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花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

串木野 鏑楠の田の神様 2022/11/16(鹿児島)

2022-11-17 13:16:25 | 史跡巡り
11月16日(水)冠嶽神社に行く途中で田の神様を訪ねました。

鏑楠(てきなん)の田の神様 以下の画像は11月16日に撮影


広域農道を東側から、いちき串木野市生福方向に向かう上り坂をヤブサメファーム(地鶏放し飼い牧場)方向へ左折、狭い道を500mほど進みます。養鶏所売店手前の竹藪横に田の神像がありました。

ここまでの道は狭い


大規模養鶏所のため車の出入りが多く、撮影していた数分間でも4台。珍しい田の神様ですが、途中の道は狭く離合箇所は限られますので運転にはご用心を。

なぜか竹藪にある田の神様


案内標柱には一石並立、説明版には一石双体と書かれた珍しい男女ペアの田の神様です。一般的に田の神様は一石一体であり、双体のものはいちき串木野市と薩摩川内市に集中しているとのこと。

右側にあるのは別の石像のかけらか


よく見る田の神様とはかなり異質


風化が少なく、表情が判りやすく、苔むした雰囲気が良く、なぜか竹藪脇にあり、かなり異質に感じました。

背面 この先は竹藪が続く


竹藪内の道は狭く車は通らないようですが、下の方には水田があります。ここに移したのか、今は竹藪だが昔は水田だったのか不思議なところです。

11月8日に訪れた、双体の田の神様3体は、こちらからご覧ください。
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串木野 ペアの田の神さあ 2022/11/08(鹿児島)

2022-11-10 14:44:47 | 史跡巡り
11月8日(火)いちき串木野市の史跡、田の神様3か所を巡りました。

鹿児島では親しみを込めて田の神様を、「たのかんさあ」と呼んでいます。

河内公民館横の空地に車を止め・・・たのかんさあは、どけ、おいやんどかい(田の神様は、どこに、いらっしゃるでしょうか)と草刈りの人に尋ね、場所を教えてもらいました。

河内の田の神様 以下の画像は11月8日に撮影


国道3号の串木野IC入口交差点から広域農道を東に進み、高速道路(南九州道)をくぐり200mほど先の左手です。グーグルマップに表示はありますが、ストリートビューでは見当たりませんでした。

東側から写す


道路沿いの電柱近くにあり周囲は耕作されておらず、全体が夏草に隠れていたようです。江戸時代末期、1860年に建てられたものですが、石材の形が墓石のようで彫も現代的に見えて、あまり古さを感じませんでした。

東側を写す 一石双体 


田の神様は旧薩摩藩内の鹿児島県、宮崎県西部(えびの、小林、都城など)に多く残っています。小型のものでは盗まれたり、農地整備、耕作休止などで所在不明になったものが多いと思われます。

時代は令和、昭和も遠くなり農村部の過疎高齢化は深刻さを増し、史跡価値のあるものを除き、殆どの田の神様が忘れ去られようとしています。

一つの石に2体彫られた田の神様は珍しく、いちき串木野市と薩摩川内市に集中しているとのこと。

道沿いの小高い位置に石碑が多数


河内から東に進むと自動車工場横、阿根ケ滝入り口の200mほど手前の道路北側(左手)に多くの石碑が建っていました。大小ありますが、殆どは水神様のようでした。

道路、耕地整備でこの地に移されたようで、きれいに柴が供えられていました。地域の方々が今も大事に守っておられることを、同郷の鹿児島県民としてうれしく感じました。

福薗の田の神様 二つの鳥居横は民家


河内の田の神様から東へおよそ1.5km、広域農道を冠嶽方向に左折して100mほど左側の南方神社鳥居前にあります。車は神社手前の空地に止められます。

二つの鳥居と鈴なりの柿


南方神社へ向かう坂の途中左手には冠嶽八十八ケ所第73番、釈迦如来堂があり、雲一つない青空に朱色の柿が見事でした。

石の形に趣がある


こちらは田の神様らしい形ですが、建てられたのは河内の田の神と同年代の1862年です。

五反田川沿いを歩く


およその見当を付けて南方神社前から歩きました。耕作放棄地では草が生い茂って、これも秋景色。

生野の田の神様


少し遠回りになりましたが、コインランドリー横から川の方向へ30mほど入った場所でした。民家に囲まれてわずかに残った小さな水田内にありました。

後ろ側 民家のすぐ近くにある


周囲の宅地化が進んで取り残されたようですが、近くには彼岸花の濃い緑葉が伸びていました。彼岸花の季節には収穫前の稲と良い組み合わせかもしれません。

だいぶ風化が進んでいる


石材の性質か、だいぶ風化が進んでいる感じがしました。

3か所の田の神様を並べてみると


石材と姿形には神像型、仏像型などそれぞれ特徴があり素晴らしいです。これからも大事に守られていくことでしょうが、多くの人が自然を大切にし、神仏のご加護を信じる心を持ってほしいものです。

この後、冠嶽神社にも立ち寄りました。ごく一部を除き紅葉には程遠く、3週間ほど雨なしで緑葉にも精彩が乏しい感じでした。

<追記 2022/11/16 鏑楠(てきなん)の田の神様>

竹藪脇の田の神様 一石並立の田の神像 11月16日


広域農道を東側から、いちき串木野市生福方向に向かう上り坂をヤブサメファーム(地鶏放し飼い牧場)方向へ左折、狭い道を500mほど進みます。養鶏所売店手前の竹藪横に田の神像がありました。

大規模養鶏所のため車の出入りが多く、撮影していた数分間でも4台。珍しい田の神様ですが、道は狭く離合箇所は限られますので運転にはご用心を。



案内標柱には一石並立、説明版には一石双体と書かれた珍しい男女の田の神様です。風化が少なく、表情が判りやすく、苔むした雰囲気が良く、なぜか竹藪脇にあり、かなり異質に感じました。

竹藪内の道は狭く車は通らないようですが、下の方には水田があります。ここに移したのか、今は竹藪だが昔は水田だったのか不思議なところです。
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カメラ散歩 永吉の浜と線路跡 2022/10/23(鹿児島)

2022-10-24 18:17:54 | 史跡巡り
10月23日(日)川辺からの帰り道、日置市吹上町永吉に立ち寄りました。

南さつま市金峰町 コスモス園に気づく 以下の画像は10月23日撮影


ようこそ「みんなのコスモス園へ」でしょうか、看板が一部だけ残っているのかも?

幅は30mほどで奥行が100m以上もありそうな広いコスモス園は、遠くからも目に付き今が満開。かすかに見える三角形は野間岳(591m)です。

初めて訪れた永吉川河口近くの南部 大田川の汽水域


普段通る国道270号から少し西側に入った日置市吹上町永吉地区の海岸近くです。背後(海側)は砂防林です。コンクリート護岸のない自然の川岸が珍しく感じられました。

海岸の方へ行ってみた


南へ歩くと薄い鉄板の簡易な橋があり、うっすらと土色の足跡が見えたので、慎重に渡り松林に向かいました。

砂防林内を南北方向につなぐ作業専用道


最近のタイヤ跡がはっきりついていますが、人の足跡はありません。橋の先に浜へ通じる近道があるはずと思ったのは期待ハズレ。

最近草刈をした道


南側に歩き、通行跡のない草藪の脇道を数か所見かけた先に、草刈をした脇道がありました。道幅は車が通るには狭く、西側の浜の方へ続き所々に馬糞が落ちていました。

砂山に出られた


思った通り浜に通じており、砂山の北側には永吉川の河口が見えました。浜の方の砂地には馬のような足跡が少しありました。

釣人、貝を取る人


日曜日のためか数組を見かけました。引き潮時で遠く南側には長い堤防が見えています。入来浜の吹上漁港にしては長すぎるようで、さらに南の小湊漁港かも知れません。

私が通って来た松林の道は一般の人が利用しないもので、釣人に道を教えてもらい反時計回りで出発地に戻ることにしました。ここより少し南側は吹上町の小野浜です。

砂防林(東)側から海側を見る


砂防林のはずれは10台ほど車が止められそうな場所でした。車のすぐ横は砂山で、海のレジャーには最適な駐車場でした。

ただし、水道もトイレもなく一般向きではありません。

途中の砂防林 ごく普通の海岸林のようだが・・・


この辺りは集落から離れており、グーグルマップのストリートビューはありません。砂防林の幅は200mほどですが、人気がなく薄気味の悪さを感じます。

ここよりも少し南側では、1978(昭和53)年に若いカップルの行方不明事件が発生しました。吹上浜に夕日を見に出かけた交際中の2人でした。当時は北朝鮮に拉致されたことなど想像もつきませんでした。

事件の半月ほど後のこと、行方不明者の勤務先である日本電信電話公社(現NTT)の人たちが手掛かりを得ようと、日置の家の近くにも数名で尋ねてきたことを記憶しています。

久多島と釣り人 日置では「ふたしま」と呼んでいます


北朝鮮が拉致を認めたのは2002年。事件では吹上浜沖合約8キロにある無人島の久多島が拠点になり、砂防林に隠した2人を夜陰に紛れて小型船で久多島に運んだのではと言われています。

右側奥へ進むと先ほどの場所に出る


東側から浜の方を写したもので、左手は加世田方向です。画面右奥は砂防林で、グーグルマップのストリートビューはこの辺りまでしかありません。

線路跡は自転車専用道路になっている 北側方向


この辺りでは鹿児島交通線(旧南薩線)線路跡が自転車専用道路になっています。4回ほど自転車が走ってきました。

高校時代に利用した区間は日置~伊集院でした。日置より南側区間を利用したのは、昭和30年代のさつま湖花火大会くらいです。

永吉駅跡


すぐ北側の永吉川には鉄橋の橋脚が残っていて、国道270号からはすぐ隣の石橋(浜田橋)とともに目に付きます。かめまる館は度々訪れていますが、永吉駅跡は初めてでした。

1時間20分程度のカメラ散歩でしたが、時には違った風景を見にするのも楽しいものです。松林の先に砂浜と海があるだけなのですが、私にとっては懐かしく自然に触れあい心が満たされる時間でした。

周期的な雨が欲しい


この後、日置の実家で少し藪払いをして大根に水を掛けました。次回は一回目の間引きをする予定です。
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姶良市掛橋坂 石畳の旧街道 2022/08/21(鹿児島)

2022-08-22 15:57:14 | 史跡巡り
8月21日(日)蒲生太鼓踊りは雨で中止、近くの旧街道散策に向かいました。

姶良市蒲生町の中心部から北西方向へ 以下の画像は8月21日に撮影


県道42号川内加治木線を蒲生八幡神社前から北西方向へ車で5kmほど。少し急な坂を上がり切った右手に掛橋坂(かけはしざか)入口があります。

画像は、坂の上側にある駐車場内の姶良市観光案内板の一部です。

姶良市の史跡 掛橋坂 坂の上側の案内板


坂の上の駐車場は民家が点在する細い道の終点にあり、120mほど歩くとすぐに坂の石段が見られますが、トイレはありませんので要注意です。

坂の下の駐車場は県道から200mほどの近さで、トイレが設置されています。緩やかな杉山の道を300mほど進むと、石段・石畳の坂道が現れます。

全長は約661m、石段・石畳部分は坂の上の方約337mです。坂の上の方は当時の雰囲気を色濃く感じられます。坂道往復は大変なので、一部だけ手軽に見たい方には坂の上の駐車場がおススメです。

右側には小さな滝もある 坂の上の駐車場から歩いて3分程度


ここは木立に囲まれ日当たりのない場所で、石段・石畳は苔むし、落ち葉も多く足元が不安定です。一般的な石の階段ではなく自然石に近く大きさも形も様々で滑りやすく、濡れていると足元はかなり危険です。

竹の杖を利用しましょう


私は見かけたことはありませんが、サルが出没するようです。苔むして滑りやすい石段、石畳を歩くには心強い竹の杖です。

坂の中ほどの石畳


掛橋坂について姶良市のページから引用して紹介します。

掛橋坂は、蒲生町北と西浦を結ぶ峠に見つかった石畳道。現在の県道川内・加治木線が明治時代に開通する前の旧道で、江戸時代には藺牟田・祁答院方面と蒲生を結ぶ地方街道として利用されていたと考えられます。

掛橋坂が開通した時期ははっきりしませんが、道筋には寛政8年(1796)の庚申供養碑や明和9年(1772)の馬頭観音碑があることから、遅くともこの頃までには石畳道が完成していたと考えられます。

また、石畳や石段の造り方が、大口筋白銀坂・龍門司坂(国史跡)に共通していることも、この道が江戸時代に整備された街道であることを示しています。(引用終わり)

10時32分 雨上がりで石段を水が流れていた


明け方から強い雨となり大雨警報が出ましたが、9時過ぎには止みました。昨年5月に訪れたことがあり、再訪の機会を待っていました。

前回は運動靴で、水が流れていたので滝よりも下の方へは行きませんでした。今日はゴム長靴で、竹の杖、三脚とカメラを持ちながら慎重に半歩程度ずつ歩を進めました。

少し霧もあって良い雰囲気


大雨直後で他に訪れる人などなく、2時間半ほどかけて散策と撮影を楽しみました。2018年放送のNHK大河ドラマ西郷どんを契機に駐車場が整備されたものの、コロナ禍が続き訪れる観光客は皆無と思われます。

坂の下側 終点近く この辺りは普通の山道


すぐ近くの山際には水田が残り、小さな水路横には一部イノシシが掘り返したようなところもありました。

坂の下の休憩所とトイレ


駐車場に倒れこんだ太い竹を片付けていたら、偶然近くの方が車で来られました。トイレットペーパーの不足などないか時々見に来て、市役所に連絡しているそうです。

坂の下の休憩所


身内の方が先日の加治木太鼓踊りに参加されたこと、町内の滝の話など教えてもらいました。秋にはこの坂を皆と上がっているそうです。

撮影であちこちの祭り、風景などを撮影していること、雨の日は石段に水が流れて格別に美しく再訪の機会をうかがっていたことなど話しました。

帰りは上り坂


下から見上げることで石の上を流れ落ちてくる水が特に目に付きました。日差しが出るとまた違った雰囲気が味わえることでしょう。

流れる水音が心地良い


三脚を利用したので、動画もぶれなく記録できました。水音が心地良く蝉の声も混じり、聞き飽きません。帰宅後見直すと殆どが1分以内の小間切れ動画だったのが惜しく感じました。

次も機会を見て訪れたいものですが、やはり雨の日は足元が滑りやすいので、一般的にはおススメしません。
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カメラ散歩 広瀬の南方神社 2022/07/27(鹿児島)

2022-07-29 11:15:48 | 史跡巡り
7月27日(水)スイレン棚田の後、近くの気になる場所へ向かいました。

県道51号からの風景 上に向かう階段 以下の画像は7月27日に撮影


農家そばヤマサキのハス池から南へ600mほどの地点です。御幣があることから神社への道でしょう。

スイレン棚田からは北東側に直線で500mほどの位置にあります。

境内に向かう道


神社境内へ上がる道沿いの右手にも御幣がありました。この先の林の中にも神様が祭られているのかもしれません。

南方神社 さつま町広瀬5706番地


平成17年に改築


道沿いに見えた御幣に導かれてやってきた所は南方(みなみかた)神社でした。同じ名前の南方神社は鹿児島県内各地にあり、近隣の人々が守ってきた昔ながらの村社(むらやしろ)のようでした。

境内東側 大きなクスノキ


クスノキの下にあったのは


小さな石の仏様のようでした。元からここにあったのか、ここに移されたものでしょうか。丸石や石塔のかけらのようなものもありました。

仮屋原公民館北側 工房たけん子の南側で見かけた石の祠


神社を後にして近くの田の神様を見に行きました。前回訪問の記憶をたどり歩くうちに、道沿いの土手にある高さ50センチほどの石が目に付きました。

頑丈な石の祠のようですが、屋根部分が大きすぎて少しアンバランスに感じます。傷んだ六地蔵塔のような石仏を修復したのでしょうか。

蓮華の台座 仏様のようです


案内板などはなく花なども供えられておらず、ずっとここに置かれている感じでした。石の仏様が私を呼び止めてくださったのでしょう。

田の神様


前回は道路側から見たので、全体を田の神様と見るような自然石だと思っていました。回り込んで見るとしっかりと田の神様の姿が彫り込まれていました。

ここにも何か祭られています


グーグルマップを拡大して見ていくと、あちこちに神社やお寺跡など、史跡が多いことに気づかされます。今回の田の神様、石の祠はグーグルマップのストリートビューでも確認できました。

近所の方にお尋ねすれば神社、石仏の由来などが聞けたかもしれません。コロナ禍が収まったころまた訪れたいものです。
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東郷町 磨崖仏・経塚など巡る 2022/07/27(鹿児島) 

2022-07-28 17:04:13 | 史跡巡り
7月27日(水)さつま町からの帰り道、薩摩川内市東郷町に立ち寄りました。

小路(こうじ)磨崖仏、島津氏供養塔など 以下の画像は7月27日に撮影


グーグルマップを拡大して小路磨崖仏などを見ていると、田海(たうみ)川沿いに島津氏の供養塔があることが判りました。

さらに近くの道路脇には経塚があり、不動明王石像が残っているようです。ハス池など巡り元気が残っていたので足を延ばしました。

小路磨崖仏






地元の人しか通らないような狭い道のすぐ横にあります。500年ほど前に彫られたものとは思えないほどしっかりと残っています。

田海川右岸から 上流部を望む


民家の先50mほどのところを左上に進むと経塚の案内板がありました。島津氏供養塔は川沿いを上流へ700mの位置です。

経塚の案内板(左) 坂の上から川の方を見る


グーグルマップのストリートビューでこの看板に気づきました。

看板には・・・ここは昔、妖怪が出没して通行人を悩ませていた。その妖怪を鎮めるために、経塚を建てたという言い伝えがある・・・と、書かれています。

不動明王石像は川の方から見ると道路の右上(画像ではカーブミラーの右上)にあります。

道路右側の細い道を上がったところから見た経塚 右側中ほど奥


上原の人々が資金を出し合い宝永三年(1706)に建てられたもので、昔この辺りにお寺があったようです。

道路の崖上に残る経塚と不動明王石像


かなり傷んでいた 


足元の悪い竹藪を50mほど上がったところに残っています。石像のすぐ前は5m以上もありそうな崖で大変危険な場所です。

道路反対側には狭い通路があり上がれます。説明板からは少し遠いですが経塚の様子が見えます。崖の上の危険な経塚には近寄らない方が無難です。

島津歳久及び殉死者の供養塔


経塚から田海川横に戻り、上流部へ700m歩きました。グーグルのストリートビューは途中で途切れていますが、道路は農耕車が通行できる広さでした。

車は供養塔の手前100mほどの場所に止めることができます。農繁期以外は車の通行量はごくわずかと思われます。

島津氏の墓地ではなく供養塔で、殉死者名を刻んだ石がありました。寺跡の広い場所で現在も一部は一般墓地として使われているようです。

石の仏様か


30センチほどの石に目が留まりました。よく見ると古い石の仏様のようでもありました。寺跡入口の仁王(金剛力士)像はひどく破壊されており、明治初期の廃仏毀釈の愚かさを物語っています。

国道267号交差点近く 記念碑のようなものがあった


案内板などはなく、危険と表示され道路側はロープで囲われていました。刻まれた文字を読むと、「大脇祐智先生記念碑」でした。

陸軍大将上原勇作書とありました。大脇先生の生誕地かもしれませんが、ネット検索した範囲では大脇祐智先生の情報は見つかりませんでした。

上原勇作氏は都城出身の軍人で、安政3年11月9日(1856年12月6日) - 1933年(昭和8年)11月8日)、幕末から昭和にかけての陸軍武官とあります。

大脇先生の功績でしょうか、細かな漢字でぎっしり側面に刻まれています。この記念碑が昭和8年以前のものとすれば、建てられて90年ほどにもなるようです。

暑い中、あちこち巡りましたが午後は雷が鳴りだして天気が急変。帰りは樋脇から入来付近にかけて強い雨に降られ、車のライトを点灯しました。入来峠を越えると雨は降っていませんでした。

ワクチン接種4回目の副反応が消え、車であちこち巡り、様々な出会いを経験できました。健康と家族に、感謝、感謝です。
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小野公園山手 藪の中に鍾馗様 2022/06/18(鹿児島)

2022-06-19 11:41:16 | 史跡巡り
6月18日(土)、都市農業センターの次は鹿児島市の小野公園(球場)です。

グーグルマップで幸加木(こうかき)神社への道順を探すうちに、小野公園近くの山中に磨崖仏の表示があることに気付きました。

雨も降らず近くなので、ちょっと立ち寄ることにしました。

磨崖仏表記のある山手方向 以下の画像は6月18日に撮影


鍾馗様の磨崖仏は鹿児島では珍しい。必見!とありました。すぐ近い場所らしいので足を運んだのですが・・・。

左側は小野公園 田植の済んだ水田 画面外右上は休耕地


何か右手にある


100mほど歩くと右側に小さな鯉のぼりがありました。あまり気にも留めず山中へ進みました。

右上にも行ける感じだが左へ進む


足元が濡れてきましたが、子供の頃の冒険心のようなものがよみがえり山の中へ歩を進めました。

古い治山工事の銘板


昭和31年度県営治山施設と記された手作り感のある銘板でした。70年近くも前のことで驚きました。

この先には大きな岩か岩壁があり、磨崖仏が彫り込まれているのかと期待しましたが、それらしい場所はなく雑木と竹が入り混じったゆるやかな山地斜面が続いていました。

さらに進むと 何か看板があった


戦時中の防空壕跡地か


危険なので壕の入口を閉鎖しました、土地の所有者は連絡をくださいと記されていました。

防空壕と言えばシラス崖地などを掘りこんだものです。シラス崖に磨崖仏はあり得ません。ここで引き返し、改めて情報を探して出直すことにしました。

公園に戻ろうとするところで、ウォーキングの人たちを見かけたので尋ねてみたら・・・ありますよ、近いですよと案内していただき、ありがとうございました。

教えてもらった入口を数メートル行くと 左側だがよく判らない


入口は最初目にした鯉のぼりのあった場所のすぐ隣でした。この辺りを管理されている人がおられたようです。

私が想像したものとはかなり違っていた


高さ2m程度の岩に彫られていたのは目力のある鍾馗様のようです。庭の隅の岩に彫りこまれているような感じもしました。

私はもっと大きなものを想像して大岩や岩壁を探していたわけですが、全く逆で自分でも可笑しいことでした。

だいぶ苔むして蔓草も絡んでいた


グーグルマップに出ている画像よりも苔むしています。雨の後で輪郭がはっきりしないのかも知れませんが、管理する人がいなくなれば苔や草に埋もれて知る人もなくなることでしょう。

教えてくれた人の話ではこの辺りの山中には(遺跡のような)何かがあるそうですが、田圃も山も荒れて入れないそうです。

無駄足にならず、鍾馗様に出会うことができて幸いでした。季節を改めてまた足を運びたいと思います。次は幸加木神社です。
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心安らぐ水と緑 梅ケ渕不動堂 2022/04/01(鹿児島)

2022-04-02 18:19:42 | 史跡巡り
4月1日(金)帰りの時間に余裕があり、梅ケ渕不動堂に立ち寄りました。

ヤマブキが咲いていた 以下の画像は4月1日に撮影


駐車場から参道側を見ると鮮やかなヤマブキが目に入りました。ここは商売繁盛と合格祈願で知られる梅ケ渕観音とは別な場所です。

駐車場入口が変更


鹿児島市南部から向かう場合は、高速道路の鹿児島北インター料金所を出て県道18号へ左折。100mほど先のT字型信号交差点を右折、20mほど先で左折、左手すぐの参道入口に小型車3台ほどが駐車できます。

昨年まではT字型信号交差点をまっすぐ突き抜けるようにして駐車場に入っていました。駐車場の入口が変更されていますので要注意です。

残る桜花は半分ほどか


広がり始めた新緑


ここを巡る30分ほどの間に参詣の人は1人だけでしたが、順番に仏様に線香をあげロウソクを灯し、熱心にお詣りされていました。

小さな御堂など


常駐管理者は置かれず、近くの方が通いで管理されているのでしょう。月に数日、悩み事相談、祈願、供養、お祓いなどが行われているようです。

なみきり道場 次回は4月9日10日、と案内板に表示されていました。

岩壁を落ちる水は少なめ


創建は鎌倉時代と言われ、島津家のご祈祷所として、江戸時代には庶民の参詣も多く賑わったとのこと。

平成5年の豪雨で土石流が発生し壊滅的な被害を受け閉鎖されていましたが、関係者の尽力により数年後参詣が再開されました。

観世音菩薩像(左)と波切不動明王像(右)


明治初期に廃仏毀釈の運動が起こり、特に鹿児島では排斥活動が激しく、殆どのお寺や仏像などが破壊しつくされました。関係者の尽力で難を逃れた貴重な仏像です。

池には鯉が泳ぎ、小さな噴水も上がっていた


緑が一杯で心落ち着く場所


普段訪れる人は数少ないと思われます。霊力への感性は乏しいと思っている私にとっても、心静かに自然を楽しめる貴重な場所です。

排水路などが工事中


駐車場横の山手側に排水路や通路を整備中のようです。作業機械などは見当たらず、個人で少しずつ作業されているようでした。

一時期この周辺には住宅団地開発構想が持ち上がりましたが、景気低迷もあり計画は立ち消えのようです。維持管理は大変でしょうが、何時までも大切に残してほしいものです。
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加治木 精矛神社と日木山川 2022/03/08(鹿児島)

2022-03-10 20:35:57 | 史跡巡り
3月8日(火)暖かい日差しに恵まれ、姶良市加治木町の精矛(くわしほこ)神社と日木山川(黒川)菜の花ロードを歩きました。

NHK大河ドラマ 西郷どんロケ地 以下の画像は3月8日に撮影


精矛神社の御祭神は精矛厳健雄命(くわしほこいつたけをのみこと)島津義弘公です。

加治木太鼓踊りの撮影で何度か訪れました。大河ドラマロケを契機に整備が進み、駐車場が広くなり新しいトイレができていました。

境内には各種桜が咲き誇っていた


早咲きの桜では河津桜、伊豆の踊子、緋寒桜、大島桜などが知られていますが、それらとは違うようです。

精矛神社内の御稲荷様 渋谷稲荷参道


案内板には平成元年に島津義弘公没後400年を期に、東京渋谷の玉里島津家から御遷座とありました。

河津桜のようです 若葉が出ていました


雄しべの長い桜 シナミザクラでしょうか?


日木山(ひきやま)川沿い 菜の花ロード


精矛神社からJR日豊本線の踏切を過ぎてすぐの小さな橋へ右折、日木山川(黒川)沿いの道に菜の花が一杯植えられていました。

鹿児島県 かごしま景観大賞


所々に河津桜があり菜の花との対比が美しい


2月中旬頃から見頃が続いているようで、ネットにも多くの話題が出ています。河津桜はピークを過ぎていますが、今月中旬頃までは楽しめそうです。

子供連れで散策する人、ウォーキング、撮影の人などあちこちで見かけました。時々車が通るので注意が必要です。

河口は黒川岬 展望所、トイレが整備されているが一部で道が狭い


画面外右手は加治木港と一体の海岸部で、引潮時の河口に水鳥が数羽いました。あいにくと見晴らしが悪く、桜島は霞んでいます。

今や春は黄砂よりも、中国大陸からの大気汚染物質PM2.5が流れ込む季節です。年明け後も少雨傾向が続いていますが、野山が潤えば緑が勢いを取り戻し、一気に春らしくなりそうです。
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清色城跡 入来麓を巡る 2022/03/03(鹿児島)

2022-03-04 17:45:56 | 史跡巡り
3月3日(木)薩摩川内市入来町の清色(きよしき)城跡に立ち寄りました。

清色城跡に建つ入来(いりき)小学校 以下の画像は3月3日に撮影


夏場は水路に咲く蓮と睡蓮の撮影で立ち寄っています。生徒数120名ほど、お城のような白壁と瓦屋根の美しい小学校です。

石垣に沿って城跡の山手へ向かう


東郷町の藤川天神に向かう道すがら、カーラジオで入来麓の旧増田家住宅に雛飾りが展示されていることを知り立ち寄りました。

城跡の山へ 標高約98mの山 本丸城跡まで300mほど


シラス崖の切通を上がっていく 上の方から振り返る


案内表示に従って歩く


城跡は急な坂道もあり、整備作業地区には立ち入ることができません。まだ春先のためか人が訪れた形跡がなく、坂道は簡易な木製階段、土嚢で足元に注意が必要です。

虎ロープも張ってありますが、途中で支える杭が抜けているところもあります。ロープに頼り過ぎても危ない感じで、一般的な観光地の城跡とは違って、散策ではなくちょっとした山歩きになります。

やや急な坂道 タバコは吸わず、雨の日は入山を控えましょう


本丸跡 落葉に木漏れ日が差し込んで美しい


石の祠が残る


ここは段差が大きく引き返す


夏はマムシ、ハチなどの危険性もあり一般的にはおススメしません。石の祠以外には城跡らしいものが見当たらず、探検好きな方には物足りないかも。

東側風景 入来小学校 奥には愛宕山パラグライダー基地


旧増田家住宅 入来麓(ふもと) 梅は散っていた


眼科医であった増田さんの住宅が移築されています。コロナ禍で訪れる人は殆どなく、管理人の方が庭掃除の手を止めて案内してくださいました。

昭和の頃の世間話などにもお付き合いいただき、ありがとうございました。機会を見てまた訪れたいものです。

雛飾り 5組飾られていた


可愛い着物姿の女の子たちが、持ち寄ったお菓子を交換して楽しむ、ひな祭りの伝統行事「かえんそや」もコロナ禍のため今年は中止とのこと。

「かえんそや」・・・鹿児島語(鹿児島の方言)で、交換しましょうと言う意味です。

川沿いの梅


珍しいウサギさんの置物を発見


入来麓には丸石の石垣が美しい街並みが今も残っています。こちらは平坦地で駐車場、案内所も整備されていますので、ゆっくり散策を楽しめます。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。