3月31日(金)近場のため、天候回復を待って16時過ぎに出かけました。
16時45分 川路利良生誕の地 以下の画像は3月31日に撮影
鹿児島市北部の皆与志町(みなよしちょう)は自宅から車で15分程度。朝から雲が厚い日でしたが、日差しが出そうになりチャンスを生かすことにしました。
昔ながらに道が狭くカーブが多いなか、交通量が少ないため飛ばす車もありますが、ここだけは拡幅されて安全。車を止めて歩き回りました。
石碑と桜
桜の季節に写したいと思っていました。日本の初代大警視(警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した川路利良の誕生地です。
石碑には 大警視川路利良誕生之地 公爵島津忠重書 と刻まれています。
同時代に活躍した薩摩の偉人は,西郷隆盛(7歳上),大久保利通(4歳上),五代友厚(1歳下)です。
16時58分 釈迦山磨崖仏 東側の岩
大警視誕生地の西側およそ300m、皆与志町生活改善センター北側の竹山にあります。近所の方によると、お寺跡だったらしいとのこと。
グーグルマップで存在に気付いた史跡です。花立は空のままで最近訪れる人が全くないようです。
仏様の下には横長で多くの人名らしきものが刻まれていますが、よく読めませんでした。
こちらは西側にある 月形でしょうか
月形の右上の岩 釈迦三尊像でしょうか
風化というよりは顔面が削られているように感じました。磨崖仏としては小規模で世間に殆ど知られていないところを訪れることができて幸いでした。
すぐ近くに桜があった
車で走っていると気付きにくい高い位置に桜が何本もありました。花や緑が好きな方が自宅裏山に植栽したもののようです。
花桃がきれい
近くの方に史跡のことなどお話を伺うと、磨崖仏のある所の地主さんで、ご先祖に著名な軍人さんがおられたとのこと。
ネットで見ると当地出身らしい、日本陸軍中将の比志島さんではないかと思われます。個性的な長い口髭のことなど、次回お尋ねしてみましょう。
中組の田の神様 小鷹神社境内 大警視誕生地の北東側およそ400m
田の神様は田圃を見守る神様、神社の境内とは珍しいことです。おそらく農地、宅地開発や道路整備などで、小高い神社境内に引っ越しされたのでしょう。
田の神様らしいスタイル
それほど大きなものではありませんが、しっかりと彫られています。右手にしゃもじ、左手にお椀の田の神様です。
周辺の木が伐採された電柱 小鷹神社前から北側へおよそ200m
電柱の近くから温泉が湧いたかと一時話題になりました。周囲の樹木を撤去してトラブルが解消、電柱はそのままで溜まっているのは水でした。
<2月14日のブログ記事>
再調査で近くの樹木が電線に引っ掛かり、電柱の絶縁器具が損傷しているのを確認。漏電で電柱地下に伸びるアース線に電気が流れ、何らかの原因で雨水などが沸騰。2月11日に木を撤去し、絶縁器具を修理。温泉の期待は消えたものの、原因がわかり地元の方は安堵されたようです。
18時15分 上流部に耕作中の棚田があった 話題の電柱から800mほど
前回2月10日には雨で水路があふれて行けませんでした。軽トラが行き来しているようで、上流部へ歩くと数枚の田圃がありました。
杉林の中に埋もれるように農機具資材倉庫があり、新しい筍の皮が少し落ちていました。梅の古木と柿の木もあり、今も耕作中のようで驚かされました。
話題になった電柱から山手へ500mほどの間には廃屋が5軒ほど残るだけで、農地跡はすべて原野に戻っていると思ったので意外でした。
グーグルマップの航空写真画像を見ると、近くにも畑が数か所耕作中のようです。
18時40分 薄暗くなった
車に戻る頃には夕暮れとなり、わずかに夕焼けが見えました。近場ながらも桜の季節に巡ることができて幸いでした。
桜、特にソメイヨシノは開花時期がどこも同じようで多くの所を巡るのは困難です。
形ばかりに見て回っても面白くないし・・・満開の桜に圧倒されてどこも一緒に思えたり、飽きてしまうこともありますが・・・桜巡りは毎年楽しいものです。
16時45分 川路利良生誕の地 以下の画像は3月31日に撮影
鹿児島市北部の皆与志町(みなよしちょう)は自宅から車で15分程度。朝から雲が厚い日でしたが、日差しが出そうになりチャンスを生かすことにしました。
昔ながらに道が狭くカーブが多いなか、交通量が少ないため飛ばす車もありますが、ここだけは拡幅されて安全。車を止めて歩き回りました。
石碑と桜
桜の季節に写したいと思っていました。日本の初代大警視(警視総監)を務め、欧米の近代警察制度を日本で初めて構築した川路利良の誕生地です。
石碑には 大警視川路利良誕生之地 公爵島津忠重書 と刻まれています。
同時代に活躍した薩摩の偉人は,西郷隆盛(7歳上),大久保利通(4歳上),五代友厚(1歳下)です。
16時58分 釈迦山磨崖仏 東側の岩
大警視誕生地の西側およそ300m、皆与志町生活改善センター北側の竹山にあります。近所の方によると、お寺跡だったらしいとのこと。
グーグルマップで存在に気付いた史跡です。花立は空のままで最近訪れる人が全くないようです。
仏様の下には横長で多くの人名らしきものが刻まれていますが、よく読めませんでした。
こちらは西側にある 月形でしょうか
月形の右上の岩 釈迦三尊像でしょうか
風化というよりは顔面が削られているように感じました。磨崖仏としては小規模で世間に殆ど知られていないところを訪れることができて幸いでした。
すぐ近くに桜があった
車で走っていると気付きにくい高い位置に桜が何本もありました。花や緑が好きな方が自宅裏山に植栽したもののようです。
花桃がきれい
近くの方に史跡のことなどお話を伺うと、磨崖仏のある所の地主さんで、ご先祖に著名な軍人さんがおられたとのこと。
ネットで見ると当地出身らしい、日本陸軍中将の比志島さんではないかと思われます。個性的な長い口髭のことなど、次回お尋ねしてみましょう。
中組の田の神様 小鷹神社境内 大警視誕生地の北東側およそ400m
田の神様は田圃を見守る神様、神社の境内とは珍しいことです。おそらく農地、宅地開発や道路整備などで、小高い神社境内に引っ越しされたのでしょう。
田の神様らしいスタイル
それほど大きなものではありませんが、しっかりと彫られています。右手にしゃもじ、左手にお椀の田の神様です。
周辺の木が伐採された電柱 小鷹神社前から北側へおよそ200m
電柱の近くから温泉が湧いたかと一時話題になりました。周囲の樹木を撤去してトラブルが解消、電柱はそのままで溜まっているのは水でした。
<2月14日のブログ記事>
再調査で近くの樹木が電線に引っ掛かり、電柱の絶縁器具が損傷しているのを確認。漏電で電柱地下に伸びるアース線に電気が流れ、何らかの原因で雨水などが沸騰。2月11日に木を撤去し、絶縁器具を修理。温泉の期待は消えたものの、原因がわかり地元の方は安堵されたようです。
18時15分 上流部に耕作中の棚田があった 話題の電柱から800mほど
前回2月10日には雨で水路があふれて行けませんでした。軽トラが行き来しているようで、上流部へ歩くと数枚の田圃がありました。
杉林の中に埋もれるように農機具資材倉庫があり、新しい筍の皮が少し落ちていました。梅の古木と柿の木もあり、今も耕作中のようで驚かされました。
話題になった電柱から山手へ500mほどの間には廃屋が5軒ほど残るだけで、農地跡はすべて原野に戻っていると思ったので意外でした。
グーグルマップの航空写真画像を見ると、近くにも畑が数か所耕作中のようです。
18時40分 薄暗くなった
車に戻る頃には夕暮れとなり、わずかに夕焼けが見えました。近場ながらも桜の季節に巡ることができて幸いでした。
桜、特にソメイヨシノは開花時期がどこも同じようで多くの所を巡るのは困難です。
形ばかりに見て回っても面白くないし・・・満開の桜に圧倒されてどこも一緒に思えたり、飽きてしまうこともありますが・・・桜巡りは毎年楽しいものです。