「こんなものあったぞー」
とばっちゃんが持ってきたのが古い手拭い。
基本米価の推移なんてプリントされています。
真ん中に大きく農協のマーク。
当時農協からもらったものなのでしょうね。
昭和の30年代から60年代まで、
見事に右肩上がりで上昇を続けていた米価。
普通に作って農協に玄米を出荷するだけで、
1俵2万円近くもしたのですから、
今から考えるとまさにバブルの時代でした。
イケイケどんどんの時代。
当時のコメ農家は生産に専念して増収を競っていました。
そして農政活動という名の米価要求に力をいれていました。
だからこんな手拭いも登場したんですね。
減反政策も始まっていましたが、
その分補助金も手厚かったと思います。
その時代を少し知っていて、
多少恩恵を受けたのが私たちの世代です。
田圃を4haも耕作していたら裕福に暮らせたと言われていましたから。
集落の中でも田んぼの所有面積の大小で、
立ち位置が前後するような雰囲気がまだ残っていた気がします。
バブルはいずれ弾けます。
現在、政府が決める基本米価という価格は存在しませんが、
平成の時代に似たような内容の手拭いを作ったとしたなら、
その数字は見事な?右肩下がりのものになったでしょう。
結果、コメ単作地帯の農村には後継者が育たず
残った高齢者が体が続く限りと田んぼを耕しているのが現状です。
これから10年後、
いったい誰が故郷の田んぼを耕しているのでしょうか?