僕の消灯時間まで

ブログの引越しをしました。
愛する方々へ、遺書のように。

浜松に向かいますよ~

2015-07-01 10:38:39 | 日記
この間、浜松のサービスエリアでうなぎパイを買うかどうか迷って買わなかったばかりなのに、また今日も浜松に向かいます。


新幹線の事件が起きたことを、僕は昨日の夕方に知りました。
びっくりしたと同時に、なんだか震災のことを思いました。
突然、1秒前とは状況が変わる。
それは、交通事故などもそうです。
何秒か前にでも戻れるならば。
何分か前にでも戻れるならば。
それが、月単位の人もいる。
それが、年単位の人もいる。

結局、人はいつでも【時間】を欲しがっているような気がします。
時間だけは、止まらない。
流れはそれぞれに合わせたスピードだけど。

僕たちは今、新幹線に乗り込んでいます。
「昨日じゃなくて良かったなぁ。」
という感想の前に、何が起きても対処してやるというオフェンス的な覚悟ではない、今を全力で生きてやるという覚悟が必要なんだと思いました。
大袈裟な話ではなく、いつ今生の別れになるのかなんて誰にも分からんのだ。
子どもを駅まで送り、
「行ってらっしゃい、頑張られよ。」
「行って参ります。父さん、ありがとうございました。父さんも気をつけてね。」
「無敵だから平気。」
という息子との記憶。
ひょっとすればこれが最後の記憶になる可能性だってゼロじゃない。

何があったのかは分かりませんし、興味だけで知りたくもありません。
共に暮らしていた犬が死んだ。
それはその人達にとって本当に大きな出来事。
でも、距離があるとそう感じることはない。
それは仕方のないことだし、それが社会です。

地震の時に、全く関係のないところで、誰かが悲しみの底にいたはずです。
その瞬間に地球の裏側の交通事故でどなたかが亡くなったかもしれない。
規模で話をするのではなく、一つ一つの悲しみに程度はないのだと思います。
「なんだその程度でクヨクヨしやがって!」
と激を飛ばすこともモチロン必要ですが、
「そんなことは悩みでもなんでもない。」
と切り捨ててはいけないのだと思う。
SNSを見ていると、知った風に事件事故のことを話すけど、現場にいた人達の気持ちを想像することが大事なような気がします。
【悲しみに程度はない】のだと思います。
一件の悲しい事件ではなくて、関わった人達全てに起きた数百件の事件なのだと思いました。
皆で哀しもう、ではありません。
想像して、考えて、それから話す。
僕もそれがいつでも課題としてあります。
人を傷つけることが目的ではないにしても、不用意な発言は当事者を傷つけます。
まして「運が悪い」など言語道断。
悪いのは貴様の性格の方だ。

そのように思います。

ならば、きっと喜びも同じことが言えると思います。
人の喜びも自分の喜びにしちゃえば、確率上がりまくるじゃないの。
人の夢や独立、期待に応えなければいけない仕事をしている僕は、とても幸せだと思います。
お金や労力だけ見て仕事をしていてはいけない。
お金を貰うのは僕たちの方だけど、お客様にありがとうって言ってもらいたいのです。
そう言ってもらえる仕事をしなくちゃならんのです。
【この結果、この人はこうなっていく】
美容師もシェフも販売員も店員も、誰も彼もが人に喜ばれることをする。
それが日本人としての生き方なのだと思うのだがね。
「けけけ!騙してやれ!」
という詐欺連中とだけは、お近付きにはなりたくねぇなぁ。

長くなりましたが、そんなことをなんとなく思いました。
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3 コメント

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Unknown (オジー・オバハーン)
2015-07-01 20:05:48
まことにそう思います。
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押忍 (カズ)
2015-07-01 20:16:50
先日輪王寺にて応援頂いたものです。

現在は赴任地で
自分自身と闘っております。

目の前で応援頂けるとは思いませんでした。
応援がなかったら、どうなってたことやら・・・
あの応援が今の自分の力になっております。

青空応援団の力は不思議です。
枯れかけた花に水を汲んであげるように
もう一度胸を張って青空を見上げる。
生きる力に感謝です。

ここにひとつ
しるしておきます。
返信する
Unknown (yu)
2015-07-06 21:35:18
ありがとう
返信する

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