農村ライフ 日々是好日

山形・庄内平野でお米を作る太ももの会広報部長の農村日記

奈曽渓谷から稲倉岳へ

2020-02-11 16:54:25 | 

(平成11年10月の奈曽渓谷。展望台から親父撮影)

御浜から稲倉岳へ至るルートがとっくの昔に廃道になってしまった今、
無雪期に稲倉に登るとすれば奈曽渓谷を遡上するルートでしょうか。

古い写真をスキャンしたので、
私が35年前に登った稲倉岳のレポートを書いてみたいと思います。
と言うか詳細な記録がないので、記憶に頼った思い出話です。

池田昭二さんの編纂した1970年代のエアリアマップには、
そのルートがまだ点線で示されていました。
残念ながら付録のガイドブックには説明文はありませんが。

そして私の記憶が間違いでないとすれば、
ジャンダルム周辺の尾根から絶壁を下って(あるいは登って?)
東側の鳥越川(やはり点線で示されていた中島台口)への
連絡ルートが載っていたと思います。
果たしてあんな絶壁をかつて人が行き来していたのでしょうか?

弟(正明)の酒田商業高校山岳部時代のアルバムに、
奈曽渓谷から稲倉に登った写真がありました。
高校3年時だととすれば昭和56年の秋でしょうか。
以下、正明のアルバムから私が参考にした写真を転載します。
写真下の説明はアルバムに本人が書いたとおり。
私のコメントは(   )内に。




御滝


灌木帯を藪漕ぎ


このこのへんでほぼ中間




稲倉岳山頂
(正明はこの時お手製の名標板を立てて来た。
 焼きを入れて丁寧に作っていたと記憶します)

今野先生若い!


(奈曽渓谷への帰路。本流の角度を見ると
 登りのルートとは異なり、山頂直下からまもなく
 直接谷へ下降した様子です)


このように一部灌木の藪漕ぎがあるようですが、
それほど困難を伴わずに行けそうに思えたので、
昭和61年の晩秋に出かけてみました。

実は稲倉を目指したのはこの時が初めてではなくて、
前年の秋だったかに親父と二人同じルートから奈曽渓谷を遡ったのですが、
日の暮れが早い時期だったのであえなく時間切れ。
御滝の前でラーメンを煮て、それをすすって帰ってきたことがありました。


11月1日 晴れ 単独です。


上空の天気は良いものの、
谷間にはなかなか日が差さず、水たまりには氷が張っていました。


谷を登っている間はだいぶ肌寒かった記憶があります。


御滝が見えてきました。
雪も付いて凍えそうな光景です。


記憶がないので最初ここを登ったのかと思いましたが、
地図を見ると本流はさらに左手奥に伸びています。


正明の写真とほぼ同じ地点。
あまり藪漕ぎした記憶はないのですが・・・

正面右が蟻ノ戸渡、左のこぶがジャンダルムでしょう。
たぶん正面のコルではなくてジャンダルムを左側に巻いて
稜線に出たものと思われますが果たしてどうだったでしょうか。


奈曽の谷を振り返る。
この写真を撮ったのは斜面の途中か、
稜線に上がってからなのかは覚えていません。


稜線に出ました。
稲倉は目の前。
ここからはまだ確かな踏み跡があったと思われます。


登っている途中から振り返る。
1456のピーク辺りか?


稲倉岳1554m初登頂です。
残念ながらこの正明が5年前に立てた道標は
飛ばされてしまったのか影も形もありませんでした。

この赤ペンキを吹き付けたような名標はどなたがいつ頃設置されたのでしょうか?

正明が稲倉に初めて登ったのは、同じ年のゴールデンウィーク。
5月3日から5日まで2泊3日で、
長坂ー笙ヶ岳ー御浜ー稲倉往復ー新山ー湯ノ台を単独で歩いたとアルバムにありました。

その時の写真にも赤ペンキの名標は写っています。
でもよく見るとあらかじめ立っていた名板に、
その場でスプレーで書いたようにも見えますね。
当時の高校の山岳部員か先生でしょうか?


稲倉山頂より御浜方面。
御浜は稲倉山頂より100mくらい標高は上です。

新山は新雪で怖いくらいに真っ白でした。


下山後、横岡から振り返る稲倉岳。

今から考えるとこんな新雪の時期に一人でよく出かけたものです。
奈曽谷への下りはやはり手前の涸沢のようなところを
適当に下って行った気がします。

幸い無事に登頂できたこともあり、
ルート上困難だった箇所は特になかったようにも思います。
しかし35年も前の記憶です。
都合のいいことだけ覚えているのかも知れません。

あの時の記憶を頼りにもう一度出かけて
稲倉岳に登ってみたい気持ちもあります。
どなたかご一緒してくれる方いらっしゃいませんかね。









エアリアマップ 75年版鳥海山

2010-11-05 21:05:26 | 
一昨日の続きです。

1、稲倉岳

御浜から稲倉岳に至る道の痕跡は、
ところどころ御浜から見えます。
一見どこでも歩けるような草原に見えますが、
すっかり灌木に埋まってしまっています。

残雪期なら歩くのは容易でしょうが、
蟻ノ戸渡の具合が心配です。
雪のある時期なら、むしろ稲倉の北面が傾斜が緩やかで登り易いと思われます。
ただ斜面が広すぎるので、下山時に迷わないように、
大量のリード(目印)が必要です。

私は奈曽の渓谷を遡って蟻ノ戸渡を直登し、
稲倉に登頂したことがあります。
山頂に正明が立てた道標があるはずだったのですが、
風に吹き飛ばされたのかありませんでした。
11月、真っ白になった新山が迫力ありました。

2、清吉新道

新道と名づけられた道でも、歩く人がいないと道はなくなってしまいます。
いまや幻の登山道です。

現在の地図にも南物見までは点線ルートがあるので、
どのくらい荒廃しているのか、実際に確かめてみたいものです。
なんとかビヤ沢の雪渓まで抜けることができたら、
外輪まで草地を歩いて達することができると思うのですが・・・

湯ノ台口の河原宿上部、心字雪雪渓から東に
清吉新道との連絡路、横道が等高線に沿って伸びていたようです。
以前、今野先生が横道を途中まで行きかけて、
熊の気配を感じて引き返したことがあったそうです。
現在は熊笹に覆われている模様です。

3、中島台口

七五三掛から鳥越川のカラ沢を見下ろすと、
稲倉の東斜面あたりまでは容易に下れそうな印象があります。
その下部の状況がどうなっているか。
獅子ヶ鼻からカラ川、大水場まで登れるとしたら、
ロープで確保しながら進めば道は繋がるのでは・・・


池田昭二さんが編纂した鳥海山の地図には、
鳥海山のみならず出羽丘陵に今は歩かれていない道が
たくさん実線で現されています。
かつては存在した道の貴重な資料です。

付属の冊子に書かれた文章も読み応えがあります。
豊富な山行経験から得た、池昭さんならではの洞察があふれています。

願望「歩いてみたい鳥海山の廃道3コース」

2010-11-03 23:56:54 | 
今日も鳥海山のお話です。
昨日、ソブ谷地に行ってみたいと書きましたが、
イーノの指摘を受けて振り返ってみると、
ソブ谷地どころか、南校ヒュッテ周辺にも
もう30年くらい行っていないことに気づき、
愕然としました。

考えてみたら、近年の山登りは行けても1年にたった1回くらいのペース、
しかも鳥海だったら鉾立か大平、たまに滝の小屋からという
ごくごく一般ルートでした。

しからばこれからの山登りはいかにあるべきか。
実現は難しいけれど願望をこめて、「歩いてみたい鳥海山の廃道3コース」を挙げてみます。

1、稲倉岳(御浜~稲倉)

(参照:昭文社 山と高原シリーズエアリアマップ)
(上)1975年 池田昭二著
(下)2010年 斎藤政広著

2、清吉新道(鶴間池~外輪)


3、中島台口(中島台~獅子ヶ鼻~千蛇谷)


(詳しい説明は明日に続く)