花浄土鹿児島

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大陸雄飛 陸軍歩兵大佐小浜氏善 2021/03/28(鹿児島)

2021-03-28 22:08:33 | 史跡巡り
3月24日(水)加治木町木田にある岩屋寺跡を再訪しました。
昨年5月8日訪問時に気になった、陸軍歩兵大佐小濵氏善(おばまうじよし)の追悼碑について詳しく調べることにしました。

田圃に咲くレンゲソウ 以下の画像は3月24日に撮影


人名と関連する用語などを順次ネット検索して情報を探しました。
姓は旧字体で「小濵」ですが、環境依存文字のため「小浜」と表記します。

岩屋寺跡入口 石塔文字は氏善書


今回は歴史記述で文字数が多く退屈かも知れませんが、宜しかったら最後までご一読くださると幸いです。

追悼碑に刻まれた文字を拡大して自分でも書き写しましたが、旧字体、漢語、現在使われていない用語、地名、人名などがあり、かなりの時間を要しました。

手前左手が追悼碑 右奥が墓


追悼碑文は入部亀治撰となっています。入部氏は旧制加治木中学校の教師であったと思われます。平成7年の東京竜門会会報で判りました。

昭和7年卒業生の思い出話として、謹厳な先生が卒業して行く生徒の望みに応え、顔に一寸笑みを浮かべ七言絶句の漢詩を朗々と吟じられ、とても感動したと記されています。

追悼碑裏側 ぎっしりと文字が刻まれている


大佐の5周忌を機として昭和15年に建てられた追悼碑は、下部を中心に苔むし解読不能箇所もありましたが大意は判明しました。

一部を紹介します。
陸軍歩兵少尉ニ任ゼラル後累進シテ昭和十一年三月陸軍歩兵大佐ニ任ゼラル大佐風貌端厳眼〇

其ノ事ヲ謀ルヤ明敏周密機熟スレバ果断人ノ意表ニ出ツ性ニ慈ニシテ部下ヲ愛スルコト子ノ〇

職ニ在ル前後三十年到ル処令名アリ而シテ其ノ最モ尭名ヲ馳セシハ實ニ満州事変ナリトス〇

墓の裏側に刻まれた漢詩


丈夫報國一身軽 大義如山君恩
造次不忘乃父志 勇躍上途満蒙
天下後世倣之          小濵氏善

ネット情報で大佐の墓は東京にあることを知りました。「歴史が眠る多磨霊園」小浜氏善の記述を参考にさせて頂きました。昨年来の胸のつかえが下り、感謝申し上げます。

高岡公園の桜


小浜大佐は明治21年5月27日(1908・05・27)、加治木町に生まれ、14歳で陸軍幼年学校に入り、鹿児島県姶良市加治木町出身。東京陸軍中央幼年学校を経て、陸軍士官学校卒業(20期)。

昭和7年(1922)北満の戦いで武勲を立てています。星河付近で戦闘中に腹部貫通銃創を受けるも戦闘の陣頭指揮に立ち、遂に戦敵をせん滅。

野の花 ジゴクノカマフタ


昭和11年(1936).3月 陸軍歩兵大佐に昇進。同.8月 予備役に入る。同.10月 関東軍嘱託となり軍事最高顧問の職に就く。純蒙古人部隊四千人を編制し大漢義軍と称し日系指導官となった。綏遠(すいえん)事件の戦いに敗走する中、自軍内の氾濫により12月9日に斃れています。

モミジの新緑


綏遠事件は、1936年末、徳王麾下の内蒙軍、李守信や王英などの部隊が関東軍の後援をたのんで綏遠省に進出し、同省主席の傅作義軍に撃退された事件。中国側では綏東事件とも言われる。

岩屋寺跡に根を伸ばす木々


ネット情報のありがたさで、調べるにつれて様々な周辺情報が判明しました。意外なことに唯一、中国のネットページには小浜大佐と思われる顔写真も掲載されていました。

高岡公園から望む 加治木の町と桜島


昭和初期の満州を舞台に勇躍した鹿児島の軍人の生涯は、一冊の本になるほどの様々な出来事があったと思われます。ちなみに、小浜大佐のことが記述されていると思われる書籍として 蒙塵 : 小浜大佐伝(船木繁著)が発刊されています。

昨年5月の岩屋寺跡ブログは、こちらからご覧ください。

散る桜 残る桜も 散る桜


久しぶりにあれこれ調べて様々な発見もあり、学生時代の漢文など思い出して興味深いことでした。拙文を最後まで読んで頂き、誠にありがとうございました。

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2 コメント

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Unknown (obama0928us2)
2021-03-31 10:32:19
記事を拝見させていただきました。小濱氏善の曾孫にあたるものです。
このような記事を書いてくださり本当にありがとうございます。私も一昨年、この岩屋寺を訪れましたが自然豊かでとても良い場所でした。
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ご覧いただきありがとうございます (harman@管理人)
2021-03-31 20:38:42
岩屋寺跡は昨年初めて訪れたものの、小浜大佐の墓石、追悼碑については殆ど情報がなく不思議に思っていました。
今回は追悼碑の文字を順にたどり、ネットで情報を探る中で、様々な出来事があったことを知りました。
御親族の方がこのブログに目を止めて頂いたのも何かの御縁でしょう。コメントありがとうございました。
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