ロダン展自体は……
うーん、いっぱい彫像が飾られていた、というイメージしか残っておりません。
…ダメだな(苦笑)。
それよりも、宮殿の裏を歩いていたら、
(写真は、宮殿の正面)
大変なナイスガイな兵隊さんが警備されていて、
きゃいきゃい喜んだこととか(笑)、
その彼が警備しているところに、1台の車が吸い込まれて行ったことの方が、
心にギュッと焼き付いています。
この車から降り立った人たちが、
建物に入って行った時に、その大きな扉が開いた。
その隙間から、大きなシャンデリアが一瞬、
キラキラと光を放っているのが目に飛び込んで、
私たちは、大変にときめいた…!
このシャンデリア自体は、宮殿時代の物ではなく、
全く新しい物なのかもしれない。
だけど、旧宮殿のシャンデリアってだけで、ロマンがあるよねぇ。
しかも、普段から公開されているようなスペースではないだけに、
その禁断の……?禁断、は、違うか(笑)…
ともかく、秘密めいた物を覗いたような気分、なのです。
ロダン展を観て、
私たちは、はじめに泊まった宿の近くのレストランで、夕食にしました。
プチコースで、サラダ、メイン、デザートを選ぶ。
私たちの席は、言いようによってはテラス席。
ほとんど、道路にはみ出した席でした。
気さくな感じの…これまたナイスガイなギャルソンが、給仕をしてくれました。
ナイスガイ…なんだけど、私たちが目をむいたのは、
抜栓したコルクを、ぽいっと、道端に棄てたことでした。
道の隅には、その石畳の上を水が流れていました。
お店が、何のためか、ホースでちょろちょろ水を流していたのです。
石畳は、道の両端が窪んでいて、道の水捌けをよくする、ちょっとした水路になっている。
日本なら、そこに溝蓋が一列にはまっているか、セメントで、その上を固めてあるところですが、
その道には、石畳が敷かれ、その下に雨水の流れる溝があるようでした。
水は、その石畳の溝にところどころにはまっている、鉄蓋に向かって流れ込んでいるのです。
(鉄蓋は、はまっていたような気がする。孔がぽつんと明いていたわけではなかったのではないかと…)
ナイスガイに抜栓されたコルクは、その水に乗る。
流されて行き、鉄蓋の孔の上で、くるくる回り続けるのでした。
閉店の時に、そこに集まったコルクを拾うのかもしれないけど、
何も、わざわざ、棄てなくても?
紳士のマナーに反するだろう??
…と、私たちは、日本語で大きな声で語りまくったのでした(笑)。
うーん、いっぱい彫像が飾られていた、というイメージしか残っておりません。
…ダメだな(苦笑)。
それよりも、宮殿の裏を歩いていたら、
(写真は、宮殿の正面)
大変なナイスガイな兵隊さんが警備されていて、
きゃいきゃい喜んだこととか(笑)、
その彼が警備しているところに、1台の車が吸い込まれて行ったことの方が、
心にギュッと焼き付いています。
この車から降り立った人たちが、
建物に入って行った時に、その大きな扉が開いた。
その隙間から、大きなシャンデリアが一瞬、
キラキラと光を放っているのが目に飛び込んで、
私たちは、大変にときめいた…!
このシャンデリア自体は、宮殿時代の物ではなく、
全く新しい物なのかもしれない。
だけど、旧宮殿のシャンデリアってだけで、ロマンがあるよねぇ。
しかも、普段から公開されているようなスペースではないだけに、
その禁断の……?禁断、は、違うか(笑)…
ともかく、秘密めいた物を覗いたような気分、なのです。
ロダン展を観て、
私たちは、はじめに泊まった宿の近くのレストランで、夕食にしました。
プチコースで、サラダ、メイン、デザートを選ぶ。
私たちの席は、言いようによってはテラス席。
ほとんど、道路にはみ出した席でした。
気さくな感じの…これまたナイスガイなギャルソンが、給仕をしてくれました。
ナイスガイ…なんだけど、私たちが目をむいたのは、
抜栓したコルクを、ぽいっと、道端に棄てたことでした。
道の隅には、その石畳の上を水が流れていました。
お店が、何のためか、ホースでちょろちょろ水を流していたのです。
石畳は、道の両端が窪んでいて、道の水捌けをよくする、ちょっとした水路になっている。
日本なら、そこに溝蓋が一列にはまっているか、セメントで、その上を固めてあるところですが、
その道には、石畳が敷かれ、その下に雨水の流れる溝があるようでした。
水は、その石畳の溝にところどころにはまっている、鉄蓋に向かって流れ込んでいるのです。
(鉄蓋は、はまっていたような気がする。孔がぽつんと明いていたわけではなかったのではないかと…)
ナイスガイに抜栓されたコルクは、その水に乗る。
流されて行き、鉄蓋の孔の上で、くるくる回り続けるのでした。
閉店の時に、そこに集まったコルクを拾うのかもしれないけど、
何も、わざわざ、棄てなくても?
紳士のマナーに反するだろう??
…と、私たちは、日本語で大きな声で語りまくったのでした(笑)。