2週間前に開催されました、みなと酒田トライアスロンおしんレース。
大会には一人のビッグネームの姿がありました。
(photo by イーノ)
トシ中山こと、中山俊行氏。
80年代から90年代にかけて、トライアスロンの黎明期から
成長期を支えた往年のトッププロアスリート、「ミスタートライアスロン」です。
今回はU23日本選手権のレースを主催する立場で、
JTU(日本トライアスロン連合)のスタッフとしての来県でした。
選手権当日はではスタート前のセレモニーでの選手紹介、
スタートしてからはMCとして、レース状況を熱く実況してくださいました。
おしんレースが初めて開催されたのが25年前の1986年です。
その前年1985年には、宮古島、びわ湖、天草といったメジャーな大会が
次々と誕生して、日本におけるトライアスロン元年と呼ばれました。
中山選手はそれ以前、わが国にトライアスロンという名前が
まだなじみがなかった時代から、トライアスロンをいち早く
競技として取り組み世界を転戦してきたパイオニアです。
82年 湘南トライアスロンで初レース初優勝
84年 第4回皆生トライアスロン優勝
ハワイアイアンマン17位
85年 ニュージーランドアイアンマン6位
第1回宮古島トライアスロン優勝(翌2回大会連覇)
天草トライアスロン優勝(わが国初の51.5kmの大会)などなど・・・
その栄光の軌跡を知るのに、わかりやすいサイトがあります。
TRY-X 日本トライアスロン物語より
→Vol.25:雷神の巻 第3章その3:若きエリートの登場①
→Vol.26:雷神の巻 第3章その4:若きエリートの登場②
→Vol.38:雷神の巻 第4章その7:プロ・チームの誕生
84年創刊のトライアスロンジャパン誌の特集も、
「中山俊行のトレーニング」でした。
国内でのトライアスロンの普及拡大を目的に始まった
JTS(ジャパントライアスロンシリーズ)。
そのレースを転戦するエリート集団、チーム・エトナの中心花形選手が中山俊行。
そのレースの模様は全国にTV中継されました。
当時トライアスロンに熱中した選手たちにとって、
中山俊行は別格であり、スターであり、そして高い目標でした。
誰もが中山の背中を追いかけたのです。
現在は指導者として活躍中の中山氏。
同じくTRY-Xのサイトに連載中のコラム
トシ中山の「渾身の一撃」もお勧めです。
大会には一人のビッグネームの姿がありました。
(photo by イーノ)
トシ中山こと、中山俊行氏。
80年代から90年代にかけて、トライアスロンの黎明期から
成長期を支えた往年のトッププロアスリート、「ミスタートライアスロン」です。
今回はU23日本選手権のレースを主催する立場で、
JTU(日本トライアスロン連合)のスタッフとしての来県でした。
選手権当日はではスタート前のセレモニーでの選手紹介、
スタートしてからはMCとして、レース状況を熱く実況してくださいました。
おしんレースが初めて開催されたのが25年前の1986年です。
その前年1985年には、宮古島、びわ湖、天草といったメジャーな大会が
次々と誕生して、日本におけるトライアスロン元年と呼ばれました。
中山選手はそれ以前、わが国にトライアスロンという名前が
まだなじみがなかった時代から、トライアスロンをいち早く
競技として取り組み世界を転戦してきたパイオニアです。
82年 湘南トライアスロンで初レース初優勝
84年 第4回皆生トライアスロン優勝
ハワイアイアンマン17位
85年 ニュージーランドアイアンマン6位
第1回宮古島トライアスロン優勝(翌2回大会連覇)
天草トライアスロン優勝(わが国初の51.5kmの大会)などなど・・・
その栄光の軌跡を知るのに、わかりやすいサイトがあります。
TRY-X 日本トライアスロン物語より
→Vol.25:雷神の巻 第3章その3:若きエリートの登場①
→Vol.26:雷神の巻 第3章その4:若きエリートの登場②
→Vol.38:雷神の巻 第4章その7:プロ・チームの誕生
84年創刊のトライアスロンジャパン誌の特集も、
「中山俊行のトレーニング」でした。
国内でのトライアスロンの普及拡大を目的に始まった
JTS(ジャパントライアスロンシリーズ)。
そのレースを転戦するエリート集団、チーム・エトナの中心花形選手が中山俊行。
そのレースの模様は全国にTV中継されました。
当時トライアスロンに熱中した選手たちにとって、
中山俊行は別格であり、スターであり、そして高い目標でした。
誰もが中山の背中を追いかけたのです。
現在は指導者として活躍中の中山氏。
同じくTRY-Xのサイトに連載中のコラム
トシ中山の「渾身の一撃」もお勧めです。
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