


フエの第2弾は、あのベトナム戦争の激戦地非武装地帯(DMZ)とヴィンモック
の地下トンネルだ。
位置的にはフエから北に150キロぐらい位置する、昨日紹介したフォンニャ・ケー
バン国立公園の50キロくらい手前だ、つまり我々は2日間同じルートを土砂降りの中
バスで走っていた。
非武装地帯は北緯17度線を軍治境界線としたもので、17度線から南北夫々5キロの
ゾーンつまり10キロ幅をいう、具体的には北緯17度線付近を流れているベンハイ川
が境界。

そのベンハイ川にかけられたヒエンルオン橋の真ん中が境界、当時は北川を赤、
南側を黄色に塗装されて南北分断の象徴となっていたが、空爆で倒壊した後再検
され現在は北川が水色、南側が黄色に塗られていた。
全くの農村地帯で、現在では戦争の面影を留めるところはない、ただ橋を渡った
かつての北ベトナム側に大きな門と国旗掲揚場があり、そのすぐ近くに戦争記念館?
がある。
ヴィンモックの地下トンネルは、その非武装地帯から車で30分くらい北に行った
海岸近くの山の上にあった。




全長が1700メートルあり、地下3階の作り、村の人や兵士300人が6年間住んだと
いわれており、子供も6年間で17人生まれたそうだ。
中に入って見たが大人一人がやっと通れるトンネルだ、高さは160〜180㎝、地下
23メートルまで3層の構造に掘ってあり、1所帯のスペースは幅1メートル奥行2メー
トルだ、とてもとても我々では6年も暮らせるところではない・・・
そして3層目の地下は食料と武器弾薬の保存庫だったようだ。
ガイドさんの説明を聞いてようやく理解できたのが、なぜここをアメリカ軍が執拗
に攻撃したか? 武器弾薬の兵站基地だったんですねー

地下トンネルを抜けると何と海岸、つまりトンネルは山の上から掘って海岸に通じ
る、その二十数キロ先の小島が武器弾薬の受け渡し場だったようです。
聞いて・見て・現地でガイドさんに教えられて分かってきたベトナム戦争、1970年
代 村長も大いにベトナム戦争に反対した物でしたが、実は大して実態は分かってい
なかった。

今回のツァーで村長個人的には一番興味があった場所、幸い皆さんの賛同を得ていく
ことが出来 感動しています、ただ観光としてみると見るものはあまりないですょ。
1973年米軍が撤退、あれから43年ですか・・・・
戦争は駄目です。