浪漫飛行への誘(いざな)い

海外旅行は102か国、海外旅行、世界遺産、飛行機、卓球、音楽、歌謡曲、初物、語学、仏教シリーズ等の趣味の世界をブログに

世界温泉遺産~台湾 

2020年09月21日 09時35分20秒 | 旅行

9月20日、BS日テレの「世界温泉遺産」は、台湾の基隆、九份と礁渓温泉を紹介していた。この番組では、毎回、健康・癒し・保養に特化した世界各国の温泉文化と異国情緒を紹介しているが、今回は、親しみのある台湾の温泉であった。台湾東部では、花蓮・太魯閣には行ったことがあるが、この北東部の礁渓温泉については、恥ずかしながら初めて知った。昔は交通の便が悪かったが、今は、台北から列車やバスで1時間ちょっと行けるようになったという。テレビで見るかぎり、日本の温泉にそっくりで田舎情緒たっぷりでのんびりできそうである。その昔、台北近郊にあった北投温泉という温泉地に足を運んだことがあるが、それ以外には台湾の温泉に泊まったことがないのが残念である。台湾には、日本の昔からの情緒や雰囲気が残されているところが多いので、大変魅力がある。

今回は、温泉に行く前に、港町の基隆と幻想的な景観のある九份と金瓜石鉱山跡も紹介してくれたので、興味を引いた。鉱山跡には、黄金博物館に220.3㎏もある世界で2番目に大きい金塊があって、手で触ることもできるという。基隆と九份には行ったことがあるが、九份の隣町にある鉱山跡のことは知らなかった。

基隆と九份を訪れたのは、2015年11月のことで、テレサ・テンのお墓参りを終えた後に訪問したものである。九份は、基隆から10㎞の山あいにある小さな町で、映画「非情城市」舞台となって一躍有名になったところである。そこには、阿妹茶酒館という「千と千尋の神隠し」に出てくる「湯婆婆の屋敷」のモデルになったお茶屋さんがあって、赤ちょうちんのレトロな雰囲気と幻想的な景観が超人気で、観光客が押し寄せている。宮崎駿監督がこのお茶屋さんで作品のイメージを描いていたとも言われている。

BS放送では、いろんなタイプの旅紀行番組があり、どれもそれなりに魅力ある内容を提供してくれている。テレビの画質がどんどんよくなっているので、リアル旅行に負けないくらい楽しむことができる。コロナ禍が続く限り、テレビの旅番組で旅行気分を味わうことにしたい。

写真は、礁渓温泉、黄金塊及び九份のお茶屋さん

旅行アルバム(テレサ・テンお墓参り、九份):



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荻村伊智朗さんの偉業と統一コリアの奇跡

2020年09月20日 22時48分13秒 | 卓球

9月19日のBSテレ東の「卓球ジャパン!」は、日本が生んだ卓球界の偉人、荻村伊智朗さんの偉業を特集していたが、卓球愛好家としては惹きつけられるように見入った。現役プレーヤーとして世界卓球で12個の金メダルを獲得して、日本の卓球黄金時代を牽引したが、引退後は、指導者として日本のみならず、スウェーデンや中国等世界中で活躍した。さらに、国際卓球連盟の会長に就任後、数々の改革を実施し、日本という枠に収まらず、世界の卓球界でその力を発揮し、1991年の世界卓球では、統一コリアチームを実現させるほど国際貢献した伝説的な人物である。

タモリから「卓球は根暗のスポーツ」と揶揄されてから、荻村さんは卓球のイメージアップ作戦の陣頭指揮を取った。ボールをオレンジ色に変え、ユニフォームもカラフルなものに変え、卓球台も暗いグリーンから明るいブルーに変え、年寄りでも楽しめるラージボール卓球を生み出した。卓球のディナーショーなんかも行われた。そのお蔭で、学校のクラブ活動でも卓球部は人気のクラブに変わり、卓球人口も相当増えたものと思われる。愛ちゃん効果や最近では張本智和や伊藤美誠のような中国選手にも負けないレベルの選手が出てきたことも人気の一因となっている。

荻村さんが成し遂げた偉業の一つが、1991年に千葉で開催された世界卓球での南北朝鮮の統一コリアチームの実現である。統一チームの顛末については、後に、「ハナ奇跡の46日間」というタイトルで映画化されたほどである。女子団体戦において、それまで中国が8連覇していたが、何と統一コリアが決勝で中国を破り、奇跡的勝利を収めたことで世界の注目の的となった。国旗ではなく、朝鮮半島が描かれた統一旗が会場を席巻したのが印象的であった。

1991年の世界卓球は、個人的にも印象深い大会であった。当時、名古屋に勤務していたが、この世界卓球を見に千葉まで出かけ、5月5日に生で観戦する機会を得ることができた。ニッタクという卓球の会社に知り合いがいて、招待券をいただいたものである。昔の卓球用具(ピンポンセットという)が展示されていたり、着物を着た人が卓球をするデモがあったり、記念の卓球ボールもいただき、今でも大事に保管している。

もうひとつ印象的であったのは、優勝した女子の統一コリアチームのコーチがLee Yoo Sungという当時大韓航空のコーチをやっていた人であったことである。当時、大韓航空は、女子の韓国リーグでも3番目位の強豪チームであり、そのコーチが統一コリアのコーチに抜擢されたものである。インターライン卓球大会で何度も顔を合わせていた人物だったので、よけい親しみが沸いた。当時のテレビ映像にもコーチとして何度も顔が映っていたのが印象的であった。

いがみ合っていた韓国と北朝鮮が統一チームを作るなんて、誰も想像しなかったことだが、荻村さんは、両国の間に入って、実現させたのだからまさに偉業である。スポーツによる国際交流のレベルを超え、まさにピンポン外交の面目躍如といえる。国際交流といえば、スケールは小さいが、自分も1983年に東京で開催されたインターライン卓球大会で、中国に初参加を強く働きかけ、当時国交のなかった中国(中国民航)と韓国(大韓航空)の卓球交流を実現させた経験がある。当時、両国の民間レベルでのスポーツ交流は、ほとんどなかったので、マスコミにも一部取り上げられた。予想通り、女子決勝で対決したが、4対1で、大韓航空が勝利を収めた。両チーム選手がプレゼントを交換したり、仲良く交流しているシーンはとても感動的であった。卓球をやっていてよかったと感じた一瞬であった。

写真は、番組紹介、女子団体表彰式、着物卓球及び1983年の中国・韓国チーム

世界卓球1991の実際の決勝シーン映像(8.47): 


「ハナ奇跡の46日間」の映画予告編(2.18): 


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バハマ旅行の思い出

2020年09月20日 09時14分49秒 | 旅行

グアテマラシティからマイアミに飛び、1泊した後、2011年9月5日にバハマの首都、ナッソーに入った。2週間前にアイリーンというハリケーンがバハマ諸島を襲ったので、心配していたが、無事入国でき、これで、バハマが80番目の訪問国となった。

バハマ諸島は数多くの島から成り、首都ナッソーはニュー・プロビデンス島にある。日本では馴染みの薄い国であるが、個人的にはインターライン卓球大会に参加していたバハマ航空を通じよく知った国である。グアテマラ等は、高地にあることもあって、涼しかったが、さすが、カリブ海に来ると日差しが強く暑い。

初日は、ダウンタウンの散策と砦の名所を歩いて見て回り、万歩計の数字も25000歩を越えた。一人で歩き回ったが、治安の心配はほとんどない。

2日目は、ナッソーで一番大きいシャーロット砦から街全体を見渡した後、ランチはアラウアキーにあるツインブラザーズという人気のあるお店で、バハマ名物のコンク・サラダ、コンク・チャウダー(コンクは大きな巻貝)を食べた。午後は、船でパラダイス・アイランドに行き、度肝を抜かれるほどスケールの大きいアトランティスという巨大テーマパーク型のホテルを散策した。

幻の海底都市アトランティスをテーマにした超大型リゾートホテルで、カジノ・水族館・多数のプール・ビーチ・ハーバーありで、夢の世界に迷い込んだ錯覚を覚えるほどである。水族館には5万匹の魚が泳いでいて、サメも目の前で悠々と回遊、ホテルのロビーやいろいろなところから観賞できる。こんな壮大なリゾートを見たのは初めての経験であった。リゾート地なので、たった2泊ではもったいなかったといえる。

写真は、パラダイス・アイランド、アトランティスのリゾート及びナッソーのシャーロット砦からの眺望

バハマ旅行アルバム: https://youtu.be/ESSGrH3e09M  


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エルサルバドル旅行の思い出 

2020年09月20日 08時38分32秒 | 旅行

グアテマラシティ滞在中、2011年9月3日に、隣国のエルサルバドルにあるホヤ・デ・セレン遺跡、タスマル遺跡、サン・アンドレス遺跡への日帰りツアーに参加した。これで、エルサルバドルが79番目の訪問国となった。国境越えは、ホンジュラスと違って、若干厳しい印象であった。中米の北と南を結ぶ幹線にある国境なので、車の出入りも多く、パスポートチェックにも時間がかかった。

ホヤ・デ・セレン遺跡は、世界遺産にも登録されていて、中米のポンペイとも呼ばれるマヤ住居跡の遺跡で、火山の爆発で、街全体が灰で埋もれ、1300年も地中に埋もれていたものが、1976年に偶然発見され、近年発掘されたもの。やはりマヤ遺跡であるタスマル遺跡とサン・アンドレス遺跡は、ともに小規模だが、全部が発掘されているわけではなく、その多くは、まだ地中にあるそうだ。

グアテマラを始め中米各国は日本ではまだあまり知られていないが、思っていた以上にマヤ遺跡等見どころが多い。大使館の安全情報や旅行ガイドブックでの中米の治安に問題ありとの情報がブレーキになっているのは残念なことである。

写真はタスマル遺跡、ホヤ・デ・セレン遺跡及びサン・アンドレス遺跡

エルサルバドル旅行アルバム(6.16~): https://youtu.be/v29ubB9xrQw
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ホンジュラス旅行の思い出

2020年09月19日 08時40分35秒 | 旅行

グアテマラシティ滞在中、2011年9月1日、隣国ホンジュラスにあるマヤ文明のコパン遺跡への日帰りツアーに入った。これで、ホンジュラスが78番目の訪問国となった。コパン遺跡はグアテマラシティから250㎞も離れており、車で約5時間かかるので、若干強行軍であった。早朝5時に出発し、帰りは渋滞に巻き込まれたこともあり、夜9時頃になった。プライベートツアーなので、一人だと割高となるが、運よく、同じ宿の日本人の方と二人で参加できた。車で国境を越えるはヨーロッパでは何回か経験があるものの、中米では初めてであったが、極めてスムースであった。ガイドブックに国境越えも危ないとの情報もあったが、ツアーに入ったためか、全く問題なし。

コパン遺跡は、世界遺産にも登録されたホンジュラスを代表するマヤ文明の都市遺跡で、8世紀、壮大な芸術文化が花開き、神聖文字の階段を始め、石碑や神殿や球技場やグラン・プラサ等華麗な遺跡が残されている。コパン遺跡は、マヤ文明の中でも際立った芸術性を見せているという。中米は雨季の真最中であったが、全く雨には降られず、蚊の心配もほとんどなく、ラッキーな遺跡巡りとなっった。

写真は、グラン・プラサ、神聖文字の階段及び球技場

ホンジュラス旅行アルバム(2.44~4.49): https://youtu.be/v29ubB9xrQw


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グアテマラ旅行の思い出

2020年09月19日 06時41分44秒 | 旅行

2011年8月29日からグアテマラの首都グアテマラシティに6泊した。当時長男が駐在していたカナダのカルガリーに1週間ほど滞在した後、エアカナダ便で、ヒューストン経由でグアテマラシティに入った。これで、グアテマラが77番目の訪問国となった。治安が心配だったので、日本人の経営する民宿に宿泊し、空港にもタクシーの出迎えをお願いした。

30日はグアテマラシティのダウンタウンを見て回った。ダウンタウン地区はガイドブックでは治安最悪との情報で、厳重警戒でカテドラルや中央市場や国立考古学民族博物館を見て回ったが、治安の悪さはさほど感じなかった。ガイドブック情報はいつも大袈裟すぎる感があり、我々の行動を左右しかねないのは残念である。

31日はシャトルバスで1時間のところにある古都アンティグアを一日中見て回った。アンティグアは、コロニアルの町並みとその廃墟が残る昔の首都で、コロニアル建築や敷石の道など町並みが美しく、大地震によって崩壊した教会施設なども観光の見所となっていて、世界遺産にも登録されている。街に着いて、その雰囲気のある町並みに思わずビックリするほど。

街の中心にあるカテドラルからウォーキングを始め、街のシンボル時計台、メルセー教会、カプチナス修道院を見てから、十字架の丘を約40分かけて登り、アンティグアの街全体を眺め、サントドミンゴ教会、サンタクララ教会、サンフランシスコ教会を見て回った後、トゥクトゥクという三輪タクシーにも乗った。

十字架の丘は、以前、強盗が出没していたので、観光警察が警備をしているとのことであったが、同じ道を歩いていたカナダのケベックシティからの女子学生から、より安全のために、いっしょに行動してほしいと頼まれ、旅は道連れ、最後まで、いっしょに見て回った。この後、ケベックシティにも行く予定なので、これも何かの縁かも知れないが、おじさんと若い女性のカップルは人目にどう映っていたであろうか。。。彼女は、2週間ほどスペイン語の勉強に来ていて、翌日帰るとのこと。アンティグアは、スペイン語学校の町としても知られている。若干歩き疲れたが、石畳の道と雰囲気のある中世の建物や教会の廃墟の残るアンティグアの町を十分堪能した。

写真は時計台とカテドラルと十字架の丘からの景色

グアテマラ旅行アルバム: https://youtu.be/v29ubB9xrQw

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サグラダ・ファミリア教会、26年の完成「ほぼ不可能に」

2020年09月18日 12時07分37秒 | ニュース

スペインのバルセロナにある世界遺産サグラダ・ファミリア教会の建設責任者は16日、新型コロナウイルスの流行による観光客の減少で、これまで予定してきた2026年の完成がほぼ不可能となったとの見方を示したというニュースが流れていた。建築家アントニ・ガウディの作品である同教会は1882年に建設を開始し、2026年はガウディ没後100年に当たる。教会の建設費は入場料や寄付で賄われているが、昨年7月は1日平均の入場者が約1万5600人だったのに今年は約2千人。来年の建設予算は1700万ユーロ(約21億円)にとどまる見通しという。

コロナ禍がこんなところまで影響しているのかという思いである。この教会には、1987年と2012年に訪れているが、2026年完成を楽しみにしていたので残念である。1987年の時は、まだまだスカスカといった感じであったが、2012年の時は、内部の礼拝堂も完成していたので、もうすぐ完成かとの印象も受けたが、あれから8年、2026年までまだ6年もあるのに、完成延期とは、まさに壮大なスケールであると改めて感心する。完成品をこの目で見るのは無理かも知れない。

写真は、1987年当時と2012年当時のもの(外観と礼拝堂)

地中海の感傷(松任谷由実): https://youtu.be/shW2wX35JLs 
(バルセロナを歌った曲)


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菅政権が日本を没落させる3つの理由~三橋TV

2020年09月18日 08時52分33秒 | 政治

菅首相が誕生し、閣僚メンバーも決まり、最新の内閣支持率も64%(毎日新聞),65%(朝日新聞)もあると発表され、マスコミも前途洋々の感を醸し出しているが、本当にそうであろうか? 信頼できる経済評論家である三橋貴明氏が、日本の政治構造を解説し、菅政権の危うさについて公式チャンネルで警鐘を鳴らしている。

菅政権の政策の特徴は、1緊縮財政 2構造改革 3国家観なき政治だそうである。こういった政策により日本は没落、解体されていくことになるという。初めて聞いたが、デービッド・アトキンソン(元ゴールドマン・サックスのアナリスト)という外国人の提言を菅さんは丸呑み採用しているようである。知らないことばかりなので、一般のマスコミも正しい情報を我々に提供してほしいものである。

安倍政権時代もひどかったが、菅首相は就任して即、持論である携帯会社3社の儲けすぎをやり玉にあげたり、地方銀行の数が多すぎると公言したり、権力を振りかざしていろいろなことを強引に実行しそうな気がする。問題山積のはずなのに、菅首相誕生でカジノの誘致もほぼ決まりの感もする。

そういえば、LITERAXによると、菅政権では「公費不倫出張」の和泉洋人首相補佐官が再任し、官邸官僚のトップに立ったという。虎の威を借る恫喝と行政の私物化が再び復活しそうである。大坪何某との不倫出張がマスコミであれだけ騒がれたから、もうとっくに表舞台からいなくなったと思ったら、菅首相の誕生で息を吹き返し、官邸官僚のトップに君臨し、日本の政治を動かすことになるという。官邸官僚の悪であった今井何某が退任したと聞いて安心していたが、とんでもどっこいである。この人物がコロナ対策も全面的にやっているというから、嫌な予感もする。きっちり成果をあげるかも知れないが、我々も、新政権の政策をしっかり監視していく必要がありそうである。まずは、三橋氏のYouTube解説を見てほしい。

菅政権が日本を没落させる3つの理由(三橋貴明)(9/15):ps://youtu.be/F-A7Go5Sbv8 
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ラオス旅行の思い出 

2020年09月17日 18時41分45秒 | 旅行

2011年2月、LCCのエア・アジアを利用して、クアラルンプール経由ラオスの首都ビエンチャンを訪問した。ラオスが75カ国目の外国となった。

羽田からのエア・アジア便はほとんど満席で、日本人もかなりいるが、マレーシア人と思われる人も多数乗っていて、彼らの足となっていることがよくわかる。

首都ビエンチャンは昔の日本といった感じで、親日ということもあって、皆、人懐っこく、フレンドリーであるが、英語はホテル等観光関連のところしか通じない。

25日にローカルのバスに乗って、ブッダパークという多くの仏体が置かれている公園と友好橋(ラオスとタイの国境のメコン川にかかる橋)に行ってきたが、英語が全く通じず苦労した。片道約1時間かかるが、なんと運賃は約50円。

午後は街中をウォーキングし、ラオスのシンボルとなっているタート・ルアンや凱旋門を模した慰霊門であるパトゥーサイやワット・シーサケート、ワット・ホーパケオ等を歩いて見て回った。暑くてちょっと埃っぽいが、歩いていて治安上の心配は全くない。日本の協力で道路が整備されているとのことで、日本の国旗がラオスの国旗とともにいたるところに掲げられている。街中にはマッサージ屋がいたるところにあり、近くのお店でラオス伝統的マッサージを1時間、約400円と本当に安いので毎日でも行きたくなる。

また、日本食レストランもいたるところにあり、日本食には全く困らない感じ。その夜は、民族舞踊ショー付きのラオスレストラン「クア・ラーオ」でラオス料理とラオス音楽とショーを楽しんだ。ここには小泉及び小渕前首相や秋篠宮様も来店したようで写真が飾ってあった。食事はセットメニューにしたのでラオス国産ビールのビア・ラーオ代も含め、たった14米ドルでショーも楽しむことができた。

ラオスの後、ミャンマーにも行ったが、個人的印象としては、ラオスの方が素朴で好印象を持った。まだラオスまで行く人は少ないような気がするが、一度は訪れてみたい親日の国である。

写真は、タート・ルアンとブッダパークとクア・ラーオのショー

ラオス旅行アルバム: https://youtu.be/lG8xQoxZyNU 


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ヨルダン・ドバイ旅行の思い出

2020年09月17日 08時26分10秒 | 旅行

2007年7月にヨルダンの首都アンマンでアジア陸上競技選手権・総会が開催されたが、それに出張で参加する機会を得た。ヨルダンが57か国目の外国となった。会議・大会がメインでほとんどはホテルや競技場にいたが、合間を見て、市内観光もできた。アンマン城やローマ劇場など市内に見どころも多い。

大会終了後、車をチャーターして、6人で死海まで遊びに行く機会を得た。途中、マダバ(聖ジョージ教会のパレスチナのモザイク地図が有名)やネボ山(モーゼの十戒の終焉の地)に立ち寄り、死海のアンマンビーチでは浮遊体験もできた。死海の水の塩分濃度は27%もあるようで、海岸は塩分で白くなっていた。誰でも簡単に水に浮くことができるが、貴重な体験であった。ヨルダンといえば、ペトラ遺跡が有名であるが、時間の都合でそこまでは行くことができなかったのは残念であった。ヨルダンは観光ではあまり行く機会はないかも知れないが、死海には一度は行ってみたいところである。

ヨルダンからの帰路、アラブ首長国連邦のドバイに1泊したが、ドバイの暑さは想像を絶するものがあり、空港を降り立った夜でさえ、熱風で耐えられないほどであった。翌日に市内観光をしたが、外気温度は50度以上ある感じで、外は30分も続けては歩けない状態であった。金満都市ドバイだけに超高層ビルが建設ラッシュにあり、世界一の高さをめざすバージュ・ドバイ(現名ブルジュ・ハリファ 828m)も建設中であった。また、7つ星ホテルで有名なブルジュ・アル・アラブも遠景ながら見ることができた。お金に糸目をつけずに都市作りをしているドバイであるが、その後バブルがはじけて大変な目にあっているような話を聞いたことがあるが、今は一体どうなっているのであろうか?

写真は、アンマン城、モーゼ終焉の地・ネボ山からの眺め及び死海での浮遊 

ヨルダン旅行アルバム: https://youtu.be/OtshITJb4Rs


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