
お姫さまのお話がとまりません!
去年の暮れに、「おやゆび姫」の記事を書いてからというもの、私は寝ても覚めてもお姫さまのことで頭が一杯で、どうにかなっちゃいそうです!
そこで、今回はその第二弾にして史上最高のお姫さま「シンデレラ」のお話しをすることに決めました!
それに、「シンデレラ」は、酉年の今年にふさわしいかもと思ったからです。
その理由はさておいて、シンデレラと言えば、「ガラスのくつ」を思い浮かべる人が多いと思います。

それほど、このお話はとっても有名ですよね?
調べてみると、「シンデレラ」のお話は数千年前から、世界各地にわたって伝わっているようです。
この事実だけでも、どれだけ、「シンデレラ」が普遍的に女性の願望を現したものかとうかがい知れるようです。
私は「シンデレラ」のお話しをするに当たって、まず、ディズニーが1950年に製作したアニメ版を観てみました。
そして、これは本当に素晴らしい作品だなと感動せずにはいられませんでした。
とにかく、シンデレラが美しいのです。
それは、顔やスタイルだけでなく、立ち居振舞いにも現れていて、とても優雅で気品にあふれているのです。
しかも、継母も、その二人の娘達もとても意地悪で、自分勝手な性格ですから、余計シンデレラの美しさが引き立っているのです。
だけど、お話が暗くならないように、随所に笑いが散りばめられてあり、すんなり、お話の世界に入っていける工夫がされてるなと思いました。
ただ、私があれ?と気になったのは、シンデレラが足で、ドアを閉める場面です。
でも、よく考えるとその場面は、シンデレラが、継母やその娘達の朝食を両手と頭に乗せていて、ノブを手で開けることが出来なかったのです。
しかも、あれこれ、沢山、用事があるので、急がなくてはならないという、とても忙しい状態にあったのです。
忙しいと、人は優雅さとか、気品が身につかなくなるのかもしれません。
だって、「忙」という漢字を分解すると、(心を亡くす)になっちゃうでしょう?
精神にも肉体的にも、あらゆる意味で、余裕って、とても大切なのかも?
私はシンデレラが足で、ドアを閉める場面で、そんなことを考えたりしました。
しかし、気になったのはそこだけで、全編にわたって、シンデレラはとても綺麗でした。
初めのうちは、継母とその娘達に意地悪されて、とても可哀想だっただけに、王子さまと結ばれた時は涙が自然にこぼれ落ちて、シンデレラを心から祝福せずにはいられませんでした・・・
そうして「シンデレラ」に感動した私は童話も読んでみたくなりました。
何でも、ディズニーはペローの「灰かぶり姫」からヒントを得たようですから。
このペローの童話は、古くからある民間伝承に創作を加えたもので、カボチャの馬車もペローが作ったものらしいです。
これを読んだら、ディズニーがどれだけイマジネーションをふくらませて、アニメ版を作ったのかが窺われて、アニメ版の素晴らしさを再認識することが出来ました。
ところで、「シンデレラ」はグリム童話にも含まれていますので、それも読んでみることにしました。
しかし、これは背筋が凍るエピソードがいくつもあり、シンデレラの幸せを素直に喜べない気がしてなりませんでした。
それには、継母の娘達がガラスのくつが合うか試す時、足がガラスのくつに入るように、ナイフで足の指や、かかとを切り落とし、血まみれになりながらガラスのくつをはくと書いてあるのですから。
だけど、そうして、無理やりとは言え、ガラスのくつをはいてしまったものですから、王様の家来は「これこそ、王子さまが探し求めていた女性に違いない」と思って、宮殿に連れていこうとするのです。
しかし、二羽の小鳩がやって来て、はしばみの木かげから、こうしゃべるのです。
「クック、クック、クック、血があんなにくつの中に、くつはあんまり小さすぎる。本当の花嫁は家にいる」
そして、ラストで、意地悪な娘達は、シンデレラの幸せにあやかろうと、結婚式で、花婿と花嫁が教会に行った時、そのあとをついてくるのですが、二羽の小鳩に目をつつき出され、失明してしまうのです。
確かに、継母の娘達はシンデレラに意地悪をしましたが、そこまでしなくてもという気がして、シンデレラの幸せを素直に喜べなかったです。(苦笑)
でも、このお話は親が子供にお話していた訳ですから、人様に迷惑をかけるようなことをしてはならないという戒めの意味もあったのかも知れないですね?
だけど、娘達の謀(はかりごと)を暴露したり、目をつつき出して失明させるという重要な役目を鳩にさせた理由が気になります。
もし、シンデレラ自身がナイフで、継母の娘達の目をつき刺し、復讐を遂げたら、どうでしょう?
それも嫌ですよね?
だったら、数多い鳥の中で、なぜ、鳩が選ばれたのでしょう?
鳩は平和の象徴と言われますが、シンデレラの中では、それ以上の意味があるような気がします。
鳩は、旧約聖書の「ノアのはこ舟」で、大洪水が引いて、陸地があることをオリーブの小枝を加えて、ノアに教えたというエピソードにあるように、神様の使いと考えられてきたことが関係あるように思いました。
しかも、キリスト教や、神道など、さまざまな宗教で、鳩は聖なる鳥として扱われているそうです。
だから、「シンデレラ」の中の鳩の行いは、神様の思し召しと同じ意味を持つのだと思います。
そのほか、調べて分かったのは「くつ」は、ヨーロッパでは古くから、女性の性器の象徴だったことです。
十二世紀に建てられたフランスの寺院の壁には片足が裸足の女性の浮き彫りがあるそうです。
それは、性的に堕落した人を現していて、その意味で解釈すれば、王子の策略で片方のくつを脱いだシンデレラは舞踏会の時、王子と性的な関係を持ったということになるとか。
調べれば調べれるほどに興味はつきない「シンデレラ」。
だからこそ、いつの世も世界中で愛されてきたお話なのかも知れませんね?
去年の暮れに、「おやゆび姫」の記事を書いてからというもの、私は寝ても覚めてもお姫さまのことで頭が一杯で、どうにかなっちゃいそうです!
そこで、今回はその第二弾にして史上最高のお姫さま「シンデレラ」のお話しをすることに決めました!
それに、「シンデレラ」は、酉年の今年にふさわしいかもと思ったからです。
その理由はさておいて、シンデレラと言えば、「ガラスのくつ」を思い浮かべる人が多いと思います。

それほど、このお話はとっても有名ですよね?
調べてみると、「シンデレラ」のお話は数千年前から、世界各地にわたって伝わっているようです。
この事実だけでも、どれだけ、「シンデレラ」が普遍的に女性の願望を現したものかとうかがい知れるようです。
私は「シンデレラ」のお話しをするに当たって、まず、ディズニーが1950年に製作したアニメ版を観てみました。
そして、これは本当に素晴らしい作品だなと感動せずにはいられませんでした。
とにかく、シンデレラが美しいのです。
それは、顔やスタイルだけでなく、立ち居振舞いにも現れていて、とても優雅で気品にあふれているのです。
しかも、継母も、その二人の娘達もとても意地悪で、自分勝手な性格ですから、余計シンデレラの美しさが引き立っているのです。
だけど、お話が暗くならないように、随所に笑いが散りばめられてあり、すんなり、お話の世界に入っていける工夫がされてるなと思いました。
ただ、私があれ?と気になったのは、シンデレラが足で、ドアを閉める場面です。
でも、よく考えるとその場面は、シンデレラが、継母やその娘達の朝食を両手と頭に乗せていて、ノブを手で開けることが出来なかったのです。
しかも、あれこれ、沢山、用事があるので、急がなくてはならないという、とても忙しい状態にあったのです。
忙しいと、人は優雅さとか、気品が身につかなくなるのかもしれません。
だって、「忙」という漢字を分解すると、(心を亡くす)になっちゃうでしょう?
精神にも肉体的にも、あらゆる意味で、余裕って、とても大切なのかも?
私はシンデレラが足で、ドアを閉める場面で、そんなことを考えたりしました。
しかし、気になったのはそこだけで、全編にわたって、シンデレラはとても綺麗でした。
初めのうちは、継母とその娘達に意地悪されて、とても可哀想だっただけに、王子さまと結ばれた時は涙が自然にこぼれ落ちて、シンデレラを心から祝福せずにはいられませんでした・・・
そうして「シンデレラ」に感動した私は童話も読んでみたくなりました。
何でも、ディズニーはペローの「灰かぶり姫」からヒントを得たようですから。
このペローの童話は、古くからある民間伝承に創作を加えたもので、カボチャの馬車もペローが作ったものらしいです。
これを読んだら、ディズニーがどれだけイマジネーションをふくらませて、アニメ版を作ったのかが窺われて、アニメ版の素晴らしさを再認識することが出来ました。
ところで、「シンデレラ」はグリム童話にも含まれていますので、それも読んでみることにしました。
しかし、これは背筋が凍るエピソードがいくつもあり、シンデレラの幸せを素直に喜べない気がしてなりませんでした。
それには、継母の娘達がガラスのくつが合うか試す時、足がガラスのくつに入るように、ナイフで足の指や、かかとを切り落とし、血まみれになりながらガラスのくつをはくと書いてあるのですから。
だけど、そうして、無理やりとは言え、ガラスのくつをはいてしまったものですから、王様の家来は「これこそ、王子さまが探し求めていた女性に違いない」と思って、宮殿に連れていこうとするのです。
しかし、二羽の小鳩がやって来て、はしばみの木かげから、こうしゃべるのです。
「クック、クック、クック、血があんなにくつの中に、くつはあんまり小さすぎる。本当の花嫁は家にいる」
そして、ラストで、意地悪な娘達は、シンデレラの幸せにあやかろうと、結婚式で、花婿と花嫁が教会に行った時、そのあとをついてくるのですが、二羽の小鳩に目をつつき出され、失明してしまうのです。
確かに、継母の娘達はシンデレラに意地悪をしましたが、そこまでしなくてもという気がして、シンデレラの幸せを素直に喜べなかったです。(苦笑)
でも、このお話は親が子供にお話していた訳ですから、人様に迷惑をかけるようなことをしてはならないという戒めの意味もあったのかも知れないですね?
だけど、娘達の謀(はかりごと)を暴露したり、目をつつき出して失明させるという重要な役目を鳩にさせた理由が気になります。
もし、シンデレラ自身がナイフで、継母の娘達の目をつき刺し、復讐を遂げたら、どうでしょう?
それも嫌ですよね?
だったら、数多い鳥の中で、なぜ、鳩が選ばれたのでしょう?
鳩は平和の象徴と言われますが、シンデレラの中では、それ以上の意味があるような気がします。
鳩は、旧約聖書の「ノアのはこ舟」で、大洪水が引いて、陸地があることをオリーブの小枝を加えて、ノアに教えたというエピソードにあるように、神様の使いと考えられてきたことが関係あるように思いました。
しかも、キリスト教や、神道など、さまざまな宗教で、鳩は聖なる鳥として扱われているそうです。
だから、「シンデレラ」の中の鳩の行いは、神様の思し召しと同じ意味を持つのだと思います。
そのほか、調べて分かったのは「くつ」は、ヨーロッパでは古くから、女性の性器の象徴だったことです。
十二世紀に建てられたフランスの寺院の壁には片足が裸足の女性の浮き彫りがあるそうです。
それは、性的に堕落した人を現していて、その意味で解釈すれば、王子の策略で片方のくつを脱いだシンデレラは舞踏会の時、王子と性的な関係を持ったということになるとか。
調べれば調べれるほどに興味はつきない「シンデレラ」。
だからこそ、いつの世も世界中で愛されてきたお話なのかも知れませんね?