香港拠点のキャセイパシフィック航空は、コロナ禍で影響を受け、グループ全体の4分の1にあたる8500人を削減する計画を明らかにしたというショッキングなニュースを目にした。また、傘下のキャセイドラゴン航空はすべての運航を取りやめ、路線をキャセイか同じ傘下の香港エクスプレスに引き継ぐという。
香港は、中国共産党の習近平によりいじめられていたので、キャセイパシフィックのことも心配していたが、コロナ禍でダブルパンチに見舞われている気がする。キャセイパシフィックとは、現役時代に仕事上も深い関係があり、営業関係の連中とも大変仲がよかった。I部長、M課長、女性スタッフのYさんの3人が営業関係を担当しており、その上に香港から来ている外人のE営業本部長がいた。その営業本部長は、日本から戻った後、英国航空の社長にまで上りつめた優秀な人物であった。
1989年にドイツから名古屋支店に転勤になった時、M課長は、キャセイの名古屋支店長になっていて、またもや一緒に仕事をさせてもらった。女性のYさんは、もともとキャビンアテンダントを希望し、入社試験に臨んだが、身長がわずか1㎝足らずに不合格となったが、極めて優秀だったため、地上職として採用されたチャーミングで素敵な女性であった。彼女は、営業職のあと、キャビンアテンダントの採用を担当し、何人か紹介したこともあった。当時独身であったので、今どうしているか大変気になるところである。
1982年から3年間、国際旅客のインターライン関係の仕事をしていたが、特に、OAA(Orient Airlines Association)といって、アジアの航空会社の連中と大変仲良く仕事をしていた。大韓航空、シンガポール航空、キャセイイパシフィック航空、タイ国際航空、フィリピン航空、中華航空といったメンバーで、皆でプサンや済州島や札幌等にオフショアミーティングに出かけたり、楽しい思い出がいっぱい残っている。中でも、キャセイパシフィックとは仲がよかったので、コロナ禍の惨状を見ると胸がしめつけられる思いである。