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花浄土鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。
(季節の花、吹上浜、桜島、霧島など)

カメラ散歩 慈眼寺公園 2020/05/30(鹿児島)

2020-05-31 17:13:25 | 史跡巡り
5月30日(土)鹿児島の梅雨入りが発表されました。

鹿児島市谷山の慈眼寺公園 以下の画像は5月30日に撮影


午後からの所用後、慈眼寺(じげんじ)公園に立ち寄りました。鹿児島では「じがんじ」とも呼ばれています。ふるさと考古歴史館、コスモス園の山手には谷山神社があり、和田川沿いの「そうめん流し」とともに市民に親しまれています。

雨空の下、目立った 谷山観光協会そうめん流しの電光板メニュー 


和田川沿いに点在する弘法大師座像


詳細は判りませんが、仏様ではなく僧の姿なので弘法大師像でしょうか。古い石仏や石塔などは廃仏毀釈で打ち壊され、殆どが現存しないのかも知れません。

岩壁に刻まれた谷山町立慈眼寺公園創立記念の文字 昭和2年4月とある


階段を上がり広い道に出る 谷山神社への急角度階段 137段


画面外右手に車が数台止められる場所があります。ここから神社まで上がると先に息が上がり、高齢者にはきつすぎる感じです。若者が足腰を鍛えるには良いでしょう。

後で判りましたが、神社境内まで車で行けます。上からこの階段を見ると転げ落ちそうな感覚になりました。私は歴史館側の水階段横から谷山神社へ上がりました。

広い道を緩やかに上がると右手はふるさと考古歴史館


道路左手には広い駐車場があり、その西隣には少し階段状のコスモス畑がありました。すでに種がまかれているのか、残り種からか2センチほどにコスモスが伸びていました。

鹿児島ではあまり見かけないイタリア式水階段(カスケード)


水をポンプで循環させて小さな水階段が造られていました。手前は石玉回転噴水です。直径60センチ、重量300kgもある玉石が、下からの水の勢いでずっと回り続けていて不思議な感じでした。

山手に上がり東側に進むと谷山神社 旧社格は県社


名前は聞くのですが訪れたのは初めてです。パワースポットのような場所で、東側の眺めの良いところです。あいにくの梅雨空で桜島はぼんやり霞み、輪郭が判る程度でした。境内まで車で上がれるので初詣は大いに賑わいそうです。

夾竹桃が咲き始めていた


コスモス園の南側には夾竹桃が並んでいました。隣にはアジサイが多く植えてあり3分咲き程。坂道を下りて林の中を和田川沿いに下り、そうめん流し入り口駐車場まで戻りました。

アジサイには雨が似合う


日本料理店跡地の庭木が残っており、ここでもアジサイが雨に濡れてきれいでした。5月31日までの累計雨量は鹿児島市で16ミリ。梅雨入りとしてはほど良い雨でしたが、7月に入ると後半は特に大雨が降りやすく注意が必要です。

コロナ禍は北九州市など一部で第2波が懸念されており、まだまだスッキリとはいきません。真夏の強烈な紫外線で疫病退散を願いたいものです。
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緑豊か 加治木の岩屋寺跡 2020/05/08(鹿児島)

2020-05-09 22:10:49 | 史跡巡り
5月8日(金)南風が強め、姶良市加治木町の岩屋寺跡を訪ねました。

加治木町木田 岩屋寺跡入口 以下の画像は5月8日撮影


岩屋寺(いわやじ)跡は古い中世の寺跡です。明治初期の廃仏毀釈により残されていた石仏などは殆どが打ち壊され捨てられ、わずかに残る石仏のかけらなどで往時を想像するだけです。

この地の訪問ブログ記事等が多い中、殆ど書かれていない陸軍歩兵大佐墓石などについては最後の方で書きます。

東寄りの風が強め 手前は休耕田 寺跡は画面中ほどの林


林に入ると大きな追悼石碑と奥には墓石がありました


古いお寺跡なのに比較的最近の追悼碑とその先には墓石がありました。これらについては後で紹介します。

大きな岩が四角に削り込まれている


墓石の左奥、大きな岩をくりぬいたところに「頼昌法印」(1704年ごろの住職)の石座像があります。

頼昌法印 石座像


法印とは仏語で、仏教を他の教えから区別し、仏教が真実であるということを示す標識であり、また、古代では僧位の最上位のことも指すとされています。この座像は廃仏毀釈の難を逃れています。

不動明王像 高さ3mほど


壊され打ち捨てられた石仏 左下 若葉の隙間から差し込む初夏の光


高い岩壁 岩が柔らかめなのか刻まれた文字は風化して読めない


奥の院 岩洞窟


緩やかに坂を上ったところに現れる大きな岩窟が「奥の院」です。ゆかりのある人々が管理されているようです。道は狭く、落葉が重なり苔むしています。晴天続きながらも、下りは滑りそうで気になりました。

上り口に竹の杖がありますので、足元が不安な方は利用をお勧めします。細い通路以外は草が茂り足元がよく分かりませんので、立ち入らない方が無難です。

一般的な仏教遺跡と言うよりも、広い林の中に寺跡を偲ぶものがわずかに残るだけの場所です。夏場は蛇や蜂も出そうな山の中であり、一般向きではありません。この日は小さなアナグマを見かけました。

小浜氏善書の石碑 文字は旧字体「濵」ですが説明上は「浜」で表示


田圃横の道沿いに寺跡の説明板と石碑があります。撮影時には気づきませんでしたが、画像を改めてよくみると石碑の文字が少し気になりました。岩屋寺跡の意味と思いますが、一文字は読めません。

調べるうちに、遺跡の「遺」ではないかと気づきました。国際符号化文字集合・ユニコード U+1B111では「遺」をこのように書くようです。お判りの方は教えてください。

追悼碑 小浜氏善の功績らしいが、半分ほどは風化して読みにくい


ネットで調べるうちに次のような書籍が見つかりました。
蒙塵 : 小浜大佐伝(舩木繁 著 1915-2007) 小浜大佐は小浜氏善(1888-1936)のことか? 

蒙塵(もうじん)とは、変事に際し、天子が難を避けて宮城の外に逃れること。清朝末期や満州国誕生に動いた日本陸軍のことを書いた本ではないでしょうか。

陸軍歩兵大佐小浜氏善の墓石 生前自書


小浜大佐と寺跡との関連はどこにあるのでしょうか。小浜家は寺跡の地主さんでしょうか。生前に墓石銘を自ら書いて満州国建設に一身を捧げた人ではないかと想像しますが、これもご存知の方は是非教えてください。最後までご覧いただきありがとうございました。

<追記> 2021年3月に再訪し、小浜大佐の墓石を詳しく見た時のブログは、こちらからご覧ください。
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カメラ散歩 梅ケ渕不動堂 2020/04/06(鹿児島)

2020-04-07 18:39:10 | 史跡巡り
4月6日(月)、墓参りの帰りに梅ケ渕不動堂を訪れました。

桜が満開 梅ケ渕不動堂 以下の画像は4月6日に撮影


九州自動車道 鹿児島北IC上り出口 県道を左折して150mほどの交差点


高速出口のすぐ近く、天気も良いし桜が満開です。鹿児島県道18号鹿児島北インター線は鹿児島北ICと国道3号に至る延長195mの県内最短の県道です。その短い県道へ左折、150mほど先の信号機のあるT字交差点を直進して駐車場に入ります。

道路横にもお地蔵さまが


よく見ると道路横にもお地蔵さまが祭られています。近所のおばあちゃん2人がやって来て、これから上に行くとのこと。お地蔵様への賽銭が下水路に沢山落ちていたのは不思議でした。道沿いなので車の中から投げる人がいるのでしょうか。

元気なおばあちゃん 幼子のように楽し気にゆっくり上がっていきます


ツツジがきれい


古い狛犬


梅ケ渕不動堂の由来については保存会の公式ブログに詳しく紹介されています。興味のある方はこちらからご覧ください。

池には鯉が泳ぐ 桜の花びらが舞い落ちる


新緑に囲まれて薄暗い境内


小さな不動明王像 小さな滝の横と本堂にも不動明王像が祭られています


上の方から池を望む この後おばあちゃんたちからお菓子を頂く


訪れる人は少なく多くの石仏様に囲まれ、心静かに滝の水音を聞き、春の新緑と花を楽しむことができる大好きな場所です。観光地ではありませんが、きれいに掃除が行き届き清々しい気持ちになれます。

梅ケ渕不動堂の北西方向に直線距離1kmほどの所には梅ケ渕観音があります。昨年梅ケ渕不動堂と観音様などを訪れた時の様子はこちらのブログ記事をご覧ください。
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カメラ散歩 多賀山公園を歩く 2020/03/31(鹿児島) 

2020-04-01 17:00:17 | 史跡巡り
3月31日(火)鹿児島港に近い北側の多賀山公園にも立ち寄りました。

公園東側からの錦江湾と桜島 以下の画像は3月31日に撮影


現地案内板によると多賀山(標高58.9m)は海側が絶壁、西のJR線側は急斜面の丘です。北側の国道10号鳥越トンネル付近までが東福寺城跡と言われています。

島津氏居城 東福寺城跡


林に囲まれて薄暗く、桜島側の見晴らしが悪いのが残念。西側の東郷墓地に比べると訪れる人は少なく、イノシシが地面を掘り返した跡もあるので単独散策には要注意。夜の肝試し向きかも?



天喜元年(1053)に長谷場氏が城を築き、南北朝時代(1336~1392)には城を巡って激しい戦いが行われ、1343年に5代島津貞久が東福寺城を勝ち取り鹿児島を治める根拠地としました。

公園中ほどの桜広場 ソメイヨシノはまだ開花せず


鹿児島地方気象台は4月1日、桜(ソメイヨシノ)の開花を発表。暖冬の影響で平年より6日遅く、去年より7日遅い開花です。県内では一部で見頃ですが、3月31日多賀山のソメイヨシノは全く咲いていませんでした。

公園西側には東郷元帥墓地と多賀神社がある


銅像に上がる狭い急階段 艦内階段を模したと言われる


大らかな親しみを感じる銅像


翻る旭日旗 眼下は鹿児島港


自衛隊関係者だけでなく鹿児島に入港する外国艦船からも墓参に訪れる東郷墓地。かつては毎年5月27日(日本海海戦の日)海軍記念日に関係団体による慰霊祭が行われていました。

現在は自衛隊による墓前祭が5月頃に行われ、音楽隊が海軍ゆかりの曲を演奏しています。2014年の行事の様子はこちらからご覧ください。

多賀神社西側の参道 JR踏切を渡る


多賀山から西側への階段道を下りてみるとJRの踏切に出ました。鳥居の大半は大きな気根が垂れ下がるイチョウの木、椿などに隠れていました。

参道を上がると多賀神社 東郷墓地側から行く方が道は楽 すぐ西側にある


高齢者には上がりがきつい階段道ですが、大切に管理されています。がっしりとした風貌の良い大きな狛犬が境内に一対置かれています。訪れる人は少ないようですが、境内はきれいに掃除されていました。山と言うほどの高さはなく城山(展望台の標高は107m)より低い丘陵地で、程良い運動になりました。
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カメラ散歩 蒲生城跡の梵字 2020/03/23 (鹿児島)

2020-03-25 17:40:54 | 史跡巡り
3月23日(月)天気が良かったので所用の後、蒲生城跡に立ち寄りました。

16時53分 姶良市蒲生町 蒲生城山公園案内図 以下の画像は3月23日に撮影


案内板には、蒲生(かもう)城は城の地形が龍が伏せた形に似ているため龍ケ城と呼ばれたと書かれています。山坂達者の森と記されているように、想定外の運動をすることになりました。

新緑が美しい楓 ソメイヨシノ(桜)は咲き始め程度


16時56分 蒲生町の市街地と霧島連山 大楠のある蒲生八幡神社は画面外左奥


県道から東側の山道に入り暗い杉山の中を緩やかに上ります。道沿いにもソメイヨシノが植栽されていますが周囲の杉に日差しを遮られ殆どは樹勢が弱っているのは惜しいことです。

霧島連山を望む広場には楓とソメイヨシノがありますが普段訪れる人はわずかです。道はカーブが多く狭くて薄暗いので花見、紅葉シーズンは運転に注意が必要です。

薄暗い林の湿地に生育するサツマイナモリ


本丸跡などを散策してまだ明るいので梵字が刻まれた北側の岩壁を目指しました。10年以上前に一度行ったことがありますが道が判らず探し回りました。

17時34分 見つけた道しるべ よく見ると下の方を指している


道と言うよりも狭い隙間に足を踏み込んで、昔の記憶がよみがえりました。カメラを気にしながら狭い階段道をジグザグに下りたのでした。

道幅は60センチ程度に感じられ、崖地を削ってつけられたような石段は泥と草が積もっていて踏み跡がありません。階段道は20m程度でしょうか、短い区間ですが90度近い急傾斜なので落ちると大変。手袋をして時には尻もちをつくように滑り台スタイルで慎重に下りました。

最後の所には今も虎ロープと鎖がありました。この通路はまさに山坂達者を実感しますが、現況では足元が悪すぎます。単独行は避けた方が良いでしょう。高齢者には危険です。もっと楽な道があることが後から判りました。

下の方から見た岩壁の様子 画面右奥から入った


ぬかるみ道のごく一部に板が敷かれている


17時47分 岩壁に刻まれた梵字


磨崖仏と違って小さな梵字が刻まれているだけに見えました。すでに日は西に傾き山陰のため薄暗くなっていました。腰を屈めて岩壁を巡ることは可能ですが、地面はぬかるみイノシシの足跡だけしかなくすぐに靴は泥まみれ。

川辺の磨崖仏のような判りやすいものではなく地味です。特に史跡研究などに興味がある人以外にはお勧めしません。一通り見渡して早々に切り上げました。

17時53分 こちらが一般の上り口 落石注意だが近くて道の傾斜は緩い


すでに薄暗い中でもう一度危険な崖路を上る気力はなく、杉山の中にある道を下りました。すぐに平地の集落外れに出ましたが、車を止めた山上の駐車場に通じると思われる別な山道は通行止めでした。

城跡の山を反時計回りに大きく半周して長い道をたどるのは大変。30分以上はかかりそうです。山手側に気を付けて歩くうちに人家の外れから山上に通じる道があると教えてもらいました。こちらは普通の山道で危険性はないものの先を急ぐ上りで汗を流しました。

18時15分 日は西の山に隠れようとしていた


桜が植えてある広場の下、象の滑り台がある場所にたどり着きました。土手を少し上がると日は山に隠れていました。

画像撮影時間で振り返れば17時前から18時過ぎなのに、自分ではもっと長時間歩きまわったような気がします。夕暮れ時で気が焦りました。泥で汚れたズボン、手袋に普段の運動不足を痛感しました。まずはケガなく帰宅できて幸いでした。
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落葉も美しい慈眼寺公園 2019/12/23(鹿児島)

2019-12-23 17:30:31 | 史跡巡り
12月23日(月)年末の月曜日、谷山の慈眼寺公園を訪れました。

慈眼寺と言えばそうめん流し 以下の画像は12月23日に撮影


地元ではじげんじ、あるいはじがんじとも呼ばれています。今朝は谷山での用事が早めにすんで、雨上がりで天気も良いので立ち寄りました。

落葉がびっしり


雨で潤った緑と落葉


色鮮やかな紅葉も良いですが雨に濡れた落葉も風情があります。乾燥していると気にも留めない落葉ですが雨で潤った石畳もきれいでした。

紅葉が残るモミジ


石畳


緑葉に留まる落葉


大隅半島側に流れる桜島の噴煙


谷山神社への石段を上がると水源地近くに桜島の見える場所がありました。数日来のぐずついた天候が回復して快晴です。

下流側に立つ慈母観音像


散策路沿いの仏様


川上の渓流


年末の忙しい時期でもあり、1時間半ほどの散策中には誰とも会うことはありませんでした。朝方大掃除があったようで駐車場、散策路ともきれいに整備されていました。

何かと気ぜわしい中で、雨上がりのさわやかな空気を胸いっぱいに吸い込み安らぎを覚えるひと時でした。2014年12月20日に訪れた時の紅葉はこちらからご覧ください。
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清泉寺跡 夏草と磨崖仏 2019/06/08 (鹿児島)

2019-06-09 17:40:28 | 史跡巡り
6月8日(土)曇り空に日差しも出る少し蒸し暑い一日でした。
かねて気になっていた鹿児島市谷山の史跡、清泉寺跡を訪ねました。

清泉寺(せいせんじ)跡の左手(下流側)は水道施設


国道225号を鹿児島市の谷山坂之上から南へ走ると下福元町影原交差点の少し手前に「清泉寺跡」入口の案内板があります。離合が難しいような生活道路を数百メートル進むとさらに小さな案内板があり、右折して坂を下ります。

鹿児島市水道局の施設が左手にあり、右手の空地に車を止めます。ここに鹿児島市の説明板がありますが、清泉寺跡とは無関係なようで見落としてしまい、その後の行動に手間取りました。

鹿児島市の史跡説明板


帰る前に説明板を読むと寺跡の磨崖仏の位置なども表示されていました。

史跡位置図


車を止めた場所の右手(山手側)が寺跡で墓地とのこと。

湧水汲場 説明板のすぐ横


私と入れ替わりで車が一台出て行きましたが、おそらくここで水汲みをしたのでしょう。

墓地跡などへの入口 フェンスを開けて右に入ると墓地


磨崖仏を見ることが目的でしたので墓地へは入らず、狭い通路を進むと水源設備があり対岸へは行けませんでした。

向うにも何か看板が


水路を隔てた遠くにも何か看板がありました。下流側に少し引き返し看板を目指しますが夏草が茂り足元がおぼつかない場所でした。

ようやく磨崖仏に気付く


15時過ぎに訪れたので日差しは林にさえぎられ、近づいてようやく磨崖仏と気づきました。

鹿児島谷山ライオンズクラブの案内板


二体の磨崖仏 左は在家菩薩磨崖仏


岩と林のバランスが美しい


磨崖仏について鹿児島県のホームページから引用して紹介します。

清泉寺跡の西側には,在家菩薩磨崖仏(ざいけぼさつまがいぶつ),妙有大姉磨崖仏(みょうゆうだいしまがいぶつ)があります。

在家菩薩磨崖仏は,立像で,高い崖面におよそ2メートル,右手に槍をもち,左手をそえており上体は裸体で,下衣のみ着けています。顔は壊されており,形相は不明ですが,日新公を神格象徴したものとの伝承があります。

右は妙有大姉磨崖仏


妙有大姉磨崖仏の像は,在家菩薩と並んで立っています。この像の右手は,胸前で剣を持ち,左手は腰に托しています。顔面や手足など,損傷を受けておらず,形相などをはっきりと捉えることができます。高さは2メートルを越えるもので,両足をしっかりとふまえた力強い姿です。日新公御夫人妙有大姉を象徴神格化した像であるとの伝承があります。(引用終わり)

林の中を進む 岩に刻まれた宝剣


薄暗い渓流


川向の仁王像 阿吽金剛力士像


阿吽金剛力士像磨崖仏(鹿児島県ホームページから引用紹介)
この両磨崖仏は台地の岩壁がL型になっている両面を利用して彫刻されたものです。一つは東を向き,もう一つは北を向いており,高さは共に2メートルを越えるほどです。川を挟んで丁度対岸の在家菩薩,妙有大姉と相対しています。

阿吽の像は共に金剛杵を持ち(阿の像は左手に,吽の像は右手にもつ),怒りを全面に表した形相をしています。廃仏毀釈よる影響を受けておらず,堂々とした彫刻を見ることができます。(引用終わり)

引用した鹿児島県ホームページ記事については「谷山市誌(昭和42年3月発行)」,「鹿児島市史跡めぐりガイドブック-五訂版-(鹿児島市教育委員会・平成28年3月発行」他を参考としており、「鹿児島県としての正式な見解ではないことに御留意ください。」との注意書きがあります。

画像をアップすると右側にも刻まれていました


撮影しているときは気づきませんでしたが正面仁王像の右90度にも仁王像が刻まれていました。

右側の仁王像


渓流を渡り対岸をよじ登れば仁王像の前まで行けたかもしれませんが、川岸は小さな岩に夏草と苔が絡み軽装備では登れそうにありません。ネット情報によると、対岸の山林斜面には仁王像に至る小道があるようです。

夏草が茂り訪れる人もほとんどないような場所でマムシも心配です。磨崖仏の存在感は素晴らしいですが、現状では一般におススメできる場所ではありません。少なくとも夏草が茂る時期は避けて冬から春先に訪れるのが良さそうです。最後までご覧いただきありがとうございました。
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カメラ散歩 永吉川の浜田橋 2019/04/26 (鹿児島)

2019-04-27 23:09:01 | 史跡巡り
4月26日(金)日置市吹上町の浜田橋に立ち寄りました。
国道270号かめまる館横の石橋で、すぐ下流には南薩線の橋脚が残っています。

下流側から見た浜田橋 以下の画像は4月26日撮影


すぐ上流に国道270号の橋がありますが、この位置から見ると車が石橋上を走っているように見えます。

永吉川下流にかけられた3連アーチの石橋で、大正2(1913)年に造られた。石材は近くの浜田橋を使用したという。長さ45m、幅4.1m、高さ6.5mで、実際に使われている石橋としては県内で最も長いとされている。(日置市観光協会)

鹿児島の石橋は鹿児島市の甲突川に架かる五大石橋が有名でした。平成5年の大水害で新上橋と武之橋が流失し、残った西田橋、玉江橋、高麗橋は石橋記念公園に移設保存されています。

国道橋の下から見た浜田橋


かめまる館横ですが普段ゆっくりと眺めることもありませんでした。この日は時間があったので南薩線跡地とともに周囲を少し歩きました。

国道橋の北側下に水神様が五体並んでいました


吹上町では貝殻に盛った浜砂を神様にお供えする風習があります。河川改修などで集められた水神様のように見えます。

浜田橋から見た南薩線橋脚


永吉川口に近く右手奥には久多島神社の白い鳥居が見えています。浜まではゆっくり歩いて10分ほどです。

南薩線橋脚を南側から見る 右奥はかめまる館


昭和59年に廃止された鹿児島交通線、通称「南薩線」の鉄橋跡です。橋脚が4か所残っています。

永吉川の南から見た南薩線道床跡


右は南薩線道床の石垣 奥は浜田橋


鉄橋南側には線路跡の築堤石垣がしっかり残っています。

浜田橋の説明板 日置市指定文化財


浜田橋は平成3年に改修され自転車・歩行者専用道路として利用されています。

かめまる館の蕎麦屋さん「かめまる庵」


かめまる館は最近の大きな道の駅に比べると小規模ですが、吹上町の新鮮な農産物や特産品が販売され休憩にも便利な場所です。

自転車専用道になっている南薩線跡地 右側は日吉町帆の港へ通じる


かめまる館では自転車を貸し出しています


南薩線の跡地は多くが道路に転用され、一部では自転車専用道路になっています。浜まで歩いて遊ぶも良し、夏は引潮時の川で遊ぶも良し、車を止めてすぐに遊べます。きれいな石橋、南薩線橋脚、サイクリングロード、吹上浜と観光スポットに恵まれており、もっと多くの人に訪れてほしい場所です。
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ツツジの季節 黎明館と探勝園 2019/04/17 (鹿児島)

2019-04-18 17:29:57 | 史跡巡り
4月17日(水)黎明館で写真展を鑑賞し、周辺のツツジを楽しみました。

葉桜に向かうソメイヨシノ 向かいの建物は鹿児島地方法務局


桜島 噴煙は殆どなし 左側は鹿児島県民交流センター


御楼門の再建工事が本格化し大型クレーンが入っていました。文化財発掘調査もあり石垣沿いの樹木がかなり伐採されましたが、ツツジは多くが残されており花を咲かせています。

隣の県立図書館側のソメイヨシノも半分葉桜となっています。このところ雨が少なく潤いに乏しいのが惜しいところです。

城山の楠は新緑 桐の花咲く  戦後の火災で焼け残った枯枝も見える


樋の間(てのま)二つ家 囲炉裏の煙


平戸ツツジが花盛り


城山側の屋外展示「二つ家」では囲炉裏に火が焚かれていました。最近では予算不足で2週間に一度だけとのこと。係の方には落葉掃除にもお忙しい中、あれこれと教えていただきありがとうございました。

県立図書館 桜の花びらが散る庭先


西郷銅像 築山にツツジ咲く


大河ドラマ西郷どんのブームも一段落ですが、鹿児島市の中心部に立つ西郷銅像は観光ポイントの一つです。15人ほどの団体さんが訪れて、慌ただしく記念撮影などをしていました。

照国神社 御祭神島津斉彬公


探勝園 島津忠義公 左上は城山ホテル鹿児島(旧城山観光ホテル)


探勝園 島津久光公 鳩にお冠の様子?


黎明館からゆっくり歩いても10分ほど、鹿児島を代表する神社の一つ照国神社を訪れました。御祭神は島津斉彬公です。正月の初参り、節分豆まき、六月灯(夏祭り)は特に賑わいます。

神社の北側に隣接する探勝園には島津久光公、忠義公の銅像が立っています。小さな池があり、背後の城山に溶け込むように自然林が続いています。ここを訪れる人は少なく、心静かに新緑、ツツジ、秋の紅葉などが楽しめます。
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晴天の天狗鼻海軍望楼台 2018/11/20 (鹿児島)

2018-11-21 16:41:14 | 史跡巡り
11月20日(火)鹿児島は晴天に恵まれ、まだ秋が続いています。
いちき串木野市羽島を経由、薩摩川内市の天狗鼻海軍望楼台を訪ねました。

入口にある案内板 以下の画像は11月20日撮影


案内板の記述は次の通りです。

薩摩川内市指定文化財 天狗鼻海軍望楼台(てんぐばなかいぐんぼうろうだい) 昭和60年3月27日指定

ここ天狗鼻は、北は天草、南は野間岬、西は甑島が望める見晴らしの良い場所で、江戸時代にも見張り台が置かれていたと言われています。

 明治28年(1895)の日清戦争終了後に日本海軍は国内の要所に沿岸防備のために望楼台を設けました。ここ天狗鼻に設置されたのもそのひとつで 日露戦争時には海軍兵が常駐し、ロシアのバルチック艦隊の北上を監視していました。

 鹿児島県内にはここ天狗鼻(常設)、下甑島の釣掛崎(仮設)、佐多岬(常設)の3か所設置され、現存するのはこの天狗鼻のみです。また、国内で現存するのは、北海道宗谷岬の大岬旧海軍望楼台とここ天狗鼻海軍望楼台の2か所のみです。

  天狗鼻海軍望楼台の概要
竣  工 明治33年(1900)3月30日
運用開始 明治33年(1900)8月20日
業務廃止 明治38年10月19日 日露戦争終結による
種  別 常設海軍望楼台(佐世保鎮守府所属)
設  備 無線通信(艦船との交信設備)
任  務 海上監視、通信、気象観測
配置人員 望楼手ほか計4人(戦時中、適宜増員)
   平成22年2月  薩摩川内市教育委員会

ここから薄暗い山道を500m歩く 南側から撮影


県道43号川内串木野線から左折、海側へ2kmほど狭い道を走るとこの案内板があります。ここだけ見るときれいな道路ですが前回訪れた時よりも道が荒れており、軽トラックを利用した方が良いような状態でした。車体を枯枝や草がこすり、車の底に石が当たります。斜面からの落石で道が狭くなり走れる幅が狭いところもあり、車を少しでも傷つけたくない人には無理な道です。

川内川の河口南側に位置する天狗鼻


行きは南側の串木野羽島から左折で入り、帰りは北側に走りました。北側の方が落石が多く道は走りにくい状態でした。おそらく釣人がたまに通る程度でしょう。離合できる場所はほとんど見当たらず、クラクションを鳴らしながら慎重に進みます。県道から歩いていくには遠いし、誰にでもおススメできる場所ではありません。台風や大雨後は倒木、落石で通行できないと思われます。

望楼までの歩道には岩や木の根が多い


前回訪れた時よりも道が判りやすくなり、岩や木の根に赤いペンキで目印が付けられ一部にはロープも張ってありました。山道の勾配はわずかですが,周囲の木が茂り薄暗いので足元には注意が必要です。

思ったよりも小規模な建物


案内板の建物図


南側の展望 小さな島は羽島の沖ノ島


西側の甑島は見えず


PM2.5の影響でしょうか甑島は右奥に輪郭がかすかに判る程度で、画像には写っていません。

南側から見た望楼


望楼の隙間から目立たないよう海を監視していたのでしょうか。100年以上も前の建物ですがコンクリート、レンガが今もしっかり残っています。

営舎跡地と思われる場所


望楼から少し東側に山林斜面を切り開いたような狭い平坦地があります。明治の日本にとってロシアは最大の脅威。人里離れたこの場所に詰めて警戒に当たっていた先人の苦労がしのばれます。

南方系と思われるような木が地表にもたくましく根を張り出し、今もこの地をしっかり見守っているように感じられました。

崖の上に息づく秋グミ


斜面に咲き誇るツワブキ


急斜面にツワブキが花盛りでした。ツワブキを励ますように木漏れ日が届いていました。
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花浄土/鹿児島

鹿児島の花や風景、祭りなどを巡るブログです。