今日は、シシィ嬢が、キャッチしたオレンジを掴みきれずに、前にすっ飛ばすのを拝見。
更にオレンジを追いかけ、捕まえ、急いで戻り、最後はパパにパスして、フランツ陛下が来るまでに間に合いましたが、
その時のシシィの表情!
可愛かったなぁ。
ああいうことってあることでしょうねぇ。
いっそのこと、上手袖まで入っちゃったらそのまま、あーあって感じで帰って来ればいいんでしょうけど、
いやいや、小道具遣いは難しいですね。
でも、お転婆シシィちゃんではアリ!な出来事。
オケボックスに入っちゃったらどうするのかな?(笑)
そのシシィ。
何しろ、上手い。
子ども子どもした外面からの動き方をしないではじまる少女時代。
フランツにキスをされて、何か扉が開く音がする…
そういうことが、中から出てくる。
この年齢、こんな場面で、シシィはどう感じるかというところから、地道に積み上げて創っておられるのを感じます。
こうしたら、子どもに見えるだろう、
こうしたら、やつれて見えるだろうということを狙っているようには感じないんですよね。
結婚式から、「最後のダンス」になって、鏡が割れる音と共に現実世界に戻る、
その時の怯えるシシィの表情が、好きです。
…好きって言っちゃうと、いぢわるみたいだけど。
でも、見てはならないものを見た、逢ってしまったというという、
あの目を見開いたお顔、
思わず、フランツに抱きついてしまう、そこから、あなたがいれば何も怖くないという安堵に移って行くのが、
非常に納得が行く。
リアルに響きます。
私がくみちゃんとフィーリングが合うということもあるのかもしれませんが、
今まで、理屈で理解していたような部分も、
自然に感じさせてくれるんだなぁ。
一つずつ挙げていたら、きりがない。
歌も素晴らしい、芝居も素敵、マイベストシシィです。
そしてそして、トート閣下。
私は、会見やお稽古映像を見た印象では、もっとさえちゃんのトート閣下から漂っていた空気みたいなのに似た空気を纏ってるんじゃないかと想像していたのですが、
いやまた違う空気で、嬉しい誤算でした。
でも、まぁくんのお声の状態によっては、
声の感じが似ることがある…
というと、双方のファンから、
違うっ!
と言われるかもしれないのですが、
私の思うさえちゃんのトート閣下の声のニュアンスのエッセンスみたいな部分と被るところがある、ということなので、
あくまでも個人の感想としてご容赦いただきたい。
通常モードのまぁ閣下は、割に闇に溶け込みそうな感じに動いておられる。
周りの空気を泡立てない。
そこに、歌の声色や強弱の入り方、
非常に細かな切り替えが入ったりというところで、伝えてくるのが、
バンッとこちらに届いたり、引き込んだりする。
この辺りの創り込みが実に綿密で、
これを二回公演演るのは、大変だぁ!とまず思いました。
私は、こういう創り込みが繊細で綿密で凝っているのを、
観ているだけで満たされる感じに包まれる人なので、本当にうっとりします。
うわぁー
スゴイーー
と口の中で何度呟くことか!
ルドルフの自害の後の、キス。
せり下がっていく際に、
ごちそうさま!
という顔をされるトート閣下も居ますが、
まぁ閣下は、割と無表情に下がって行かれます。
この違いは何なのかな?
と考えたのですが…以下はあくまでも私の私見。
まぁくんは、トートはシシィの中から生み出された存在、というような解釈で創っているとお話しされていましたが、
そう言われると、閣下が最初から、
「お前は私を愛している」だとか、「あいつ(フランツ)を愛しちゃいない」だとか断言したり、
シシィに執着したりすることに納得が行きます。
キリスト教の考え方では、
人間の死を、この世という苦難の溢れた世界から、
そういうものから解放され、神の身元に行くのだ、
ということがあります。
そう考えると、
トートは、ルドルフを救い出してやったんだという感覚でいるのかもしれない。
とすれば、ごちそうさま!ではない。
ルドルフの棺桶の向こうに現れる時だって、
自由を与えてやった、いいことをしてあげた、これでシシィは理解してくれる(息子が選んだことの意味を)、くらい思っているのかもしれない。
だからこそ、死を逃げ場に選ぼうとするシシィに怒ることになる。
さて、この辺りまでは、このように、
トートとシシィの間に感覚の隔たりがあるわけです。
夜のボートのシシィとフランツみたいに?
じゃあ、何故最後にシシィは、自分が選ぶべきゴールはトートの元だと悟るのか、
それは、次回の観劇の時に考えたいと思います。
…今まで、あまり深く考えないで、この作品を観ていたんだということに、気が付きました。
こう考えると、トート閣下が黒い、黒天使が黒いのは、人間サイドからの見え方であって、
(キリスト教の)神の側から見ると、白い…
或いは、閣下はこの世に居るから黒いだけで、それは、この世自体が闇だからってことなのか…
闇が広がる、なのであって、
闇を広げる、ではない。
などと、ぐちゃぐちゃと書いて来ましたが、
こんなふうに、新たな角度から考えさせてくれる、深さが素敵です。
話を変えて、閣下のお衣装の話。
凝ってるなぁと思ったのが、ポスターや会見で着ている黒いお衣装の色違い同モチーフの茶色のお衣装で登場された時。
照明で、違う色に見えるのか?(文字通り自分の目を疑った)とも思いましたが、
そんな訳はない。
上着のデザインが違います。
ほんの短い時間しか着ていない衣装も何点もあり、
ブーツだけ違うのを履いてるところもあったり…
どこまで新調?
ドクトルゼッペルガーのコートは、毎回同じなのかもしれませんけど?
そんな中で、グレーの羽の刺繍が施されているお衣装…
「私が踊る時」に着られているのだと思いますが、
あの短い時間に一生懸命見ちゃいます。
つづく。
更にオレンジを追いかけ、捕まえ、急いで戻り、最後はパパにパスして、フランツ陛下が来るまでに間に合いましたが、
その時のシシィの表情!
可愛かったなぁ。
ああいうことってあることでしょうねぇ。
いっそのこと、上手袖まで入っちゃったらそのまま、あーあって感じで帰って来ればいいんでしょうけど、
いやいや、小道具遣いは難しいですね。
でも、お転婆シシィちゃんではアリ!な出来事。
オケボックスに入っちゃったらどうするのかな?(笑)
そのシシィ。
何しろ、上手い。
子ども子どもした外面からの動き方をしないではじまる少女時代。
フランツにキスをされて、何か扉が開く音がする…
そういうことが、中から出てくる。
この年齢、こんな場面で、シシィはどう感じるかというところから、地道に積み上げて創っておられるのを感じます。
こうしたら、子どもに見えるだろう、
こうしたら、やつれて見えるだろうということを狙っているようには感じないんですよね。
結婚式から、「最後のダンス」になって、鏡が割れる音と共に現実世界に戻る、
その時の怯えるシシィの表情が、好きです。
…好きって言っちゃうと、いぢわるみたいだけど。
でも、見てはならないものを見た、逢ってしまったというという、
あの目を見開いたお顔、
思わず、フランツに抱きついてしまう、そこから、あなたがいれば何も怖くないという安堵に移って行くのが、
非常に納得が行く。
リアルに響きます。
私がくみちゃんとフィーリングが合うということもあるのかもしれませんが、
今まで、理屈で理解していたような部分も、
自然に感じさせてくれるんだなぁ。
一つずつ挙げていたら、きりがない。
歌も素晴らしい、芝居も素敵、マイベストシシィです。
そしてそして、トート閣下。
私は、会見やお稽古映像を見た印象では、もっとさえちゃんのトート閣下から漂っていた空気みたいなのに似た空気を纏ってるんじゃないかと想像していたのですが、
いやまた違う空気で、嬉しい誤算でした。
でも、まぁくんのお声の状態によっては、
声の感じが似ることがある…
というと、双方のファンから、
違うっ!
と言われるかもしれないのですが、
私の思うさえちゃんのトート閣下の声のニュアンスのエッセンスみたいな部分と被るところがある、ということなので、
あくまでも個人の感想としてご容赦いただきたい。
通常モードのまぁ閣下は、割に闇に溶け込みそうな感じに動いておられる。
周りの空気を泡立てない。
そこに、歌の声色や強弱の入り方、
非常に細かな切り替えが入ったりというところで、伝えてくるのが、
バンッとこちらに届いたり、引き込んだりする。
この辺りの創り込みが実に綿密で、
これを二回公演演るのは、大変だぁ!とまず思いました。
私は、こういう創り込みが繊細で綿密で凝っているのを、
観ているだけで満たされる感じに包まれる人なので、本当にうっとりします。
うわぁー
スゴイーー
と口の中で何度呟くことか!
ルドルフの自害の後の、キス。
せり下がっていく際に、
ごちそうさま!
という顔をされるトート閣下も居ますが、
まぁ閣下は、割と無表情に下がって行かれます。
この違いは何なのかな?
と考えたのですが…以下はあくまでも私の私見。
まぁくんは、トートはシシィの中から生み出された存在、というような解釈で創っているとお話しされていましたが、
そう言われると、閣下が最初から、
「お前は私を愛している」だとか、「あいつ(フランツ)を愛しちゃいない」だとか断言したり、
シシィに執着したりすることに納得が行きます。
キリスト教の考え方では、
人間の死を、この世という苦難の溢れた世界から、
そういうものから解放され、神の身元に行くのだ、
ということがあります。
そう考えると、
トートは、ルドルフを救い出してやったんだという感覚でいるのかもしれない。
とすれば、ごちそうさま!ではない。
ルドルフの棺桶の向こうに現れる時だって、
自由を与えてやった、いいことをしてあげた、これでシシィは理解してくれる(息子が選んだことの意味を)、くらい思っているのかもしれない。
だからこそ、死を逃げ場に選ぼうとするシシィに怒ることになる。
さて、この辺りまでは、このように、
トートとシシィの間に感覚の隔たりがあるわけです。
夜のボートのシシィとフランツみたいに?
じゃあ、何故最後にシシィは、自分が選ぶべきゴールはトートの元だと悟るのか、
それは、次回の観劇の時に考えたいと思います。
…今まで、あまり深く考えないで、この作品を観ていたんだということに、気が付きました。
こう考えると、トート閣下が黒い、黒天使が黒いのは、人間サイドからの見え方であって、
(キリスト教の)神の側から見ると、白い…
或いは、閣下はこの世に居るから黒いだけで、それは、この世自体が闇だからってことなのか…
闇が広がる、なのであって、
闇を広げる、ではない。
などと、ぐちゃぐちゃと書いて来ましたが、
こんなふうに、新たな角度から考えさせてくれる、深さが素敵です。
話を変えて、閣下のお衣装の話。
凝ってるなぁと思ったのが、ポスターや会見で着ている黒いお衣装の色違い同モチーフの茶色のお衣装で登場された時。
照明で、違う色に見えるのか?(文字通り自分の目を疑った)とも思いましたが、
そんな訳はない。
上着のデザインが違います。
ほんの短い時間しか着ていない衣装も何点もあり、
ブーツだけ違うのを履いてるところもあったり…
どこまで新調?
ドクトルゼッペルガーのコートは、毎回同じなのかもしれませんけど?
そんな中で、グレーの羽の刺繍が施されているお衣装…
「私が踊る時」に着られているのだと思いますが、
あの短い時間に一生懸命見ちゃいます。
つづく。