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[SF]スターフライヤー離陸良好!?

2006-04-27 | 業界ニュース
<コメント>
 3月16日、新北九州空港の開港にあわせてスタートした「スターフライヤー(SF)」離陸良好のようだ。低価格に加え、どこかのキャッチフレーズではないが、「早い(早朝便)」「安い(他社より7,000円安い)」「うまい?(ゴージャス)」が受け支持されている。
 しかし、このまま安泰ではない。限られた機材での運航のため、想定外の整備が必要な事態になると欠航となってしまう。事実この1ヶ月で数回起こっている。
もう一つは、早朝深夜便への陸路のインフラ。乗り合いタクシーなどの手段はあるものの、自力で空港から目的地へ移動するしかない。今後、「安全」はもとより、フライト以外の満足度をどう上げて行くかが、安定経営の基盤となりそうだ。

(毎日新聞) - 4月27日17時20分更新
 日本の空に漆黒の機体が飛び立った。先月16日に開港した新北九州空港と羽田空港を結ぶ新航空会社「スターフライヤー」(SF、堀高明社長)。先発の新規参入組が苦戦し、原油高、格安競争と荒天模様の国内路線で、巡航高度に到達できるか。【高橋昌紀】
 週明け早暁の羽田空港(東京都大田区)で唯一明かりがともったSFのカウンターでは、午前5時55分発始発便の発券作業が進む。日産系車両会社に勤める神奈川県平塚市の渡辺一雄さん(41)は、出張で福岡県苅田町の現地工場に向かうところだ。「午前9時の会議に出席できます。福岡空港利用では無理」。福岡市に帰る自営業、野尻哲也さん(29)は「金曜最終便(北九州午後11時半発)で上京しました。土日の休日をフル活用できた」と話した。
 羽田発の始発便では、競合する日本航空(JAL)に対して3時間、福岡空港行きの各社と比べて30分以上の差をつけている。羽田行きの最終便も、新北九州発だと約3時間半、福岡発でも2時間遅い。こうした早朝・深夜便の利便性が、SFの売りの一つである。
 今のところ新北九州-羽田路線に特化し、1日12往復。運賃は2万5800円(大人普通片道)と、JALより約7000円安い。首都圏-北九州間の年間旅客数は約200万人。旧北九州空港利用者はこのうち30万人だけで、ほとんどは新幹線か福岡空港を利用していた。SFは細かい時刻表設定と割安感で、一部を取り返す狙いだ。
 機体でも差別化を図る。SFのエアバス機は、通常より26席少ない計144席。全席革張り、液晶画面、パソコン・携帯電話充電用電源なども標準装備する。内外装や客室乗務員の制服などは黒色で統一。そのスマートさは、ライバルも「一度は乗ってみたくなる」(JAL)と評価する。
 大手より運賃を抑えつつ、手厚いサービスを提供する--。こうした手法は、米国ニューヨークを拠点にするジェットブルー(00年就航)の成功が有名だ。革張り席など豪華仕様が商用族らに好評で、大手が模倣するほどになっている。
 ただし、航空業界には逆風が吹き荒れている。98年にドル箱の新千歳-羽田路線に参入した北海道国際航空は、02年に経営破たんした。大手との割引競争などが経営を圧迫。当初の就航機数の少なさ(1機)も響いた。格安運賃を売りに98年に就航したスカイマークエアラインズは、体制不備が原因とみられる機体の整備ミスが相次いでいる。
 SFは、先行2社の教訓を生かし、新品の3機を保有。来年2月には4機目を投入して上海などの国際線参入もうかがう。
 3月16日の就航第1便の座席は5分ほどで完売となり、同月の平均搭乗率は74.1%を記録した。北九州地区に工場を持つ日産や、九州電力など主要株主が社員の出張に使うなど支援する。
 だが、4月の搭乗率は5割程度に落ちてきた。移動の少ない時期とはいえ、業界では搭乗率6割が一つの目安。「まだ首都圏での知名度が不足だ」と鈴木紀男・経営企画部長は認める。
 対抗するJALにはマイレージなどの利点がある。福岡路線では利用者にアピールする割引競争も激しい。航空アナリストの杉浦一機さん(58)は「SFも今後、早朝・深夜便の値下げを検討すべきだ。収益安定のため、複数の路線展開も必要だ」と指摘する。

☆スターフライヤーのホームページ

☆新北九州空港のホームページ

[中華航空機事故]4月26日13回忌慰霊式

2006-04-27 | 業界ニュース
<コメント>
 中華航空機の名古屋空港内墜落事故から12年が経過し、13回忌の慰霊式が執り行われた。乗客乗員264人が犠牲となった。
事故の直接原因は、副操縦士の誤操作によるものだが、機首を上げようとするコンピュータと下げようとする操縦士との矛盾により墜落した。
コンピュータと人間の関係について、当該機のエアバスとボーイングでは開発コンセプトが違う。誤ってゴー・アラウンドモードをエンゲージしてしまった後、そのままコンピュータの指示通りであれば事故は起こっていないと考えられるが、「まだ修正は間に合う」とAP作動中に逆操作が行われ、コンピュータはますます機首をあげようとする。そして失速墜落となってしまった。
 2001年1月、日本航空機2機が異常接近(ニアミス)し、乗客100人が重軽傷を負った事故ではコンピュータと管制官の指示(便名の呼び違いもあったが)が違い、回避行動が遅れ多くの負傷者を出した事故は記憶に新しい。管制官の責任は追及しないが、コンピュータの指示を優先するよう通達が出た。
 ケースは違うが、コンピュータとどう付き合って行くかが、航空事故回避のコアになる事は間違いない。

※詳しくは、ブログ下部に記した国土交通省事故調査委員会発表の事実でご確認頂きたい。


(中国新聞4月26日17時16分)
 名古屋空港で1994年4月、中華航空機が墜落し、乗客ら264人が死亡した事故の13回忌の26日、墜落現場近くの慰霊施設「やすらぎの園」(愛知県春日井市)で、台湾からの18人を含む遺族や関係者ら約230人が参加して、慰霊式が営まれた。
 遺族会の山本昇会長(52)が「犠牲者の死を無駄にしないためにも、空の安全が間違いなく達成することを祈る」とあいさつ。85年の日航ジャンボ機墜落事故や、91年の信楽高原鉄道事故の関係者も参列して、黙とうや献花が行われた。

(事故内容)
平成6年4月26日20時16分頃、名古屋空港で中華航空機の台北発名古屋行きエアバスA300-600R 型機(CI-140便)(搭乗者総員271名)が南北に延びる2740m滑走路の南側から着陸しようとしたところ失敗し、滑走路南端着陸帯に墜落炎上した。
名古屋空港は、名古屋市の北部に位置し、名古屋市、春日井市、西春日井郡豊山町(オリックスのイチローのふるさと)、小牧市にまたがる空港で、国内線、国際線ターミナルビルを含め、その大部分は西春日井郡豊山町にあるため、救急出動は西春日井郡東部消防組合消防本部が担当している。今回の事故は、春日井地内であった。

(航空事故調査委員会発表の事実)
 B1816は、平成6年4月26日、中華航空140便(台北国際空港-名古屋空港)として、運航乗務員2名、客室乗務員13名及び乗客256名(幼児2名含む)計271名が搭乗して台北国際空港を08時53分協定世界時(日本標準時17時53分)に離陸した。
 台湾民用航空当局に提出された同機の飛行計画は、次のとおりであった。
  飛行方式:計器飛行方式
  出発飛行場:台北国際空港
  目的飛行場:名古屋空港
  巡航速度:465kt
  巡航高度:FL330(約10058m)
  経路:A1 SUC-JAKAL-KE-SIV-XMC
  所要時間:2時間18分
  代替飛行場:東京国際空港
 DFDR記録によれば、同機は09時14分頃FL330に達し、飛行計画に従い、名古屋空港へ向けて飛行していた。
 事故発生前の約30分間の飛行経過は、DFDR記録及びCVR記録によれば、次のとおりであった。
 副操縦士により操縦された同機は、FL330で巡航中、10時47分35秒、東京コントロールからFL210への降下を指示され、降下を開始した。この降下に先立つ数分前から約25分間にわたって、機長は副操縦士に進入及び着陸のためのブリーフィングを行っている。10時58分18秒、名古屋アプローチと交信を始め、同アプローチの指示に従い、逐次高度を下げ速度を減じていった。
 11時04分03秒、同機は名古屋アプローチから進路010への左旋回を指示され、その後の同07分14秒、滑走路34へのILSアプローチを許可されるとともに、名古屋タワーとの交信を指示された。
 台北離陸後、気圧高度1,000ftを過ぎた08時54分頃から、上昇、巡航、降下を通じて、AP NO2(オートパイロット2番)がエンゲージされていたが、名古屋空港への初期の進入段階である11時07分22秒にAP NO1もエンゲージされた。
 その後、同11分35秒、副操縦士によりNO1及びNO2ともに解除された。
 同機は、11時12分19秒アウター・マーカーを通過し、同13分39秒、名古屋タワーから着陸が許可された。このとき通報された風は、290 6ktであった。
 同機は、手動操縦で正常にILS進入を続けていたが、11時14分05秒、気圧高度約1,070ftを通過中、副操縦士が誤ってゴー・レバーを作動させたため、GO AROUNDモードとなって推力が増加した。
 機長は副操縦士に対し、ゴー・レバーを作動させた旨を注意し、「それを解除して」と指示した。
 同機は、気圧高度約1,040ft(滑走路から約5.5km付近)で、約15秒間水平飛行の状態となった。
 機長は副操縦士に対し、高くなった降下経路を修正するように指示し、副操縦士はこれを了承している。副操縦士が機長の指示によりエレベータを機首下げ方向に操作した結果、同機は徐々に正規の降下経路に近づいた。
 この間、機長は副操縦士に対し二度GO AROUNDモードである旨の注意を喚起している。
 11時14分18秒、気圧高度約1,040ft、正規の降下経路の上方1.2ドットの位置付近で、APがNO2そしてNO1とほぼ同時にエンゲージされ、その後、約30秒間使用された。機長また副操縦士によるAPを使用する旨の意思表示、あるいは呼唱が行われた明確な記録はCVRにない。APの使用が開始されたときから約18秒の間に、THSの角度は-5.3度から、機首上げ方向の限界に近い-12.3度のままであった。この間、エレベータは連続して機首下げの方向へ操作されている。
 同機はこのような状態で着陸進入を続け、11時15分02秒、気圧高度約510ft(滑走路から約1.8km付近)を通過中、副操縦士からTHRがラッチされたことを告げられた機長は、副操縦士に操縦を交代する旨を告げた。この時点では、スラスト・レバーが前方に大きく動いておりEPRが約1.0から1.5以上まで増加していたが、すぐにスラスト・レバーが引き戻され、EPRは1.3まで減少した。
 また、機長が操縦を交代したころから、エレベータはほぼ機首下げの限界まで操作されている。
 11時15分11秒、機長が「GO LEVER」と呼唱した直後、再びスラスト・レバーが大きく前方に動いてEPRが1.6以上に増加し、同機は急上昇を始めた。
 副操縦士は名古屋タワーにゴー・アラウンドする旨を通報し、名古屋タワーはこれを了承した。同機は急上昇を始めるとともにAOAが急激に増加し、CASは急激に減少した。この間、THSの角度は、-12.3度から-7.4度に減少し、また、SLASTS/FLAPSは、副操縦士が名古屋タワーにゴー・アラウンドを通報した後に30/40から15/15に戻された。
 11時15分17秒、GPWSのモード5の警報音「GLIDE SLOPE」が1回、同25秒、失速警報音が約2秒間作動した。
 11時15分31秒、気圧高度約1,730ft(電波高度約1,790ft)に達した後、機首下げとなって急降下を始めた。
 11時15分37秒、GPWSのモード2の警報音「TERRAIN TERRAIN」が1回、同40秒から墜落まで失速警報音がそれぞれ作動している。
 11時15分45秒ころ、同機は同空港の誘導路E1付近の着陸帯内に墜落した。
 事故発生地点は、名古屋空港の滑走路34末端中心から東北東約110mの着陸帯内で、事故発生時刻は、11時15分45秒(日本標準時20時15分45秒)ごろであった。

☆中華航空のホームページ

☆航空事故調査委員会(PDFファイル)