花浄土鹿児島

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カメラ散歩 関吉の疎水溝 2020/10/19(鹿児島)

2020-10-20 16:59:53 | 史跡巡り
10月19日(月)小雨が降る中、関吉(せきよし)の疎水溝に立ち寄りました。

史跡への道 鹿児島市下田町(しもたちょう) 以下の画像は10月19日に撮影


案内所 多客期の休日等には観光ガイドも


2015年に世界遺産に登録され、一躍脚光を浴びるようになりました。自宅から近いため、そのうちにと思いながら訪れることはありませんでした。

せきよしの物産館ホームページには、春~秋は、土日祝に観光ボランティアガイドが常駐(10時~16時/3~11月)と書かれています。

史跡の案内板


鹿児島県観光サイトから引用して紹介します。
集成館事業の動力! 水の取水施設
関吉の疎水溝は、江戸初期に農業用水のために建設。そして1722年、島津吉貴が仙巖園へ水を供給するために磯地区まで延長します。集成館では高炉や鑽開台の動力源として水車を使用していましたが、磯地区には大きな川がないため、島津斉彬は関吉の疎水溝の改修や整備を実施。

取水口では川幅の狭い場所を利用し、江戸の土木技術により水位をかさ上げして水路に水を引き込みました。現地には今も当時の職人が岩盤を加工した痕跡などが残っています。現在の取水口は、幕末の取水口が大正時代の大洪水で流されたため上流部に移設したものです。(引用終わり)

対岸の小滝


江戸末期の取水口付近(右側)


関吉(せきよし)は地名でした。関白秀吉の関連だろうか、ずいぶんと古いものだと思っていて、自分でも可笑しいことでした。

この辺りが堰の跡らしい


加工された石積み


現在のような工事技術、資材のなかった江戸時代末期にこのような水路が設置管理されていたことは驚きです。一般的な観光地とは少し異なり、のどかな田園風景の中に残る産業史跡です。

上流側 現在の取水口は画面右奥らしい


下流側の風景


小雨が降る月曜日の9時過ぎ、他に訪れる人もなく取水口などの説明は案内板を見て推定したものです。

史跡側から見る田園風景 鹿児島市下田町


農業振興地域に指定されているため、昔ながらの田園風景が残っています。稲刈作業の人もいましたが、収穫を終えたところ、掛け干しのところが大半でした。

農作業中の方に話を伺うと昔は子供たちの水遊び場で、岩の上から滝つぼに飛び込んで遊んだとのこと。水路は左岸だけでなく右岸側にもあり、山太郎カニを獲ったものだと聞きました。

県道横の「せきよし物産館」、「ニッセイギャラリー稲音館(とうおんかん)」に駐車場があり、地元農産品、手作り雑貨などが販売され、食事もできます。

疎水溝史跡までは歩いて5分程度。左岸水路は現在も農業用水路として利用され、桜並木が美しい春もおススメです。

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