100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

「ミャンマー」編 シュエダゴォン・パゴダ8

2014年02月12日 08時31分41秒 | ミャンマー

 

 数百本の竹を筏に組んで河からビルマ人が回収している様子の絵です。

 なお、釣り鐘の受難には前史があります。1608年、ポルトガル人Philip de Brito e Nicote

がシュエダゴォン・パゴダに侵入し1485年、王Dhammazedi.が寄進した300トンの釣り鐘を持ちだして大砲に鋳造しようとしました。しかしバゴ河に落としてしまいました。これは現代に至るまで捜索が行はれていますが、いまだ発見されていません。

 シュエダゴォン・パゴダは政治の場にもなりました。1946年アウンサン将軍がイギリスからの独立を要求してここで演説をしました。42年後の1988年アウンサン将軍の娘アウンサンスーチーの民主化の演説もここでした。

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「ミャンマー」編 シュエダゴォン・パゴダ7

2014年02月12日 08時21分14秒 | ミャンマー

 

 シュエダゴォン・パゴダは本来平和な信仰の場ですが、戦場になったことがあります。ミャンマーがイギリスの植民地になっていく第一次英緬戦争(1824年~1826年)、第2次英緬戦争(1852年)、第3次英緬戦争(1885年)、1886年の完全植民地化の過程で起きました。

 1824年イギリス軍はヤンゴンに上陸しこのシュエダゴォン・パゴダを占拠し、イギリス軍基地にしました。1825年にここにあった1778年にシングー王によってつくられたマハーンガンダの釣り鐘をイギリス軍が火薬入れに使用するため持ち出しました。ところが持ち出し途中でカルカッタ河に落としてしまいました。イギリス軍は回収をあきらめその後ビルマ人によって回収されました。写真は回収された23トンのマハーンガンダ釣り鐘です。

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