 
 もう一つのエピソードは、夏目雅子さんが亡くなった時に、新聞で紹介されていた実話

です。
彼女は「瀬戸内少年野球団」という映画に出ていますが、撮影中、映画に出演中の男の

子ばかり入っている男風呂に、バスタオル一枚だけを体に巻いた姿で、いきなり入ってき

たらしいのです。
 当然、大騒ぎになったそうです。
 しかし、彼女はその騒ぎを尻目にニコニコしていたとか。

 どうして、彼女はそんなことをしたのでしょうか?

 たんに、男の子達に、大人の女性のヌードを見せてあげて喜ばせたかったからではない

ような気がします。

 私はその理由を考え続け、喉まで出かかっていたのですが、あと一つというところで、

どうしても答えを出せずにいました。

 ところが、それから、何十年も経って、ある男性が私のブログにこうコメントしてくれ

た事があったのです。


 「美女の役目は、魅惑の肉体で戦士たちに快楽を与え、彼らを勇者に仕立てることです

。」


 私は、その男性のコメントで、夏目雅子さんのあの行為は、男の子達に、少しでも早く

一人前の男になってほしいとの願いが込められていたのだと、ようやく解けた気がしたの

でした。

 そのヒントを与えてくれたのは、あの三島由紀夫ファンの人だったのです。

 その人には、それ以外にも幾つも示唆に富むコメントをいただき、今も感謝の念にたえ

ないです。

 その節は大変、お世話になりました。

 この場を借りて、御礼の言葉とさせていただきたく存じます。



 エロスは、大人にとって、男女ともに大切なものに違いないです。

 だからこそ、もっと深くその重要性を認識すべきではと、三島由紀夫の著書を読んで、

思索を重ね、こうした結論を導くに至った次第です。 








「マグマ大使」から「プレイガール」、そして、「サザエさん」から「がんばれロボコン」

2016-07-06 22:19:07 | 映画・テレビ
三島由紀夫や谷崎潤一郎の小説にエロスや変態がいくつも含まれていることに興味を覚え、

それらについて記事を書いていたら、ある人から、「メカ好きな人とエロスは対極にある」

とコメントを頂いた事がありました。
 そういえば、私にもメカ好きで、自称怪獣博士のブロ友さんがいて、確かにその彼もエロ

スにまつわるお話を努めて避けようとする傾向があることに気づいたのです。
 そこで、私は早速、その理由を知りたくて、その彼に聞いてみました。
 すると、落差が激しいからじゃないかと言って、子供の頃に観たテレビ番組「マグマ大使

」に登場するモル役の應蘭芳(オウ ランファン)さんに大人の女の色気を感じていたと教

えてくれたのです。
 その「マグマ大使」を私は5年前にビデオで観てるのですが、江木俊夫さん扮する村上マ

モル少年のママ役の八代万智子さんは綺麗な人だなと気づきはしましたけれど、應蘭芳さん

はあまり記憶になかったのです。
 そこで、全64話ある「マグマ大使」をレンタルして、じっくり観てみることにしました


 
 この作品は、漫画の神様・手塚治虫先生の原作漫画を実写にしたものですので、漫画版も

合わせて読んでみました。
  
 すると、驚くべき事実を発見してしまいました。
 人類が、宇宙の帝王ゴアに一致協力して戦わねばならない時、三島由紀夫の「憂国」をパ

ロディ化した場面が出てきたのです。

 一説によると、手塚先生は三島由紀夫をライバル視していたと言われてますが、私はそう

することで創作活動のパワーの源にしていたような気がしてならないのです。
 実際、手塚先生の「悪右衛門」は、三島由紀夫が出演した映画「人斬り」の人斬り以蔵そ

っくりのキャラクターが登場しますから、単に嫌っていたのではないように思います。
 つまり、三島由紀夫は漫画の神様がライバル視したくなるほど素晴らしい才能の持ち主だ

ったということですね♪

 それに、手塚先生も三島由紀夫同様、エロスに多大な関心を寄せていて、若かりし頃の里

中満智子さんに、「私はエロスを描きたいのだ」と仰っていたというエピソードもあるよう

ですから。

 お話をテレビ版のモルに戻しますと、見てお分かりのように頭に角が生えています。
    
 ということは、怪獣博士は、もしかしたら、性格的にキツい女性が好きなんでしょうか?

 そう思わないでもなかったのですが、夫であるマグマ大使に従順で、息子のガムに優しい

みたいですから、そういうタイプの女性が好きなのかも知れませんね。
 
 でも、このテレビ番組を観て、私が最も気になったのは、やはり、マモル少年のママ役の

八代万智子さんです。

 この人は、当時、まだ独身で、13歳の江木俊夫さんに対して、まだ26歳という若さで

、江木俊夫さんとは13歳しか離れていなかったのです。
 しかも、身長は江木俊夫さんと殆ど変わらないのです。

 なのに、ママの役を演じていた訳ですから、心中複雑なものがあったのではないでしょう

か?
 「私って、そんなに老けて見えるのかしら?」と思ったとしても、何ら不思議ではありま

せんよね?
 実際、番組を観ていると、どこか不満そうな表情を浮かべる場面がいくつも出てくるんで

す。
  老けて見られるのは、女性は結構、気にするものなんです。

 そういう私も、人生で初めて「オバサン」と言われた時の衝撃は、今もありありと脳裏に

焼き付いていますから。(苦笑)

 そこで、もう少し應蘭芳さんと八代万智子さんについて知りたいなと思ったら、お二人が

共にご出演されたテレビ番組「プレイガール」を見つけちゃいました。

 この番組は「マグマ大使」が終了した1年半後に始まっていて、あの従順で、心優しい役

の應蘭芳さんがこんな色っぽいお姿で映っていました。

 子供の頃から、こんな色っぽい女性が好きだったなんて、怪獣博士って案外、おませちゃ

んだったのですね♪
  

 しかし、驚くのはまだ早い!

 清楚で優しいママの役だったあの八代万智子さんまでが、水着あり、パンチラありのお色

気全開で、保険調査員という役を演じていたのです!!


 やっぱり、八代万智子さんは、「マグマ大使」で、26歳の時、13歳の息子のママの役

を与えられたのがショックだったのだと思います。

 「私は、まだまだ若いのよ!ほら、この通り、世の男性達を悩殺することだって出来ちゃ

うんだから!!」

 女性は、プライドを傷つけられたり、ないがしろにされたら、エロスという形で思わぬ方

向に噴出しちゃう生き物なのではないでしょうか?   

 
 それは、「サザエさん」の声優、加藤みどりさんにも同じことが言えると思うのです。
  
 私は、いつだったか、ブログで、「サザエさんに欲情出来る人いますか?」と尋ねたこと

があるんです。
 すると、案の定、誰一人いませんでした。
 「おれのあそこはぴくりともしないよ」という人までいたのです。
 男性を欲情させられないとは、女性として、これほどの恥じはないと思います。
 それに、女性がせっかく、その気になってるのに、いつまでもフニャフニャでは全然、い

い気持ちはしませんからね。(真っ赤)

 だけど、加藤みどりさんは番組が始まった時、担当者から、「お色気なしでお願いします

」と言われ、さらに「サザエさんのイメージがこわれないように、出来ればほかの番組にも

出ないで下さい」と頼まれたそうです。
 その時、加藤みどりさんは、「サザエさん」は半年か一年で終わるだろうと思い、何のた

めらいもなく引き受けたそうで、まさかこんなに長く色気のない役を続けるとは思いもしな

かったそうです。
 だけど、女性のお色気を封印されて、ただですむはずがありません!
 
 実は、加藤みどりさんにはお色気なしの不満が爆発したテレビ番組があるんです。
 
 「がんばれロボコン」という番組がそれを如実に語ってるのです。

 着てるものからして、胸を強調し、この姿で走り回るシーンがあり、プルンプルンお胸が

揺れて、この私でさえ、加藤みどりさんのお胸に釘付けで、どうしても、エッチなことを想

像せずにはいられないのです。(真っ赤)

 しかも、こんなポーズまでして、まさにお色気全開なんです。


 これは、男性についても言えることですが、女性は大人に成長すると、エロスという本能

を獲得します。
 それを否定したり、ないがしろにしたら、思わぬ方向に噴出しちゃう生き物のようです。

 だからこそ、大人の女性はエロスを正しく活用するのが求められるのではないでしょうか



 次回は、私が尊敬するエロスを有効に活用した女優さんのお話をして、さらに追求してい

きます。 
 

納豆売りから、水森亜土♪

2016-06-19 23:00:52 | 映画・テレビ
 前回、テレビアニメの「ひみつのアッコちゃん」のお話をしましたが、その番組のエン

ディング曲「すきすきソング」に、気になる歌詞が入っていました。
 
♪すき すき すき すき

 すき すき すき すき

 すき すき すき すき

 すき すき すき すき

 アッコちゃん アッコちゃん

 すきすき
 (ハ ヨイト)

 アッコちゃん 来るかと

 団地のはずれまで出てみたが
 (ハ ドシタ アッコちゃん)

 アッコちゃん 来もせず

 用もないのに納豆売りが

 ハーハー ナットオー!!



 この中で、私が気になったのは、(納豆売り)という歌詞です。

 これは、行商人が、納豆を売り歩いてたということですよね?

 私は現在、宮崎に住んでますが、昔、暮らしていた東海地方や関西でも、納豆売りは聞

いたことも見たこともありません。
 
 「ひみつのアッコちゃん」の舞台は東京なので、関東にはあるんでしょうか?

 もしくは、昔あったとか?

 こちらでは、石焼き芋や、物干し竿売りなら見たことがあります。
 大阪に住んでいた頃は、豆腐売りが、自転車に乗って、ピープーとラッパを鳴らしなが

ら売りに来ていたことはありました。

 そういえば、昔は金魚売りが「金魚~え~、金魚」と言って、売り歩いてたこともあっ

たみたいですね。 

 そこで、納豆売りをネットで調べてみたら、確かに「ひみつのアッコちゃん」が放送さ

れる少し前まで存在していたそうです。
 昔の納豆と言えば、藁に包んだものを思い浮かべますが、納豆売りは納豆を桶に入れて

小分けして売っていたみたいです。

 納豆は茨城県水戸市が有名ですから、やはり、関東で主に行商していたのでしょうか。
 それに、関西では納豆が苦手な人が多いと聞きますし。
 そこで、私が不思議に思うのは、あの世界最強の女傑と言われる大阪のオバちゃんなん

です。
 大阪のオバちゃんと聞くだけでも、私はビビってしまうのですが、向かうところ敵なし

のはずなのに、納豆が食べられないとは、なんだか笑えますよね?

 どうして、大阪のオバちゃんは納豆が苦手なんでしょう?


 そこで、私はその謎を解くべく、ある大阪のオバちゃんのブログに潜入し、調査してみ

たのです。
 そのオバちゃんはとにかく食べるのが好きみたいで、美味しいものを食べたと言っては

嬉しそうにブログに書くんです。
 だけど、いろんなものを食べてはいますが、案の定、今まで書いた中で、納豆の記事は

一つもありませんでした。
 だったら、大阪のオバちゃんは一体、何が好きなのでしょう?

 それがね、驚いたことに洋食なんです。
 
 普通、大阪のオバちゃんの食べそうなものと言ったら、たこ焼きとか、お好み焼きでし

ょう?

 それなのに、郷土愛どころか、愛国心すら感じられないものばかり食べてるんです。

 大阪のオバちゃん、あなたはそれでも日本人ですか?

 日本人としての誇りはどこにもないのですか?


 ああ、大阪のオバちゃんがこれを読んでたらどうしよう?

 恐っ!

 そうだわ!
 もしかしたら、世界最強の女傑にふさわしく、食べ物で世界制覇を狙ってるのかも?

 恐るべし、大阪のオバちゃん!!

 やっぱり、大阪のオバちゃんは素敵です~♪

 こんだけ、よいしょすればいいかな?(苦笑)


 でも、世界制覇を狙ってるなら、苦手なものを克服するのも大事なことですよね?

 実は、大阪のオバちゃんの虚栄心をくすぐるような納豆があるんです。

 その名も、人呼んで「セレブ納豆」♪

 これです。


 この「せれぶでなっとう」はタレに特徴があって、チーズ味、トマト味、バジル味があ

り、手軽にセレブ気分が味わえちゃいます♪
    
 大阪のオバちゃん、これを食べて納豆を克服し、一日でも早く世界制覇を成し遂げて下

さいね♪
 

 ところで、その「すきすきソング」を歌っていたのはイラストレーターとして有名な水

森亜土さんです。

 この人は歌もよく歌っていて、私は映画の「パンダコパンダ」、NHKみんなのうたの「

いたずらっこ」も好きでした。
 だけど、水森亜土さんと言えば、まず思い浮かべるのはイラストレーターとしてのお仕

事ですよね。

 この人のイラストは、少女漫画にもよく載っていました。
 私は、イラストを集めたことはありませんでしたが、雑誌に水森亜土さんのイラストが

載っていると思わず、よく見入ったものでした。
 水森亜土さんの描くイラストの女の子は、雰囲気で可愛いって思えちゃうところが大好

きです。
 
 これは、水森亜土さんお得意のキスするカップルです。

 でも、本当にキスしてる訳ではなく、微妙にずれているのだとか。


 でも、私の世代で忘れられないのは、何と言ってもNHKのレギュラー番組「たのしいき

ょうしつ」で、透明なアクリルボードに歌いながら両手で同時に別々のイラストを書くパ

フォーマンスでしょう。

 あれを見るたび、なんてすごい人だろうと、いつも思っていました。
 
 それに、この人が普通に喋ってるところを聞いたことがある人は誰もいないのではない

でしょうか?

 宇宙語?とでも言えばいいのか聞いたこともないような不思議な言葉を喋ったりするん

です。 

 そういう意味でも、私の中ではノッポさんと同じくらいすごい人だと思っていました。

 いいえ、ユニークいう点に置いては、あの山下清画伯に、決して引けは取らないのでは

ないでしょうか♪ 

  
 そういうことで、今回は、納豆売りから、大阪のオバちゃん、そして、水森亜土さんの

お話でした♪



 


 

テレビアニメ「ひみつのアッコちゃん」

2016-06-15 00:30:58 | 映画・テレビ


 ちょっと前にお話したテレビアニメ「魔法使いサリー」について調べていた時、その番

組は魔法少女ものの走りで、以後、何作も魔法を使える少女を主人公にしたものが作られ

たと知りました。
 そして、その中で、一番のヒット作は、「魔法使いサリー」のすぐあとに放送された「

ひみつのアッコちゃん」だったそうです。

 実は私、子供の頃「ひみつのアッコちゃん」のコンパクトを持っていたんです!

 それで遊ぶ時は、アッコちゃんの魔法の呪文「テクマクマヤコン テクマクマヤコン」

を、しまう時は、「ラミパスラミパス ルルルルル」と唱え、机の引き出しに大切にしま

っていたのです。
 ちなみに、「テクマクマヤコン」は「テクニカル マジック コンパクト」の略で、「

ラミパス」は、スーパーミラーを逆にした言葉だそうです。

 でも、「ひみつのアッコちゃん」といえば、私はこの番組に悲しい思い出があるのです


 この番組は、幼い頃、毎週、すごく楽しみに観ていたのです。
 ところが、この番組が放送されている最中に、私の住んでる宮崎にもう一つ放送局が開

局し、「ひみつのアッコちゃん」は、それまでの10チャンネルから、その新しい放送局「

テレビ宮崎」にチャンネルに移ってしまったのです。
 そのチャンネルが問題だったのです。
 わが家のテレビは12チャンネルまでしかなかったのに、新しい放送局は35チャンネ

ルだったため、あんなに楽しみにしていた「ひみつのアッコちゃん」が観れなくなってし

まったのです。
 当時、35チャンネルを観るためには、別にチューナーをテレビに付けなければならな

ず、わが家は新しいテレビを買うまで付けてくれなかったのです。
 突然、「ひみつのアッコちゃん」が観れなくなった私は悲しくて悲しくてたまりません

でした。
 だけど、そんな話を、近くに住むいとこのお姉さんにしてたら、「だったら、私の家に

泊まりに来なさいよ。うちのテレビなら見れるから」と言ってくれたのです。
 「ひみつのアッコちゃん」は、午後7時の放送と遅かったですし、お姉さんと私は大の

仲良しだったので、たぶん、泊まってほしかったのだと思います。
 その言葉に大喜びした私は、「ひみつのアッコちゃん」が放送される日に、わくわくし

ながら泊まりに出かけたのです。
 ところが、お風呂もお姉さんの家のに入り、食事も頂いて、さあ、いよいよ番組が始ま

るという時、ガラガラと玄関の戸が開いて、いつもより早く、おじさんが帰って来ちゃっ

たのです。
 そして、開口一番、「おい、ボクシングを観るぞ。」と言って、チャンネルをくるくる

っと変えちゃったのです。

 ええっ!私、「ひみつのアッコちゃん」が観たくて泊まりに来たのに・・・

 お姉さんに小声で言ってみたものの、お父さんには逆らえないと言うのです。
 おじさんは、焼酎を飲みながら、ほろ酔いかげんで、ボクシングを観て、気持ちよさそ

うにしていたのですが、私はそれが憎らしくてたまりませんでした。(苦笑)
 その晩、私はお姉さんちに泊まったのですが、悔しくてたまらず、涙で枕をぬらし、な

かなか寝付けなかったのを未だに、はっきり覚えています。(苦笑) 

 それ以後、宮崎では、再放送もされなかったため、私はすっかり、この番組を忘れ去っ

ていました。
 だけど、この歳になって観た「魔法使いサリー」が未だに面白かったので、それ以上に

ヒットした「ひみつのアッコちゃん」も、断然、観てみたくなったのです。
 そこで、レンタル屋さんに行ったら、私に見てよと言わんばかりに、DVD全16巻がち

ゃんと置いてあったのです。
 それで、「魔法使いサリー」を見終わってから、今まで「ひみつのアッコちゃん」の

DVDを少しずつ観ていたのです。

 それにしても、なぜ、「ひみつのアッコちゃん」が魔法少女ものの最大のヒット作にな

ったのでしょう?
 まず、魔法の国のお姫様サリーちゃんと違って、アッコちゃんはごく普通の女の子だっ

たところが、身近に感じられたからかも知れません。

 2つめはアッコちゃんが、鏡を使って、変身しちゃうところにあるような気がします。
 
 鏡、それは女性にとって無くてはならない物で、お化粧する時や、身だしなみを整える

時など、必ず持ち歩いてるものであります。
 しかも、鏡はただ、自分の姿を映すだけじゃなく、女性の多くは鏡に向かって、ある思

いを念じているように思います。
 女優で詩人の黒木瞳さんに、その私の気持ちに、ぴったりの「真心」という素敵な詩が

あります。

 あなたのために 心をみがいている

 ほんとうの私を

 あなたに知ってもらいたいから

 一点の曇りもないほどに

 私の心をみがいている

 嘘がつまった体を捨てて

 ほんとうの私に戻ったら

 あなたに伝える

 私の真心

 
 
 そう、女性はただ容姿だけが奇麗になりたいだけで鏡に向かっているのでなく、愛する

誰かを思い、心も綺麗にと念じているものなのです・・・


 つまり、女性は、それほど鏡に深い思い入れをしてますので、コンパクトで変身出来ち

ゃうアッコちゃんに心から共感するのではないでしょうか?

 そういうことなどを考えながら、私は最近まで「ひみつのアッコちゃん」のDVDを見続

けていたのです。
 でも、ほかにもヒットの要因があることに気づいたのです。
 この作品の原作者は、ギャグ漫画の神様と讃えられた赤塚不二夫さんで、モコちゃん、

大将、少将、ガンモ、チカ子ちゃんなど、ユニークなキャラクターに加え、随所に笑いが

散りばめられているのです。
 で、どこが可笑しいと言って、アッコちゃんは事件を解決しようと思って変身するです

が、変身したがために、かえってこんがらがって、事件が思わぬ方向に突っ走ってしまう

ところが最高に笑えちゃうんです♪
 しかも、笑えるだけではないんです。
 女の子向けに作られただけあって、弱者や虐げられた者に対する優しさや思いやりを差

し伸べるように、細かく配慮されて作られているんです。

 だから、「ひみつのアッコちゃん」を観てると、優しい気持ちになれるんです。

 それで、私は泣いたり笑ったりしながら、「ひみつのアッコちゃん」のDVDを観ていた

のですが、あるキャラクターに、ふと目が止まったのです。
 それは、アッコちゃんの秘密に関するキャラクターです。
 だいたい、なぜ、「ひみつのアッコちゃん」というタイトルなのかと言いますと、アッ

コちゃんは鏡で変身出来るのを、誰にも教えずに秘密にしてるんです。
 そうしないと、鏡の魔法が効かなくなり、二度と変身出来なくなるからです。
 ところが、アッコちゃんのペットだけは、一緒にいる時間が多いからか、例外としてア

ッコちゃんの秘密を知っているのです。
 そのペットを見てたら、私はだんだん、自分がアッコちゃんのような気がしてきたので

す。
 それもそのはず、そのペットの名は「しっぽな」という猫なんです!

 これが、しっぽなです。

 どうです?
 可愛いでしょう?

 これは、アッコちゃんと一緒に、「白鳥の湖」を踊っているところです♪

 でも、しっぽなは可愛いだけではないんです!

 こんなに色っぽい面も持ってるんです。 
 
 

  実は、私の周りにも、しっぽなさんという人がいるんです。

 でも、ネットで知り合っただけで、直接会ったことはないので、人だという確証はどこ

にもないです。

 もしかしたら、あの人、本当は猫だったのかしら?

 そうかも知れない。

 その昔、夏目漱石が飼っていた猫も頭がよくって、小説「吾輩は猫である」を、漱石に

口述筆記させたという前例があるらしいですし、パソコンのキーくらい朝めし前かも知れ

ません。
 しっぽなさんとは、もう4年のお付き合いなんです。
 初めて、出会った時の事、よく覚えています。
 あれは、私が鈴木清順監督の「陽炎座」を書く時、ほかに書いてる人はいないかな?と

思って、検索したら、しっぽなさんが、新宿かどこかで、鈴木清順監督の「陽炎座」の上

映会があると書いてらしたのです。
 そして、水木しげるや、手塚漫画で意気投合して、すぐに仲良しになったのです。

 そうかあ、あれから、もう4年も経っちゃったんだあ。

 その間、いろんなことがあったなあ・・・

 え?しっぽなさんて、私にとって、どういう存在かですって?

 う~ん、空気みたいなと言ったらいいかな?

 毎日いて、当たり前。

 いないと、何かあったのかな?と、とっても気になっちゃう。

 だけど、ある時、ぷいといなくなった事があったの。

 もう私、すごく慌てちゃって、あちこち探しまわって、ようやく連れて帰った事があり

ました。
 そうかと思うと、チリンチリンと鈴を鳴らすみたいに、私のあとをついてきてと言うか

ら、何だろうと思って、ついてったら、新しい住処に招待されたこともありましたっけ。

 この4年間、いろんなことがあったけど、私を見捨てないでくれて、本当に感謝してま

す。(苦笑)

 これからも、末永くお付き合い出来ればと思います♪


 あとね、もう一匹、アッコちゃんの秘密を知ってるペットがいるんです!

 それは、鳥なんです。

 
 何だか、アッコちゃん、迷惑そうですけど、この鳥、ホラばっかり吹くので、ちょっと

煙たがれてるんです。(笑)

 実は私の周りにも、鳥の名をハンドルネームにしてる人がいるんです!

 その人は、大の鳥好きで、よくブログに野鳥の写真を載せたりしてるんです。

 その人の名誉のために書きますが、決して、ホラ吹きではないと思います。

 たぶんですね、たぶん、そうだと思いますヨ。(笑)  



 そういう訳で、アッコちゃんの秘密を知ってるペットが二人と言おうか、二匹も、私の

周りにいるので、私の本当の正体は、ひみつのアッコちゃんに間違いないと思います♪


 その証拠に、魔法の呪文を唱えれば、きっと何にでも変身出来ると思います。


 じゃあ、いきま~す!

 ラミパスラミパス ルルル
  じゃなかった!

 テクマクマヤコン テクマクマヤコン 
お姫様になあれ!


 ♪そいつの前では女の子

 つーんとおすまし

 それはなぁに

 それはかがみ かがみの中から

 ツンツンツン

 シンデレラ姫があらわれた

 ツンツンツン

 それはだぁれ

 それはひみつ ひみつ ひみつ

 ひみつのアッコちゃん

 


   

映画「あゝ野麦峠」

2016-05-24 20:13:46 | 映画・テレビ
 少し前にお話した映画「制服の処女」は、とある規律の厳しい女学校の女学生マヌエラが

、美しい女教師に恋心を抱き、その切ない胸のうちが描かれていました。
 この映画で、私がもっとも感動したのは、女教師を好きだったのはマヌエラだけでなく、

ほかの多くのクラスメートもその想いは同じだったはずなのに、マヌエラと女教師との関係

が、学校の規律に反するとして、厳しい処罰を受けた時、みながマヌエラに同情し、応援す

るという女性ならではの麗しい友情にありました。

 しかし、この映画に感動しながら、その一方で、彼女たちの幸せは、男性の存在しない女

性だけの世界だったことでないかという思いが強くしたのです。


 その理由は、私が最初に勤めた会社の元上司の言葉を、ふと思い出したからです。
 その元上司は、若い頃、労働運動を潰す仕事を専門にしていたらしく、労働運動の激しい

会社の経営者に頼まれて、様々な職場に入り込んでいたそうです。
 そのなかには、女性の従業員の多い製糸工場や紡績工場も含まれていて、労働運動を潰す

手口を事細かに教えてくれた事があったのです。
 元上司の言う処によると女性の多い職場には、必ず、お姉さんと慕われる年上の女性がい

て、年下の女性の面倒をよく見たり、労働運動も率先して、深く関わる場合が多いそうです


 そこで、女性たちの団結力を崩すため、あの手この手を使って、お姉さんに揺さぶりをか

けるよう仕組むのだとか。
 それで、もっとも効果があるのは、そのお姉さんに男を近づけることだというのです。
 元上司の言うには、俳優と見間違えんばかりの美男子を、お姉さんの働いている部署に送

り込み、その美男子が、お姉さんに気があるふうを装い、恋愛関係になることで、労働運動

から遠ざけ、「お姉さんたら、私たちより男のほうが大切なんだわ。悔しい!」と女性たち

に思わせるものでした。
 
 そうして、その元上司は女性特有の恋愛心理につけ込み、女性たちの結束を乱して、労働

運動を次々と撃破していったそうです。  

 私は、職場が改善されることなく、ばらばらに散っていった女性達が哀れな気がして、ず

っと胸に残っていたのです。

 映画「制服の処女」を観た時、その思い出が蘇り、それと同時に女性が多く働く製糸工場

を舞台にした「あゝ野麦峠」という映画がむしょうに観たくなってしまいました。

 
 「あゝ野麦峠」は公開当時、すごく話題になり、私も気にならないではなかったのですが

、可哀想な女性のお話なのに躊躇して、まだ一度も観てなかったのです。
 この映画は、原作者の山本茂実が、十数年に及び、飛騨や信州の数百人の女工や、工場関

係者らに取材して、事実をもとに書き上げたそうです。

 野麦峠は、岐阜県高山市と長野県松本市にまたがる難所で、明治の初めから大正にかけて

、飛騨の女性(多くは十代の少女)が諏訪地方の岡谷にある製糸工場で働くため、吹雪の中

、命懸けで、この峠を越えなければなりませんでした。

 当時は富国強兵の国策のさなか、生糸は有力な貿易品であったため、製糸工場で働く女性

が多かったそうです。
 そうして、仕事の出来る女工は百円工女と呼ばれ、給金も多く貰えたみたいですが、その

代わり能率の上がらない女工は罰金として、給金を減らされ、実家への仕送りもままならぬ

ほどだったとか。
 この映画の主人公、政井みね(大竹しのぶ)は、働き者で、要領がよく、あっという間に

百円工女になります。
 百円工女は、篠田ゆき(原田美枝子)と二人だけで、ゆきはみねにちょっとしたライバル

意識を持っていました。
 ゆきは貧乏で、幼い頃から、人知れぬ苦労をしていて、そこから逃れたい一心で遮二無二

働いていたのです。
 
 ところが、製糸工場の社長(三国連太郎)に、若旦那と呼ばれる息子、足立春夫(森次晃

嗣)がいて、可愛い女工に、「結婚する」と偽り、次々に体を奪っていたのです。
 春夫は、やがて、ゆきに目をつけ、まんまと騙し、妊娠させてしまいます。
 でも、案の定、結婚する意志はなく、ゆきは製糸工場を辞め、実家に帰って、子供を産も

うと決意します。
 それを知ったみねは、ゆきにお別れの言葉をかけに会いに行くのですが、ゆきは「別の工

場で働き、また百円工女になって、子供をちゃんと育てるんだ」と言って、みねと別れるの

です。
 しかし、あの野麦峠を超える時、体がきつくてたまらなくなり、そのまま流産してしまう

のです。
 女工が妊娠させられるのは、実際によくあったらしく、野麦峠の由来も、この峠に群生す

る熊笹の実を野麦と呼んだことのほかに、この峠で流産することが多かったので、野産み峠

と呼ばれていたのが、野麦峠になったという説もあるそうです。 


 ゆきが去ったあとも、みねは製糸工場で働くのですが、重要な生糸の輸出先のアメリカが

大恐慌になり、それまで以上に過酷な労働を強いられ、ついに病に倒れてしまいます。

 みねが病に倒れたと知った兄(地井武男)は、みねを連れて帰ろうと、背負って、あの野

麦峠を登っていきます。

 しかし、峠を越え、ようやく故郷の飛騨が見えた時、みねは「飛騨が見える。飛騨が見え

る。兄ちゃん、うち帰ってきたんや。うち帰ってきたんやな」と振りしぼるように、かすか

に言ったかと思うと、そのまま意識を失ってしまうのです。

 そして、それがみねの最期でした・・・

 みねが死んだと知らされた女工達は、みな仕事を放り投げて、みねの死を悼むのでした。



 そんな女性たちが哀れで、女性の優しさや、愛情を不当に扱うことなく、素直に受け入れ

られる事を、強く男性に望みたくなる、そんな作品でした。