1981年3月、学生時代春合宿で登った鹿島槍ヶ岳です。
いやー懐かしい、42年前か。
生駒のヤマグチがLINEに投稿してくれました。
写っているのは同級生9名。
リーダー学年としての総決算、最後の合宿でした。
冷池にBCをおいて雪上訓練や雪洞体験などを1週間程度行い、
最終日に全員で登頂しました。
あいにく風が強くて視界も利かなかったのが残念。
この直後に催したヤマグチは、吹きっさらしの中キジ撃ちしていましたね。
冷池BCには3つのルートから入山して合流するスタイルを。
赤岩尾根本隊
爺ヶ岳南尾根隊
爺ヶ岳東尾根隊
私は東尾根隊で本番に備えて、オートリイと2人
10月と12月に2回偵察で爺ヶ岳東尾根を登りました。
東尾根は大谷原手前の鹿島集落から取りつく長い尾根で、
地図には載っていないけれど、ルート上には
わりとしっかりした踏み後が付いていました。
散々な思いをしたのが12月暮れの下見山行です。
入山して2日目の夜、爺ヶ岳直下で猛烈な寒波につかまり停滞。
昭和55年から56年にかけて記録的な大雪になった
いわゆる56豪雪の真っただ中に北アルプスの稜線に居たのです。
テントが埋まるほど降り続く雪。
行動を試みるも吹雪いて進退窮まり稜線上にビバーク。
テントをなんとか張ったものの、強風にバタつく音で
会話も出来ませんでした。
ラジオからはアルプス各所でまさに今起こっている
複数の遭難事故がひっきりなしに伝えられてきます。
意気消沈した長い長い一夜でした。
翌日少し風が弱まり、運よくガスの晴れ間から赤岩尾根の
下山路を見つけられたからなんとか生還できたものの、
あのまま雪につぶされたか、
風に飛ばされてしまっていたかも知れません。
いま思うに入山前、これから先の天候の推移を、
ちゃんと把握していないまま登ってしまったのが間違いでしたね。
山から下りたら足の親指皮膚の一部が黒く変色していました。
え、凍傷か!?と思いましたが、ただの血行障害でした。