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花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

朝活で花遍路 上永吉の名号板碑 2021/11/02(鹿児島)

2021-11-02 16:18:10 | 史跡巡り
11月2日(火)快晴の健康の森公園で桜島を写し、近くの名号板碑を訪ねました。

5時53分 桜島の上に残る小さな月 以下の画像は11月2日に撮影


6時45分 朝日が顔をのぞかせハトが飛ぶ


かごしま健康の森公園からの桜島です。今朝は殆ど雲のない単調な夜明けでした。カラスは少なめで時折ハトが飛んできました。

7時1分 名号板碑への入口 画面外左手は「とぎ屋」への下り坂




道が狭いので近くの広い場所に車を止めて歩きました。上へ150mとありますが、実際には650mほどで一部区間は車の離合が困難です。

この案内板までの道順は、犬迫小学校近くの農産交流施設「泉石蔵」を西に約200m地点を右折、坂道を約600m上がった荒磯上バス停付近の交差点左側です。

畑横に茂る南方系朝顔


それらしいものは見当たらず 畑と先には牛舎があった


野草など写しながら探しますが見当たらず、道は3本に分かれ、まっすぐ進むと先に畜舎が見えました。ここまで歩いてきたので、さらに進むと道の右手に石碑がありました。

7時13分 訪ね当てた名号板碑 移設したような感じ


ウィキペディアによると・・・名号(みょうごう)とは、仏・菩薩の称号をさしていう。名をもって号(さけ)ぶという意味を持つ。「六字名号」・「九字名号」・「十字名号」などがある。板碑(いたび)は、主に供養塔として使われる石碑の一種である。

説明板


鹿児島市役所いしき支所かわら版を引用して紹介します。
小山田地域の宝へ。。。「名号板碑」
~2020.9.18付南日本新聞に記事として掲載されました~

小山田町上永吉地区の山中で見つかった「南無阿弥陀佛」の石碑!
室町時代末期の1509(永正6)年に高野山の高僧「智亜」により建立されたとされています。このたび、小山田校区まちづくり推進協議会と小山田小学校PTAが近くの農道脇に移設しました。

未だ文化財の指定は受けておりませんが、建立されてから500年以上という貴重な板碑。。。今後も地域住民の方々によって守り継がれていくことでしょう。

『名号板碑』へは国道3号線「塚田橋」から県道小山田谷山線へ犬迫方面へ約1.5キロ(車で約3分)「上永吉」バス停が目印 峠の頂上手前に手作りの道案内があります。(引用終わり)
(私が書いた南側からの道順とは逆で、北側からの道順案内です。)

ココログ、ともちゃんの『徘徊と独り言』には、2020年9月12日に建碑式が行われたこと。板碑は1枚の石板に彫った卒塔婆。高さ2m、幅40cm、厚さ26㎝。など、詳しい説明がありました。ありがとうございます。

近くの道沿いのミズヒキ


現在地に移設される前から、入り口に案内板があり一度訪れたいと思っていました。今の時代まで大きな損傷もなく残っていたのは驚きです。今朝は実現できて幸いでした。

9時1分 農業センターのコスモス 見頃が続いています


今朝は雲一つない青空でした。11月に入り、センターは冬時間。駐車場の開錠時間が1時間遅くなり8時半になっていました。

カメラを手にした数人を見かけました。まだ花殻が目立たず、色とりどりのコスモスは見映えがします。早朝から好きなものを写し、歩き回れる健康に、家族に、感謝、感謝です。
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東郷町のハス 小路磨崖仏 2021/07/25(鹿児島)

2021-07-26 17:37:18 | 史跡巡り
7月25日(日)田原のスイレンの後、薩摩川内市東郷町に立ち寄りました。

諏訪神社入口の小さなハス田 以下の画像は7月25日に撮影


さつま町宮之城から西に走り、ファミリーマート東郷斧渕店手前の交差点を右折、藤川天神方向へ2kmほど進むと小さな川向かいに諏訪神社があります。

道路のすぐ脇で狭いため、ハスに気付かない人も多いことでしょう。春先の藤川天神にはよく行きますが、ハスの季節には久しぶりでした。

2種類のハスが残っていた


かつては3種類ありました。現在は、茶碗ハスサイズの八重咲ピンクと、それよりも少し大きめの八重咲白色です。ハナショウブのようなものも多く植えられています。

近くで草刈りをしていた農家の方に伺うと、ハス田の持ち主は今も丁寧な草取り、水管理など継続されている由。お元気で何よりとうれしいことでした。

樋渡川 7月10日は大増水 溢水は免れるも下流部の田圃が水没


田圃を洗い流すことなく水は早めに引き被害なし。激しい水流で川原の位置が入れ替わり、堤防上部が一部損壊したとのこと。

諏訪神社 二つの鳥居 左奥には田の神様


右は学問の神様で、左はお産の神様だそうです。境内に田の神様が祭られ、グランドゴルフ場もありました。地元の方が大切に管理されています。

小路(こうじ)磨崖仏

最寄りのバス停 小路三叉路 磨崖仏は画面外右奥


東郷町斧渕小路にあります。一度訪れたいと思いながらようやく実現しました。

道は狭く孟宗竹の竹藪で薄暗い


交通量は少ないようですが道が狭いので、近くの道の広い場所に車を止めて100mほど歩きました。

あまり風化せず残っている 鶴ケ岡城跡内の崖


この日は薄雲が広がり日差しはありませんが、昼前で竹林に差し込む光はやや明るめでした。

案内板 永正(えいしょう)14年(1517年)の刻銘がある


右側に刻まれた文字が残っている


最近の墓石でも苔が生え、刻銘が読みにくいものがあります。岩が頑丈なのか、風雨の影響が少ないのでしょう、今も刻まれた文字がはっきりと残っています。

優しいお顔の仏様 阿弥陀如来


薩摩川内市の指定文化財です。観光地でもなく小さく地味な存在ですが、心置きなく仏様を拝見できて気持が安らぎました。季節、天候、光によってさまざまな表情や風景がありそうです。藤川天神に梅が咲く頃、また訪れたいものです。
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カメラ散歩 姶良市の掛橋坂 2021/05/28(鹿児島)

2021-05-30 18:37:03 | 史跡巡り
5月28日(金)さつま町の田原水連池の帰りに、初めて立ち寄りました。

案内板に従って進むと小さな石橋が 以下の画像は5月28日に撮影


さつま町側から県道51号を南下、浦川内(うらかわうち)交差点を左折、県道42号川内加治木線を姶良市方向へ進むと、道はほどなく下り坂となります。

長い坂道を下りると右手に西浦小学校が見えてきます。その先を800mほど進んだ左側に掛橋坂(かけはしざか)入口の案内板があり、小川沿いに進むと右手の小さな石橋に目が留まりました。

大河ドラマ西郷どんのロケ地だった 広めの駐車場だがトイレはない


民家が点在する道を進むとバスも止まれる駐車場がありました。大河ドラマのロケ地になった掛橋坂へはここから歩きます。

貸し杖があるので利用がおススメ サルに注意


県道沿いの案内板が気になり、一度立ち寄ってみたいと思っていた場所ですが、他には誰も見かけませんでした。

坂の案内板 こちらからはすぐに急な石段の下り坂


この案内板は駐車場から100mほど進んだ坂の入口にあります。北側の赤線部分は石段、石畳の道337m、下の方289mは石段、石畳のない道です。

雨に濡れた石段 落葉と苔もあり滑りやすい


岩壁に何か文字が彫られている


小さな滝があった


梅雨時で昨日の大雨も影響して坂道は濡れて滑りやすく、滝の下流部は石段を水が流れていました。

最初の画像にある小川とこの滝では水量が違います。雨が多い時期に、ごく近くの水が集まって出現するように思えます。

滝の水が石畳を洗っている


足下が危ないと判断し、この先へは進まず石段坂道の雰囲気を少しだけ味わって引き返しました。

滝から引き返す 雰囲気は良いが足元に注意


上の駐車場側へ戻る


坂の下側入口には駐車場とトイレも整備されているとのこと。サルも出るようですが、天候を見て再度訪れる予定です。
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カメラ散歩 萩別府のシラス壁 2021/04/07(鹿児島)

2021-04-07 22:11:31 | 史跡巡り
4月7日(水)新緑の季節に合わせてシラス壁の坂を訪ねました。

鹿児島市北部清掃工場を左に見て進む 以下の画像は4月7日に撮影


鹿児島市犬迫小学校横の県道206号を南西方向に進み、最初の信号交差点を直進。左右にフェンスが続き異様な光景ですが、中の方ではゴミの埋立工事が続いているようでした。

その道の突き当りを左折、道なりに300mほど進むと民家先の左手に萩別府公民館があります。

萩別府公民館 駐車スペースを利用させてもらいました


擁壁に子供のお絵描き


シラス壁の坂 案内板


周辺の人たちは水を汲むために谷の井戸までこのシラス壁の坂を利用していました。路面はコンクリート舗装されていますが、軽トラ程度しか通れない狭さです。見学には公民館駐車場を利用するよう注意書きがありました。

高さ10m以上もあるシラス崖


坂道の行き来を楽にしようとシラス崖を掘り込んだもののようです。崖の上には孟宗竹と照葉樹が生い茂っています。

頭上には倒木が横たわる


昼間でも薄暗い不気味な空間ですが、頭上から落葉が舞い散り、いつ倒木が落ちてくるかわからないような場所です。

強風や積雪、大雨時の通行は危険です。太い倒木が頭上に引っ掛かっており、落ちてきたら助かりません。

水道建設記念碑


昭和33年に地区民が熱望した簡易水道が完成。建設までの経緯が刻まれています。工事費84万9,081円、市助成金37万400円、総延長3,379m、延人員1,123人、給水戸数49戸などとありました。

別な石板には、2017年に簡易水道組合が鹿児島市の水道に編入されたこと、先人への尊敬と感謝の言葉が刻まれていました。

水田では田起こし作業が始まる


レンゲが咲いてきれいでした。上流部では耕作放棄地もありますが、全体的にはきれいに耕作されているようです。

グーグルマップで見ると西側の直線距離350m程の所にはタイヨー松元店(スーパー)があります。

山ツツジがきれい


帰り道にもシラス壁の坂


公民館から反時計回りにシラス壁の坂を下り、谷合の水田地帯を一回りして公民館への帰り道もシラス壁の坂道でした。

最初のシラス壁の坂よりも崖の高さは低く、道幅が広く農耕作業車が通るようです。狭い崖下の通行は要注意ですが、田植の季節にはまた変わった一面を見せそうで楽しみなところでした。
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大陸雄飛 陸軍歩兵大佐小浜氏善 2021/03/28(鹿児島)

2021-03-28 22:08:33 | 史跡巡り
3月24日(水)加治木町木田にある岩屋寺跡を再訪しました。
昨年5月8日訪問時に気になった、陸軍歩兵大佐小濵氏善(おばまうじよし)の追悼碑について詳しく調べることにしました。

田圃に咲くレンゲソウ 以下の画像は3月24日に撮影


人名と関連する用語などを順次ネット検索して情報を探しました。
姓は旧字体で「小濵」ですが、環境依存文字のため「小浜」と表記します。

岩屋寺跡入口 石塔文字は氏善書


今回は歴史記述で文字数が多く退屈かも知れませんが、宜しかったら最後までご一読くださると幸いです。

追悼碑に刻まれた文字を拡大して自分でも書き写しましたが、旧字体、漢語、現在使われていない用語、地名、人名などがあり、かなりの時間を要しました。

手前左手が追悼碑 右奥が墓


追悼碑文は入部亀治撰となっています。入部氏は旧制加治木中学校の教師であったと思われます。平成7年の東京竜門会会報で判りました。

昭和7年卒業生の思い出話として、謹厳な先生が卒業して行く生徒の望みに応え、顔に一寸笑みを浮かべ七言絶句の漢詩を朗々と吟じられ、とても感動したと記されています。

追悼碑裏側 ぎっしりと文字が刻まれている


大佐の5周忌を機として昭和15年に建てられた追悼碑は、下部を中心に苔むし解読不能箇所もありましたが大意は判明しました。

一部を紹介します。
陸軍歩兵少尉ニ任ゼラル後累進シテ昭和十一年三月陸軍歩兵大佐ニ任ゼラル大佐風貌端厳眼〇

其ノ事ヲ謀ルヤ明敏周密機熟スレバ果断人ノ意表ニ出ツ性ニ慈ニシテ部下ヲ愛スルコト子ノ〇

職ニ在ル前後三十年到ル処令名アリ而シテ其ノ最モ尭名ヲ馳セシハ實ニ満州事変ナリトス〇

墓の裏側に刻まれた漢詩


丈夫報國一身軽 大義如山君恩
造次不忘乃父志 勇躍上途満蒙
天下後世倣之          小濵氏善

ネット情報で大佐の墓は東京にあることを知りました。「歴史が眠る多磨霊園」小浜氏善の記述を参考にさせて頂きました。昨年来の胸のつかえが下り、感謝申し上げます。

高岡公園の桜


小浜大佐は明治21年5月27日(1908・05・27)、加治木町に生まれ、14歳で陸軍幼年学校に入り、鹿児島県姶良市加治木町出身。東京陸軍中央幼年学校を経て、陸軍士官学校卒業(20期)。

昭和7年(1922)北満の戦いで武勲を立てています。星河付近で戦闘中に腹部貫通銃創を受けるも戦闘の陣頭指揮に立ち、遂に戦敵をせん滅。

野の花 ジゴクノカマフタ


昭和11年(1936).3月 陸軍歩兵大佐に昇進。同.8月 予備役に入る。同.10月 関東軍嘱託となり軍事最高顧問の職に就く。純蒙古人部隊四千人を編制し大漢義軍と称し日系指導官となった。綏遠(すいえん)事件の戦いに敗走する中、自軍内の氾濫により12月9日に斃れています。

モミジの新緑


綏遠事件は、1936年末、徳王麾下の内蒙軍、李守信や王英などの部隊が関東軍の後援をたのんで綏遠省に進出し、同省主席の傅作義軍に撃退された事件。中国側では綏東事件とも言われる。

岩屋寺跡に根を伸ばす木々


ネット情報のありがたさで、調べるにつれて様々な周辺情報が判明しました。意外なことに唯一、中国のネットページには小浜大佐と思われる顔写真も掲載されていました。

高岡公園から望む 加治木の町と桜島


昭和初期の満州を舞台に勇躍した鹿児島の軍人の生涯は、一冊の本になるほどの様々な出来事があったと思われます。ちなみに、小浜大佐のことが記述されていると思われる書籍として 蒙塵 : 小浜大佐伝(船木繁著)が発刊されています。

昨年5月の岩屋寺跡ブログは、こちらからご覧ください。

散る桜 残る桜も 散る桜


久しぶりにあれこれ調べて様々な発見もあり、学生時代の漢文など思い出して興味深いことでした。拙文を最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。
コメント (2)
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加治木を巡る 木田の薬師如来像 2021/03/24(鹿児島)

2021-03-27 15:21:47 | 史跡巡り
3月24日(水)午後、姶良市加治木町の薬師如来を訪ねました。

加治木町木田の用水路沿い 上流側から撮影 以下の画像は3月24日に撮影 


昨年訪ねた加治木の岩屋寺跡を水路沿いに下流側へ500mほど進むと案内板がありました。画面外左手の水田地帯を分断するように高速道路が通っていて、絶え間なく車の走行音が伝わってきます。

シラス崖の下に建つ御堂


想像していたよりも大きな木像でした。腕の部分は失われていますが、全体の高さは2mほどに感じられました。

カップ酒も供えられていた


薬師如来は病気に苦しむ人を助ける仏様で現世に安らぎを与えてくださるとのこと。阿弥陀如来は主に死んだ後のやすらぎを与えてくださる仏様のようです。

450年を経た木像


木像の胎内に納められた文書には弘治3年(1557年)制作と書かれていたとのこと。桶狭間の合戦、川中島の戦いの頃です。

鹿児島では明治初期の廃仏毀釈で多くの寺や仏像、石塔などが徹底的に壊されました。この難を免れたのは個人宅に保管されていたのか、周囲の人々が排斥運動に同調せずに守り抜いたからでしょう。

他にも史跡があったような形跡


鹿児島県特有の火山灰土壌でのシラス崖ですが、ここでは土壌がやや硬めに見えます。他にも何か仏像や石塔などが置かれていたのかも知れません。

個人や周辺の人々に守り継がれてきた木像であり、観光地ではありません。一般的にはお勧めしませんが、上流部の岩屋寺跡とともに辿ると、喧騒を離れて心が落ち着きます。
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カメラ散歩 桐野利秋開墾地跡 2021/03/01(鹿児島)

2021-03-01 20:48:00 | 史跡巡り
3月1日暖かい南風の月曜日、旧吉田町の桐野利秋開墾地跡を訪ねました。

鹿児島市本城町 県道40号脇の案内板 以下の画像は3月1日に撮影


鹿児島県道40号伊集院蒲生溝辺線は、日置市から姶良市、鹿児島空港に向かう車が多い路線です。咲き始めた岩ツツジに誘われるように、初めて桐野利秋開墾地跡に立ち寄りました。

県道の北側すぐ横に駐車スペースあり 普通車5台程度は大丈夫


観光地ではなく石碑だけの史跡的な場所です。あまりおススメできませんが、県道から近いので天気を見て歩くと、気分転換に良いかも知れません。

開墾地跡などの位置図


開墾地跡への道は農耕車が走る程度の狭い道で離合ができません。必ず県道横の駐車場を利用してください。

梅は殆ど散っていた 画面外左手に小川がある


案内板 石碑まで100m ゆるやかな坂 ゆっくり歩きで5分程度


石碑入口の案内板 竹林横を少し上がる


石碑と案内板 石碑に刻まれた内容が説明されています


田蘆(でんろ?)とは何でしょうか。ネット検索では蘆田(あしだ)が出てきますが、開墾地の意味のようです。「でんろひ」の方が「あしだひ」よりも聞こえが良い気がします。

開墾地跡に向かう 意外にも岩ツツジが咲いていた


道を奥に進んで少し曲がると空き家の岩ツツジが鮮やかでビックリ。さらに進むと広い田圃跡のようなところがありました。

上流部を望む 草藪になった開墾地


枯草が覆っていますが木は生えていないので、数年に一度は田起こしされているのかも知れません。下流部の田圃は今も殆どが耕作中でした。

想像していたよりも広い場所でした。開墾の苦労をしのぶうちにも・・・・・県道を走る大型車の走行音が海鳴りのように谷間に響いて来ました。

駐車場脇の椿 潔さを感じる白椿


車に戻ると緑の中に白い花が目につきました。わかりやすい場所だったので、機会を見てまた訪れたいと思います。
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晴れのち曇り 赤水岩堂観音 2020/12/11(鹿児島)

2020-12-12 19:02:03 | 史跡巡り
12月11日(金)寒くなる前の好機と思い、赤水の岩堂磨崖仏を再訪しました。

6時26分 健康森公園から夜明けの桜島 以下の画像は12月11日に撮影


天気予報は晴れのち曇り、朝日が顔を出すのは50分ほど後です。雲一つなく日が昇ると眩しいだけの単調な朝でした。

姶良市姶良町住吉地区 農道脇のイチョウ


田圃脇の休憩場所を作るために植えられたイチョウです。大きく成長し色付いていました。中ほど奥には桜島が見えています。

実が多く付いたマユミ 磨崖仏に向かう道沿い


参道入口の新しい鳥居 岩堂観音の文字がありました


地元の赤水自治会の方々によって道がきれいに整備されていました。参道横にはしっかりした木の杖が多数準備してあり、借用して大助かりでした。

真新しい鳥居は柱下のコンクリート面にR2.11.29の文字があり、ごく最近建て替えられたものです。

磨崖仏まではコンクリートの階段道を下りて行きます。急坂ではありませんが、帰りは登り坂です。帰りには少し休みながら10分ほど歩きましたが、かなり息が切れ汗が吹き出しました。道は一部で苔むしており、濡れていると滑りやすいため足元に十分注意してください。

大きな崖下にある磨崖仏 右奥に進むと子産恵神社(このみやじんしゃ)がある


岩壁の一部を彫りこんだ岩堂(いわどう)観音 1334年に彫られた仏様


鹿児島県観光サイトから引用して紹介します
南北朝時代の磨崖仏龕で、通称「岩堂観音」と呼ばれています。横川町赤水城ヶ崎の山中、金山川上流の溪谷にある凝灰岩をくり込み、定印座像の阿弥陀如来を中尊に、向って右に観音、左に勢至の両菩薩立像を配している。

県内の磨崖仏がほとんど岩壁の平面に彫りこんでいるのに対し、この場合は、地上高約1.6mの線を下限に、高さ約 1.4m、幅約3.5mの長方形の龕を彫りこみ、その中に3尊を彫っている。

従って仏像に約40cmの厚味を確保している点に特色があります。さらに先に、子産恵の宮(このみや)神社があります。(引用終わり)

2016年12月11日に訪れた時のブログは、こちらからご覧ください。

岩壁の中に祭られている子産恵神社 磨崖仏から川の方へ進んだ岩壁下にある


磨崖仏から川の方へ200mほど歩きます。道は整備されていますが、狭く濡れていると滑りやすいので足元注意です。

大きな岩壁の下に祭られていますが、入口には岩が崩れて重なっています。岩の隙間を入った中の方は薄気味が悪いほどです。

大出水(おおでみず)の湧水 岩の間から勢いよく湧き出している


赤水から空港方面に向かう道沿いの渓流にある湧水です。昼時で次々と車がやって来ました。無料ですが、水が汲みやすいよう駐車場横に手押ポンプが設置されて便利です。川に下りて、山から湧き出す水を直接汲むこともできます。

霧島市観光協会ホームページから引用して紹介します
水温は年間平均約15度、毎分22トンという、その名前にふさわしい水量豊かな場所。「焼酎の割り水にしてもよし、米を炊くにしてもよし」といいながら汲みにくる熱心な愛用家も多く、周辺の自然景観とともに多くの人々に親しまれている。(引用終わり)

鹿児島県「県民の森」に立ち寄る キッコウチク


孟宗竹の突然変異とのこと。水戸黄門でおなじみの杖などで見かける竹です。

紅葉はまだ残っていました


予報通り昼前から雲が広がり、日差しが全くありません。紅葉が日差しに輝けばもっときれいなことでしょう。

長い林道沿いのあちこちにドウダンツツジの真っ赤な葉が目立っていました。紅葉もあちこち残っていましたが、予定時間を2時間ほどもオーバー。昼食抜きで帰り道を急ぎました。

早朝に桜島を写し、思いつくまま霧島市の山中へ出かけました。コロナ禍で大変な中、元気に遊び回れてありがたいことでした。家族に、健康に感謝です。
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カメラ散歩 吉田牟礼岡の牧神様 2020/12/04(鹿児島)

2020-12-06 16:14:40 | 史跡巡り
12月4日(金)快晴の午後、鹿児島市北部の牟礼岡に向かいました。

鹿児島市緑ヶ丘から見た牟礼岡(むれがおか) 以下の画像は12月4日に撮影


家並みの先に見えるのは九州自動車道の料金所です。左上は牟礼岡団地で、その右上が風力発電機が立ち並ぶ牟礼岡です。

牟礼岡遊歩道の案内板 山頂までおよそ1.2km 


今回は吉田の青少年研修センター横の道を島津ゴルフ場方向に進み、寺山公園への道沿いの遊歩道入口にある少し広い場所に駐車。

少し歩くとゲートがあり車両は入れない 歩行者はフェンス右横から入れます


この一帯は島津興業の社有地で、一般車両は進入不可。会社のご厚意で遊歩道利用者はフェンス右側の杭の間を通行できます。

すぐに風力発電機が目に入ってくる 牟礼ケ岡ウィンドファーム


西側山林内を山頂に向かう ほど良い枯枝を杖代わりに利用


登山道沿いの椿 秋の花が終わる中で特に目立っていた


牟礼岡山頂 標高552.3m 牧神様の向こうにも大きな風車


写真撮影しながらゆっくり歩き、遊歩道入口から30分で山頂着。山道なので少し息が切れましたが、たいしたことはありませんでした。

山頂の巨岩 蓋がかぶったような不思議な形


右は馬頭観音 左は牟礼ケ丘大明神


西側に鳥居


巨岩、馬頭観音(1685年建立)、牟礼ケ丘大明神(1728年建立)を合わせて牧神様(まっがんさあ)と呼ばれています。石の祠に入った御神体らしき石はいずれも風化が著しく、元の形は想像もつきませんでした。

毎年4月15日にはここでお祭りが開催され、飾り馬も参加するようです。昭和の頃まで材木搬出に使われていた馬にとって、遊歩道程度は平気なことでしょう。

地名の表記は牟礼岡、牟礼ケ岡、牟礼丘、牟礼ケ丘と複数あり、牟礼谷の表記もありました。案内看板の一部訂正は前後の文字がかすれ、いずれが訂正後なのかは不明でした。

西側の風景 天気は良いが見慣れぬ風景で見当がつきにくい


西側に見えるのは牟礼岡団地とその右奥は吉田の町です。郡山の三重岳、八重山方面が見えています。

鹿児島市緑ヶ丘方面を見るものの特徴的な大きな建物などがなく、高速道路らしきところが見えた程度で位置関係がよく分かりませんでした。

北東の霧島連山側風景


こちらは木が茂っていて海と街並みが一部見える程度。霧島連山は霞んで見えたものの、南東側の桜島は山林に隠れて全く見えませんでした。

牧神様の周辺には桜の木があり、花の季節は美しいことでしょう。手頃な丘を上る程度の場所ですが、雨の後などは滑りやすそうで要注意。機会を見て春にも再訪したいものです。
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カメラ散歩 関吉の疎水溝 2020/10/19(鹿児島)

2020-10-20 16:59:53 | 史跡巡り
10月19日(月)小雨が降る中、関吉(せきよし)の疎水溝に立ち寄りました。

史跡への道 鹿児島市下田町(しもたちょう) 以下の画像は10月19日に撮影


案内所 多客期の休日等には観光ガイドも


2015年に世界遺産に登録され、一躍脚光を浴びるようになりました。自宅から近いため、そのうちにと思いながら訪れることはありませんでした。

せきよしの物産館ホームページには、春~秋は、土日祝に観光ボランティアガイドが常駐(10時~16時/3~11月)と書かれています。

史跡の案内板


鹿児島県観光サイトから引用して紹介します。
集成館事業の動力! 水の取水施設
関吉の疎水溝は、江戸初期に農業用水のために建設。そして1722年、島津吉貴が仙巖園へ水を供給するために磯地区まで延長します。集成館では高炉や鑽開台の動力源として水車を使用していましたが、磯地区には大きな川がないため、島津斉彬は関吉の疎水溝の改修や整備を実施。

取水口では川幅の狭い場所を利用し、江戸の土木技術により水位をかさ上げして水路に水を引き込みました。現地には今も当時の職人が岩盤を加工した痕跡などが残っています。現在の取水口は、幕末の取水口が大正時代の大洪水で流されたため上流部に移設したものです。(引用終わり)

対岸の小滝


江戸末期の取水口付近(右側)


関吉(せきよし)は地名でした。関白秀吉の関連だろうか、ずいぶんと古いものだと思っていて、自分でも可笑しいことでした。

この辺りが堰の跡らしい


加工された石積み


現在のような工事技術、資材のなかった江戸時代末期にこのような水路が設置管理されていたことは驚きです。一般的な観光地とは少し異なり、のどかな田園風景の中に残る産業史跡です。

上流側 現在の取水口は画面右奥らしい


下流側の風景


小雨が降る月曜日の9時過ぎ、他に訪れる人もなく取水口などの説明は案内板を見て推定したものです。

史跡側から見る田園風景 鹿児島市下田町


農業振興地域に指定されているため、昔ながらの田園風景が残っています。稲刈作業の人もいましたが、収穫を終えたところ、掛け干しのところが大半でした。

農作業中の方に話を伺うと昔は子供たちの水遊び場で、岩の上から滝つぼに飛び込んで遊んだとのこと。水路は左岸だけでなく右岸側にもあり、山太郎カニを獲ったものだと聞きました。

県道横の「せきよし物産館」、「ニッセイギャラリー稲音館(とうおんかん)」に駐車場があり、地元農産品、手作り雑貨などが販売され、食事もできます。

疎水溝史跡までは歩いて5分程度。左岸水路は現在も農業用水路として利用され、桜並木が美しい春もおススメです。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。