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sekiの徒然日記

旧布野村に週末帰農を始めて18年で遂に解散。今後は尾道からsekiの徒然日記として再スタート。

布野ダッシュ村は時雨だった。

2016-12-11 19:33:41 | 布野ダッシュ村の四季
  定番の前側時雨れて寒そう・・・

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 1ヶ月ぶりに訪れた布野ダッシュ村は時雨だった。

 それでも一昨日到着した時は雨は上がっていたのですが、今日は朝一番は太陽が
さして えー晴れたじゃんと思ったら、長くは続かず30分ほどで雨。

 その後、昼前にかけて本降りになるのですが、ホント運のいいことに村長が外で
作業している時は小雨か晴れ・晴れが20分おきぐらいになる不思議な天気。

 それで晴れ間に出来た作業はシイタケ取り、屋外ホース(30m)の水抜きと取り
込み、お墓用の榊取り。

 

  こんな感じで遅れたシイタケが20~30ありました。

 シイタケでびっくりしたのは、1か月前例年なら収穫時期にほとんどなかったもの
が12月になって、大きく開いた物も含めて二十数個収穫できたこと。

 例年ならシーズン終わっているのにまだ2~3センチの芽が出ている、全体の収穫も
少ないが今頃出てくる芽、やはり異常気象なんです。

 後は冬支度色々やりました、屋外ホース、オンボロトラクターのバッテリー外し、
男子トイレの水抜き、お風呂の水抜きは栓が固く保温用電熱線をまいたりと・・・

  トイレの水抜きをはじめとして冬支度もほぼ終了。

 そして最大の仕事は田んぼをお借りしている地主さんに、返納のご挨拶に昨晩行っ
てきました、おかげで快く理解下され大きな肩の荷が一つ下りました。

 今まで田んぼ貸し手戴き、本当にありがとうございました。

 時雨の中、思った仕事が出来、帰りは足を少し伸ばしてミセスロビンフッドで食事
して来ました。

 それは明日に。

これから布野ダッシュ村へ

2016-12-10 13:24:49 | 布野ダッシュ村の四季
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 これから急遽 布野ダッシュ村に行く。

 11月13日以来だから丁度1か月ぶり、もともとの計画ではベトナムから
帰って4.5日したら来る予定だった。

 しかし旅の疲れで風邪をひき回復するのに結局2週間、おまけに風邪を
女房殿にうつしてしまい動くに動けなかった。

 昨晩までいつ行くか悩んでいたが、結局今日行くことに、布野は雨のよう
だが雪になる前に行っておこうとの考えだ。

 することは沢山、しかし雨で外の作業はダメだろうから、どこまで雑用が
済ませるか。

 もちろん各水回りの冬支度もして来ます。

辛味ダイコン

2016-12-09 18:03:13 | 食べ物
  手前が辛みダイコン。

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 昨日夕方、辛味大根と青首大根を収穫した。

 そう、前の空き地を借りて今回初めて植えた大根だ。

 だいぶん前に1本収穫したきりで、大きく育った大根を庭から見ながら収穫
したくてうずうずしていた。

 ところが近所の方がダイコンや白菜届けてくれる、うーん良く出来たので収穫
したくてうずうずしている・・・・とも言えず。

 が、昨日はザルそば用の辛味大根が必要、ここぞと辛味大根・青首大根と収穫
してしまった。

  早速そばを食べた、右上が辛みダイコンのおろし。

 辛味大根もよく育っており、すりおろしてそばで食べると絶品、よく蕎麦には
わさびが付いてますが、村長は断然辛味大根がお勧めだ。

 本物のワサビにも勝るとも劣らない、ビリとしながらまろやか、是非お試しあれ。

 ところで収穫した青首大根まだ使われてません・・・・

そば汁(返し)づくり

2016-12-08 18:08:16 | 蕎麦打ち
  ザラメを入れて溶かす。

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 ザル用のそばつゆを作ろうと思ったら肝心の「返し」が切れていた。

 早速 返しづくり、もう何回もアップしているので極簡単に。

 材料は本醸造の醤油1.8リットル、ザラメ300グラム、本みりん200㏄。

  材料。

  ザラメを入れて溶かしそのあと本みりんを入れる。

  ゆっくり時間をかけて加熱すると黄金色に。

  膜が開いたら火を止める。

 大き目の鍋に本醸造醤油を全量入れて中火で加熱、鍋の縁に泡が出てきたら
ザラメを入れてゆっくりかき回しながら溶かす。

 溶けたら弱火にして本みりんを入れて弱火でじっくり温めると、しばらくして
小さな泡が出て表面が黄金色になる。

 その黄金の幕に穴が開いたら火を止めて自然さます。

 冷めたら容器に入れて冷暗所で保管、2日から1週間寝かしたら使える。

 冷蔵庫に入れておけば半年や1年は持つ。

 つゆづくりは2.3日後だ。

そば打ち練習

2016-12-07 18:47:54 | 蕎麦打ち
  3パック9人前戴きました。

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 今日は先般から再開したしたTさんの、4段に向けてのそば打ち練習日。

 先週初めてそば打ちをしたSさんは都合が悪く欠席だ、Tさんと難しいと思ったん
かなー続けてほしいものと話しながられ練習開始だ。

 で、本日の状況は1.5キロ2回打ったが、前回と比べてどうも思わしくない、タイム
も出来そのものも、基本的な丸出し第1で2回とも長引いた。

 思わぬところで捕まる、これだからそば打ちは難しい、同じペースで同じようにコン
スタントに仕上げる、この平凡な課題が4段になると壁のように。

 まぁ練習しかないのですが。

 打ったそばのおすそ分け3パック9人前も頂いてしまった、まぁ約30人前以上打つので
すからTさんも分譲先を確保するのが大変。

 村長も2パックは友人廻した、美味しく食べてほしいもの。

ベトナム(8)フエ 終り

2016-12-06 18:13:37 | 
  カイディン帝陵 小さいが中は派手だ。

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 ベトナムシリーズ最後はグエン朝のお墓、つまり帝陵だ。

 帝陵はフエの王宮から車で30分くらい山に入る、我々が見たのはミンマン帝陵、
カイディン帝陵、トゥドゥック帝陵の3つ。

 ミンマン帝陵
 帝陵の中では一番大きく、楕円形の敷地に主要構造物が一直線
に配置されている、中国文化を好んだ皇帝自らが設計したものだそうだ。

 あまりに大きいので途中 皇帝が休むベッドもしつらえてある、埋めてある場所
は分からないそうだ。

  ミンマン帝陵 これらの建物が一直線に配置されている。

 

  中央の橋は皇帝専用、両サイドに軍人、文官の渡る橋がある。

 カイディン帝陵
 新しいものや派手好き、ヨーロッパ好みの皇帝自ら設計したとされ、廟の内側の壁
には陶器やガラスで四季を表現したり凝っている、日本のビール瓶も使用されていた。

 カイディン帝の像がありその台座の下に埋葬されているそうだ、一説には女性に興味
がなかった帝だったそうだ。

  カイディン帝陵は丘の上にある。

  カイディン帝の像この下に埋葬されている。

 トゥドゥック帝陵
 グエン朝 最長の在位期間確か30年とか、生前に建てられトゥドゥック皇帝が住んで
いたといわれ、配置された池で釣りをしていたとか。

 全体的に地味な感じ、派手さはないが池や林が巧く配置され落ち着いた感じだ、こちら
も埋めてある場所は分からない。

 トぅドゥック帝陵 池に沿って進むと階段、上ると建物が。

 

  ここに住まわれていたとか・・・

 終わりに、今回のベトナムプライベートツァー、ことの他トラブルの連続でハノイに到着
した2日間は観光もままならない状態だった。

 それでも何とかフリーでホテルを抑えたり、やっと見つけたトラベル会社にフエの手配を
依頼したり、迎えに来ないバスに見切りをつけ空港までタクシー飛ばしてギリセーフ出来た
のはメンバーにこの種旅の熟練工がいたからだ、、役に立たない村長はただ感謝・感謝。

 少し気になるのは休み期間でないことを割り引いても、日本の若者がほとんどいなかった
ことだ、白人系の若者は男子も女子も大勢、みな5ドルのホテルに泊まりながら頑張ってい
た、日本の若い人是非貧乏旅をし見分を養ってほしいもの。

 最初にハノイ空港で忘れた小型のショルダーなんと在りました、空港のいわゆる遺失物
預かり所に、ターンテーブルの近く空港の中だったから良かったのでしょう、ただ最初の
変なホテルについてすぐホテルの車で折り返したので80ドルほどぼられたが。

 まぁ色々ありましたが懲りずに、体力が続く間はチャレンジのつもり・・・

 以上。
 

ベトナム(7)フエ

2016-12-05 18:26:51 | 
  午門全部で3つあるそうだが観光用はこれ。

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 ベトナムシリーズ第7回は古都フエの象徴 グエン朝王宮。

 世界遺産に登録されているグエン朝王宮跡、1802年から1945年まで13代続いた。

 あのベトナム戦争で爆弾を投下され破壊されたが、ほぼ元の形に修復されたと聞いた
が、実際に王宮に入ってみるとまだまだ復旧されてないところ、復旧工事のところが。

 フォン川を渡り城壁の中に入り王宮跡に入ると、大きな大砲が5つ中国の5行思想に
よるものとか、反対側にも大砲が4つあるそうだが我々は行っていない。

 王宮の入り口である午門の前方には、大きな大きなフラッグタワー ベトナム国旗が
掲揚されている。

 それを左手に見ながら午門に、午門とは正午になると真上に太陽が昇ることからだそ
うだ、その2層式の大きな大きな午門を入ると、遥か奥に王宮の中心に位置する平屋の
太和殿が見える。

  これは正面からの午門。

  大砲とフラッグタワー

 その大広間の真ん中に皇帝が座る金箔の椅子と玉座、これもベトナム戦争で全壊し再
建されたもの、ここは写真撮影禁止だった。

 このいわゆる玉座に座って即位式等が行われたそうだ、玉座の前の広場は石畳みで出
来ており、官位の高い者から順次並んで儀式が行われたそうだ。

 更に奥に進むと皇帝の居住した平屋、どうもそこまでが王宮の中心部で内堀に囲まれ
ている、あとはものすごく広いが どうも街のようだ、我々のガイドさんは中心部の
案内で終わってティエンムー寺へ。

  皇帝の執務室 太和殿。

 ティエンムー寺は王宮から出て、フォン川沿いに数分くらいの岡野上にある7層8角の
寺院、塔の名はトゥニャン塔(慈仁)とか。

 この寺院に寄ったのはお参りもあるが、ボートトリップのコースになっているためだ、
この寺院の下がボート乗り場、王宮を見て寺院を見て帰りはボートで一挙に中心部に帰る。

  左はティエンムー寺、東京のツァーの方とボートトリップ。

 このボートは夫婦でやっている、なぜか? 乗ると夫人が土産物の売り子に早変わり
言葉の障害跳ね返し 上手く商売する。

 一見の価値は十分ある古都笛の建造物群です。

 以上

  宮殿の中心部を外れたらまだまだ工事中やら復旧出来ていないところやら・・・


 

ベトナム(6)フエ

2016-12-04 16:18:21 | 
 こんなレストランで宮廷料理を戴いた。

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 ベトナムシリーズ第6回はフエの宮廷料理。

 その昔グエン王朝の皇帝が食べていたと称される料理だ。

 我々はガイドさんに予約をお願いし、夜タクシーで乗り付けたのでフォン川を渡り
城塞の内側に入ったのは分かるが、城塞の中のどの位置が分からない、城塞の内側に
街があるのにビックリ。

 それはともかく、レストランは庭付きの落ち着いたムード、部屋が一杯だったのか
料金の関係か、案内されたのは小さな池の前の屋根付きのテラス。

 宮廷料理のコース料金は13〜18US弗で思ったほど高くない、我々が注文したのは
15US弗のコース、しかし我々がハノイで泊まっていたホテルが17US弗だからやは
り高いか。

 宮廷料理そのものは、こうしたレストラン以外にも大きなホテルでは食べれる。

 宮廷料理を食べた感想は、食べ物そのものは変わったものでなく、見栄え良く飾り
料理してあることだ。

 例えば最初に出てきた鳳凰をかたどった料理、鳳凰の頭部分はニンジン、胴体はパ
イナップル、羽に模して刺してあるのが春巻きの揚げたもの。

 他にもトマトで作ったツル(我々はアヒルと言っていたが・・・)やニンジンで手足
を作った亀、そして最後デザートとして花に模したお菓子だ。

 全体として味はきつくなく食べやすい、まぁ野菜の芸術作品・・・と言った感じ。

 以上。

  メニューと鳳凰料理。


  スープと海老料理。


  フエ風米粉のお好み焼きと生春巻き。


  ツルと亀、亀がご飯で確か蓮の炊き込みご飯・・・うーだったと思う、もうこのころ酔ってました。


  最後は花に模したデザートこれも米粉みたいだった、そして青くても熟れているベトナムバナナ。

 

ベトナム(5)フエ

2016-12-03 18:25:01 | 
  非武装地帯ベンハイ川に掛かるヒエンルオン橋、青色が北ベトナム、黄色が南ベトナムの名残だ。

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 フエの第2弾は、あのベトナム戦争の激戦地非武装地帯(DMZ)とヴィンモック
の地下トンネルだ。

 位置的にはフエから北に150キロぐらい位置する、昨日紹介したフォンニャ・ケー
バン国立公園の50キロくらい手前だ、つまり我々は2日間同じルートを土砂降りの中
バスで走っていた。

 非武装地帯は北緯17度線を軍治境界線としたもので、17度線から南北夫々5キロの
ゾーンつまり10キロ幅をいう、具体的には北緯17度線付近を流れているベンハイ川
が境界。

  全長はこんな感じ、今は徒歩でしか行けません。

 そのベンハイ川にかけられたヒエンルオン橋の真ん中が境界、当時は北川を赤、
南側を黄色に塗装されて南北分断の象徴となっていたが、空爆で倒壊した後再検
され現在は北川が水色、南側が黄色に塗られていた。

 全くの農村地帯で、現在では戦争の面影を留めるところはない、ただ橋を渡った
かつての北ベトナム側に大きな門と国旗掲揚場があり、そのすぐ近くに戦争記念館?
がある。

 ヴィンモックの地下トンネルは、その非武装地帯から車で30分くらい北に行った
海岸近くの山の上にあった。

  塹壕。

  ここから井戸方式で土を出して、空気入れて。

  ここが入口とても狭い。

  出たら海岸だった。
 
 全長が1700メートルあり、地下3階の作り、村の人や兵士300人が6年間住んだと
いわれており、子供も6年間で17人生まれたそうだ。

 中に入って見たが大人一人がやっと通れるトンネルだ、高さは160〜180㎝、地下
23メートルまで3層の構造に掘ってあり、1所帯のスペースは幅1メートル奥行2メー
トルだ、とてもとても我々では6年も暮らせるところではない・・・

 そして3層目の地下は食料と武器弾薬の保存庫だったようだ。

 ガイドさんの説明を聞いてようやく理解できたのが、なぜここをアメリカ軍が執拗
に攻撃したか? 武器弾薬の兵站基地だったんですねー

  出た海岸から島を見る・・・沖の小さな島が受け渡し場だったそうだ。

 地下トンネルを抜けると何と海岸、つまりトンネルは山の上から掘って海岸に通じ
る、その二十数キロ先の小島が武器弾薬の受け渡し場だったようです。

 聞いて・見て・現地でガイドさんに教えられて分かってきたベトナム戦争、1970年
代 村長も大いにベトナム戦争に反対した物でしたが、実は大して実態は分かってい
なかった。

  アメリカ軍こんな大きな爆弾投下してたんですねー・・・

 今回のツァーで村長個人的には一番興味があった場所、幸い皆さんの賛同を得ていく
ことが出来 感動しています、ただ観光としてみると見るものはあまりないですょ。

 1973年米軍が撤退、あれから43年ですか・・・・

 戦争は駄目です。


ベトナム(4)フエ

2016-12-02 18:22:03 | 
  フォンニャ鍾乳洞の入口を内側から、左隅側にチラッと見えるのが我々が乗って来た船、ここが地底川の入口。

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 ベトナムシリーズ4回目はフエからだ。

 フエは南北に長いベトナムの丁度真ん中、中部地帯にありフエ、ダヤン、ホイアン
の3都市がある。

 フエではトラブルも落ち着き? まずまず順調に世界遺産を見て回ったが、雨季で
連日の大雨、どこに行っても傘やカッパが手放せない、どころかあっちこっち川が氾濫
して土石流。

 それにもめげず我々が廻ったのは、世界遺産のフォンニャ・ケバン国立公園、同じく
世界遺産のフエの建造物群のひとつであるグエン朝王宮跡、ミンマン帝陵を始めとする
3つの帝陵。

 更にあのベトナム戦争の激戦地 非武装地帯(DMZ)とヴィンモックの地下トンネル
、そして夜は宮廷料理なるものを、城壁の中の街で食してみた。

  この大きな鍾乳石、下の手すりで大きさ創造してみて。

 今日はフォンニャ国立公園、ここは大小20の鍾乳洞群で世界有数の広さ、総延長は65
キロともいわれている。

 その中で我々が見たのは世界最長の地底川が流れるフォンニャ鍾乳洞、本当はさらに
奥のティエンサン鍾乳洞に行く予定だったが豪雨で地底川の水位が上がり中止。

  フエから200キロ北、バスで4時間強揺られて・・・

  今度は小舟に乗り換え遡上すること30分。

  奥に外人さんが写っているので大きさ創造してみて、まだ入り口。

  入ったらすぐこんな感じ。

 何でもフォンニャ鍾乳洞の地底川を8キロほど小舟で上り、更に険しい階段を上ると
全長1キロ、天井の高さ100〜200メートルの洞窟があるそうだ、この洞窟に行けなかっ
たのが今回最大のミス。

  こんな小舟で後7キロほど地底川上るはずだったのに・・・・

 聞けば昨年また新しい、世界最大と言われる鍾乳洞がまた新たに発見され、その洞窟
の大きさたるや60階建てビルが何棟も入るとか、日本のテレビでも放映されたそうだ。

 その最大洞窟、見学でなく3000US弗で探検するコースがあるそうだ、まだ観光コー
スは開発されてなく虎や蛇と闘い?ながらの探検だそうだ。

 まだまだ未発見の洞窟が出てきそうな国立公園だ、ちなみに地底川をさか上るとラオス
から流れてきているそうだ、国境近いんでしょう・・・

 ともかくティエンサン鍾乳洞に行けなかったは痛恨の極み、皆さん絶対に雨季はいか
ないこと、12月になって、うーん1月がいいでしょう。

 以上。

  バスの当直地点での昼食ベトナムの方とシェアしました、ツァー代金55US弗に入ってます。