エチュードの頃

思いつきを書きとめておくために。

サーカスの時代性

2005-05-21 | 思考
数年前にサーカスを見に行ったことがあります。
大きなテント小屋が建ち、その中で行われるソレです。
毎年定期的にいろいろな団体のサーカス広告が打たれますから、相応に集客力のあるイベントなのでしょう。
テレビで見るサーカスはハラハラドキドキ、ライオン調教や空中ブランコ、イリュージョンなどの大仕掛けなものからピエロ等のひょうきん者がやらかす小ネタまで、観る者を飽きさせない工夫が至るところに凝らされています。


…ところがです。
それなりの期待を持っていざ出掛けてみると、まず会場の貧弱さが気になります。
そもそもがテント小屋ですから気にする方がおかしいのですが、メインステージが想像していたよりも妙に狭く感じます。
そして多数の支柱やフラットなベンチがいかにも年式相応で、バブリーなイベント用建築物がやたらに増えた今ではどうにも痛々しさが拭えません。


サーカスが始まってみると、…すごい!?…
というよりも「それなりにすごい」。
つまりどことなく極め切れていないように見えるのです。
檻からトラが消えてしまうイリュージョン、手に汗握る空中ブランコ、ジャグリング、球体の金網の中を走るバイクその他もろもろ。
技術的には確かにすごい、素人に出来る筈はない事ばかりなのですが、唸ってしまうほどの感動が何故かいまいち得られない。


例えば「ディズニー・オン・アイス」など観てしまうと、出演者の動きからライティング、音響等に至るまで全てが計算し尽くされていて、その時間は有無を言わさずその世界にのめり込まされてしまうわけです。

一方サーカスは
「おお、面白い人達が出てきた、やりとりが楽しいねぇ」
「あ、次はマジックか、あの箱は怪しいなぁ」
といった具合で出し物は続々と現れるものの、それぞれレベル的にはそこそこだし、ひたる間もないほど忙しく展開し、まさに消化不良状態です。

「うーん、すごいけどそれでおしまい?
も少し何かヒネリがあるかと思ったんだけど」


これはどうしたことだろう…


しばし考えた結論は「これはオールド・スタイルの娯楽なのだ」ということでした。
テント小屋で各地を巡業するというスタイルは、庶民の楽しみがごく限られていた時代に生まれたはずです。
そしてその中で繰り広げられる多彩なイベントは、娯楽を求める人々の欲求を満たすに余りあるものでした。

ところが現在のように娯楽の窓口が無限に増え、しかもそれぞれが相当なレベルアップを果たしてしまっている環境にあっては…
「かつてはこういう娯楽が歓迎されていたんだろうなあ」などと考えをめぐらせてしまいます。

「見世物小屋」と表現するとドンピシャな感じがしました。



決して皮肉ではなく、このままのスタイルでサーカスというものが続いていったならば、やがては歌舞伎などと同様の扱いを受けるようになるのではないか?と思った次第です。
コメント
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